学位論文要旨



No 115850
著者(漢字) 山元,一広
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,カズヒロ
標題(和) 非一様な散逸による熱雑音の研究
標題(洋) Study of the thermal noise caused by inhomogeneously distributed loss
報告番号 115850
報告番号 甲15850
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3894号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒田,和明
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 江尻,晶
 東京大学 助教授 大橋,正健
 国立天文台 教授 藤本,眞克
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、干渉計型重力波検出器の熱雑音の再評価を目的として行われた。従来の熱雑音推定方法が、間違っていることを証明し、新しい方法で再推定を行った。再推定の結果は従来の推定とは大きく異なっていた。これらの研究の詳細を報告する。

 重力波は、光速で伝播する時空の歪みである。その存在は、Einsteinによって一般相対論から導出された。HulseとTaylorの発見した、連星パルサーPR1913+16の公転周期の長期観測によって、重力波の存在は間接的であるが確認されている。しかし、重力波の直接検出は未だ成功していない。重力波の直接検出は、物理学にとっても天文学にとっても、大きな意味を持つ。物理学にとって、重力波検出は重力理論の検証実験である。また、天文学にとっては、重力波は宇宙を観測する新たな手段である。なぜなら電磁波やニュートリノの観測からは得ることができない天文学的情報が、重力波によってもたらされると予想されているからである。

 このため、検出を目指した大型干渉計型重力波検出器の建設計画が進められている。アメリカのLIGO計画、イタリア、フランスのVIRGO計画、ドイツ、イギリスのGEO計画、そして日本のTAMA計画である。これらの計画で行われている研究や開発によって、21世紀の始めには、重力波の検出が可能になると期待されている。

 干渉計型検出器の原理的な雑音の1つとして、熱雑音がある。熱雑音とは、干渉計の構成要素が熱的に励起されることによる揺らぎである。重力波の観測帯域では、熱雑音が検出器の感度を制限すると予想されている。一例として、TAMA計画の干渉計であるTAMA300の予想感度を図1に示す。将来計画では、さらに1〜2桁の感度向上を目指すので、熱雑音の推定と低減は干渉計型検出器開発の必須事項である。

 干渉計型検出器の熱雑音の推定において、(traditional) mode expansionという方法が、よく用いられている。図1もmode expansionによって見積もられた値である。これは共鳴モードの散逸から、系の応答を求める方法である。この系の応答に揺動散逸定理を適用して、熱雑音が計算される。この方法で見積もられた値を参考にして、干渉計型検出器の開発が行われている。

 しかし、最近のいくつかの理論的研究によって、散逸が非一様に分布しているときには、traditional mode expansionが正しくないことが明らかになってきた。一般的に、散逸は非一様に分布しているので、熱雑音の再推定が必要である。このような状況にも関わらず、非一様な散逸による熱雑音の研究はほとんど行われていない。direct approachというmode expansionに頼らない方法で、ごく簡単な系の熱雑音の理論的研究が行われた程度である。このため、非一様な散逸の熱雑音の一般的性質さえよくわかっていない。

 そこで、干渉計型検出器の熱雑音の再評価を目標として、非一様な熱雑音の研究を行った。具体的な内容は、非一様な散逸による熱雑音の一般的性質の研究、traditional mode expansionに代わる新しい推定方法の実験的検証、そして干渉計型検出器の熱雑音の再推定である。

 まず非一様な散逸による熱雑音の一般的な性質について調べた。この研究では、モード展開を非一様な場合でも適用できるように、筆者らが修正した方法(advanced mode expansion)を利用した。traditional mode expansionによると、熱雑音は各共鳴モードの熱雑音の和として記述される。そしてモードの間に相関は存在しない。しかしadvanced mode expansionによって、散逸の非一様性が、各モードの揺らぎの間に相関を生じさせることが証明された。つまり、非一様な散逸の熱雑音とtraditional mode expansionの推定の差は、散逸の非一様性によって生じた相関と解釈できる。散逸の非一様性が大きいときに、traditional mode expansionとの違いが大きくなるが、それは著しい非一様性によって相関が大きくなったからである。

 次にtraditional mode expansionに代わる新しい推定方法(advanced mode expansionとdirect approach)の実験的検証を行った。非一様な散逸をもつ板バネの熱雑音を測定し、推定の結果と比較した。測定結果は、新しい方法による推定と一致した。またtraditional mode expansionの推定とは明らかに異なっていた。これはtraditional mode expansionの破綻を示した最初の実験例である。

 推定方法が実験によって検証されたので、干渉計型検出器の熱雑音の再推定を行った。非一様な散逸を持つ鏡の熱的な弾性振動による揺らぎを、direct approachで計算した。レーザービームが当たる付近に散逸が集中していると、熱雑音はtraditional mode expansionの推定より大きいこと、逆にビームから離れているところに集中していると、traditional mode expansionの推定より小さいことが、確認された。この差はかなり大きく、従来の研究方針の変更が必要であることがわかった。例えばビームの反射膜の散逸は、今までほとんど考慮されていなかったが、熱雑音に大きく寄与することがわかった。このため反射膜の散逸の性質の研究が必要である。一方、鏡の位置の制御のために鏡には磁石が貼られるが、この接着による散逸はかなり大きく、深刻な問題になると考えられていた。しかし、普通磁石はビームの当たるところからかなり離れたところに貼られるため、ほとんど問題にならないことが判明した。以上の見積もりを実験的に検証した。実際の鏡の測定は困難であるので、測定にはプロトタイプを用いた。ビームの当たる場所の近くに散逸が集中している場合と、遠くに集中している場合の2通りについて実験を行った。結果は新しい方法(direct approachとadvanced mode expansion)の推定と一致し、traditional mode expansionの推定とは異なっていた。つまり測定結果は、先の見積もりが正しいことを示唆している。

