学位論文要旨



No 115864
著者(漢字) 川村,稔
著者(英字)
著者(カナ) カワムラ,ミノル
標題(和) GaAs/AlGaAs半導体超格子における量子ホール効果
標題(洋) Quantum Hall Effect in GaAs/AlGaAs Semiconductor Superlattice
報告番号 115864
報告番号 甲15864
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3908号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安藤,恒也
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 助教授 末元,徹
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

 強磁場におけるGaAs/AIGaAs半導体ヘテロ界面2次元電子系の振る舞いは量子ホール効果をはじめとして多くの興味深い物理を提供してきた。最近では、2層量子ホール系や多層量子ホール系など、層間結合のある擬2次元電子系において展開される現象が興味を集めている。2次元電子系は強磁場下で量子ホール効果を示すが、2次元性は量子ホール効果を起こすために必要な条件の1つと考えられてきた。本研究では、2次元面に対して垂直方向への運動の自由度を新たに加えた時に、量子ホール効果状態はどのような振る舞いをするかという問題をとりあげる。

 乱れた系における電子の局在効果はアンダーソン局在として知られている。局在状態の性質を特徴づける局在長ξ(E)は、移動度端Ecに近づくにつれて、ξ(E)〜|E-Ec|-μに従って発散的に増大する。ここでμはアンダーソン転移の臨界指数である。一般に移動度端近傍の臨界領域における系の振る舞いは次元性や系の基本的な対称性のみによって決まり、不純物ポテンシャルの詳細には依存しない。

 強磁場中の2次元電子系の状態密度は離散的なランダウ準位から成り立っている。それぞれのランダウ準位は不純物ポテンシャルのために有限の幅をもつ。幅を持ったランダウ準位のうち、準位中央の移動度端に存在する非局在状態を除いては、その他の状態はすべて局在している。擬2次元系である半導体超格子では、ランダウ準位中央に3次元的に広がった非局在状態のバンドが存在する。このため半導体超格子の磁場中におけるアンダーソン転移の振る舞いは、完全な2次元系のそれとは異なることが期待される。磁場を掃引することにより、フェルミ準位における状態は、局在-非局在-局在と変化する。フェルミ準位での状態の変化は量子ホールプラトー間遷移、または量子ホール状態-ホール絶縁体転移として抵抗の磁場依存性、温度依存性などに現れる。このような転移は2次元系では実験的にも理論的にもよく調べられており、臨界指数の逆数が1/μ=κ=0.45となることが知られている。一方、擬2次元系における磁場中のアンダーソン転移は大槻らによる数値計算に基づいた研究が報告されている。臨界指数は2次元系の場合とは異なり、1/μ=κ=0.74となることが指摘されている。

 一方、半導体超格子における量子ホール効果は、最近のカイラル表面状態の理論的な研究に関連して新たな関心を集めている。量子ホール状態では、フェルミ準位において2次元電子内部(バルク)状態は全て局在しており、試料の縁の部分の端状態のみがホール電流を運ぶという描像をとることができる。カイラル表面状態というのは、この端状態が層間結合することによって、超格子試料の側面に形成される2次元電子系である。端状態には一方向しか電流を運べないという性質(カイラル性)があるため、この表面状態では量子干渉による局在効果が抑制されると考えられている。この結果カイラル表面状態は、電気伝導度が量子伝導度よりも小さいにも関わらず、温度に対して変化しない伝導度をもった金属的な状態であることが期待される。また、カイラル表面状態に垂直な磁場を印加したときの磁気抵抗は、古典的な正の磁気抵抗を示すことが予想されている。このような温度依存性をもたない金属的伝導を示すカイラル表面状態の存在はDruistらの実験によって実証されている。

 本研究では、(1)半導体超格子の量子ホール状態-ホール絶縁体転移を実験的に調べ、擬2次元系の磁場中におけるアンダーソン転移の次元性の影響を実験的に明らかにすること、(2)半導体超格子の量子ホール効果に特徴的なカイラル表面状態の電子輸送特性を調べ、この特異な2次元系の性質を明らかにすること、を目的として実験をおこなった。

 GaAs/AlGaAs半導体超格子試料を分子線エピタキシーによって作製した。超格子部分はGaAs層(10nm)+AlGaAs層(15nm)を100層積層したものである。面内伝導測定用試料と面間伝導測定用試料の2種類の超格子試料を作製した。面内伝導測定用試料は標準的なホールバー形状に加工した。一方、垂直伝導測定用試料は断面積が50×50μm2、100×100μm2、200×200μm2、400×400μm2の4種類をメサエッチングによって作製した。測定には超伝導マグネットと希釈冷凍機を用いた。500mKから30mKの低温において、18Tまでの磁場中での電気抵抗の測定をおこなった。

(1) 図1の挿入図は面内抵抗Rxxのいくつかの異なる温度における磁場依存性である。15.8T付近ですべての曲線が一点で交わっている。この磁場よりも低磁場側では、温度を下げるとRxxが小さくなる量子ホール状態、高磁場側では、温度を下げるに従い抵抗が増大する絶縁体状態である。

