学位論文要旨



No 115841
著者(漢字) 石井,裕司
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,ユウジ
標題(和) メゾスコピック強磁性 : 超伝導接合の輸送現象
標題(洋) Transport phenomena of mesoscopic ferromagnet-superconductor hybrid junctions
報告番号 115841
報告番号 甲15841
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3885号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 黒田,寛人
 東京大学 助教授 和田,信雄
 東京大学 助教授 長谷川,修司
内容要旨 要旨を表示する

 常伝導(N)-超伝導(S)接合系において常伝導側から電子(E<△)が入射するとき、超伝導体中ではCooper pairとして存在しなくてはならないという要請から速度ベクトルおよびスピンが反対向きのもう一つの電子が同時に入射しなくてはならない。この状況は見方を変えればN-S界面で入射電子がholeとして反射されると解釈でき、Andreev反射と呼ばれている。この入射電子と反射holeは超伝導体の位相をも反映した位相をもつがN-S界面から距離〜〓(DはN中のdiffusion constant,εは入射電子のエネルギー)程度のところで両者はコヒーレンスを失う。一方で超伝導状態の常伝導体側へのしみだしは超伝導近接効果として知られているが、このAndreev反射における入射電子と反射holeのコヒーレンスがその起源であると理解でき通常金属の場合超伝導がN側へしみだす長さは〓で与えられる。Agなどの通常金属の薄膜の場合、この長さは1K以下で0.1μmのオーダーとなるので近年めざましく発展した微細加工技術を用いれば、超伝導のしみだしの長さを直接反映した効果を観測することが可能となった。その1つが抵抗のリエントラントと呼ばれる現象で、超伝導転移温度Tc以下で減少したN-S系の抵抗は、常伝導体のreservoirと超伝導体との距離Lで定義されるThouless energyεTh=〓D/L2程度以下の温度領域で増大に転じ、理論上はT=0では常伝導のときの抵抗値に戻るというものである。そしてここ数年近接効果の興味は強磁性(F)-超伝導(S)接合系に移ってきている。この場合F中における交換相互作用の結果、超伝導状態のしみだしの長さは〓となり、この値はNiなどの典型的な強磁性体では数nmであるのでN-S系におけるような長距離の近接効果は期待できない。ところが1994年にPetrashovらが図1のような形状をしたNiとSnを用いた試料においてSnからの距離(0.3〜2.0μm)に依存してTc以下で抵抗が増加したり減少したりするという報告を行っている。(ただし付け加えるならば彼らは同様の振る舞いをN-S系でも観測しているが、抵抗がTc以下でいきなり増加するというのは明らかに従来の理論に反しており現在も解釈には至っていない。また他の実験グループによる同様の報告はない。)さらに近年、測定領域にP-S接合を含んだ系の抵抗の温度依存性において、リエントラント効果と似た振る舞いが報告されたり(ただし、抵抗の極小値が理論上予想されるよりも高い温度で現れたり、また最低温度での抵抗値が常伝導のときの値を上回るなど従来のリエントラント効果の描像に反する点もある)、またTc以下での抵抗の減少量が超伝導体の部分の超伝導転移による抵抗の減少およびξF程度の超伝導のしみだしでは説明できないほど大きいとする報告もあり、N-S接合系の場合と同様P-S接合系においてもサブミクロン程度の長距離近接効果が存在する考えが支配的であった。しかし最近Belzigが発表した理論によりこの状況は一変する。それはF-S界面でのAndreev反射と界面付近でのspin accumulationの効果を考えるだけで、長距離の近接効果がなくても上記のリエントラント効果と似た振る舞いは従来のリエントラント効果と矛盾していた点も含めて再現でき、またTc前後での界面近傍の抵抗変化量は界面抵抗のオーダーになることから、界面抵抗の値がそれなりに大きいとするならば先の実験におけるTc以下での大きな抵抗の減少をも説明できるというものである。したがってF-S接合系における長距離近接効果の有無に関する議論はふりだしに戻ったというのが現状である。

