学位論文要旨



No 115828
著者(漢字) 清水,祐公子
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,ユキコ
標題(和) エルミート及びラゲールガウスビームによる冷却原子の運動制御
標題(洋)
報告番号 115828
報告番号 甲15828
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第313号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久我,隆弘
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 助教授 清水,明
 東京大学 助教授 和田,信雄
 東京大学 助教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

§1. はじめに

 本研究はエルミートガウスあるいはラゲールガウスモードの光ビームのように、よく定義された関数で記述できる空間強度分布をもった光が原子におよぼす力を半古典論で解析し、その結果を冷却原子の運動を制御する実験によって検証したこと、また強結合状態の光−原子相互作用によっておこる物理現象を観測、解析したことに関するものである。論文は次の2部からなる。

(1)原子を電気双極子モーメントで表し、これにはたらく電場・磁場の力を考える第一原理から出発し、種々のモードで力の表式を求めた。これを光子の概念を用いた力の説明と対応させて、古典論と量子論の間の力の解釈の異同を明らかにした。ラゲールガウスビームをつくり光ビームだけで冷却された原子をトラップし、そのトラップ寿命を測定した。先に得られた結果を使い、トラップ寿命が、光のトラップ力とビームの中で働く散乱力とのバランスで決まることを明らかにした。またMOTから原子噴泉によって打ち上げられた原子を共振器内で捕獲するための光パワーの計算をし、可能性を明らかにした。

(2)高フィネス共振器の中で強結合条件のもとに相互作用する原子の数を随意に制御する実験を行なった。共振器の基準モードの分裂が原子数の平方根に比例する効果を用いることで、共振器内で実効的に相互作用している原子数を見積もることに成功した。原子数がわずか十数個の場合にサブ/スーパールミナル光伝播の観測に成功し、単一原子で量子ゲートや光-原子の絡み合い状態をつくる可能性に道を開いた。

 近年レーザー光によって原子を冷却し、トラップし、搬送するような実験が盛んに行われるようになった。この技術は原子物理学の研究に有効な手段を与えるだけでなく、レーザー加工などの応用分野でも注目されている。効果的に原子の運動を制御するためには、最適な光ビームの設計が必要である。レーザー共振器内の共振モードやレーザー出力光の伝搬モードはエルミートガウスモードやラゲールガウスモードでよく近似されることが明らかにされている。したがってこれらのモード構造のなかで、原子に働く力を具体的に把握しておくことは大切である。またそれが明らかにされた段階で、原子を有効に制御する光ビームのシステムを構成できれば有益である。

§2. 光が原子に及ぼす力の半古典論による解析

 光の力の起源についての量子論的説明と古典論的説明との間には見かけ上かなりの開きが感じられる。前者で通常散乱力、双極子力(分散力)といわれるものはそれぞれ光子のもつ運動量の授受、光の中での原子のポテンシャルエネルギーの空間依存性から説明される。後者では運動する双極子モーメントに、それぞれ電場、磁場がおよぼすクーロン力、ローレンツ力から出発する。ことに興味があるのは磁場の役目である。量子論では光と相互作用するのは(第一近似では)電気双極子モーメントだけで磁場はあからさまには現れない。古典論ではマクスウエル方程式を満足させるためにも、ローレンツ力を考えるうえでも常に磁場をあからさまに扱わなければならない。

原子を運動する双極子モーメントμでおきかえて力は

とかけるところから出発する。この式で第1項は電場の強度に空間分布があるために生じる力、第2項は振動する双極子に磁場から働くローレンツ力、第3項は動く双極子に不均一な磁場から働く力である。解析の結果マクスウエルの方程式を満足する光ビーム(近軸光)の電場・磁場の式を以下のように求めた。

ここで関数uはヘルムホルツ方程式の解で、直交座標系ではエルミートガウス関数、円筒座標2系ではラゲールガウス関数でかくことができる。このときの力を,(1)から計算すると

が得られた。ここでα’、α”は分極率の同位相成分、直交位相成分であるがこれらは量子論で計算される。これらの式からは見かけ上磁場は消去されている。(4)(5)は双極子力、(6)は散乱力に相当する。これらの式を使って相互作用の半サイクル(ラビ周波数の半周期)の間に光から原子に移されるエネルギーと運動量を計算するとhω,hkとなり、光子像の説明と一致する。

