学位論文要旨



No 115845
著者(漢字) 阿部,哲郎
著者(英字)
著者(カナ) アベ,テツオ
標題(和) HERAにおける高エネルギー電子・陽子衝突によるJ/ψ粒子生成の測定
標題(洋) Measurement of Exclusive J/ψ Electroproduction in High-Energy ep Collisions at HERA
報告番号 115845
報告番号 甲15845
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3889号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉本,章二郎
 東京大学 助教授 榎本,良治
 東京大学 助教授 佐々木,真人
 東京大学 助教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 大塚,孝治
内容要旨 要旨を表示する

 光子・陽子散乱において、様々な軽い中性ベクトル中間子(ρ,ω,φ)に対する全生成断面積が固定標的実験から電子・陽子衝突型加速器HERAでの実験(ZEUS,H1)で測られてきている。これらは一種の軟過程(soft process)であり、その全生成断面積は同一の(光子・陽子の重心系の)エネルギー依存性を示した(図1)。この性質は、ハドロン・ハドロン衝突の全断面積のエネルギー依存性を記述するポメロン交換により包括的に説明できることが分かっている。

 ところが、この分野の研究に大きな衝撃を与える結果がHERAでの光子・陽子散乱におけるJ/ψ粒子生成で観測された。測定されたエネルギー依存性は軟過程のものよりも明らかに急激な上昇を示した(図1)。同様の傾向が、仮想光子・陽子散乱におけるρo粒子生成においても観測された。これら二つのケースでは、いずれもハード・スケールが存在し、摂動論的QCDによる計算が可能である。この場合・ベクトル中間子生成は以下の様な三つの過程で記述される。

(1)散乱電子から放出された仮想光子がクォーク・反クォーク対(カラー双極子)になる。

(2)カラー双極子がカラー1重項状態の二個のグルーオンを介して陽子と散乱する。

(3)散乱したカラー双極子が中間子状態になる。

散乱に二個のグルーオンが関与していることからも分かるように、散乱断面積は陽子内のグルーオン密度分布の影響を大きく受ける。摂動論的QCDの描像では、全生成断面積の急激なエネルギー依存性は小さなx(=10-4〜10-2,x:グルーオンの陽子に対する運動量比)の領域で陽子内のグルーオン密度が非常に多いことにより説明される。

 本研究は、相対論的効果の少ない重いベクトル中間子J/ψに着目し、ZEUS実験で1996-2000年に取られたデータを基に高い統計と新しい解析法で以てその全生成断面積をQ2(仮想光子の仮想度)とW(仮想光子・陽子の重心系のエネルギー)の関数として測定した。そして、測定した断面積と摂動論的QCDを基にしたモデル(FKS,MRT)による計算との定量的な比較を行った。その結果、断面積のQ2依存性は摂動論的QCDでよく記述されることが分かった(図2)。ところが、W依存性についてはよい一致は見られず、実験データはどの摂動論的QCDのモデルの予言よりもなだらかなW依存性を示した(図3)。この点において、理論面でのよりよい理解が必要である。

図1:光子・陽子散乱における全生成断面積のエネルギー(W)依存性

図2:仮想光子・陽子散乱におけるJ/ψ粒子の全生成断面積の仮想度(Q2)依存性

図3:仮想光子・陽子散乱におけるJ/ψ粒子の全生成断面積のエネルギー(W)依存性

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は10章から構成されており,ドイツ・DESY研究所の電子・陽子衝突型加速器HERAでのZEUS実験「仮想光子と陽子との衝突によって発生するJ/ψ粒子生成の研究」の実験成果をまとめたものである。第1章の緒論では,電子・陽子衝突によって発生する「J/ψ粒子と陽子」の排他的生成反応についての研究の歴史と,本論文の研究目的について概説されている。従来,光子と陽子との衝突反応により生成される軽いベクター中間子(ρ,ω,φ)の生成断面積は,ソフトポメロンの交換により説明可能であったが,重いベクター中間子(J/ψ)の生成断面積では,エネルギー(光子・陽子の重心系エネルギー:W)が大きくなるとともに断面積が急激に増大することが判明し議論を呼んでいた。さらに,仮想光子と陽子の衝突反応により生成される軽いベクター中間子生成断面積でも,仮想光子の仮想度(Q2)が大きくなるとW依存性は,より急激に増大することが分かってきた。これらの実験結果は,クオーク・パートンがハドロン殻の中に閉じ込められているにもかかわらず,ハードな生成過程が存在することを示しているものと考えられ,より高いWやQ2での実験データが待望されていた。

 第2章では中性(光子)カレントによる「電子と陽子」の反応と「仮想光子と陽子」の反応の運動力学について議論されており,第3章では「電子と陽子」の衝突による「中性ベクター中間子と陽子」の排他的生成についての理論的背景が議論されている。ここで,ハードな反応過程を記述するために,摂動論的QCDを基にした2種のモデルの適用について特に詳しく議論がなされており,この適用可能性について,より詳しく検証することがこの実験解析の大きな目的の一つとなっている。第4章では,HERA電子・陽子衝突型加速器とZEUS検出器の詳細について,第5章では,本論文で用いられたモンテカルロ・シミュレーションについて概説されている。第6章は実験データのイベント再構成について議論されている。特に本論文で取り上げるJ/ψ粒子から崩壊生成される電子またはμ粒子の測定のために,カロリメータのノイズ識別,クラスターアルゴリズムや,運動量測定と,測定諸量の運動力学的フィッティングについて議論されている。第7章では,目的とする物理事象を高い信頼度で選別する方法が詳細に述べられている。その後,アクセプタンスの算出法と,モンテカルロ・シミュレーションによる予想値と実験データとの比較検討が行われている。第8章では断面積の導出方法について議論されている。各測定点のビンニング,分解能等の議論から,「仮想光子と陽子」の衝突による「J/ψ粒子と陽子」生成断面積を導出する際の,輻射補正や系統的誤差の推定が詳細に述べられている。

 第9章では,本論文の課題となっている「電子と陽子」の衝突による「J/ψ粒子と陽子」の排他的生成反応に対する実験結果が示されている。さらに,この実験結果は,摂動論的QCDを基にする理論モデルと比較検討が行われており,第10章で本論文のまとめと結論が示されている。

 本論文で議論されている研究は,1996年から2000年にかけて実験が行われ,そこで収集された大量のデータ(90.3 pb-1)を新しい手法を用いて解析したものである。その結果,「仮想光子と陽子」衝突による「J/ψ粒子と陽子」生成断面積を,Wが150GeVという高エネルギー領域で初めて高精度で決定することに成功した。この実験研究で得られた断面積のQ2依存性は,摂動論的QCDを基礎とする理論模型でよく記述されることを示している。一方,断面積のW依存性は,現在の摂動論的QCDの理論模型の予言よりも,なだらかなW依存性を示すことが判明した。この点において,本論文が示す新しいデータの出現は,理論面でのさらなる理解が必要であることを提起している。審査の結果,本論文の物理的意義は大きく,博士論文として十分にふさわしいものであるとの結論に達した。

 なお,本論文の第4章から第10章についてはZEUSグループメンバーとの共同研究であるが,論文提出者が主体となって,検出器の改良,実験データの解析,理論的考察を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める。

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