学位論文要旨



No 115858
著者(漢字) 大和田,謙二
著者(英字)
著者(カナ) オオワダ,ケンジ
標題(和) 高圧下におけるNaV2O5の構造物性
標題(洋) Structural Aspects of NaV2O5 under High Pressure
報告番号 115858
報告番号 甲15858
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3902号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 助教授 廣井,善二
 東京大学 助教授 木下,豊彦
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 毛利,信男
内容要旨 要旨を表示する

 NaV2O5は、1996年に礒部・上田らによってそのスピン・パイエルス転移的(転移点Tc=34K)な振舞が発見されて以来、多くの研究者を魅了し続けてきた。

 この物質はVO5-ピラミッドが2次元的に結合したV2O5層の間に電子供体としてNaが入り込んだ構造をしており、Naからバナジウム原子2つあたりに1個の電子が与えられ系のfillingは1/4になっている。電子はV-O-V上に広がって局在していると考えられており、系は1/4flledにもかかわらず絶縁体である。現在では、NaV2O5は通常のスピン・パイエルス転移ではなく、Tc以下で格子2体量体化、電荷秩序、スピン・ギャップ形成が同時に起こる興味ある系であると認識されている。バナジウム原子上の電荷が低温相でどのように秩序化するのかという問題に関して、ab面内のみの議論ではあるが、妹尾・福山らがジグザグ型電荷秩序モデルを提唱した。構造的にはTc以下で2ax2b×4cの超格子構造を形成するその低温構造が厳密に解かれたことにより、面内の秩序パターンに関してはそのモデルの正当性が示された。しかしながら、面間方向(c軸方向)に4倍周期が安定化される起源に関しては、現在のところ全く分かっていない。このような長周期構造の安定化の微視的機構解明には、圧力印加は有効であるケースが多い。一足先に物性研の毛利グループは、Na欠損(ホールドープ)系Na0.98V2O5の電気抵抗測定及びNaV2O5の誘電率測定を、広い温度圧力領域で測定して以下に示す重要な結果を得た。

 1.抵抗は圧力とともに減少し、その熱活性化エネルギーはdEa/dP=-8.05(meV/GPa)で減少する。

 2.T=20K、P=1GPa付近で中間層の存在を示唆する誘電率の異常が観測された。

2番目の結果はNaV2O5の相転移を考える上で特に重要である。

 以上より、本研究の目的は以下の3点に集約された。

1.常温高圧力下でのNaV2O5の格子特性を調べ、その特性と電気抵抗測定結果との関係を議論する。同時に、常温高圧力下での圧力誘起構造相転移を探索する。

2.構造的視点から見た温度圧力相図を完成させ、巨視的な誘電率測定から得られた温度圧力相図との関係を微視的視点から議論する。

3.最終的に面間相互作用などの隠れた相互作用を明らかにする。

 これらの目的を達成するために放射光X線散乱実験を行った。単結晶を用いた低温高圧多重極限下でのX線散乱実験に関してはその総合的な実験手法の確立も本研究の重要なテーマとなった。

