学位論文要旨



No 115861
著者(漢字) 金澤,敏幸
著者(英字)
著者(カナ) カナザワ,トシユキ
標題(和) 超重力理論でのダブル・インフレーションとその観測的示唆
標題(洋) Double Inflation in Supergravity and Its Observational Implications
報告番号 115861
報告番号 甲15861
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3905号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 牧島,一夫
 東京大学 助教授 佐々木,真人
 東京大学 助教授 相原,博昭
内容要旨 要旨を表示する

 宇宙の標準ビッグ・バン模型は、宇宙膨張・宇宙背景輻射の存在・軽元素合成等を説明することが可能であり、大変成功した理論である。しかしながら初期条件に関して、平坦性・地平線・残存危険粒子、また現在の宇宙の構造や宇宙背景輻射非等方性の種となったと考えられている、原始密度揺らぎの起源等の諸問題を抱えている。それらに対する解答として、1981年に「インフレーション宇宙模型」と呼ばれる考え方が提唱された。これは宇宙が初期の段階で指数関数的な急膨張を起こすことによって、上記の問題を回避しようというものである。一般に、何らかのスカラー場(インフラトン)がこの役割を担っていると考えられている。

 一方で、素粒子物理の標準模型も、現在までの全ての実験事実を説明できる非常に優れた理論である。しかるに原理的な問題として、理論に内在するスカラー粒子の質量への輻射補正が2次発散を起こし、電弱スケールを安定に保てないこと(階層性問題)、単純な標準模型の粒子達では、繰り込み群によって理論の結合定数を走らせたときに大統一を実現しないこと、また理論にそもそも重力を含んでいないこと、等の問題点を抱える。しかし、超対称性と呼ばれる新しい対称性を導入することで、これらの問題は回避される。また超対称性の局所版である超重力理論は、その名の通り重力を包含しており、より基礎的な超紐理論等の低エネルギーでの有効理論も超重力理論の形を取る。

 これらのことをふまえると、宇宙物理・素粒子物理双方の観点から、超重力理論の枠組みでインフレーション宇宙を考えることは極めて重要である。インフレーションには様々な種類の模型が存在するが、超重力理論の枠組みで実現するためには、インフラトン場の期待値が重力スケール以下で起こる必要がある。そのため非常に簡単な形を取る「カオス的」模型を実現するのは難しい。また、重力子の超相棒である重力微子が多量に存在すると元素合成の成功を台無しにしてしまうため、インフレーションが終了した後の宇宙の再加熱温度には厳しい制限がついている。この制限を回避できるのは一般には「新型」と呼ばれるインフレーション模型である。一方、新型模型でインフレーションを起こすには、インフラトン場の初期条件を極めて微調整しないといけない。これはインフレーション本来の哲学に反しており、この観点からは「複合的」模型が望ましい。しかし複合的模型は再加熱温度が高いと言う欠点を抱えている。

 以上より、超重力理論でインフレーション模型を構築するには、インフレーションが始まる段階では複合的模型として、インフレーションが終了するときには新型模型として終わるような、ダブル・インフレーション模型が有望である。そうすれば我々は初期値問題、および(高い再加熱温度による)重力微子問題を回避できる。ところで、このダブル・インフレーション模型では、第二段階に来る新型模型の初期条件がきちんと満たされているかを調べなければならない。一般にインフレーション中には、インフラトンを除く他の全てのスカラー場は超重力理論効果によってハッブル定数程度の質量を得て、ポテンシャルの底に沈んでしまう。したがって、複合的模型が最初に起こる段階で、後に新型模型を担うこととなるインフラトン場はポテンシャルの原点近くに局在する。複合的模型が終了すると、超重力効果による質量が失われ、新型模型は本来のポテンシャル形を回復し、原点近くから底に向かって進んでいくこととなる。このように、初期条件は先発のインフレーション(複合的模型)中に自動的に調整されるのである。以上の議論のように、超重力理論の枠組みではダブル・インフレーション模型が有効に働くことが示されている。

 本研究においては、このダブル・インフレーションと呼ばれる種類の模型について、その観測的示唆を考察した。こうしたダブル・インフレーションは、インフレーション中に生成される密度揺らぎのスペクトルに非自明な構造を与える。一般に複合的模型はスケール不変な揺らぎを、新型模型は赤方に傾いた揺らぎを与える。さらに、両者の接続が宇宙論的に観測可能なスケールに来ると、大スケールでは複合的模型が、小スケールでは新型模型が揺らぎを担うことになる。1989年に打ち上げられたCOBE衛星による宇宙背景輻射非等方性の観測により、大スケールでの密度揺らぎの規格化が定まっている。しかるに、ダブル・インフレーション模型では、接続スケールにおいてCOBEの制限とは異なる振幅を持つことが可能であり、例えば非常に大きな揺らぎを持つことも可能である。

