学位論文要旨



No 115843
著者(漢字) 孫,珍永
著者(英字)
著者(カナ) ソン,ジンヨン
標題(和) 金属間化合物遍歴磁性体の光電子分光
標題(洋) Photoemission study of intermetallic itinerant-electron magnets
報告番号 115843
報告番号 甲15843
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3887号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 木下,豊彦
 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 石川,征靖
 東京大学 助教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

1.序

 物質の性質はその電子状態で決まるが、電子間の多体的な相互作用に起因する電子相関は高温超伝導、金属ー絶縁体転移、磁性など様々な複雑な物性の原因である。特に「遍歴電子磁性体」として知られる一連の金属間化合物は、電子相関が原因で多様な磁性を示すことから、長い間理論、実験の両方から研究がされてきた。その中でも3d遷移金属間化合物は反強磁性、強磁性、常磁性、メタ磁性、スピンゆらぎなどを含む非常に多様な磁気的性質を示すものとして多くの注目を浴びてきた。一般的に3d電子は電子相関が強いため、電子相関効果の研究は金属間化合物の電子状態を理論、実験の両面から理解する上で重要な役割を果たす。これらの遷移金属間化合物の磁気的性質を電子相関という立場から理解するためには、電子相関を考慮していないバンド計算の1電子効果と、電子相関の効果がそれぞれどれだけ実験で観測される物性に寄与しているかを知ることが重要な鍵となる。それを解明することは容易ではないが、バンド計算の結果と電子状態を直接観測する強力な方法である光電子分光の結果の比較はこの目的に最も適した手法で、近年この手法を用いて電子相関の効果をかなり詳細に調べることが可能になってきた。本論文では、B-20型の結晶構造を持つFexCo1-xSiおよびMnSi,C-l5型立方晶ラーベス型結晶構造を持つ化合物Y1-xScxMn2の遷移金属問化合物の系を取り上げ、それらの電子状態と磁性との関係に関する知見を得ようとした。

 FexCo1-xSiは、特異な磁気的、電気的性質を示す。常磁性半導体であるFeSi、は基底状態においては非磁性であるが、その帯磁率は温度と共に急速に増大し、約500K付近で幅広い極大を示す。一方、半金属CoSiは反磁性体である。FexCo1-xSiはこれらの合金であるにもかかわらず、その中間濃度領域において弱い遍歴ヘリカル反強磁性を示す。この物質はMnSiと同じように、ある臨界磁場でヘリカル構造からコニカル構造に磁気転移を起こす。

 MnSiはネール温度30K以下、ゼロ磁場で長い周期のヘリカルスピン構造を持つ反強磁性化合物であるが、わずか6kOeの磁場で強磁性状態に転移する遍歴電子磁性体である。最近、この化合物に対し高圧下における磁化測定が行われ、約15kbarで常磁性に転移すること、磁気秩序状態に磁場を加えるとヘリカル構造からコニカル構造を経て、磁化が飽和することが観測されている。また、ヘリカルーコニカル転移磁場は圧力の増加と共に減少することも観測されている。

 最後にラーベス相化合物は、複雑な化合物磁性の解明を進めるために有益な知見を与えてくれる典型的な磁性体の一つである。立方晶ラーベス相化合物YMn2はMnのモーメントが2.7μB、ネール温度約100Kの反強磁性体であり、その転移温度以下では体積が約5%も増加する。Yの3%をScに置換したY0.97Sc0.03Mn2は150mJ/K2molという極めて大きな値を持つ常磁性体となる。バンド計算から予想される電子比熱係数と比べて、実験値は約23倍大きいことになる。これは3d遷移金属間化合物の中でも非常に大きく、電子の有効質量が5f電子系と同程度に重い。

 本論文では以上の磁性体について、光電子分光による電子状態の研究を行った。FexCo1-xSiについては光電子スペクトルにrigid-bandmodel及びFeSiとCoSiの重ね合わせモデルを適用し解析を行った。MnSiおよびY1-xScxMn2については、光電子スペクトルの解析にバンド計算に電子相関の効果を考慮したモデル自己エネルギーを取り入れて行った。これらの方法は電子相関を取り入れるために有用な手段である。

