学位論文要旨



No 115848
著者(漢字) 宮崎,利行
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザキ,トシユキ
標題(和) 高エネルギー分解能X線マイクロカロリメータのための新しい読み出し方法
標題(洋) New Readout Method for High Energy Resolution X-ray Microcalorimeters
報告番号 115848
報告番号 甲15848
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3892号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大橋,正健
 東京大学 教授 松本,敏雄
 東京大学 助教授 高橋,忠幸
 東京大学 助教授 高橋,浩之
 東京大学 教授 坪野,公夫
内容要旨 要旨を表示する

 X線マイクロカロリメータはX線を熱に変換し、その温度上昇から入射光子のエネルギーを測定する検出器である。X線光子による温度上昇は微小なので、100mK程度の極低温で動作させる必要があるが、高いエネルギー分解能と高い検出効率とを兼ね備えている。また分散系と異なり、広がった光源からのX線も分光可能であるため、X線天文学では特に重要な検出器である。

 2000年2月に打ち上げられ、残念ながら軌道投入に失敗した日本のX線天文衛星ASTRO-Eは、半導体温度計を用いたX線マイクロカロリメータXRSを搭載していた。XRSは0.5-10keVというエネルギー範囲で約12eVという高いエネルギー分解能を誇り、X線天文学の全く新しい分野を切り開くことが期待されていた。現在では、より高いエネルギー分解能を実現するため、温度計として超電導薄膜を利用したTES(Transition Edge Sensor)型マイクロカロリメータの開発が世界的に行なわれており、さらなる性能向上がはかられている。このようにX線マイクロカロリメータはX線分光器として高い能力を持っているが、これに、同時に撮像能力を持たせ、画像情報とスペクトル情報を同時に得ることができると、X線天文学の観測に革命的な発展をもたらすことが期待される。

 そのためには、一つの検出器上に沢山の画素をおくことが必要となるが、これには大きな困難が伴う。この最大の原因は配線からの熱流入である。従来のように全画素の信号をそれぞれ読み出す方式を採用する限り、ASTRO-Eの32という素子数はすでに限界である。しかし、広がった天体の撮像とX線分光を同時行なうためには、X線望遠鏡の性能を考慮すると32×32の約1000画素程度が最低限必要である。これだけの素子数を実現するためには、どうしても複数の素子の信号を1素子分の配線で伝送するマルチプレクスが必要になる。

 X線マイクロカロリメータでは、最大のエネルギースペクトルを得るためには、一つ一つの光子イベントの波形を十分な時間分解能でサンプリングし、波形処理を行なうことが必須である。また、単純に複数のマイクロカロリメータの出力を加算してしまうとカロリメータ自体の熱揺らぎによる雑音が加算されてしまうため、本質的に高いエネルギー分解能は実現できない。このため、TES型マイクロカロリメータの読み出しに使用するSQUID(超伝導量子干渉素子)を画素の数だけ用意し、それらを高速でスイッチングすることにより時分割でマルチプレクスを行なう方式がアメリカのグループにより提唱された。しかし、たとえば32画素の信号を十分な時間分解能でサンプリングするには、少なくとも10MHzでSQUIDをスイッチングさせる必要がある。原理的にはSQUIDは高速スイッチングに向いた素子ではあるが、現状の素子では1MHz程度が限界である。また高速の切替え信号を伝送しなければならない、高速スイッチングを行ないながら安定にカロリメータの信号を読み出す必要があるなど、技術的に越えなければならない高い壁が数多く残されている。

 そこで私は、他の画素からのノイズをできるだけ加算せず、しかも10MHzのスイッチングも画素数分の多数のSQUIDも必要としない、x線マイクロカロリメータの読みだし方式としては全く新しい方式を本論文で提唱した。

 それは、マイクロカロリメータに流すバイアス電流をDCからACに変更し、そのキャリアー信号の周波数を変えることによってマイクロカロリメータ自体の熱揺らぎによる雑音を加算することなく、信号を単純に加算し伝送しようというものである。このような読み出し方法では、信号のパワースペクトルはバイアス周波数の周辺に広がることになるため、バイアス電流の周波数間隔を十分広くとれば、マルチプレクスと高エネルギー分解能とを両立させることができるはずである。

 一方、カロリメータをACバイアスすると、出力にバイアス波形がそのまま現れることになる。TES型マイクロカロリメータでは、バイアス電流をTESを超伝導遷移端に保つために利用しているので、キャリアー電流の大きさを任意に選ぶことはできず、通常、X線信号に比べて2桁程度大きなバイアス電流が必要である。このバイアス電流によってX線パルスによる微少な信号が埋もれてしまう。さらに、TES型マイクロカロリメータの信号読み出し用いるSQUIDは、大振幅の交流下では安定動作すら難しい。

