学位論文要旨



No 115824
著者(漢字) 鈴木,良知
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,リョウチ
標題(和) メタステーブル原子電子分光によるNi単結晶上吸着子の電子状態
標題(洋)
報告番号 115824
報告番号 甲15824
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第309号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 増田,茂
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 遠藤,泰樹
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 助教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

[序]

 本研究では、Ni単結晶表面上のCOおよびN2分子を、準安定原子電子スペクトル(MAES)により調べた。準安定原子電子分光は、表面最外層の空間電子分布に関する知見が選択的に得られる「1」ことを特徴としている。これらは吸着系の典型例として多くの研究がなされてきが、気相・化学吸着相・物理吸着相・凝縮相のMAESを表面波動関数の空間的広がりという視点から検討することにより、吸着後の電荷移動や分子配向について新たな知見を得ることができた。

[実験]

 MAESと紫外光電子スペクトル(UPS)の測定には、既存の電子分光装置を改修して用いた。Ni(111)およびNi(100)単結晶の清浄化は、試料の加熱(580℃、30min)、Ar+スパッタ(600eV、30min)を繰り返すことにより行った。吸着面は、それぞれの温度で試料を暴露させることにより作成した。UPSではHe I共鳴線、MAESではHe*(23S)を用い、サンプルのチャージアップと表面の汚染に常に気を配りながら測定を行った。

[Ni(100)、Ni(111)表面上CO分子の電子状態]

 図1に気相と凝縮相COのMAESを帰属とともに示す。5σ軌道はC原子側、1π軌道は分子軸に垂直方向、

4σ軌道は0原子側に広がって電子分布する。気相では、励起原子が無秩序な方向を向いた分子に衝突するため、スペクトルのバンド強度は分子軌道の平均的広がりを反映する。凝縮相では気相に対応するバンドが観測されているが、1πが3倍程度強調されている。これは、最外層のCO分子が無秩序ではなく多くの分子が横たわって配向することを示す。このような配向でHe*は1π軌道と効果的に相互作用するからである。

 図2にNi(111)c(4×2)-COのUPSとMAES、Ni(100)c(2x2)-COのMAES、およびバックグラウンドを引いたMAESを示す。UPSと対応するバンドがMAESでも観測されていることから、He*の一部はペニングイオン化で脱励起している。CO分子は両表面でO原子を真空側に向けて配置するため、MAESではO原子側の電子密度が反映される。UPSと比較すると、MAESでは1πは観測にかからないほど弱く、5σや4σがほぼ選択的に検出される[2]。また、Ni(111)では5σ、Ni(100)では4σがそれぞれ強調されている。この結果は、吸着サイトの違いを反映した4σと5σ軌道の分子内軌道混合の効果として説明できる。すなわちNi(100)では、COはon-topサイトに吸着するが、σ軌道間の相互作用が弱く、孤立COとほぼ同様に電子分布する。一方、Ni(111)ではCOはthree-fold hollowサイトに吸着する。このとき、σ軌道間で強い混合が生じるため、C原子に局在していた5σ電子がO原子側に偏在することがわかった。この電荷の再配置は、第1原理計算で再現できた。

[Ni(111)表面上N2分子の電子状態]

 図3に気相のN2、図4に50KでNi(111)表面およびN2を飽和吸着(θN2〜0.21)させた表面のスペクトルを示す。気相では、3σgと2σuバンドは同程度の広がりをもち、1πuバンドはその3割程度となる。化学吸着表面で、一部のHe*(23S)はNi(111)清浄面でみられる共鳴イオン化(RI)とオージェ中和(AN)過程で脱励起し、ブロードな構造を与えるが、一部のHe*はペニングイオン化を経て脱励起する。

 一方化学吸着表面では、N2分子がNi原子上に分子軸を表面に垂直にして配向するため、スペクトルは真空側のN原子の局所電子密度を反映する。1πuバンドは、ペニングイオン化確率が小さいので「2」、重なっている3σg/1πu〜バンドは3σgバンドが主に寄与している。2σu、バンドに比べて3σgバンドが著しく強調されている結果は、N2分子と基板問の相互作用により、3σg電子は真空側のN原子、2σu、電子は基板側のN原子に局在することを示す。これは、直接的にN2分子の電荷の偏りを観測したはじめての例である。

 図5に、20Kに冷却したNi(111)表面にN2分子を逐次吸着させたスペクトルを示す。清浄面(a)ではHe*(23S)は共鳴イオン化+オージェ中和過程で脱励起する。吸着の初期(b)では、ペニングイオン化に基づく化学吸着N2の3σ/1πuバンドが観測される。さらに吸着させると、物理吸着N2によるバンド(3σg,1πu,2σu)が現れ(c)、単分子層(d)を経て、凝縮相(e)、(f)が形成される。(d)の1πuバンドは、気相N2の2.5倍、(e)、(f)では1.5倍程度強調されている。1πu軌道は分子側面に大きな電子密度をもつことから、(e)、(f)でN2分子はやや傾いて、(d)では表面に横たわって配向することがわかった。このような現象は、C0や02凝縮系に対しても見いだされている。物理吸着したN2バンドは単分子層でEkが最大(結合エネルギーが最小)となり、膜が厚くなると低Ek側にシフトする。この現象はペニングイオン化で表面最外層N2分子に生じたホールによる周辺分子の分極と、金属の遮蔽の複合効果として解釈することができる。また、このモデルによりバンド幅の膜厚依存についても説明がつくことがわかった。

