学位論文要旨



No 115852
著者(漢字) 安藤,正人
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,マサト
標題(和) 不均一磁場環境における2次元電子系
標題(洋) Two-Dimensional Electron Systems in Inhomogeneous Magnetic Field Environment
報告番号 115852
報告番号 甲15852
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3896号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 岡本,徹
 東京大学 教授 安藤,恒也
 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 助教授 末元,徹
 東京大学 助教授 溝川,貴司
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 本研究では半導体中の2次元電子系に空間変調磁場,とくにランダム磁場を人為的に加え,その電気伝導を実験的に研究した。空間変調磁場中の2次元電子系は幅広い観点から関心を集めている。1次元的な変調磁場においては変調周期aと電子のサイクロトロン半径Rcとの整合効果による磁気抵抗振動や磁気超格子を介した電子間相互作用による電気抵抗成分などが観測されている。ランダム磁場中の2次元電子の問題は磁場変調の一種という以外にも,アンダーソン局在との関連,ランダウ準位占有率ν=1/2状態の複合フェルミオン描像との関連,そして高温超電導体のゲージ理論との関連から特に理論的な関心を集めている。

2 試料の設計・作成および測定方法

 半導体2次元電子に空間変調磁場を加える方法はいくつか考えられるが,系統的な測定を行うためには磁場を一様成分Bと平均がゼロの変調成分δB(γ)に分けたとき,変調成分の振幅だけをゼロから連続的に制御できるようにしたい。そのために2通りの手法を試みた。いずれの方法も変調磁場の素となるパターンを電子線描画によって作成する点は共通している。ひとつは2次元電子系のホールパー上に微細加工した磁性体を乗せる方法である。この方法は従来から1次元変調の系で用いられ,外部磁場の向きを2次元面内で回転させることによってδB(γ)の独立制御を実現していたが,2次元変調の場合は強磁性体を用いると同じ方法ではδB(γ)の振幅の制御を十分にできない。そこで希土類の中でも最大の磁気モーメントを持つディスプロシウムに銅を混ぜることによって大きな飽和磁化を持ちながらヒステリシスのほとんどない磁性合金DyCuを作成し,これを2次元電子ホールパー上に微細加工することに成功した。本研究で用いた試料はランダム磁場の相関長ζBが2次元

電子の平均自由行程よりも十分短いことも大きな特徴である。測定は2軸直交型マグネットを用いて行われた。図1(a)において面内磁場B||角は磁性体を磁化して変調成分を作り出す役割,垂直磁場Bzは一様成分を与える役割を果たす。

 もうひとつの方法は超伝導体の曲がりくねった細線に電流を流して変調磁場を作り出す方法である(図1(b))。ニオブ合金には非常に大きな超伝導電流を流せるものがあるが,作成したものに限っては測定に必要な変調磁場振幅を得るには不十分だった、3章の測定はすべてひとつめの方法で作成した試料を用いている。

3 実験結果と考察

ゼロ平均のランダム磁場による抵抗増加 はじめにDyCu合金を磁性体として用いたランダム磁場の試料を用いて2次元電子の抵抗の変調磁場振幅に対する依存性を調べた。試料に面内磁場B||をかけることによって振幅ゼロのランダム磁場を発生させると2次元電子の抵抗は増加する(図2(a))。この抵抗増加はDyCu合金の磁化の2乗,すなわちランダム磁場の振幅の2乗にほぼ比例し(図2(b)),測定した範囲では抵抗増加はランダム磁場からの摂動的に扱える散乱によるものと考えられる。

一定ランダム磁場中の磁気抵抗 次に強い面内磁場でランダム成分δB(r)を一定にしたまま,垂直方向の一様磁場成分Bに対する磁気抵抗を測定した。2次元電子は大きな正の磁気抵抗を示し,B=0付近の下向きカスプやなだらかな肩のような特徴的な構造が見られる(図3(a))。高磁場側のシュブニコフ-ド・ハース振動に比べ,これらの低磁場での構造は温度依存性も小さい。以上の性質は非常に高移動度の2次元電子系においてν=1/2の周りで観測された磁気抵抗(図3(b))と多くの共通点を持ち,ν=1/2状態がランダム磁場中のフェルミオンと等価であるという描像を支持するものと考えられる。上述した肩のような構造が現れる磁場でのサイクロトロン半径をそれぞれの系について求めてみると図3(a)ではRc〓0.7μm,図3(b)ではRcCF〓160nmとなり,それぞれの系でのランダムネスの特徴的な長さスケールと同程度となる。ゼロ磁場付近に見られる下向きカスプは1次元変調の系でも同様のものが見られており,Snake orbitと呼ばれるゼロ磁場の等高線に沿った古典軌道が関係していると考えられている。

