学位論文要旨



No 115865
著者(漢字) 久保田,あや
著者(英字)
著者(カナ) クボタ,アヤ
標題(和) ブラックホール周りの光学的に厚い降着円盤のX線を用いた研究
標題(洋) X-ray Study of Optically-thick Accretion Disks around Stellar Black Holes
報告番号 115865
報告番号 甲15865
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3909号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 井上,一
 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 助教授 半場,藤弘
 東京大学 助教授 中村,典雄
 東京大学 助教授 茂山,俊和
内容要旨 要旨を表示する

1 はじめに

 X線観測の発展に伴い、ブラックホール(BH)が実際に存在することは今日、疑いのないものとなってきた。BHは物質を降着することによる重力エネルギーの解放で明るく輝いていると考えられるが、BH周りの物理は重力半径(Rg=2GM/c2;Gは重力定数、MはBH質量、cは光速)によって規格化されるため、その放射はBH質量にあまりよらずX線領域にあらわれる。したがって、X線観測はBH研究のもっとも有効な手段といえる。本論文では、伴星からの質量降着によってX線で明るく輝いている、BH連星を扱う。

 BH連星は、ソフト状態とハード状態という二つの特徴的なスペクトル状態を示す。ハード状態ではベキ型の硬いスペクトルを示すのに対し、ソフト状態では弱いハードテイルを伴った1keV程度のソフトな明るいスペクトルを特徴とする。過去30年にわたる研究により、ソフト状態のスペクトルはBH周りに形成された光学的に厚い降着円盤からの多温度の黒体輻射の重ね合わせであることが示唆され、そのスペクトルはShakura-Sunyaev(1973)による理論的な標準降着円盤の解に極めてよくあてはまることが多くのBH連星において確認された。特に、観測で得られた降着円盤の最内縁の半径Rinが、シュバルツシルトBHにおける最も内側の安定軌道(6Rg)によい一致をみせること、および明るさが一桁以上変化してもRinが一定に保たれるという2点において、BH連星に関する我々の理解が基本的に正しいことが証明されてきた。

2 論文の目的

 このように、ソフト状態にあるBH連星のX線スペクトルは、標準降着円盤で完全に理解できるように思われた。しかし最近、「あすか」衛星およびRXTE衛星によって、ある種のBH連星は、標準降着円盤では理解できない挙動を示すこと観測されはじめた。観測の進歩とあい前後して、降着円盤に関するさまざまな理論が提唱され(Abramowicz et al.1989,Narayan & Yi.1995)、標準降着円盤は一定の条件下でのみ成り立つことが認識されるようになった。本論文の目的は、観測的技術が発達し、また理論的にさまざまな予測がなされている現在において、標準降着円盤がどこまで実際のBH連星において成り立ち、どこで崩れるのか、また崩れるとするとその原因は何かを、明らかにすることにある。この目的のために、我々は「あすか」衛星搭載のGIS検出器および、RXTE衛星搭載のPCA検出器を用いて、銀河系およびマゼラン雲に存在する8つのBH連星(Cyg X-1,LMC X-1,LMC X-3,GX 339-4,XTE J2012+381,GRS 1009-45,GRO J1655-40,and XTE J1550-564)のスペクトル解析を行なった。

3 標準降着円盤の成立とやぶれ

 標準降着円盤は、降着物質の重力エネルギーが円盤中の粘性摩擦によって熱に変換され、それが効率良く輻射されるという理論的モデルであり、降着物質がもつ重力エネルギーの半分が放射される。したがって、この場合、観測されるスペクトルは円盤の内側の半径Rinと温度Tinで完全に記述することができる。図1に二つの代表的なBH連星(LMC X-3とGRO J1655-40)について、得られたTinとRin(左)、およびTinとLdisk(右)の関係を示す。両者はともに同程度のBH質量(6-7M〓)と軌道傾斜角iをもつBHであるのに、その振舞いはきわめて異なる。LMC X-3はTinの変化に関わらずRinが一定に、しかもほぼ6Rg(6M〓では52km)に一致していることがわかる。このときLdiskは最大で〜7×1038erg s-1(〜0.7-0.8LE)まで達している(図1右)。これに対しGRO J1655-40はTin<Tc〜1.2keVではRin一定が保たれ、標準的な振舞いを見せるが、その値はLMC X-3の半分程度に留まっている。

