学位論文要旨



No 115877
著者(漢字) 都丸,隆行
著者(英字)
著者(カナ) トマル,タカユキ
標題(和) 重力波レーザー干渉計における熱レンズ効果の研究
標題(洋)
報告番号 115877
報告番号 甲15877
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3921号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 久保田,実
 東京大学 助教授 勝本,信吾
 東京大学 教授 坪野,公夫
 国立天文台 教授 藤本,眞克
 国立天文台 助教授 川村,静児
内容要旨 要旨を表示する

 重力波を直接検出する試みは1969年のJ.Weberによる共振型重力波検出器に始まるが、未だ成功していない。しかし、近年の大基線長レーザー干渉計型重力波検出器の登場により、直接検出までもう一歩というところまで来ている。レーザー干渉計型重力波検出器は共振型に比べ観測帯域が数10Hzから1kHzと広いところに長所があり、重力波の波形を直接見ることができると期待される。おもな検出対象は中性子連星の合体や超新星の爆発などである。これらの現象はイベント発生率が低いので、検出器の感度を上げて遠方のイベントまで観測できるようにする事が重要である。例えば中性子連星合体では、200Mpcまでの領域をカバーすれば1年に数イベント観測できると予測される。

 レーザー干渉計型重力波検出器の主要な感度限界は地面振動、鏡とサスペンションの熱雑音、フォトンショットノイズである。現在の干渉計で多用されている溶融石英鏡はQ値が十分でなく熱雑音が問題となるので、次世代の干渉計型重力波検出器では、Q値の大きいサファイアを鏡基材として用いることが計画されている。低温レーザー干渉計型重力波望遠鏡(LCGT)計画ではさらに一歩進んで、熱雑音の小さいサファイア鏡を極低温に冷却し、大幅に熱雑音を下げることを目指している。すでに基礎研究で十分熱雑音を低減できることが示されている。

 低温サファイア鏡による熱雑音低減が明らかになった現在において、サファイア鏡実用化の最大の懸案事項は熱レンズ効果によるショットノイズ感度の悪化である。熱レンズ効果は鏡を透過する光の波面形状を歪めるので、Fabry-Perotキャビティー(アームキャビティーおよびリサイクリングキャビティー)におけるモードマッチング率を低下させる。(図1参照。)この結果、アームキャビティーに蓄積される実効的な光パワーが減少し、フォトンショットノイズが悪化する。

 熱レンズ効果により透過光波面の歪みが引き起こされるメカニズムは、鏡基材における光吸収が鏡内に温度分布を引き起こし、屈折率の温度依存性に伴って屈折率分布を生じるというものである。これを定式化すると熱レンズ効果による波面歪みの大きさδsは、

で特徴づけられる。(熱レンズ効果のcharacteristic factorと呼ぶ。)ここでεは鏡の光吸収率、κは熱伝導率、dn/dTは屈折率温度係数である。サファイア鏡で熱レンズ効果が危惧される理由は、光通信技術の発達で極めて低光損失化が進んだ溶融石英に比べクオリティーが十分でなく、現段階では光吸収率が大きいためである。このため、サファイア鏡のクオリティーを向上させ、光吸収率を小さくすることで熱レンズ効果による波面歪みを小さくしようとする研究が現在いくつかのグループで開始されている。

 我々が開発を進めている低温サファイア鏡では、基材の熱伝導率が非常に大きくなるため、熱レンズ効果問題を本質的に解決できる可能性がある。このようなアプローチで熱レンズ効果を解消しようとする試みは本研究が世界で最初である。本研究の目的はサファイア鏡の低温化で熱レンズ効果が本質的に解消され、熱雑音だけでなく熱レンズ効果に関しても室温サファイア鏡より低温サファイア鏡の方が有利であることを定量的に示すことにある。

 熱レンズ効果が干渉計の感度にどの程度影響するかを実験的に確かめるためには、次世代の干渉計そのものが必要になってしまうので、その評価は計算に頼らざるえない。熱レンズ効果の干渉計感度への影響を計算する最もよい手段は、波面追跡シミュレーション(FFTシミュレーション)を行うことである。FFTシミュレーションを用いて熱レンズ効果の影響を調べる試みは簡単な干渉計モデルではなされたことがあった。しかしこの干渉計モデルには干渉計の非対称性やサイドバンドなどが含まれておらず、実際の重力波検出器のモデルとしては不十分なものであった。本研究では初めて実際の重力波検出器を完全にモデル化したFFTシミュレーションを使用し、熱レンズ効果により干渉計感度がどの程度低下するかを正確に推定した。このような正確な計算が可能となったのは、近年の計算機パワーの進歩によるところが大きい。