 以上の経緯をふまえ、F-S接合系の近接効果を原点から検証するというのが本研究の主旨であるがその際に我々は従来の実験以上に透過性の高いN(F)-S界面を作製することに留意した。従来この分野の実験ではN部とS部をそれぞれ別個の電子線リソグラフィー+蒸着で作製していた。ただし、このままではN-S界面に現像液で除去しきれなかったレジストや蒸着装置から取り出したときに吸着した不純物が残り、清浄な界面は期待できない。そこでS部を蒸着する直前にAr+スパッタでN表面の不純物を除去するという手法をとっていた。しかしスパッタによる洗浄は不純物と同時にN表面をも削り取ることになり逆に界面のroughnessを生じ透過性を悪くする結果となりかねない。この手法はいかなる複雑なN-S構造をも作製できるという利点があるが、我々はこういった理由により採用せず微小トンネル接合系の実験で一般的に用いられている電子線リソグラフィー+斜め蒸着法を採用することにした。この方法は蒸着過程で高真空を破ることなく異種金属の接合を作製することができるので、現状では界面の清浄さに関してはベストな手法と考えられる。また測定部分にN-S界面が含まれるような構造では上述のような紛れがあるので図1のようにN-S界面から空間的に離れた領域の近接効果が観測できればベストでありそのためにはSと測定部をできるだけ近づけたい。そこで斜め蒸着を多方向からできるように改良し図2のような試料を作製した。Sと最近接プローブ6との距離Lは0,2μm弱、6-7,7-8間は1.0μmである。今回Ni/AlとCu/AlさらにF-S接合系において長距離近接効果があるとしたら超伝導のtriplet成分によるものではないかという理論をふまえNi/Snの試料を作製し、測定を行った。(以下では図2の端子iからjに電流を流し端子kと1の電位差を測定した4端子抵抗をRij,k1と表記する。また測定電流は特に断らない限り0.1μAである。)R12,67とR13,45の温度依存性を図3に示す。Cu/Al系において観測された長距離近接効果はF/S系においては観測されなかった。R13,45が2段階の超伝導転移をしているように見えるのはN(F)と重なったS領域のTcが低下するという逆近接効果を反映していると考えられる。次にcross-junctionとしての抵抗R12,34の温度依存性を図4に示す。N-S接合とF-S接合のいずれにもTcとその低温側に計2つのピークが観測された。前者に関してはS領域におけるcharge imbalance効果によるものではないかと考え、検証実験を行った。それは図2においてNとSを入れ替えさらにプローブ6-8をNで作製するかSで作製するかでR12,36の温度依存性に現れるピークに変化があるかどうかということである。結果はプローブ6をNで作製するとTcにおけるピークは消滅し、charge imbalanceによる描像を裏付けることになった。一方、Tcより低温側に出現した従来観測されたことのないピークに関してあるが、N(F)と接しているS領域の抵抗が0になる温度において現れることから我々はこのピークが接合を流れる電流の分布の変化に起因するものではないかと考え、事実S部の超伝導転移による抵抗値の減少の過程でこのR12,34が常伝導時の負の値から正の値へ変化することを電送線モデルを用いた計算により示した。これまでこのようなbarrierのほとんどないN(F)-S junctionの抵抗の温度依存性は数例報告されているが、いずれもTcで1つピークが現れただけであった。それもそのはずで我々の試料作製法でNiを蒸着した後、1時間ほど蒸着装置内(〜10-7Torr)に放置してからA1を蒸着した試料のR12,34の温度依存性を測定したところ、T=Tcに1つピークが現れたのみであった。これは界面が極めて清浄でないとこの逆近接効果を反映した2ピーク構造は現れないことを示しており、このことからも今回採用したプロセスにより作製した試料は従来の実験におけるものよりも清浄なF(N)-S界面をもっているといえる。

 F(N)-s界面を含んだ領域R12,46の温度依存性を図5に示す。Ni/Alの抵抗変化はBTK理論に従う界面抵抗の変化により電流分布が変化した結果のみで完全に説明できる範囲内である。一方0.1μAでのNi/Snの測定ではCu/Alで観測されたリエントラント効果と似た抵抗変化が観測されたがR12,67において近接効果が観測されていないことから、従来のリエントラントの描像では説明できない。しかし、1.0μAでこの振る舞いが抑制されたことは何らかの近接効果に起因した現象であることを予感させる。またこの抵抗変化量は界面抵抗の変化に付随するもの以外の寄与があることを完全に立証することはできなかったがNi/Alと比較すると明らかに大きな変化を示しており、このこともNi/Snにおける超伝導のF領域へのしみだしを暗示している。ただその場合でも超伝導のしみだしの長さはξF程度と概算され、したがって従来の実験で報告されたF/S系における長距離近接効果は今回の試料では界面の透過性がそれらより優れているにもかかわらず観測されなかったということになる。だが、長距離近接効果を主張する従来の実験のほとんどは今回我々が行ったように界面抵抗値を正しく見積もり、その変化による影響を考慮することで近接効果がなくても十分説明できてしまうことから、F/S系における長距離近接効果の存在は否定されるべきものと結論する。