図1気相及び凝縮相のMAES

図2 CO/Ni(111)のUPSとMAES及びCO/Ni(100)のMAES

図3 気相N2のMAES

図4 Ni(111)清浄表面と化学吸着したN2表面のMAES

図5 N2を逐次吸着させたMAES

審査要旨 要旨を表示する

[序]

 本論文は5章からなる。第1章で研究背景および研究目的が説明された後、第2、3章では固体表面の解析法および実験装置の説明に充てられている。第4章ではNi(100)、Ni(111)表面上CO分子の電子状態、第5章ではNi(111)表面上N2分子の電子状態について詳しい実験結果ならびに考察が述べられている。

内容

 固体表面が関与する現象は触媒反応や半導体電子物性など多岐の分野に及ぶ。固体表面の特徴は、表面では固体内部で成り立っていた並進対称性が破れるために多彩な原子構造や電子状態が出現すること、わずかな添加物や欠陥によって触媒活性等の反応性が著しく影響されることである。また固体表面は分子ビームエピタクシー法に代表されるように、人工物質開拓の場としても重要な役割を果たす。このような固体表面を舞台とする様々な物理的・化学的現象をミクロな立場から明らかにするためには、実験・理論両面からの表面電子状態に関する知見が不可欠である。

 表面電子状態は結合エネルギー(周期系の場合にはバンド分散)、波動関数の対称性と空間分布、スピン状態に大別することができる。本論文の提出者は従来、実験的解析例がほとんどない波動関数の空間分布に着目し、メタステーブル原子電子分光(MAES)による系統的な実験と密度汎関数法による第1原理計算をおこなった。測定系として、強い化学吸着の典型であるNi(100)、Ni(111)表面上co分子、弱い化学吸着として知られるNi(111)表面上N2分子が取り上げられている。

(A)Ni(100)、Ni(111)表面上co分子の電子状態

 Ni(111)c(4×2)-co、Ni(100)c(2×2)-coなどの化学吸着相における価電子状態を明らかにすることを目的として、これらの系のMAESを測定するとともに、同一条件下で測定した気相・凝縮相CO、Cr(CO)6分子のMAESと比較した。また各吸着相の電子状態を密度汎関数法によって計算した。その結果、以下のことを見い出した。

(1)CO分子の5σ、4σ状態はC側、O側に大きな電子分布をもつが、Ni(111)上hollow siteへ化学吸着することで、この電荷分布は逆転する(antipolarization)。この現象は化学吸着による軌道混合の効果として説明でき、COOP(Crystal Orbital Overlap Population)の結果とよく対応する。

(2)CO/Ni(100)系では、化学吸着による5σ、4σ状態間の軌道混合が割合が小さく、電荷分布の逆転現象は生じない。すなわち、Cr(CO)6などのカルボニル錯体と同様、電荷の再配置はdepolarizationの域に留まる。CO分子はNi(100)上でterminal siteを占有し、COσ軌道とNi3d波動関数との重なりが小さいことによると解釈できる。

(B)Ni(111)表面上N2分子の電子状態

Ni(111)表面における化学相、物理吸着相、凝縮相ならびに気相のMAESを測定し、その系統的な解析から、以下のことが明かとなった。

(1)吸着したN2分子であるため、3σg、2σu状態は対称的な電荷分布をもつ。Ni(111)上に垂直な配向で化学吸着によって、3σg、2σu由来の状態は各々真空側のN原子、基板側のN原子に電荷が偏在する。このようなpolarizationも、CO/Ni系の場合と同様に、軌道混合効果として解釈した。

(2)基板温度が十分に低い場合(〜20K)、吸着量の増加に伴って、N2分子はまず化学吸着し、化学吸着と物理吸着の共存相(単分子層の形成)を経て、凝縮相(多分子層の形成)が出現することをMAESの立場から明らかにした。

(3)N2分子の凝縮過程でN2由来のバンドは、単分子層で結合エネルギーが最小となり、吸着層が厚くなると低結合エネルギー側にシフトすることを見い出した。この現象はペニングイオン化ではホールが表面最外層で生成するためであり、ホール周辺分子の分極ならびに金属基板の遮蔽の複合効果として説明することができる。また、このモデルによってバンド幅の膜厚依存性についても説明がつくことを示した。

 なお、第4、5章の成果はJ.Chem.Physに既に公表されており、さらに2報英文雑誌に投稿中である。

結び

 本論文中第4、5章の一部は、増田 茂と青木 優氏との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって実験・解析したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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