常温高圧力下の格子特性

 圧力印加と共にNaV2O5の格子定数は、c軸(積層)方向に急激に縮み(6GPaで約15%も縮む)、b軸(磁気1次元鎖)方向に伸び、a軸に至っては4GPaまで一旦縮んだ後伸び始めるという非常に特異な振舞いをすることが分かった。求めた体積弾性率は約36GPaであり、NaV2O5は無機化合物としてはかなり柔らかい物質であることが分かる。また,13GPa付近で構造相転移が起こっている事を新しいピークの出現により見出した。これらの特異性の構造的起源の解決のヒントを得るために、まず、同型の構造を持つCaV2O5、V2O5そしてNaが15%欠損したNa0.85V2O5の圧力下での格子定数の変化と比較した。その結果、すべてが異なった振る舞いを示し(特にa軸)、層間に入り込んだ原子(Na、Ca)がこれらの格子特性に大きな影響を与えていることが明らかとなった。さらに、6GPaまでのデータを使いRietveld解析を行った。その結果、V2O5層間の距離が圧力によって縮まっていく様子が観測され、c軸(層)方向の縮みの起源が明らかになった。また、それらの結果の外挿は各層(上下)のピラミッドがお互いに近づき今まで5配位だったバナジウムイオンが6配位なるような重大な影響が与えられて相転移が誘起されることを示唆した。次に、a軸とb軸の特異性の起源を求めるために層間に入り込んだNa原子(8配位)に注目して、まずNa-O原子間距離を求めた。ちなみに、結晶学的に見ると酸素間距離がそのまま格子定数に直接結びついている。その結果、Na-O平均原子間距離の減少は4GPaで止まる傾向が見られた。またO-Na-O結合角は増加し続ける。これらの結果を総合して考えると、次に示すような描像が得られる。(1)a軸方向に関しては圧力印加の初期の段階で、a軸方向のNa-O原子間距離が大きく減少する余裕が残っているために、まず縮む。その後、a軸方向のO-Na-O結合角の増大が起源となり格子定数は伸び始める。(2)b軸方向に関しては、はじめから、b軸方向のO-Na-O結合角の増大が起源となり格子定数は伸びる。

 電気抵抗測定から得られた熱活性化エネルギー及びV2O5層間距離の圧力に対する振る舞いを比較してみると、熱活性化エネルギーを外挿して0になる圧力域が、V2O5層間のV-O距離がV-O平均距離に近づく圧力域に対応しており、両者は密接に関連していることが伺える。最後に,構造解析の結果をモデル化してd1電子軌道の結晶場(VO5ピラミッド+下層の頂点酸素=歪んだVO6-8面体)によるエネルギー順位の計算を行ったところ、圧力によってdxy-like軌道がさらに安定化していくことが明らかになった。

低温高圧力下における「悪魔の階段」的相転移

 検出器としてイメージングプレート(IP)、X線CCDカメラ、シンチレーションカウンター(SC)を相補的に用い、低温高圧力下での実験を行なった。その結果、1GPa、20K近傍の圧力温度領域においてこれまでの低温相(2a×2b×4c、c軸方向の変調波数を代表してC1/4相とする)に加え、新たに多数の高圧相(C1/6、C1/5、C0、C2/11等)を発見し温度圧力相図を完成させた。一例として,SCを用いた高運動量分解能の実験結果(圧力P=0.92GPa 及び1.04GPa)を図1に示す。常圧相で観測されているl=1/4の相に加えて、1/5、1/6、2/11、3/17、0、1/7などの相が系統的に現れては消えていく様子が観測された。1.04GPaのl=1/4を除くこれらのピークはresolution limitedであり、長距離秩序をもって存在していることも確認された。驚くべき事にこれらすべての相は2a×2b×Zc型の長周期構造を持ち、そのc軸方向に対するqベクトル(()の中の数字は各相の特徴的なqベクトルの値を示す)のシーケンスは、スピン系でよく知られたANNNI(Axial Next Nearest Neighbour Ising)モデルに代表される「悪魔の階段」的振る舞いを示していた。我々が'見て'いるのは電荷秩序に付随した格子変調である。図2に実験から得られた温度圧力相図を示す。ANNNIモデルは、面内はferro的にそろったスピン系の面間相互作用にフラストレーション(近接相互作用J1>0、次近接相互作用J2<0)を導入した単純なモデルである。相互作用比-J2/J1と温度Tで張られたパラメーター空間内で際限なく新しい相が現れることから「悪魔の階段」などと呼ばれている。NaV2O5においては圧力は、その実験結果から、面内構造には殆ど影響せずに積層方向の相互作用比-J2/J1を系統的に変化させ、その積層パターンを変調させていることが明らかになった。誘電率測定から得られた相図と本研究で得た相図を比較してみると、誘電率測定ではゆらぎの発散点を見るということを考え合わせれば、その決定された相境界は、温度を下げていく過程でC1/4(C0)相が現れ始める所及び中間相が現れ始める所を、よりはっきりと捉えていたことが分かる。