図1

図2

図3 12,z67の温度依存性(a)Ni/A1,Cu/Al(b)Ni/Sn

図4 R12,34の温度依存性(a)Ni/Al,Cu/Al(b)Ni/Sn

図5 R12,46の温度依存性(a)Ni/A1,Cu/A1(b)Ni/Sn

審査要旨 要旨を表示する

 常伝導(N)-超伝導(S)接合系では、超伝導状態が常伝導側ヘサブミクロンのスケールでしみ出し(長距離近接効果)、これに起因して、常伝導側の抵抗が超伝導転移温度(Tc)以下で下がり、さらに低温側(サウレスエネルギーに相当する温度以下)では逆に上昇する(リエントラント現象)ことが知られている。一方、強磁性(F)一超伝導(S)接合系では、交換相互作用のために近接効果が抑制されるので、N-S系のような現象は起らないと考えられていた。しかし、最近の実験では、Ni-Al、Ni-SnのF-S系でN-S系に類似した抵抗の温度変化が観測され、理論では説明できない長距離近接効果の存在を意味するのではないかとして注目を集めた。一方、同様な実験結果は接合界面附近でのスピン蓄積効果を考慮すれば長距離近接効果がなくても説明できることが理論的に指摘された。この理論は、抵抗変化の大きさが接合界面の抵抗と同程度であれば、Tcより低温側での抵抗の温度変化は近接効果よりもむしろ界面の性質に大きく影響されることを示すもので、界面に注意した試料でF-S系の近接効果を実験的に調べ直す必要があることを示唆している。

 修士(理学)石井祐司提出の学位請求論文は、このようなF-S系の接合界面の問題に着目して、近接効果の存在の有無を実験的に検証しようとするものである。具体的には、In-situプロセスにより従来にない清浄な界面をもつF-S系、N-S系、意図的に酸化膜を挟んで界面を汚したF-S系を作製し、その抵抗の温度変化を測定することにより、長距離近接効果の影響、及び接合界面近傍の抵抗特性の要因が調べられている。従来のF-S系は、F部を真空中で作製した後、一度真空装置から取り出して電子線描画などのプロセスを行い、再度真空中でS部を蒸着するという手順で作られていた。S部の蒸着の直前には、界面を清浄にするためArスパッタで少しF表面を削るが、この方法では界面の加工損傷が避けられない。これに比べて、本論文の研究で作られた試料は加工損傷のない界面をもっており、これを使って従来にない質の高い実験が行われ、そのデータを基に有意義な知見が導かれている。以下にその具体的な内容を解説する。

 本論文は6章からなり、第1章ではN-S、F-S系の超伝導近接効果の一般的説明と研究の現状が紹介されている。まず、N-S系における超伝導近接効果がAndreev反射の描像で理解されること、実験的には、0.1ミクロン以上の超伝導状態のN側へのしみ出し、低温での抵抗のリエントラント現象などが観測されていることが述べられている。次に、F-S系について.交換相互作用のために近接効果が抑制されるという予測に反して、長距離近接効果の存在を示唆するような抵抗の温度変化が観測されていることが簡潔にまとめられている。

 第2章では本論文の研究の理論的背景と目的が説明されている。N-S界面近傍の性質を記述する理論として、界面をデルタ関数障壁としてその両側のN、S部をAndreev反射のバリスティック描像で扱う理論(BTK理論)、また、この理論で無視されている近接効果を扱うための擬古典的なグリーン関数法が紹介されている。続いて、後者の理論に対応する実験結果としてTc以下でのN側抵抗の減少とさらに低温での抵抗増加(リエントラント現象)が紹介されている。一方、F-S系については、実験で0.3ミクロン以上の長距離近接効果の存在を示唆するようなTc以下での抵抗変化が観測されているものの、定量的には近接効果の理論に合わないこと、最近の理論によれば、この実験結果は近接効果ではなく界面抵抗が大きいことに関係付けられていることが説明されている。これを踏まえて、F-S系については従来の実験を見直す必要があり、そのためには、まず、清浄な界面をもつF-S系の作製が重要であることが述べられている。本章の記述から、十分な動機と意義をもって研究が進められたことが推測される。