§3. トラップ力の計算例

 前節で求めた力の式を用いて、具体的な例について計算を行なった。

§3-1 ラゲールガウスビームによる冷却原子のトラップ

 空間を形をくずさずに伝搬する直径1.5mmのラゲールガウスモードの光ビームをつくり、その中空の軸上に10μKのRb原子を108個トラップすることに成功した。1本の光ビームだけでトラップ(2次元トラップ)したときのトラップ寿命は約50ms、光ビームの上流と下流をほかの2本の光ビームの光ポテンシャルでふさいだ3次元トラップでは寿命は173msになった。

 寿命をきめる原因を種々検討した結果、両者の寿命の差は式(6)からくる前方への散乱力を考慮した計算とよく一致する事が分かった。実際に上流の光ビームは寿命に影響しないことも実験的に明らかにされた。光ビームを原子に作用させると、式(4)(5)で表されるトラップ力と同時に、式(6)で表される散乱力も同時に働くことが実証されたことになる。量子論ではこれは自然放出による加熱効果に相当する。

§3-2 打ち上げられた原子を共振器内に補足する可能性

 次節で述べる共振器QEDの実験において、MOT、PGC効果で冷却した原子を下方からの光ビームの輻射圧で打ち上げると、その初速度は6.3m/sと測定された。上方35mmにある共振器内の負に離調(低周波数側に離調)したTEM01モードの光で減速補足するたに必要な光パワーを、§2で求めたモード関数および双極子力の式から計算すると366μWとなる。これは十分実現可能な数値である。これができると量子ゲート、量子ビットなど原子で光を制御する素子の開発に役立つと考えられる。

§4. 共振器モード場と原子が強く結合した系

 フィネスが高くかつ体積が極めて小さい共振器の中では、光のエネルギーは低くても実効的な電場は大きくなり、従って光に共鳴する原子との結合定数(ラビ周波数)を大きくすることができる。ここで興味がもたれることは、光子1個に相当する程度に低いエネルギーで励起されている共振器内で原子にどのような力が働き、これによって原子を減速、トラップし、また運動を制御できるか、ということである。また原子の存在によって原子数に依存してモードのスペクトル構造が大きく変化する。これを解明することは、運動の制御の設計に必要なばかりでなく、共振器QEDの問題としても物理的に興味がある。

 製作した光共振器は鏡の直径3mm、鏡間距離70μm、フィネス2×105である。共振器の下方35mmで磁気光学トラップによりRb原子をトラップ、冷却し、下方ビームの輻射圧によって共振器に向かって打ち上げる。これらの条件では1光子の結合定数(真空ラビ周波数)gOが自然放出レートγ、共振器のエネルギー減衰定数κより大きくなる、いわゆる強結合条件が成立し、原子・光相互作用を観測でき、さらに原子の運動を制御する可能性が生じる。

§4-1 冷却原子の共振器透過信号の観測

 強い電場のもとでは原子は大きなラビ分裂をおこす。モード関数の空間構造がある共振器内を通過していく原子のスペクトル線の形は時間の関数として変化する。それにしたがって光の透過信号も変化する。これはまた共振器に入る原子数によっても変る。打ち上げ初速度、原子数、離調などの関数として原子の通過信号を観測した。相互作用の結果は光のモード関数と原子との相互作用から計算される結果とコンシステントであった。

§4-2 共振器内における原子の協力的相互作用

 共振器内に原子があると、共振器の基準モードは原子のスペクトルのラビ分裂に相当して分裂をおこす。その際"同じ"光の場にある原子数をNとすると、分裂の大きさは〓に比例する。これはN個の原子がDicke状態にあるためである。ラビ分裂は離調の関数として§4-1の透過光強度を観測すれば測定できる。MOTのロード時間を変えることで、共振器に入る原子数を制御する。測定されたラビ分裂の大きさを〓の関数としてプロットするときれいな直線が得られた。これによって原子の協力的相互作用が確認されたと同時に、この関係式は共振器内の原子数を見積もるために有効に使われる。