 次に面間相互作用の起源について考察する。Ising変数の定義に関しては、V-0-Vラング上のどちらに電子が局在するかで1、-1を決めて差し支えないであろう(図3参照)。この系はVij∝1/dijで記述されるような長距離に及ぶサイト間クーロン相互作用の存在する系として考えられており、先に述べたように、その相互作用の導入はab面内の電荷秩序パターンを説明する上で成功を収めた。同様に、そのサイト間クーロン相互作用は面間にも働いていると考えられる。サイト間クーロン相互作用を感じながら動的に揺動しているdynamical charge disproportionationとでも言うべき相転移の前駆現象は、転移点より遥か高温側(100K近傍)で既に現れる。その相関の発達はab面内で顕著であり、面間方向であるc軸方向には転移点近傍に至ってようやく発達する。このことから面間に働くサイト間クーロン相互作用は面内に比べると弱いと考えられる。この相互作用のみを考えた場合、電子がお互いを避け合うために近接相互作用J1<0、次近接相互作用J2<0となる。この場合でも、層間方向への4倍周期の発生は可能であるが、高圧側での基底状態はC0ではなくC1/2となる。J1>0を発生させている起源として、電子が縦に並んだ時に電子が感じる磁気的相互作用が考えられる。実際にNaV2O5に類似しているVO5-pyramid構造を基本とした層状化合物AV3O7(A=Ca,Sr)においては、3次元的磁気オーダーが10K級の温度領域で起きており面間磁気的相互作用の存在が示唆される。このような磁気的な相互作用を得ることによって面間にも存在すると考えられる弱いクーロン反発に打ち勝ちJ1>0を実現しているのではないかと考えられる。実際、圧力をかけて面間距離を縮めていくとC0相(縦一直線に電子が選択的に並ぶ相)が安定化されるという事実は、このことを支持していると思われる。

以上をまとめると、本研究によって以下のことが明らかになった。

1.常温高圧力下でのNaV2O5の格子特性を調べ、これと電気抵抗測定から得られた熱活性化エネルギーの圧力依存性とを比較した結果、活性化エネルギーの減少はc軸方向の急速な収縮に対応していることが分かった。さらに、常温高圧力下での圧力誘起構造相転移を見出した。

2.低温高圧力下で多数の相を発見し、構造的視点から見た温度圧力相図を完成させた。驚くべき事にこれらすべての相は2a×2b×Zc型の長周期構造を持ち、そのc軸方向に対するqベクトルのシーケンスは、スピン系でよく知られたANNNIモデルに代表される「悪魔の階段」的振る舞いを示していることが分かった。また、誘電率測定から決定された相境界は、温度を下げていく過程でC1/4(C0)相が現れ始める所及び中間相が現れ始める所を、よりはっきりと捉えていたことが分かった。

3.これにより、c軸方向の電荷・格子変調を安定化させている、競合する面間相互作用の存在を明らかにした。その微視的起源は明らかではないが、電気的・磁気的相互作用の競合が重要な役割を担っているものと考えられる。

<追補>ここでいうJ1、J2は磁気的相互作用としての意味で用いているのではないことを付け加えておく。

図1:逆格子スキャン[13/2,3/2,l]の温度変化。

図2:本研究により得られた温度圧力相図。

審査要旨 要旨を表示する

 大和田謙二氏の本論文はTc=34Kで非磁性シングレット基底状態への相転移を示すNaV2O5の構造物性の研究である。この相転移は磯部・上田らの発見当時スピン・パイエルス転移的な振る舞いとして注目されたが、現在ではTc以下で電荷秩序、格子2体量子化、スピン・ギャップ形成が同時に起こる系として実験と理論の研究が精力的に行われている。しかしこれまでの研究では吉浜等の磁気励起に関する中性子散乱実験、中尾等の電荷秩序に甲する放射光X線共鳴散乱実験、妹尾、福山に、よるジグザグ型電荷秩序モデルの理論などと、主にab-面内のみの二次元系としての議論で、実際に構造的にTc以下で観測される面間方向(c軸方向)への4倍周期に関しては全く解っていなかった。大和田氏はこの面間方向の長周期安定化の微視的機構を解明するために、圧力印加下でのNaV2O5の構造物性研究を放射光X線回折実験を用いて行った。またその研究のために低温・高圧の多重極限環境下における放射光X線散乱実験装置の開発、実験手法の確立も行った。