 図1に温度スケーリング解析の結果を示す。上側の曲線が高磁場側、下側の曲線が低磁場側に対応する。横軸として|B-Bc|/Tκをとることによって、いくつかの異なる磁場におけるRxxの温度依存性のデータを、図1のように1つの曲線上に集約することができる。スケーリング解析の結果から、この転移の臨界指数の逆数はκ=0.30±0.05と求められる。超格子の実験から求められた臨界指数は、完全な2次元電子系での転移の実験で得られた値に近く、擬2次元系で理論的に予想された値とは異なっている。この相違の理由として、本研究で用いた試料では層間の結合が小さかったことが挙げられる。2次元系と3次元系との次元性による臨界領域での違いを実験的に明らかにするためには、より大きな層間結合をもった超格子試料での実験を行う必要がある。

(2) 面内伝導が量子ホール効果を示す磁場領域において、面間電気伝導度は急激に減少する。この磁場領域における面間伝導度は、200mK以上の高温側では試料の断面積に比例し、電流は試料内部のバルク状態を流れる。一方、100mK以下の低温では面間電気伝導度は試料の周長に比例する。この結果は低温での電気伝導度が表面状態によって支配されていることを示すものである。前者はバルクでの局在状態間のホッピング伝導の寄与が大きい温度域、後者はホッピング伝導の寄与がカイラル表面状態の伝導度よりも小さくなり、カイラル表面状態による伝導が支配的になる温度域、と解釈される。表面状態による伝導が支配的な低温域では、面間伝導度は温度に対してほぼ一定で、「金属的」ではあるが、その電気伝導率はe2/hよりもはるかに小さい。例えば、v=2については0.003e2/h程度である。また、電流がバルク状態を流れる200mK以上の高温域では、面内伝導度と面間伝導度が同じような温度依存性を示す。このことから面間、面内の両方で電気伝導の機構が同一であることが期待できる。そのような電気伝導の機構として、局在状態間のホッピング伝導の可能性が示唆される。

 量子ホール状態の面間伝導において、顕著な非線形伝導が観測された。図2は面間伝導の微分伝導度の電圧依存性を異なる大きさの3つの試料ついて測定した結果である。縦軸はそれぞれ、試料の断面積(左軸)で規格化した電気伝導率と周長(右軸)で規格化した電気伝導率を示している。微分伝導度は、高電圧域では断面積でスケール(バルク伝導)するのに対し、低電圧域では試料の周長でスケール(表面伝導)する。この電圧による、バルク伝導から表面伝導への移行は、温度依存性の場合と同様にして次のように解釈される。電圧によって活性化されているバルクのホッピング伝導度は、電圧の低下とともに減少し、やがて表面伝導度よりも小さな値をとる。ここでバルク伝導領域から表面伝導領域への移行が生じる。高電圧側のバルク伝導領域の非線形性は、局在状態間のホッピング伝導の活性化エネルギーが電圧によって実効的に小さくなる効果で説明される。一方、バルク伝導から表面伝導への移行領域よりも十分低電圧側の表面伝導領域においても非線形伝導が観測されている。表面状態は、温度依存性のない「金属的」な状態であるにも関わらず、電流電圧特性は非線形である。この低電圧側の非線形性に関しては、これまでのところ十分な解釈は得られていない。

 われわれはまた、磁場中で試料を傾けることによって層間伝導に対する平行磁場の効果を調べた。磁場を傾けると、量子ホール効果状態における面間抵抗が増大する。カイラル表面状態に対する垂直磁場(超格子に対しては平行磁場)の効果について、理論的には古典的な正の磁気抵抗が予想されているが、観測された面間抵抗の増大は、この古典的な正の磁気抵抗効果だけでは説明できない。面間抵抗を増大させる別の機構として、平行磁場によって層間結合の強さが減少する効果が挙げられる。実際に平行磁場が弱い領域での実験結果は、この機構から導かれる表式と一致しており、一見、この機構で説明がつきそうである。しかし、この表式は並進対称性を有するバルク状態の層間の飛び移りに対して与えられたものであり、これを端電流間の飛び移りに拡張するには、さらに検討が必要である。

図1: スケーリング解析の結果。挿入図は転移点近傍でのRxxの磁場依存性。

図2: 微分伝導度の電圧依存性。縦軸はそれぞれ試料の周長と断面積でスケールしている。

審査要旨 要旨を表示する

 2次元電子系は強磁場で量子ホール効果を示す.量子ホール状態は離散的なランダウ準位からなるバルク状態と系の端に局在した端状態により特徴づけられる.この論文では,超薄膜結晶成長技術である分子線エピタクシー法を用いてGaAs/AlGaAsヘテロ構造超格子を作製し,量子ホール状態におけるバルク状態の局在に対する層間結合の効果と,端状態を介した層垂直方向の電気伝導現象について実験的に研究した.