 本研究により非一様な散逸による熱雑音の一般的性質、特にtraditional mode expansionの推定と異なる理由が明らかになった。さらに散逸が非一様な場合にはtraditional mode expansionにかわる新しい推定方法が正しいことを実験によって確認した。これはtraditional mode expansionの破綻を証明した初めての実験例でもある。さらに新しい推定方法を利用して、干渉計型重力波検出器の熱雑音の性質について調べた。その結果は従来の研究方針の変更が必要であることを明らかにした。今後のさらなる熱雑音の研究においても本研究の成果は有用な方法と指針をあたえるであろう。

図1:TAMA300の予想感度。太い矢印は、観測帯域(150Hz〜450Hz)と目標感度(h=1.7×10-22/〓)を表す。観測帯域では、熱雑音(太い実線と太い点線)で感度が制限されていることがわかる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、10章からなり、第1章は緒言で、第2章で重力波の伝搬、発生および検出について概観している。第3章から本論文のテーマである熱雑音の基礎について述べる。ここでは、熱雑音の基礎である散逸揺動定理について、1次元の場合、n次元の場合、線形システムの場合それぞれについて定式化を示し、系の伝達関数が知れれば、熱雑音のパワースペクトルが求められることを説明している。これを調和振動子に適用して熱雑音のスペクトルを示し、散逸として考えられる粘性減衰と構造減衰を導入し、それぞれの場合にスペクトルを求めている。次に、減衰の大きさが熱雑音の大きさを決めることから、減衰の大きさを機械的なQという因子から求めることを示す。散逸としては、系の外部から来る場合と内部で発生する場合があるが、前者として残留ガス、渦電流損失を挙げ、それぞれの大きさを評価している。後者として、上で挙げた構造減衰の他に熱弾性減衰を取り上げ、これを特注づけるパラメータを示す。この章の後半では、モード展開と呼ばれる伝統的な方法を導入し、これを基線長300mのTAMAレーザー干渉計に応用して懸架系、鏡それぞれの熱雑音を見積もり、目標とされる感度との違いを説明する。

 第4章では、第3章で紹介した、これまで広く用いられてきたモード展開法による見積もりは損失が一様でない場合は、正しくないことを示す。モード展開法では、熱雑音は各共振モードの熱雑音の和として表され、各モード間には相関はない。これに対して、損失が一様でない、すなわち、モードごとに異なるQを有するような系の場合、モード間の揺らぎの間に結合が生じることを証明した。これを用いて拡張モード展開法を考案した。この方法を2つのモードからなる系に適用して結合の意味と大きさを考察し、さらに一般的な系にも応用している。また、モード間の結合の大きさを測定する方法について提案している。

 第5章は、モード展開法を用いないで熱雑音を推定するために生み出されたdirect approachと呼ばれる3つの方法、すなわち、Levinの方法、Nakagawaの方法、Tsubonoの方法を紹介し、損失が一様でない場合、モード展開で予測される熱雑音は、これらの予測と一致しないことを示している。第6章では、拡張モード展開法とdirect approach法を実際の板ばねのシステムに応用し、実験的に熱雑音を計ることでその実験的検証を行っている。従来のモード展開法による推定は損失の非一様性が大きいと明らかに実験を説明できなかったのに対し、新しい方法はよく説明できた。第7章では、以上の新しい方法を、レーザー干渉計鏡の熱雑音推定に適用して、これまで、鏡の制御のために接着してつけていた小さい棒磁石によるQの低下が熱雑音にはさほど影響を与えないことを明らかにする一方で、これまでその効果があまり考慮されて来なかった光学薄膜の機械的損失がきわめて重要な影響を与えることが示された。特に、鏡の反射膜の損失によっては、これまでの推定と1桁近く感度が悪い方向に異なる可能性があることを指摘した。これは、光学薄膜の機械的損失の研究が今後重要であることを示唆している。第8章では、干渉計鏡への適用を前提とする実験により、第7章で行った推定を検証する。鏡の熱雑音レベルでの測定は通常の測定系ではきわめて困難であり、このため、非一様な損失の鏡をシミュレートするための太鼓型の共振器を作って、そのモード、損失等を測定し、伝達関数から散逸揺動定理を用いて推定を行った。この推定値は、従来のモード展開法で計算される熱雑音より新しい方法で推定される熱雑音に近いことが確認できた。第9章はこれまでの結果を整理して議論を行い、第10章で結論を与えている。

 以上、本論文により、レーザー干渉計型重力波検出器の熱雑音を評価する上で、損失が一様でない場面では、従来のモード展開法は誤っていることを示し、正しい推定を行うためにモード間の相関を取り入れた拡張モード展開法を提案した。この論文の結果は、従来の熱雑音評価法に警鐘をならすと同時に、重力波実験分野で新しい手法を開拓したものであり、今後、さらに高感度な検出器を開発・設計する上で検討すべき内容を示唆する貴重な論文である。

 なお、本論文は、大塚茂巳、安東正樹、河邊径太、坪野公夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって、解析、実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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