 さらに、GRO J1655-40ではTinが1.2keVに近付くと、Tin-Ldisk上でLdiskが飽和する現象が見られるが、その値はこの天体のエディントン限界光度LEの1/10-1/7に過ぎない。このときスペクトルにはハードテイルの急激な増加が見られ(図2上)、これに伴いTinもRinもに大きく変動する(図3●)。我々は、慎重なスペクトル解析を行なった結果、このハードテイルの増大が、急激なコンプトン散乱成分の増加によるものであること、コンプトン散乱体は電子温度10keVで光学的厚み2程度であること、それは光学的に厚い円盤をサンドイッチするように、空間的もしくは時間的に部分的にカバーしているということをつきとめた。コンプトン散乱の効果を補正すると、円盤の二つのパラメータTinとRinは実際は極めて一定に保たれていることもわかった(図2b、図3○)。すなわち、この状態は、標準降着円盤が破れはじめる現場であると考えられる。

 さらに質量降着率Mが上がり、Ldisk>Lc(Tin>Tc)の段階に達すると、上記の散乱成分は消え、再び光学的に厚い円盤からの放射が卓越してくる。しかし、我々はこの段階では、円盤の放射効率が標準状態に比べ著しく低下していることを発見した。これは、Tin-Ldisk上において、温度に対するLdiskの飽和として観測される。このような状態に対して、温度の半径依存性を調べたところ、標準降着円盤にくらべて、円盤の内側における温度の上昇率の低下すなわち内側での放射効率の低下が見られた。これは理論で予測されるアドヴェクション冷却優勢の降着流の描像にきわめてよく一致する。

 これらを総合することで、以下のように統一的描像を得た。すなわち、BHは各々に特有な臨界光度Lcをもち、それ以下では標準降着円盤が精度よく成り立つ。LdiskがLcに近付くと、安定な標準降着円盤の解が破れはじめ、散乱成分に代表される、不安定性が見えはじめるが、光学的に厚い円盤自体は標準状態とほぼ同じ配置を保つ。さらにMが上昇すると、散乱成分は消え、別の安定解に移行する。その安定解は標準状態に比べると輻射効率が悪く、アドヴェクションによる冷却が効いた状態と結論できる。

4 臨界光量とBHの回転

 すでに述べたように、GRO J1655-40などではLcはLEに比べて、一桁近く低い。では、何がLcを決めているのだろうか。LMC X-3とGRO J1655-40を比較すると、GRO J1655-40で、標準状態が破れはじめる温度TcとはLMC X-3で観測されたTinの上限とほぼ等しいことから、Lcの値そのものよりも、温度が標準円盤の安定性を決めると考える方が自然である。したがって、標準状態でGRO J1655-40のRinがLMC X-3の値より小さいという事実が、前者における低いLcの原因であると結論される。では、Rinの違いは何に起因するのだろうか。これまではシュバルツシルトBHを考え、Rin=6Rgとしてきたが、実際にはさまざまな回転のBHがあると考える方が自然である。回転するBHまわりの順回転の降着円盤では、Rinはより小さく(もっとも極端な場合は1Rg)なり、したがって同じ光度でも、シュバルツシルトBHの場合に比べてTinがより高くなる。このことから我々は、GRO J1655-40など低いLcで標準状態の破れを示すBH連星は降着円盤に対して順方向に早い回転を持つカーBHであると結論した。

図1: 〜LcにおけるLMC X-3(□)とGRO J1655-40(●と○)Tinに対するRin(左)Ldisk(右)の関係。○はコンプトンの補正を加えたもの。

図2: 〜LcにおけるGRO J1655-40のスペクトル。ハードテイル+MCD(上)とコンプトン成分を加えたもの(下)

