学位論文要旨



No 115842
著者(漢字) 篠原,紀幸
著者(英字)
著者(カナ) シノハラ,ノリユキ
標題(和) 気体中のオルソポジトロニウムの2光子消滅過程の研究
標題(洋)
報告番号 115842
報告番号 甲15842
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3886号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 永嶺,謙忠
 東京大学 助教授 小森,文夫
 東京大学 助教授 常行,真司
 東京大学 教授 小牧,研一郎
内容要旨 要旨を表示する

最近、カリフォルニア大学(San Diego)のSurkoらのグループが、ペニングトラップ中に蓄えた熱化陽電子を使って、気体中の陽電子の消滅率λ+の系統的測定を行った[1,2]。彼らは、Fraserが導入した次の関係式[3]を使って、求めたλ+を陽電子消滅パラメータZeffで整理した。

ここでr0は古典電子半径、cは光の速さ、nは試料気体の数密度である。

 その結果、Zeffは、1〜107という広い範囲の値をとること、特に有機分子において異常に大きな値をとることが明らかになった。

 気体中の熱化ポジトロニウム(Ps)の2光子消滅過程でも、Zeffとよく似たパラメータが定義される。オルソポジトロニウム(o-Ps)のピックオフ消滅に対して、Fraserが導入した1Zeffである。それは、ピックオフ消滅率λpickoffと

で関係づけられ、ピックオフ消滅に関与する、分子あたりの有効電子数と解釈される。

 1Zeffの値は、N2OとO2を除くと、0.1〜1程度[4]とされており、分子によって大きく変化するZeffとは対照的である。しかしながら、従来の測定はSurkoらのZeff測定のように多くの気体について系統的に行われたというものではなく、グループによって測定条件がまちまちであり、値にばらつきがあった。

 N2Oは反磁性気体であるため、1Zeffは他の反磁性気体と同程度のものであると考えられていた。しかし、その値は予想に反し、他よりも大きいものであった[5]。O2は常磁性気体であるため、o-Psの2光子消滅過程にはピックオフ消滅の他に、スピン転換消滅がある。従来のO2の1Zeffはこれらの全2光子消滅率に対して求められたものである[4]。それゆえ、ピックオフ消滅率から求められる、本来の1Zeffは測定されていない。

 また、理論的研究は今まで、ほとんど行われなかった。

 こうしたことから、1Zeffが本当に0.1〜1程度のものなのか確認する必要がある。多くの気体の1Zeffをまとめて測定し信頼できる値を提示することができれば、それを基にPs-分子相互作用の理論的研究が行われるものと期待される。

 そこで、本研究では、さまざまな気体の1Zeffの値を確認するために2種類の実験を行った。いずれもシリカエアロゲルで生成したPsを利用した。

実験(1)さまざまな気体に対する1Zeffの系統的測定

同一の装置でほとんど同一の測定条件で、異常な値が報告されているN2Oを含めた17種類の試料気体の1Zeffを測定した。

試料気体が存在する時のo-Psの全消滅率と、存在しない時の全消滅率を、陽電子寿命測定法によって測定した。これらの差を試料気体によるピックオフ消滅によるものとして、式(2)にしたがって、1Zeffを求めた。このときシリカエアロゲル表面に吸着した分子によるピックオフ消滅の効果の補正を行った。

実験(2)常磁性気体O2中のo-Psの2光子消滅過程の研究

O2中のo-Psの2光子消滅過程にはピックオフ消滅の他に、スピン転換消滅がある。本研究ではこれらを分離するため、陽電子消滅寿命運動量相関法(AMOC)を用いた。これは陽電子電子対の消滅時の重心運動量分布を陽電子寿命の関数として求めるものである。熱化o-Psだけが存在する時間領域での2光子消滅過程には、o-Psのピックオフ消滅とスピン転換過程によってo-Psから変換されたp-Psの自己消滅しかない。スペクトルに現れるこれらの成分を分離して、1Zeffと弾性的スピン転換断面積σ、spinを求めた。

 その結果、1Zeffの大きさが測定したすべての気体について0.1〜1程度であることを確認することができた。N20と02の1Zeffもまた他の気体と同じ程度であることがわかった。過去のN20の値は、医療用のO2と混合した笑気ガスを誤って使用したものと思われる。O2との衝突によるo-Psの弾性的スピン転換断面積の値はσspin=(1.16±0.02)×10-19cm2である。

 表1は、本研究で求めた1Zeffを従来の測定結果と比較したものである。O2の値は実験(2)で求めたものである。

 これまでに報告がある気体について過去の値と比較すると、よく似た値である。それゆえ、従来の値も誤りではない。

 次に1ZeffをZeffと比較したものを図1に示す。分子を特徴づけるパラメータとして、文献[2]と同じくα/(Ei-EPs)を使った。αは気体の分極率、Eiは気体のイオン化エネルギー、EPsはPsの束縛エネルギーで6.8eVである。

 Zeffが分子に対して大きく変化するのに対して、1Zeffはほとんど変化しない。しかしよく見ると、1Zeffも分子に対し増加傾向を示すことがわかる。そこで1Zeffの部分だけを取り出して図2に示した。なお、誤差も示した。スピン転換反応が競合しているO2の誤差は極端に大きい。また、有機分子の誤差が大きいのは、吸着の補正の影響があるからである。

Xeの1Zeffが非常に大きな値を示し、他の分子の傾向から外れていることもわかる。

 Xeを含め、1Zeffの分子依存性の詳細については全く不明である。いまのところ、このような1Zeffの分子依存性を説明するモデルはなく、将来の理論的研究が望まれる。

 [参考文献]

[1]K.Iwata,R.G.Greaves,T.J.Murphy,M.D.Tinkle,and C.M.Surko,Phys.Rev.A51,473,(1995),and references therein.