 今回は、このダブル・インフレーション模型において、特に両者の接続が宇宙論的スケールに来る場合を考察した。

 まず、宇宙の銀河分布の観測結果は、いわゆる冷たい暗黒物質の標準模型ではうまく説明できないことが分かっている。これは宇宙の密度を臨界密度とし、ハッブル定数を50キロメートル毎秒毎メガパーセクとするものである。この値を取るとき、COBE規格化された密度揺らぎが、小スケールで過剰なパワーを持つという欠点が知られている。しかるに、今回の模型では密度揺らぎのスペクトルが非自明な特徴を持つため、この欠点を克服する可能性がある。

 ところで、最近のIa型超新星の観測から、現在の宇宙に宇宙定数が残存している可能性が示唆されており、他の多くの観測からも宇宙定数の存在は支持されている。そこで今回は、上記の冷たい暗黒物質の標準模型に加えて、宇宙定数を含むような模型も合わせて考察した。

 また、大規模構造の観測としては他に銀河団の数密度観測がある。重力的に束縛された系の数密度の発展に関してはPressとSchechterによる理論的な仕事があり、彼らの結果に基づいて非自明スペクトルが与えられた時の銀河団数密度に対する理論値を得る。一方で、銀河団はX線で観測されることが多く、銀河団内の静水圧平衡を仮定すると銀河団温度と質量の関係式が得られる。これによって観測された銀河団の温度分布を質量分布に焼き直せる。この理論値・観測値双方の比較から、密度揺らぎの振幅として取ることができる値が決定される。以上の方法によって、銀河分布・銀河団数密度の観測を用いて、ダブル・インフレーション模型での許容変数領域を求めることに成功した。

 このように密度揺らぎに特徴が見受けられる場合、特に小スケールで通常と異なる振る舞いをすることから、宇宙背景輻射の非等方性に影響を与えることが予想される。COBE衛星は分解能が悪いため、小スケールの詳細な観測を行うことができなかった。ところが最近、ブーメランと呼ばれる気球実験による宇宙背景輻射観測結果が報告され、それによると宇宙はほぼ平坦に近く、インフレーションの基本的な枠組みが支持されることが分かった。ところが同時に、角度パワースペクトルの特徴であるアコースティック・ピークのうち、2番目のものが予想以上に低いことが分かった。これを一番簡単に説明する方法は宇宙のバリオンの量を増やすことであるが、標準的な元素合成の制限と大きく矛盾する。したがって、バリオンの量は元素合成の値を保ちつつ、ダブル・インフレーション模型でこの気球実験の結果を説明する方法を模索した。

 まず我々は、銀河分布、および銀河団数密度の観測から許される変数領域に対して、宇宙背景輻射非等方性の角度パワースペクトルを求めた。冷たい暗黒物質の標準模型ではブーメランの結果を再現することはできなかったが、宇宙定数の存在を許せば、これら全ての観測を同時に説明可能な変数領域を発見することができた。

 2番目のピークを下げるためにバリオンを増やした場合には、3番目のピークが相対的に大きくなることが示される。しかるに、今回のダブル・インフレーション模型が正しければ、3番目以降のピークも下がっていくことになる。21世紀初頭に計画されている衛星実験によって、3番目のピークを含むさらに小スケールの観測が行われれば、今回の模型の正当性が検証可能である。

 以上のように、素粒子物理・宇宙物理双方の観点から要求される、超重力、及びインフレーションを同時に考察した。その際に有望と考えられるダブル・インフレーション模型の観測的示唆について調べ、銀河分布・銀河団数密度の観測を満たす変数領域を求めた。さらに、宇宙背景輻射非等方性に関して、最近の気球実験の結果をも再現することに成功し、将来の衛星実験で模型の検証が行われる可能性を指摘した、こうした観測的示唆と実際の観測との比較から、今回の模型に対する制限が与えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、5章からなり、第1章は序、第2章がインフレーション理論と超重力理論のレビュー、第3章が超重力理論におけるダブルインフレーションモデルについて述べられている。第4章が本論文の中心であり、ダブルインフレーションモデルを宇宙の大構造の観測データと比較することで、モデルパラメータを制限するとともに、従来のモデルでは説明できないマイクロ波背景輻射のピークが説明できるようになることを示す。結論は第5章でまとめられ、宇宙論的摂動論を付録に要約してある。標準ビッグ・バン模型は、宇宙膨張・宇宙背景輻射の存在・軽元素合成等を見事に説明する成功した理論であるが、その初期条件に関しては、平坦性・地平線・原始密度揺らぎの起源等の諸問題を抱えている。これらは、宇宙が初期の段階で指数関数的な膨張を起こしたとするインフレーションモデルで解決されるものと広く考えられている。