 高磁場側のシュブニコフ-ド・ハース振動の振幅を解析することにより電子の有効質量や緩和時間を求めることができる。ランダム磁場の系についてこの解析を行ったところ,変調のない2次元電子の有効質量との間に有意な差は見出せなかった。報告されている複合フェルミオンの有効質量の増大は本研究で用いた静的なランダム磁場によっては説明できず,むしろ電子間相互作用によるダイナミカルな揺らぎによるものと考えられる。

 磁気抵抗の振る舞いにおける次元性とランダムネスの役割を調べるために1次元変調磁場でランダムネスの異なる試料を比較した。ランダムネスの増大に伴って周期的磁場変調で見られる磁気Weiss振動が弱まり,2次元ランダム磁場と同様の正の磁気抵抗へと移り変わってゆく。変調磁場の次元性よりもむしろランダムネスが一連の磁気抵抗の主要な要因になっていると理解できる。

変調磁場中の抵抗の温度依存性 1次元周期磁場では温度の2乗(T2)に比例する抵抗成分が出ることが加藤・佐々木らによって調べられている。このT2-項は変調磁場によって系の並進対称性が失われることにより総運動量の変化を伴う電子・電子散乱が可能になって生じると考えられている。本研究では1次元変調磁場でランダムネスを加えた場合,2次元変調磁場で周期的およびランダムな場合についてそのような抵抗成分の観測を試みた。

 ランダムネスを加えた1次元変調磁場の場合,温度の2乗に比例する抵抗成分はランダムネスの増大に伴って大きくなった。T2-項に大きく寄与する長波長のフーリエ成分がランダムネスとともに増えるのが原因かもしれない。

 一方,ランダム磁場を含む2次元磁気変調のある系でも抵抗の温度依存性を測定したところ,1次元変調の系で見られたT2-項が見られなかった。変調が2次元的になったことでその項が消失する理由は現在のところ不明であるが,系の異方性がT2-項に関係している可能性がある。

4 まとめ

1.振幅の制御できるゼロ平均のランダム磁場をDyCu合金を用いることにより作り出し,ランダム磁場によって2次元電子の抵抗が磁場振幅の2乗に比例した増加を示すことを見出した。

2.クロスコイルマグネットでランダム磁場成分を一定に保ったまま独立な一様磁場成分に対する磁気抵抗を測定し,ν=1/2状態の振る舞いと多くの共通点を持つことを確認した。ゼロ磁場付近の下向きカスプや肩といった磁気抵抗の構造についてSnake orbitや相関長と関連させて議論した。また,シュブニコフ-ド・ハース振動の振幅解析から静的なランダム磁場では複合フェルミオンに見られたような電子の有効質量の顕著な変化は見られないことを確認した。

3.変調磁場下の抵抗の温度依存性を測定したところ,1次元変調ではランダムネスの導入に伴いT2の係数が増大する一方,2次元変調ではT2依存成分がほとんどなかった。

図1:(a)DyCu合金を用いたランダム磁場用サンプルの概念図,(b)試作した超伝導細線の光学顕微鏡写真。

図2:(a)ランダムなDyCuのある側とない側の2次元電子に面内磁場B||を印加したときの抵抗,(b)ランダム磁場による抵抗の増加分をSQUIDで測定したDyCuの磁化の2乗に対してプロットしたもの。

図3:(a)ランダム磁場中の磁気抵抗,(b)Jiangらによるν=1/2付近の磁気抵抗。

図4:(a)変調磁場による抵抗の増分の温度依存性。1次元変調(1DMMF)で明確に見られるT2の依存性が2次元変調の場合には見られない。2次元変調はひとつの試料で磁場の向きφを変えることによって別の変調パターンを作っている。(b)(a)の曲線を2次の多項式AT2+BT+CでフィットしたときのT2の係数Aを定数項Cに対してプロットしたもの。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文では、GaAs/AlGaAsヘテロ接合界面に形成された2次元電子系に対して空間変調磁場を加えたときの電気伝導を実験的に研究した.空間変調磁場は、試料表面に微細加工技術により分布を制御して配置された磁性体が磁化されることによって作られ、ランダム変調磁場、2次元周期的変調磁場、1次元変調磁場に対して測定が行われた.

 ランダム変調磁場中の2次元電子系は、アンダーソン局在や複合フェルミオンとの関連からも、重要なテーマである.これまで、いくつかの研究グループによって実験が行われているが、(1)磁場変調を特徴づける長さξB(0.5μm〜1μm)が電子の平均自由行程(〜10μm)に比べて十分に短いこと、(2)変調磁場の大きさが最大0.1テスラ程度と大きいこと、(3)変調磁場の大きさを系統的に制御していること、これらの点において本研究は新しい試みである.特に、大きな飽和磁化を持ちつつ磁化曲線にヒステリシスを持たない磁性体としてDyとCuの合金を試行錯誤によって見つけだし、(2)と(3)の条件を同時にクリアすることができたのは、すべて論文提出者本人の創意工夫によるものであり、高く評価できる.