[2]K.Iwata,G.F.Gribakin,R.G.Greaves,C.Kurz,and C.M.Surko,Phys.Rev.A61,022719、(2000).

[3]P.A.Fraser,Adv.At.Mol.Phys.28,308,(1968).

[4]例えばM.Charlton,Rep.Prog.Phys.48,737,(1985).

[5]PE.Osmon,Phys.Rev.140,A8,(1965).

表1:従来の結果との比較。-は過去に測定が行われていないことを示す。

図1:1ZeffとZeffの比較

図2:1Zeffの分子依存性

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、全5章、及び、付録3章から成っている。第1章は、全体の序論で、本研究の目的、研究対象となっているポジトロニウムの性質、歴史的背景等、本研究の位置づけ、意義を理解するに必要となる基礎的事項が記述されている。第2章は、各種物質との相互作用によるオルソポジトロニウムのピックオフ消滅率の大きさを与える1Zeffの測定について、実験装置の概要、標的ガスの調製法、当該原子・分子の表面吸着効果の補正法等について述べ、希ガス、各種2原子分子、各種3原子分子、各種有機分子を含む16種類のガス状物質について1Zeffを決定している。第3章はO2ガス中でのポジトロニウムの消滅過程を研究し、スピン転換消滅が消滅過程を支配することを示すと共に、その大きさを決定した。第4章は、第2章、第3章の実験結果を基に、ポジトロニウム消滅過程をポジトロン消滅過程と比較しながら、その異同を議論している。第5章は本論文全体のまとめとなっている。

 オルソポジトロニウム(o-Ps)が原子や分子と衝突すると、原子・分子中の電子とある確率で対消滅する。通常、対消滅の起こり易さはλpickoff=4πr02cn1Zeffで定義される1Zeffという量で表現される。ここで、λpickoffは消滅率の測定値、r0は古典電子半径、cは光速、nは試料気体の数密度である。すなわち1Zeffは陽電子の位置において一重項状態をつくる電子の原子、或いは分子1個あたりの数密度である。これより明らかなように、1Zeffはピックオフ消滅に寄与する電子の有効反応係数といった量である。

 論文申請者は、この1Zeffを各種原子・分子について系統的に測定し、測定した全ての原子・分子について1Zeffが0.1から0.8程度の範囲内に入ることを示した。これは、他の研究グループにより最近報告されたポジトロンに対する有効反応係数Zeffが1-107という極めて広い範囲の値を取ることと好対照であり、ポジトロンの消滅とポジトロニウムの消滅がおよそ質的に異なる物理過程に支配されていることを明らかにした。さらに、N20分子の1Zeffも、これまで報告されていたように異常に大きな値を取ることはなく、通常の原子・分子と同様0.5程度に収まることを初めて実験的に明らかにし、従来報告されていた異常な値は不純物に因るのではないかという結論を導いている。

 論文申請者は次いで、特異的な振る舞いをすることで知られている02分子の1Zeffを決定した。02分子はピックオフ消滅率より遙かにスピン転換消滅率が大きいことで知られており、ピックオフ消滅率を決定することは容易でなかった。ところで、ピックオフ消滅過程は物質内電子との直接消滅であるため、2光子消滅したγ線のエネルギーはドップラーブロードニングを起こしている。一方、スピン転換消滅過程はスピン転換反応によりオルソポジトロニウムがパラポジトロニウムに変換された後、消滅するため、消滅γ線は511keVに鋭いピークを持1つ。申請者は、この事実を利用し、消滅γ線のエネルギースペクトルを陽電子消滅時刻の関数として測定することにより、ピックオフ消滅率とスピン転換消滅率とを分離して決定した。これにより、スピン転換消滅率から一桁以上も小さなピックオフ消滅率を精度よく決定することに成功している。

 以上、論文申請者は、O2、N2O、さらには、iso-C5H12,neo-C5H12等のZeffが何桁も大きくなることが知られている分子量の大きな有機分子を含む16種類の気体に対し1Zeffを決定し、これが0.1-1の間に収まることを示した。本研究で得られた1Zeffは、これまでとは異なり、信頼性の高い基礎データを当該分野に提供するもので、今後、1ZeffやZeffを決める物理過程が原子分子のどの様な性質に因っているかを解析する上で重要な基礎データを与えるものと考えられる。

 本研究は、数人の研究者が関わる実験的研究であるが、論文申請者は、研究テーマの設定、解析等実験の全般に関わり主体的に分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。従って、博士(理学)の学位を授与できると認められる。

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