 そこで、キャリアー信号をSQUIDよりも前の段階でなんらかの方法で打ち消すことが必要となる。たとえば、キャリアー信号の逆向きの補正信号をSQUIDに直接加算するような方式も考えられるが、この方式では補正信号を非常に精密に制御しなければならない。これに対して、マイクロカロリメータを抵抗ブリッジに組み込み、動作点でブリッジがバランスするようにしておけば、X線イベントのない状態ではキャリアー信号は自動的キャンセルされているはずである。

 私は、このような読み出し方式をCABBAGE (Calorimeter Bridge Biased by an AC Generator)と名付けた。CABBAGE方式はブリッジ用抵抗の追加という、非常に小さな回路変更でマルチプレクスを実現できる(図1、図2)。

 本論文ではCABBAGEの周波数応答、安定性、雑音の要因とそのX線信号への伝搬について、従来のDCバイアス型マイクロカロリメータ駆動回路との比較を主体とした考察を行なった。この方式では図2のように回路を構成する抵抗の数が増えるため、抵抗の熱雑音が増加する。しかし後で述べるように、100mK以下の極低温では抵抗の熱雑音のエネルギー分解能への影響が、熱揺らぎによるものに比べて十分小さくなるため、これはあまり大きな問題にはならない。

 私は上記の理論的な考察を実証するために、実際にチタン-金薄膜を温度計に用いた2素子のTES型マイクロカロリメータでX線パルスの読み出し実験を行った。極低温での信号の加算には、入力コイルが4つついた多重入力型のSQUIDを用いた。これは、極低温での信号加算のために新たに開発したものである。また実験には取り扱いの容易な3Heクライオスタットを用い、マイクロカロリメータを約400mKまで冷却した。

 この実験では、2つのマイクロカロリメータでそれぞれブリッジ回路を構成し、まず始めに、DCバイアスでX線の検出を行なって素子ごとのエネルギー分解能を求めた。使用したマイクロカロリメータは、構造の問題から熱化の揺らぎによるノイズレベルが高く、エネルギー分解能を追求することはできなかった。しかし、この結果と雑音の伝搬についての考察に基づいて、マイクロカロリメータをCABBAGE方式を用いて交流で駆動したときの、各ノイズ成分の寄与を見積もった。表1に示されるように、方形波によりバイアスすると、もう一方のカロリメータの熱揺らぎによる雑音が加算されなくなる分だけ、分解能が改善することが期待される。

 実際に10kHzと20kHzの交流でバイアスし動作させたところ、二つの画素の中で、どちらの画素がX線を検出したかは、信号のキャリアー周波数から明確に区別できることがわかった。エネルギー分解能については、DCバイアスの実験に基づく見積り値と誤差の範囲で一致することがわかった。

 以上から、CABBAGE方式の動作特性と雑音の伝搬についての考察を実験的に実証することができた。この実験では動作温度が高かったため、抵抗の熱雑音の影響が大きくなった。しかし、動作温度を下げるとマイクロカロリメータの熱容量がデバイのT3則に従って小さくなるために信号が大きくなり、相対的に熱雑音の影響が小さくなる。その他の雑音の影響についても、温度でスケールして評価することが可能である。表4は動作温度をASTRO-E XRSと同じ65mKにとって雑音のエネルギー分解能への寄与を見積もったものである。この温度では熱雑音の影響は非常に小さくなり、エネルギー分解能はほとんどマイクロカロリメータの熱揺らぎによって決まる。素子数を増やすと、全ての素子の熱揺らぎを加算して読み出すDCマルチプレクスではエネルギー分解能が大きく悪化するのに対し、熱揺らぎを加算せずに信号を読み出せるCABBAGE方式を用いたマルチプレクスでは、エネルギー分解能の劣化を押えて多素子の読み出しが可能である。

 このように複数素子のマイクロカロリメータを同時に読み出す上で、CABBABE方式は非常に有効である。そこで私は図3のような構成でCABBAGE方式を利用した32×32画素のマイクロカロリメータアレイの概念設計を行った。この時のエネルギー分解能の見積もりは約4eVであり、CABBAGE方式を用いれば1000画素の撮像マイクロカロリメータで5eV以下のエネルギー分解能は十分実現可能であるといえる。