2.実験方法

 試料はYMn2,Y0.97Sc0.03Mn2,Fe0.8Co0.2Si,Fe0.5Co0.5Siの多結晶とMnSiとCoSiの単結晶を用いた。測定はいずれの試料でも10-10torr前半の超高真空中で行い、試料の清浄表面は測定槽内でのダイヤモンドやすりによるやすりがけによって得た。測定温度はそれぞれの試料について温度変化をしながら行った。光源としてMgKα(1253.6eV)を用いたX線光電子分光(XPS)と、HeI(hv=21.2eV)とHeII(hv=40.8eV)を用いた紫外線光電子分光(UPS)の測定を行った。

 光電子分光は表面敏感な実験手段である。そこで本論文では、表面とバルク構造を区別するだめにmean-free pathとlattice constantを考慮した方法を用いてできるだけバルク成分を得ることをこころみた。また、試料と電子エネルギー分析器のなす光電子の脱出深さを変えることによりバルク成分を分離することも試した。

3.結果

 3.1.FexCol-xSi

 Fe0.8Co0.2SiとFe0.5Co0.5SiはそれぞれUPSスペクトル(hv=21.2eVとhv=40.8eV)を高分解能で測定し、その電子状態を調べた。Fe0.8Co0.2SiとFe0.5Co0.5Siのスペクトルと、CoSi,FeSi,MnSiのスペクトルを比較をした。COSiで観測された-0.8eVでの構造がFeの置換に伴いフェルミ準位の方に移動しながらその強度も小さくなることがわっかた。この結果はrigid-band modelの予想で定性的に説明できることがわっかた。一方、FeSiとCoSiの光電子スペクトルの重ね合わせとFe0.8Co0.2SiとFe0.5Co0.5Siのスペクトルとの比較はrigid-band modelで予想した結果よりもよい一致を見せた。すなわち、大きなエネルギースケルではCo原子、Fe原子の個性が電子状態に反映されでいる。また、それぞれのスペクトルに対して温度変化を調べた。その結果、それぞれの試料で温度の変化に伴うスペクトルの大きな変化は見られなかったが、Fe0.8Co0.2Siのフェルミ準位近傍のスペクトル強度が低温でわずかに減少する現像が見られた。これは反強磁性転移点以下の電気抵抗の上昇と符合している。

 3.2.MnSi

 低温で測定したスペクトルをバンド計算と比較した。電子相関の効果を取り入れたモデル自己エネルギーの導入によって実験結果との再現性がよくなることがわかった。これにより、MnSiの電子構造がバンド構造に電子相関の効果を取り入れることによって、よく説明されることがわかった。UPSスペクトルの温度変化を調べた結果、反強磁性から常磁性の転移に伴うごくわずかのスペクトルの変化があり、定性的には反強磁性秩序によるMn3dバンドの分裂として説明できる。

 3.3.Yl.xScxMn2

 YMn2とY0.97Sc0.03Mn2に対して、それぞれUPSスペクトルを高分解能で測定し、その電子状態を調べた。また、YMn2はよりバルク敏感なXPSも測定した。Sc置換による反強磁性から常磁性への転移に伴い、スペクトルがごくわずかに変化することが観測された。これはSc置換によってMn3dバンドが狭くなることを反映しているものと思われる。また、低温で測定したYMn2とY0.97Sc0.03Mn2のスペクトルをバンド計算と比較した。比較の際、バンド計算に電子相関の効果を取り入れるためにモデル自己エネルギーを導入し、実験結果をもっともよく再現するようにモデル自己エネルギーのパラメーターを決定した。Y0.97Sc0.03Mn2の場合はこれによって実験結果とよく一致する結果を得ることができ、バンド計算では取り入られていない電子相関の効果が重要であることがわかった。この際、大きな電子比熱とコンシステントに、フェルミ準位近傍の自己エネルギーの強い温度依存性を入れる必要があった。この自己エネルギーはフラストレーションによるスピンゆらぎを反映しているものと思われる。一方、温度によるUPS、XPSスペクトルの変化は、FexCo1.xSi,MnSiに比べても小さいことがわかった。

4.結論

 本論文ではFexCo1.xSiおよびMnSiのUPS,ラーベス相化合物YMn2のXPS及びUPSとY0.97Sc0.03Mn2のUPSを測定した。FexCo1.xSiでは組成によるスペクトルの変化が観測され、rigid-bandmodelで予想した結果とよく会うことがわっかた。MnSiおよびY1-xScxMn2のUPSスペクトルは、モデル自己エネルギーにより電子相関の効果を取り入れてバンド計算とを比較、解析した。これら物質についてバンド構造と電子相関の効果がともに重要であることがわかった。また、それぞれ物質の温度による変化はバンド理論で予想されるものと定性的に一致したが、その変化はフェルミ準位近傍に限られ、バンド理論よりも小さいことがわかった。しかしなから、フェルミ準位近傍のみ弱い温度変化が観測されることは、磁気相転移の温度スケールとも矛盾しない。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなり、第1章で序論、第2章で実験の説明、第3章ではFexCo1-xSiの光電子分光、第4章でMnSiの光電子分光、第5章では、YMn2および、Y0.97Sc0.03Mn2の光電子分光について記述され、第6章で全体のまとめが行われている。全体は平易な英文で判りやすくまとめられている。