 第3章は清浄な界面をもつF-S系の作製技術の開発に関する章で、微小トンネル接合の形成に良く用いられるシャドウマスク法を利用して、2種類の金属を連続的に蒸着して、しかも両金属が十字形に交わるような、つまり接合を十字の交差部分にもつような試料を作ったことが述べられている。試料は、Ni-Al、Ni-SnのF-S接合、及び比較のためのCu-AlのN-S接合で、これらが従来になく清浄な界面をもつことは、第4章の実験結果によって裏付けられる。また、界面抵抗の大きい試料として意図的に薄い酸化膜を挟んだF-S接合も作られている。試料の種類や測定端子の構成には、0.2ミクロン以上の長距離近接効果によるF側抵抗への影響、界面附近の抵抗特性、さらに界面の清浄性の影響などが整理して調べられるような工夫が行われている。

 第4、5章は本研究の成果をまとめた章で、それぞれ、実験結果の詳細、それに基づく解析と議論が述べられている。実験結果としては、まず、長距離近接効果を見るための抵抗測定では、N-S系では0.2ミクロン以上の長距離の近接効果を反映したN側抵抗の温度変化が見られたものの、F-S系ではその痕跡が見られなかっことが述べられている。これは、0.3ミクロン以上の長距離近接効果があるとする従来の報告と相反する。データの品質から見て、本研究結果の方が明らかに信頼性があり、また、F-S系では交換相互作用のために長距離近接効果が抑制されるとする理論予測を裏付けている。次に、界面附近の抵抗測定では4端子法により、(A)主にS側抵抗を検出する測定と(B)S側、F(N)側、界面の抵抗を検出する測定、が行われている。(A)では、F-S、N-S系いずれについても、Tcの温度とそれより低温(Tc'<Tc)の2段階で抵抗が急激に減少する様子が観測され、これが接合の存在のために接合部S側の超伝導転移温度が低下するという「逆近接効果」を示唆することが述べられている。この4端子測定が必ずしもS側の抵抗変化だけを検出している訳ではなく、実際には界面全体の影響も受けていることなど、結論付けるには早計であるが、実験結果は非常に明瞭で、興味深い。N-S、F-S系の分野において、今後の重要な研究テーマにも成り得ると思われる。

(B)では、Tc、及び上記Tc'(<Tc)で抵抗ピークが観測され、Tcでのピークについては、電荷の不均衡によること、Tc'でのピークについては界面抵抗が低い場合にのみ出現するピークであることが述べられている。特に、Tc'でのピークは今回の実験で初めて観測されたもので、BTK理論と接合部分での電流分布を考慮した計算を行うことにより、界面抵抗との関係がよく説明されている。また、この説明を実験的に確認する意味で、酸化膜を挟んで界面抵抗を大きくしたF-S系の試料ではTc'での抵抗ピークが見られないことが示されている。これらの界面抵抗に関する結果は、本論文の研究で用いられたF-S系、N-S系試料の界面の清浄度が極めて高いことを保証する重要な結果である。それだけに、注意深い実験と解析が行われていて、これにより本論文の実験が従来に比べて高い信頼性をもっていることが確認される。(A)、(B)の結果は、F-S系、N-S系いずれの系でも界面が重要な役割を果たすことを示すもので、当該分野にとって貴重な知見を提供している。最後に、F=S系の超伝導のしみ出しを調べるために、(C)0.2ミクロン以下の近接効果によるF側抵抗への影響と界面近傍の抵抗の寄与の両方を含んだ4端子抵抗測定を行い、Sn-Alの系についてのみ、Tcの低温側で少し抵抗が下がってから大きくなるというリエントラント的な特徴を観測したことが述べられている。これは、従来のリエントラント描像とは合わないものの、BTK理論でも説明できないことが示されている。一方、超伝導状態のしみ出しを仮定するとその長さは計算値(3nm)と同程度と考えられることが述べられている。この結果は、F側への超伝導状態のしみ出しが、0.1mm程度といった長距離ではないにしても、nmのオーダーでは存在する可能性を示している。

 以上、各章を紹介しながら本論文の物理学への貢献点を解説した。最高級の品質の試料を使って、実験的にF-S系における近接効果の有無、F-S、N-S系の界面抵抗の影響を明らかにしようとする研究は独自性の高いもので、得られた結果も当該分野に対して、学術的に優れた寄与をしている。これをまとめた本論文は、学位論文として充分な水準にあることが審査員全員によって認められ、博士(理学)の学位を授与できると判定された。なお、本論文の内容は、Physical Review B(Rapid Communications)誌に投稿が予定されている。この論文の業績は第一著者である論文提出者が主体となって実験、及び結果の解釈を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

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