 電気抵抗の測定は、2次元面に垂直な方向に1テスラ、平行方向に6テスラまでかけることのできるクロスコイル超伝導マグネットの中で、1.5ケルビン以上の低温領域で行われた.電子の運動にとって2次元面内に対して垂直な磁場成分のみが重要であり、2次元面に対して平行な外部磁場は、電子系から100ナノメートル程度離れた表面におかれた磁性体を磁化させて2次元電子系に変調磁場を与える役割をする.これに対して2次元面に垂直な外部磁場は、一様な成分を与える.

 ランダム変調磁場を一定に保ったまま、一様磁場成分を変化させたときの対角抵抗率の変化に、特徴的な振る舞いとして、ゼロ磁場近傍での対角抵抗率の下向きのくぼみ(本論文中では「cusp」)、およびそれよりも高い磁場での磁気抵抗のゆるやかな折れ曲がり(本論文中では「shoulder」)が見られた.これらの特徴を持つ対角抵抗率の振る舞いは、移動度の高い2次元電子系のランダウ準位充填率ν=1/2近傍で観測されているものとよく似ている.複合フェルミオン描像によると、ν=1/2の状態は、電子に磁束量子φ0を2本貼り付けてできた複合粒子のゼロ磁場の状態に相当する.試料中の不規則ポテンシャル等によって電子密度neが揺らいでいる場合、ν=1/2に相当する磁場B1/2=2neφ0が揺らぐことにより、複合フェルミオンの実効的な磁場がランダムな空間変調を受けることになる.本研究の結果は、ν=1/2近傍での対角抵抗率の振る舞いが、複合フェルミオンに対する実効的な磁場のランダムな空間変調に起因するものであることを支持する.

 上記の磁気抵抗曲線に現れる「cusp」や「shoulder」の原因については、完全には理解されていないが、ランダム変調磁場の振幅|δB|や特徴的な長さξBを変えた実験より、おおよその傾向が示され、解釈が与えられている.まず、ゼロ磁場で対角抵抗率の極小を示す「cusp」に関しては、電子がβ=0の等高線に沿ってうねりながら動く「Snake orbit」との関連が考察されている.もし、「cusp」が「Snake orbit」によるものだとすれば、「cusp」の幅はB=0の等高線が生き残る一様磁場の範囲に対応しており、変調磁場の振幅と等しくなるはずである.実験から決定される「cusp」の幅の誤差は小さくないが、変調磁場の振幅|δB |に対する依存性に関して矛盾しない結果が得られている.一方、「shoulder」に関しては、サイクロトロン半径がランダム変調磁場の特徴的な長さξBと同程度になる磁場として解釈されており、実験結果もこの解釈を支持する.また、本論文では、rshoulder」が現れる磁場よりもさらに高磁場側で観測されるシュブニコフ-ド・ハース振動の温度依存性から有効質量や緩和時間を求めている.ランダム磁場による有効質量の有意な変化は見られなかった.

 変調ポテンシャルによって並進対称性が失われると、電子間散乱が電気抵抗に寄与するようになり、抵抗率の温度変化にT2-項が現れると考えられる.実際、電流方向に周期的な1次元変調磁場を与えた2次元電子系における大きなT2-項が、加藤らにより報告されている.本論文では、1次元ランダム変調磁場、2次元周期的変調磁場、2次元ランダム変調磁場、に研究を拡張し、20ケルビン以下の温度依存性の測定を行った.その結果、1次元ランダム変調磁場においては周期的な場合と同様に大きなT2-項が観測されたが、2次元変調磁場の場合には、周期的な場合でも、ランダムな場合でも、T2-項は非常に小さくなった.2次元変調磁場下のT2-項の消失の原因については、理解されていない.

 以上、本論文では、微細加工技術等を用いて人工的に作られた空間変調磁場中での2次元電子系の電気伝導の詳細な測定を行い、ランダム磁場がある場合の磁気抵抗効果、異なった種類の変調磁場下での抵抗率の温度変化を明らかにした.得られた実験結果は新しいものであり、重要な知見が得られた.同時に、多くの理論的課題および今後の実験への貴重なステップも提供している.

 また、本論文は、家泰弘教授、勝本信吾助教授、遠藤彰助手などとの共同研究であり、共著の形で一部すでに公表されているが、論文提出者が主体となって研究計画の立案、試料作成および電気伝導測定の遂行、実験結果の解析・考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 しがたって、審査委員全員一致で、博士(理学)の学位を授与できると認める.

 以上

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