§4-3 光パルスのサブルミナル、スーパールミナル伝播の観測

 媒質中に屈折率の異常分散があると、その周波数領域では光パルスの伝播速度が真空中の光速を超えたり、あるいは極端に遅くなったりすることは早くから指摘されていた。最近になってボーズ凝縮体でサブルミナル伝播、気体セルでスーパールミナル伝播の観測が相次いで報告された。これらはいずれも106個以上の原子による効果であるが、我々は高フィネス光微小共振器の中で強結合した原子を使ってわずか16個程度の原子でこれらの効果を実現することに成功した。さらに実験方法の改善により、単一原子でこれらの効果を実現できる可能性を示した。原子1個で光パルスを制御できるということは、量子ゲートなどの応用につながる。

 MOTから打ち上げられた原子が、ちょうど共振器を通過するときにガウスパルスを送る。光は共振器の中でフィネス(2×105)に相当する回数だけ原子と相互作用する。光パルスの周波数離調がサブルミナル領域のときに470nsの伝播時間の遅れ、離調がスーパールミナル領域のときには370ns進みの観測に成功した。共振器の分裂した基準モードからこれらの効果を計算したところ、非常によい一致をみせた。

 光から原子に働く力のいろいろな様子を古典的な解釈と量子論的な解釈とを対応させ明らかにした。これを利用した原子の運動制御の実験を行ない、理論との比較を行なった.高フィネス共振器内で、強結合条件にある原子の数を随意に制御した実験を行ない、原子集団が光と協力的に相互作用することを明確に示すことができた。さらにわずか16個程度の原子で光パルスのサブ/スーパールミナル伝播を実現することに成功した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章は序論にあてられ、第2章はエルミート及びラゲールビームの空間構造の解説、第3章は原子がレーザーから受ける力の半古典的解釈、第4章はラゲールビームによる原子の光トラップ実験、第5章は高フィネスの光微小共振器中での光原子相互作用及びそれを用いた光パルス伝播の遅延・先駆効果を測定解析し、第6章は全体のまとめをしている。

 具体的には、第2章でレーザー光の一般的な空間伝播パターンであるエルミートガウシアン、ラゲールガウシアンビームを解説し、第3章でそれらのビーム形状からレーザー光が原子に与える力を半古典的に導出している。もちろん光から原子が受ける力は、ドレスド原子の考え方をもとにした量子論的な手法で導くことも可能であるが、古典的な手法を用いればより直感的な解釈が得られやすいというメリットがある。

 第4章においては、中空の光ビームであるラゲールガウシアンビームを用いた原子トラップの実験が述べられている。レーザー冷却の手法により予備冷却されたルビジウム原子集団をラゲールビームにより形成される光トラップに捕獲する。そして再びトラップから原子を解放した際にどれだけの原子が残っているかを光吸収測定により観測している。その結果、トラップ寿命として150ミリ秒という結果を得ており、これを、第3章で導出した原子が光から受け取る力による加熱効果を考えたシミュレーションと比較してよい一致を得ている。

 第5章では、前章までの光の伝播パターンではなく、光共振器内で光電場と原子が強く結合した系における原子-光相互作用の実験的研究を記述している。単一原子と単一光子との相互作用はもっとも簡単な物理系であるが、最近になるまでその困難さから実験的研究は行われてこなかった。実験技術の進展により、高反射率の鏡で光を閉じこめ長い間原子と相互作用させることが可能となった。その結果、光と原子とを十分長い間相互作用させ、その相互作用の情報を自然放射で失われるよりも早く引き出すといった、いわゆる強結合条件下で研究を遂行できるようになった。本章ではその理論的背景から具体的な実験手段を詳しく記述しており、さらに共振器内に原子があるときと無いときの光パルス伝播の違いを議論している。そして、条件により光パルスが真空中を伝わるよりも早く検出器に到達するように見える、先駆現象、および非常にゆっくりと進んで検出器に到達する、遅延現象を観測している。さらに計算機によるシミュレーションも行い、実験結果が再現できることを確認している。

 以上のように本研究は、光ビームの特徴的な形状、エルミートガウスビーム、ラゲールガウスビーム、微小共振器内に閉じこめられた光、などと原子の相互作用、運動制御を系統的に研究したものである。特に第5章で述べられている微小共振器と冷却原子による光パルスの制御は、将来の単一光子発生器、量子ビームスプリッター、量子ゲートへの応用に向けての大きな一歩であるといえる。

 なお、本論文中の第3章の一部は、佐々田博之氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が大部分であると判断する。

 よって本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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