図1:一般的なTESマイクロカロリメータの読み出し回路。マイクロカロリメータをDC電流源でバイアスし、電流の変化をSQUIDで読み出す。

図2:CABBAGE方式を用いたTESマイクロカロリメータの読み出し回路。マイクロカロリメータを含むブリッジ回路をAC電流源でバイアスしている。DCバイアス回路(図1)に抵抗を2本(R1、R2)を追加するだけで実現できる。

表1:エネルギー分解能のまとめ。DCバイアス時の結果からの見積もり。ただし値はマイクロカロリメータの熱化の揺らぎの効果を取り除いたもので、単位は[eV]

図3:CABBAGEを用いたマイクロカロリメータアレイのマルチプレクス読み出し

図4:動作温度を65mKに下げた場合のエネルギー分解能の見積もり。単位は[eV]

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、次世代X線天文衛星に搭載される高エネルギー分解能X線マイクロカロリメータについて、素子開発のみならず、新しい信号読み出し方法まで含めた開発を記述したものである。

 X線天文学はこれまでに、中性子星やブラックホールとの連星系や超新星残骸、銀河団や活動銀河核など様々な高エネルギー天体を発見してきた。現在では撮像素子による画像情報やX線分光器によるスペクトル情報を得ることで、高エネルギー天体の正体とそのメカニズムを解き明かしつつある。この過程で日本のグループが果たしてきた役割は大きく、世界最先端の技術を蓄積してきているが、これをさらに挙展させて、画像とスペクトルを同時に取得できる検出器を開発しようという機運が高まっている。

 本論文ではその一つの可能性として、温度計として超伝導薄膜を利用したTES (Transition Edge Sensor)型マイクロカロリメータを2次元化した検出器を取り上げている。ここで最も重要なのは、約1000画素を持った素子を目標にする場合、その信号読み出し方法である。検出素子自体の性能が高くても、読み出し方法を工夫しなければ、本来のエネルギー分解能を引き出すことはできないからである。そこで、従来のような素子ごとの個別読み出しでも、アメリカのグループが提唱しているSQUIDアンプを高速スイッチングするマルチプレクス方式でもない、全く新しい方法を本論文では提唱している。それはマイクロカロリメータに流すバイアス電流をDCからACに変更し、そのキャリアー信号の周波数を変えることにより、画素ごとの信号を分離する読み出し方法で、論文提出者はこれをCABBAGE(CAlorimeter Bridge Biased by an AC GEnerator)と名付けている。

 本論文は6章から構成されており、第1章では研究の動機とその対象となる天体物理現象が述べられ、第2章でX線マイクロカロリメータの原理を解説し、次の第3章で本論文の核となるCABBAGE,の動作原理を詳しく解析している。第4章では2素子のTESの信号加算に用いた4入力型SQUIDの動作特性が記述されているが、この素子も本研究の重要な要素技術である。第5章において、CABBAGEの実験結果をまとめており、変調周波数で信号分離する基本動作の確認と、その場合のノイズ特性が示されている。最終章となる第6章では32×32(約1000)画素検出器を提案し、低温および回路技術の補遺で締めくくっている。

 銀河のように広がった天体の撮像とX線分光を同時に行うためには、1000画素以上の空間分解能かつ5eV以下のエネルギー分解能が必要とされる。このエネルギー分解能を実現するものにTi-Au超伝導薄膜を用いたTES型マイクロカロリメータがあり、約4eVのエネルギー分解能が見込める。また、この素子は2次元化が可能であり、撮像能力をもたせることができる。本研究では試作した2素子のTESを用い、4入力SQUIDアンプと組み合わせて原理的な動作確認とノイズ特性の測定を行っている。信号読み出しは、10kHzと20kHzのACバイアスを用いたCABBAGE方式で信号分離している。実測されたノイズは840±150eVで、通常のDCバイアス時の880±150eVを上回る特性である。これは最終目標の4eVを達成しているわけではないが、動作温度400mKでの低抗の熱雑音で決まっており、衛星搭載時に想定される65mKまで冷却すれば約3eVになるはずである。そこまで冷却するためには信号読み出し線からの熱流入を抑えなければいけないため、信号線の本数が圧倒的に少ないCABBAGE方式の利点が活かされることになる。さらに、32×32画素X線検出器への潜在能力を考えれば現時点では十分な成果といえ、実際に32ch読み出しでもエネルギー分解能は4eVを達成できることが示されている。

 このように本研究により次世代の衛星搭載X線検出器に関して一つの可能性が開かれたとともに、それを用いた新たな天体現象の解明の指針も述べられており、X線天文学の展開に貢献大と認められる。

 なお、本研究の一部は、満田和久・藤本龍一・庄子習一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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