 一方で、素粒子物理の標準模型も、現在までの全ての実験事実を説明できる非常に優れた理論であるが、理論に内在するスカラー粒子の質量への輻射補正が2次発散を起こし、電弱スケールを安定に保てないこと(階層性問題)、単純な標準模型の粒子達では、繰り込み群によって理論の結合定数を走らせたときに大統一を実現しないこと、また理論にそもそも重力を含んでいないこと、等の問題点を抱えている。これらは、超対称性と呼ばれる対称性を持つ理論、さらにはその局所版である超重力理論において解決されると期待される。

 以上からわかるように、超重力理論の枠組みでインフレーション宇宙モデルを考えることは極めて重要である。これに関しては、インフレーション開始時には初期条件の微調整が必要でないハイブリッド・インフレーションが起こり、その後再加熱温度が低く重力微子の過剰生産を引き起こさないニュー・インフレーションが続く、というダブル・インフレーションモデルが、超重力理論の枠組みで有効に働くことが示されている。

 本研究は、この超重力理論におけるダブル・インフレーションモデルの観測的示唆を考察した。このモデルでは、通常のインフレーションモデルが予言するスケール不変な密度揺らぎのスペクトルを変化させ、ハイブリッド・インフレーション期に生成されたスケール不変な揺らぎと、それに比べて傾きがやや緩やかなニュー・インフレーションのつくる揺らぎが異なる振幅で接続される結果となる。両者の接続が宇宙論的なスケールであるとすれば、宇宙論的な観測に大きな影響をおよぼしうる。これが、本論文の中心である第4章の内容である。

 まず、宇宙の銀河分布の観測結果は、いわゆる冷たい暗黒物質の標準模型ではうまく説明できないことが分かっている。これは宇宙の密度を臨界密度とし、ハッブル定数を50キロメートル毎秒毎メガパーセクとするものである。この値を取るとき、COBE規格化された密度揺らぎが、小スケールで過剰なパワーを持つという欠点が知られている。しかるに、今回の模型では密度揺らぎのスペクトルが非自明な特徴を持つため、この欠点を克服する可能性がある。ところで、最近のIa型超新星の観測から、現在の宇宙に宇宙定数が残存している可能性が示唆されており、他の多くの観測からも宇宙定数の存在は支持されている。そこで今回は、上記の冷たい暗黒物質の標準模型に加えて、宇宙定数を含むような模型も合わせて考察した。

 また、大規模構造の観測としては他に銀河団の数密度観測がある。重力的に束縛された系の数密度の発展に関しては、Press-Schechter理論を応用し、今回の揺らぎスペクトルに対する銀河団数密度を予言する。これを観測された銀河団個数分布と比較することで、ダブル・インフレーション模型での許容変数領域(ハイブリッド・インフレーションのポテンシャルを特徴づける結合定数λと、ニュー・インフレーションのポテンシャルを特徴づける結合定数κ)を求めた。

 さらに、このような密度揺らぎは、宇宙背景輻射の非等方性にも通常とは異なる特徴を産み出す可能性がある。これは特に1度程度以下の小角度スケールにおいて顕著であると予想されるが、COBE衛星の分解能は7度であり、詳細な比較は困難であった。ところが最近、ブーメランと呼ばれる気球実験による宇宙背景輻射観測結果が報告され、第1番目のピークの位置より、宇宙はほぼ平坦に近くインフレーションの予言を支持することが示された。しかしながら、第2番目のピークの振幅が予想以上に低いことが分かり、大きな問題を投げかけている。これを説明する方法は宇宙のバリオンの量を増やすことであるが、標準的な元素合成の制限と大きく矛盾する。本論文では、元素合成理論の予言を満たすバリオン量のもとで、冷たい暗黒物質の標準模型ではブーメランの結果を再現することはできなかったが、宇宙定数の存在を許すことで、これら全ての観測を同時に説明可能なダブル・インフレーション模型での変数領域を発見した。

2番目のピークを下げるためにバリオンを増やした場合には、3番目のピークが相対的に大きくなることが示される。一方、今回提唱されたダブル・インフレーションモデルの予言では、3番目以降のピークも下がっていくことになる。21世紀初頭に計画されている衛星実験によって、3番目のピークを含むさらに小スケールの観測が行われれば、この予言が検証可能である。

 以上のように、超重力理論におけるダブル・インフレーション模型が、銀河分布・銀河団数密度・宇宙背景輻射非等方性を同時に説明しうることを示したことが本論文の成果である。

 なお、本論文は、柳田勉、川崎雅裕、杉山直との共同研究に基づくものではあるが、数値計算およびその結果の解析は提出者が中心となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって博士(理学)を授与できると認める。

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