 強磁場中の2次元電子系の状態密度は離散的なランダウ準位から成り立っている.それぞれのランダウ準位は不純物ポテンシャルのために幅Гをもつ.幅を持ったランダウ準位の中で,準位中央付近に存在する非局在状態を除いて,すべての状態は局在している.この非局在状態のエネルギーをEcとすると,エネルギーEでの局在長はξ(E)∝|E-Ec|-μ(μ〓2.4)のように発散することが数値計算により示されている.このとき抵抗はρxx(B,T)=ρxx(|B-Bc|/Tκ)のように振る舞うことが期待される.ここで,Bは磁場,Bcはフェルミ準位が非局在状態Ecと交差する磁場,Tは温度である.また,臨界指数κは動的臨界指数zを用いてκ=1/zμと表される.このような抵抗の磁場依存性や温度依存性は実験的によく調べられており,1/κ〜0.45,z〜1となることが知られている.

 2次元電子系を平行に並べた超格子構造を作ると,層垂直方向の結合により2次元から3次元系へと変化する.このような系での磁場中のアンダーソン転移については大槻らによる数値計算に基づいた研究が報告されている.それによれば,層垂直方向のバンド幅がゼロでなくなると,2次元の場合1点のみで存在した非局在状態が各ランダウバンドの中でゼロではない幅をもち,その幅はバンド幅とともに増大する.また,局在状態と非局在状態の境界である移動度端付近での臨界指数μもバンド幅とともに変化する.

 この研究の目的の一つはこの局在効果の次元による違いを実験的に明らかにすることである.そのために分子線エビタキシーを用いてGaAs/AlGaAs半導体超格子試料をいくつか作製した.量子ホール効果を観測するための試料は磁場強度に対応した電子濃度や高い移動度など強い制約を受ける.試行錯誤を繰り返した結果,最適な試料一つを作製することに成功した.その試料は,厚さ10nmのGaAs層と厚さ15nmのAlxGa1_xAs層(x=0.15)を100層交互に積層したものである.この系の層垂直方向のバンド幅は0.12meVと見積もられる.標準的なホールバー形状に加工し,測定には超伝導磁石と希釈冷凍機を用い,500mKから30mKの低温において,18Tまでの磁場中での電気抵抗の測定をおこなった.

 その結果は,数値計算による理論的予言とは異なり,非局在状態の幅が広がらないことを示した.さらに抵抗の温度と磁場依存性に対するスケーリング解析の結果,臨界指数はκ-1=0.30±0.05と求められた.この臨界指数は,z=1と仮定すると完全な2次元電子系で得られた値に近く,超格子で理論的に予想された値とは異なっている.残念ながら理論と実験の不一致の原因は不明のままである.

 量子ホール状態では,フェルミ準位でのバルク状態は全て局在しているが,試料の縁の部分には縁に沿って一方向にのみ運動する端状態が存在する.この端状態が層間結合すると,超格子試料の側面に沿って層内方向に一方向にのみ運動し,層間方向に1次元的な運動を行う2次元的なカイラル表面状態が形成される.このカイラル表面状態には局在効果が存在しない.実際,この状態が温度に依存しない金属的伝導を示すことが以前にDmistらの実験によって実証されている.カイラル表面状態に垂直な磁場を印加したときの磁気抵抗は古典的な正の磁気抵抗を示すことが予想されているが,それを示した実験結果はまだ報告されていない.

 この研究では前述のGaAs/AlGaAs超格子を用いて,垂直伝導測定用に断面積が50×50μm2,100×100μm2,200×200μm2,400×400μm2の4種類の試料をメサエッチングによって作製した.面内伝導が量子ホール効果を示す磁場領域において,面間電気伝導度は温度の減少とともに急激に減少し,100mK以下の低温で温度に依らない一定値になる.垂直伝導度は,高温側では試料の断面積に比例し,低温では試料の周長に比例する.この結果は低温での電気伝導度がカイラル表面状態によって支配されていることを示すものである.

 垂直伝導は顕著な非線形伝導を示す.微分伝導度は高電圧域では断面積でスケールし,低電圧域では試料の周長でスケールする.高電圧域での非線形性はバルク状態のホッピング伝導度によるものと理解されるが,低電圧域で観測されるカイラル表面の示す非線形性の原因は理解されていない.

 さらに,磁場中で試料を傾けることによって平行磁場を加える実験を行い,カイラル表面状態の垂直抵抗が増大することを示した.磁気抵抗の詳細な解析により,この正の磁気抵抗は理論的に予想されていた効果ではなく,むしろ平行磁場による層間結合の減少によることを明らかにした.理論的に予言されている効果が現れない理由は不明である.

 以上,この論文では,GaAs/AlGaAs超格子を作製し,量子ホール領域における層平行方向及び層垂直方向の電気伝導の詳細な測定を行い,バルク状態の局在効果に対する層間結合の効果,強磁場特有の端状態からなるカイラル表面状態の垂直伝導とその磁気抵抗効果を実験的に明かにした.得られた実験結果は新しく重要な理論的課題を豊富に提供している.このように,本論文は博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した.

 なお,本論文の主たる業績は,家泰弘教授,勝本信吾助教授らとの共著の形ですでに公表され,また公表予定であるが,実際の実験の遂行や結果の解析などにおいて学位申請者の寄与が重要であると認められた.

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