 FFTシミュレーションを用いて干渉計感度を計算するためには、熱レンズ効果により引き起こされる波面歪みの大きさを求めておかねばならない。サファイアで引き起こされる波面歪みの大きさは小さいので、通常の実験条件では直接波面歪みを測定することが難しい。そこで熱レンズ効果に寄与する3パラメータ(光吸収率、熱伝導率、屈折率温度係数)を用いて波面歪みの大きさを計算で求める方法を用いた。まず最初に鏡で光吸収が生じた時に引き起こされる透過光波面の歪みを計算するコードを製作し、実験と比較することでこのような推定方法が正しいかどうかを調べた。検証実験では光吸収率が大きく屈折率温度係数も大きいアクリルサンプルを用い、直接透過光波面の歪みを測定した。この結果計算と測定が良くあっていることを確認し、このような熱レンズ効果の推定法が正しいことを確認した。

 次にこの計算コードを用いてサファイア鏡における透過光波面の歪みを見積もった。室温サファイア鏡基材に関しては熱レンズ効果の3パラメータ(光吸収率、熱伝導率、屈折率温度係数)がすでに知られているので、容易に波面歪みを計算することができた。低温サファイア鏡基材に関しては光吸収率や屈折率温度係数のデータが明らかでなく、また熱伝導率に関してはサンプルのクオリティーに依存して大きく異なる。そこで低温サファイア基材の光吸収率、熱伝導率、屈折率温度係数の3パラメータは実測し、波面歪みを計算した。

 低温サファイアの光吸収率測定では、レーザーカロリメトリー法を用い、低温で光吸収率を精度良く測定できるシステムを開発した。測定で使用したサンプルは直径10mm、長さ150mmのCSI whiteサンプルと直径100mm、長さ60mmのHemliteサンプルの2種類である。両サンプルともHeat Exchange法で製作されたものであり、サンプル呼称の違いは屈折率の一様性で決められている?測定の結果両サンプルとも1.064μmの光吸収率は90ppm/cm程度であり、室温のサファイアと同程度であることが分かった。また、溶融石英と比べて1桁以上光吸収率が大きく、発熱が大きくなることが分かった。サファイアサンプルの蛍光スペクトル測定により、これらのサンプルにはチタンイオンやクロムイオンの不純物が含まれている事が確認されたが、1.064μmの光吸収源の特定までには至らなかった。

 低温におけるサファイアの熱伝導率は室温に比べて数100倍大きい事が知られているが、結晶の品質によりその値が大きく異なるため、鏡基材で使用するような大きいサンプルで室温より十分大きい熱伝導率が得られることを確認する実験を行った。測定ではCSI whiteサンプルを使用し、サンプルの一端を加熱し、両端の温度差を測定する方法で実験を行った。測定の結果、データブックで報告されている最も熱伝導率が大きい例よりは熱伝導率が小さいものの、室温の値に比べれば100倍ほど熱伝導率が大きい事を確認した。この結果によりサファイア鏡を低温で使用すれば室温で使用するより2桁も温度分布をつくりにくくなる事が分かった。

 最後に低温サファイアの屈折率温度係数測定を行った。測定ではHemliteサンプルを用い、サンプルに温度変化させたときの透過光の屈折角変化を測定する方法で実験を行った。結果はサンプルの熱変形で制限されてしまったが、室温のサファイアより少なくとも2桁屈折率温度係数が小さいことが分かった。このことからサファイア鏡を低温に冷却すれば鏡内に屈折率分布を起こしにくくなることが分かった。

 以上の測定結果より、低温サファイア鏡における波面歪みの大きさを計算することができた。室温サファイア鏡、溶融石英の場合と併せて、表1に各パラメータと熱レンズ効果のcharacteristic factorの一覧を示す。室温のサファイア鏡を用いた場合は熱レンズ効果により溶融石英と同程度の波面歪みを引き起こし、サファイア鏡を低温まで冷却すればこれらの場合より4桁も波面の歪みを小さくできる事がわかった。

 さらに、干渉計感度への影響を定量的に調べるため、FFTシミュレーションに熱レンズ効果による波面歪みのデータを取り入れて評価を行った。この結果、室温でサファイア鏡を使用し、干渉計に入射する光パワーが100Wである場合には熱レンズ効果による波面歪みでエンドミラーやリサイクリングミラーとのモードマッチング率が低下し、アームキャビティーに蓄積される全光パワーが68%も低下することが分かった。この影響で干渉計のショットノイズ感度は1.8倍悪化することが分かった。さらに両アームでの光吸収率に非対称性があると、ビームスプリッターで光が再結合される際のモードマッチング率が低下し、さらにショットノイズ感度が悪化することが分かった。一方で極低温に冷却したサファイア鏡を使用した場合では、熱レンズ効果による波面歪みは無視できるほど小さく、ショットノイズ感度の悪化は生じないことがわかった。