 まず、第1章の序論では、本研究で対象とした金属間化合物遍歴磁性体FexCo1-xSi、MnSi、YMn2および、Y0.97Sc0.03Mn2の示す物性の特徴、さらにこれまで行われてきた光電子分光実験の結果などが簡単に述べられ、本研究で光電子分光を行う意義について記述されている。第2章では、光電子分光についての一般的な説明、特徴、実験手法について述べられ、スペクトル形状解析の前提となる、バックグラウンド削除の手法のほか、本研究で用いた解析法について解説されている。特に光電子スペクトルは表面の成分を大きく反映したものであり、そこからバルクの情報を抜き出すために行った解析の手法については、詳しい説明を行っている。すなわち両者を分離するために、HeI,HeII光源を用いて、光電子の運動エネルギーを変えたスペクトルを測定して比較しており、また、よりバルク状態に敏感なX線励起による光電子スペクトル測定も行っている。なお、本研究では、高分解能でフェルミレベル近辺の電子状態を明らかにすることも目的としており、温度変化にも着目した研究を行っている。また、強相関物質に対してはよく行われていることであるが、実験で得られたスペクトル形状とバンド計算から得られる状態密度が対応しない場合に行われる自己エネルギー効果を取り入れた状態密度の補正の仕方についても述べられている。第3章以下からが本論である。

 第3章で対象としたFexCo1-xSiは特異な磁気的、電気的性質を示すことで知られている。常磁性半導体であるFeSiと半金属反磁性体であるCoSiの合金であるが、この物質はその中間濃度領域において弱い遍歴ヘリカル反強磁性を示す。高分解能で測定した光電子スペクトルを解析した結果、CoSiのスペクトルが、Feの置換にともなってフェルミレベルの方に移動していく、いわゆるRigid-band mode1の描像で説明できる結果を得たほか、温度依存スペクトルからは、Fe0.8C0o0.2Siのフェルミレベル近傍の強度が低温でわずかながら減少する傾向を見出した。

 第4章のMnSi及び第5章のラーベス相化合物YMn2および、Y0.97Sc0.03Mn2に対しては、測定した光電子スペクトルと、バンド計算から得られた状態密度との比較を行っている。広いエネルギースケールでの比較、及びフェルミレベル近傍での比較双方において、計算された状態密度との一致がないことから、自己エネルギーを取り入れた補正を行う解析を行っている。その結果、これらの物質については、バンド描像、電子相関描像双方の効果が共に重要であるという知見を得ている。また、温度依存スペクトルにはほとんど変化がないことも見出した。

 これらの物質の温度変化がFexCo1-xSiのフェルミレベル近傍でのみわずかに観測されるに過ぎないという事実は、磁気相転移の温度スケールと矛盾しないものではあるが、今後よりいっそうの高分解能光電子スペクトルの測定や、高いエネルギーの励起光を用いた、よりバルク敏感な光電子分光実験が重要になってくるという将来の課題も示唆する結果となっている。

 以上のように本学位論文は、光電子分光法を用いて金属化合物遍歴磁性体の電子状態を測定し、研究室で可能な手法を用いてバルク成分、表面成分を分離し、さらに、バンド計算との比較、自己エネルギーによるスペクトル形状の補正などの手法を用いて、その電子状態に関する知見を得たものであり、博士論文の水準に達した成果を得ているものと認められる。

 なお、論文の第3章及び4章は、K.Okazaki, T.Mizokawa, A.Fujimori, TKanomata, R.Nore、各氏との共同研究であり、第5章はT.Mizokawa, A.Fujimori, H.Wada, M.Shiga各氏との共同研究であるが、何れの研究も論文提出者が主体となって実験、分析、検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。なお、第4章の内容はすでに学術雑誌に投稿中であり、第3章及び5章の内容についても投稿準備中である。

 以上のような理由により、本論文の提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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