図3: 〜LcにおけるTin(上)とRin(下)の時間変化。★は図2の(上)に対応し、○は(下)に対応。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり、第1章:導入部、第2章:観測対象の背景概説、第3章:観測装置概説、第4章:観測とデータ整約、第6章:データ解析と結果、第6章:議論、第7章:結論、となっている。本論文では、伴星からの質量降着によってX線で明るく輝いている、ブラックホール(BH)連星が扱われている。BH連星は、ソフト状態とハード状態という二つの特徴的な状態を示す。ハード状態ではベキ型の硬いスペクトルを示すのに対し、ソフト状態のスペクトルはBH周りに形成された光学的に厚い降着円盤(標準降着円盤)からの多温度の黒体輻射の重ね合わせでよく再現される。そして、観測で得られた降着円盤の最内縁の半径Rinが、シュバルツシルトBHにおける最も内側の安定軌道(6Rg)によい一致をみせること、および明るさが一桁以上変化してもRinが一定に保たれるということが示されてきた。しかし最近の観測によって、ある種のBH連星では、一見Rin一定が破れることが示されはじめた。本論文の目的は、Rin一定がどこで破れるのか、また破れるとするとその原因は何かを、明らかにすることにある。この目的のために、ここでは「あすか」衛星、および、RXTE衛星を用いて、銀河系およびマゼラン雲に存在する8つのBH連星のスペクトル解析が行われている。

 標準降着円盤からのスペクトルは、円盤の最内縁の半径Rinと温度Tinで完全に記述することができる。2つの量の関係が、主に、二つの代表的なBH連星(LMC X-3とGRO J1655-40)に対して詳しく調べられた。LMC X-3ではTinの変化に関わらずRinが一定に、しかもほぼ6Rgに一致していることがわかった。このとき降着円盤からのX線光度は最大でエディントン限界光度の約0.7から0.8倍にまで達している。

 これに対しGRO J1655-40はTin<Tc〜1.2keVではRin一定が保たれ、標準的な振舞いを見せるが、Rinの値はLMC X-3の半分程度である。Tinが1.2keVに近付くと、X線光度が飽和する現象が見られるが、その値はこの天体のエディントン限界光度LEの1/10-1/7に過ぎない。このときスペクトルにはハードテイルの急激な増加が見られ、これに伴いTinもRinも大きく変動する。慎重なスペクトル解析の結果、このハードテイルの増大が、急激なコンプトン散乱成分の増加によるものであることが示された。そして、コンプトン散乱の効果を補正すると、円盤の二つのパラメータTinとRinは実際は極めて一定に保たれていることもわかった。さらに質量降着率が上がり、Ldisk>Lc(Tin>Tc)の段階に達すると、上記の散乱成分は消え、再び光学的に厚い円盤からの放射が卓越してくる。しかし、このような状態に対して、温度の半径依存性が調べられ、標準降着円盤にくらべて、円盤の内側における温度の上昇率の低下すなわち内側での放射効率の低下が見られることが示された。これは理論で予想する移流冷却優勢降着流の描像にきわめてよく一致する。

 これらを総合することで、論文提出者は以下のような統一的描像を得た。BHは各々に特有な臨界光度Lcをもち、それ以下では標準降着円盤が精度よく成り立つ。LdiskがLcに近付くと、安定な標準降着円盤の解が破れはじめ、散乱成分に代表される、不安定性が見えはじめるが、光学的に厚い円盤自体は標準状態とほぼ同じ配置を保つ。さらに質量降着率が上昇すると、散乱成分は消え、別の安定解に移行する。その安定解は標準状態に比べると輻射効率が悪く、移流冷却が効いた状態と考えられる。

 さらに論文提出者は、GRO J1655-40における標準状態が破れ始める光度Lcが、LMC X-3の光度の上限より数倍小さいことの考察を行っている。そして、GRO J1655-40における標準状態が破れ始める温度TcがLMC X-3で観測されたTinの上限とほぼ等しいことから、Lcの値そのものよりも、Tcが標準円盤の安定性を決めると考え、GRO J1655-40の標準状態のRinがLMC X-3の値より小さいという事実が、前者における低いLcの原因であると考えている。そして、BHの回転(カーBH)を考えれば、Rinが6Rgより小さくなり得る可能性を論じている。

 以上、論文提出者は、最近観測的に明らかになってきたBH連星スペクトルの標準降着円盤モデルからのはずれに対し、説得力のある現象論的解釈を加え、降着円盤理論の予想と見事な対応付けを行った。これらは、学位論文として十分に価値あるものである。なお、本論文の第5章の一部と第6章の一部は牧島一夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および考察を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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