 この論文は全6章で構成され、第1章では序章としてNaV2O5に関するこれまでの研究結果、そして類似系AVnO2n+1に関する情報が纏められ、それに基づきこの研究の目的が掲げられている。第2章では低温・高圧の多重極限環境下における放射光X線散乱実験装置が説明されており、特にダイヤモンドアンビルセルとその低温における使用方について詳しく述べられている。

 第3章では常温高圧力下の格子特性が粉末試料を用いて研究されている。そこでは圧力印加に伴いNaV2O5の格子定数が非常に異方的で特異な振る舞いをすることを明らかにした。それは圧力上昇と共にc軸(積層)方向に急激に縮み、b軸(磁気梯子)方向に伸び、それに垂直なa軸方向には4GPaまで一旦縮んだ後伸び始めるという振る舞いである。大和田氏は6GPaまでの圧力下でRietveld解析を行い、上記の常温高圧力下の格子定数の特異な振る舞いの物理的描像を明らかにした。それはV2O5層間の距離が圧力により縮まり、c軸が急激に縮小する際に層間のNaイオンがピラミッドの酸素イオンに接近し、面内のa軸及びb軸方向の格子定数の振る舞いを支配することである。又13GPa近傍で圧力により誘起された構造相転移を発見し、この相転移がc軸格子定数の減少により頂点酸素が上のVO5ピラミッドに接近することにより誘起されるものであることを明らかにした。

 第4章では毛利グループの圧力下誘電率測定により示唆されたT=20K,P=1GPa付近の中間相を放射光X線散乱単結晶実験を駆使して詳細に研究した結果が纏められてある。それによるとこの圧力温度領域でこれまでのc軸方向に4倍周期を示す低温相に加えて、新たに多数の高圧相が発見された。これらの長距離秩序相はすべて2ax2bxZc型の長周期構造を持ち、そのc軸方向に対する波数ベクトルの温度圧力相図上の現われ方は、スピン系で知られているANNNIモデルに代表される「悪魔の階段」的振る舞いを示すことが明らかにされた。従来のANNNIモデルは面内は強磁性的にそろったスピン系の面間相互作用としてフラストレーション(強磁性的最近接相互作用に反強磁性的次近接相互作用)を導入したモデルである。したがってこの実験結果はNaV2O5においては面間の電荷秩序パターンを支配する競合する相互作用が存在する事を明らかにした。圧力は面内構造には殆ど影響を与えずに積層方向の競合する相互作用比を系統的に変化させ、電荷秩序積層パターンを変調させていると理解できる。この競合する面間相互作用に関しては比較的長距離に及ぶサイト間クーロン相互作用と短距離磁気相互作用を、面内のサイト間クーロン相互作用の重要性及び他のVO5ピラミッド構造を基本とした層状化合物における三次元的磁気秩序の存在から類推して、提案している。第5章では今回低温高圧下で発見されたC0-相の構造解析の現状及び共鳴散乱を用いた電荷秩序パターンの検証の可能性が検討されている。第6章では全体の要約が述べられている。

 本研究は技術的に非常に困難な低温高圧下の放射光X線回折実験手法を開発、確立し、それを用いた丁寧な実験によりNaV2O5の電荷秩序構造相転移の新しい側面を明らかにしたものとして高く評価出来る。

 なお、本論文は藤井保彦、中尾裕則、礒部正彦、上田寛、仲戸川博人、武末尚久、若林裕助、村上洋一、伊藤和輝、雨宮慶幸、藤久裕司、青木勝敏、菖蒲敬久、野田幸男、池田直諸氏との共同研究の部分を含むが、上記の主要部分について論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断した。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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