 したがって、低温サファイア鏡を用いれば現在の光吸収率であっても事実上熱レンズ効果による波面の歪みは生じず、検出器感度の悪化は起こらないと結論づけられる。

 まとめとして、干渉計型重力波検出器(低温および室温)の総合的な感度曲線を図2に示す。低温サファイア鏡を用いた検出器では鏡および振り子の熱雑音が大幅に低減し、ラディエイションプレッシャーノイズのレベルまで感度が向上する。ラディエイションプレッシャーノイズは光子圧力の揺らぎに起因するノイズなので、鏡を重く(大きく)して低減を図る必要がある。一方室温サファイア鏡を用いた検出器では熱レンズ効果による波面歪みの影響でショットノイズ感度が低下し、主に高周波側の感度が悪化する。これらの影響を総合的に考えると、低温干渉計では室温干渉計に比べて100Hzで2.3倍感度が良くなる。この感度は、200Mpc彼方の中性子連星合体イベントから放射される重力波を検出することが可能な感度である。検出可能なイベント数は感度の3乗(つまり検出器がカバーする体積)に比例するので、低温干渉計では室温干渉計に比べて約1桁検出対象が増える。このことはイベント発生率の低い重力波観測にとって大きな利点である。

 今後の課題として、大きいサファイア結晶で高い屈折率一様性を達成することや高精度の研磨・コーティングを可能にすること、鏡の冷却と防振の両立などが挙げられるが、本研究によりサファイア鏡で最大の懸案事項であった熱レンズ効果問題を鏡の冷却で本質的に解消できることが示されたので、LCGT実現に向け、そして重力波の最初の検出に向け大きく前進したと結論づけられる。

図1:熱レンズ効果による波面の歪みと鏡とのモードミスマッチ。

表1:熱レンズ効果で重要なパラメータの一覧。

図2:室温および低温のサファイア鏡を用いた場合のレーザー干渉計型重力波検出器の感度曲線。干渉計入射光パワー100W、基材光吸収率90ppm/cm、吸収率非対称性士30%とした。室温の干渉計では熱レンズ効果によるショットノイズ感度の悪化の影響を、低温の干渉計では鏡および振り子の熱雑音低減の効果をそれぞれ取り入れている。低温干渉計のショットノイズ感度曲線は理想的な干渉計のショットノイズ感度曲線に一致している。

審査要旨 要旨を表示する

 本論分は全10章からなり、以下の様な章の構成となっている。

第1章 (序章)

第2章 重力波の一般論と検出原理

第3章 千渉計の鏡とレンズ効果問題

第4章 熱レンズ効果による波面歪みの計算モデル

第5章 熱レンズ効果による波面歪みの計算の検証

第6章 サファイアの光吸収率測定

第7章 サファイヤ基材の熱伝導率測定

第8章 サファイヤの鏡基材の屈折率温度係数測定

第9章 Fabry-Perot千渉計型重力波検出器における熱レン効果

第10章 (結論)

付録

 アインシュタインの一般相対性理論でその存在が予言された重力波は、未だその直接観測は行われていない。本論文は、序章で重力波観測の意義とその検出までの技術的問題点を議論し、本研究の位置づけを示した。第2-3章は本論文の主題である重力波の特性とレーザー干渉計型重力波検出器の原理、検出感度限界について議論したものである。想定する重力波の発生源と種類、それらの発生頻度と検出頻度を議論した後、世界各地で現存する或いは、計画されている重力波検出器の比較検討特徴付けを行った。その中で、中性子連星合体や超新星の爆発などの現象による重力波を高頻度で観測する為の条件を検討した(第2章)。

 既に、干渉計型重力波検出器の熱雑音を取り除く事の重要性は検討され、極低温にレーザー千渉計型重力波検出器を冷やす事は、「低温レーザー干渉計型重力波望遠鏡(LCGT)計画」での検討が重ねられているが、これまで熱レンズ効果についての検討はされなかった。この解明が本論文の主たる課題である。

 熱レンズ効果とは、レーザー干渉計型重力波検出器の干渉計鏡で生じる光吸収が鏡内に温度分布を生じさせ、この結果鏡内に屈折率分布を引き起こしてしまう現象である。

 熱レンズ効果による波面のひずみの大きさδsは

と表される。ここでεは鏡の光吸収率、κは熱伝導率、dn/dTは屈折率の温度係数である(第3章)。これから明らかなように熱レンズ効果は、鏡材質のε,κ,dn/dTなどの物性に依存する。各種鏡材質の比較検討を行い、サファイヤが、大きな結晶が得られないダイヤモンドなどを除外した物質中、現時点で、唯一の現実的材質である事を確認した(第3章)。

 熱レンズ効果の影響を定量的に見積もるため、本論文ではレーザー干渉計型重力波検出器のレーザー回路の波面解析を行った。これは、熱レンズ効果によってビーム波面の歪みが検出器の感度にどの様に影響を与えるかを調べるもので、波面追跡シミュレーション(FFTシミュレーション)をこの目的のため世界に先駆けて行った。この方法は、複雑な形状の波面を空間周波数成分に展開し、各空間周波数成分の伝搬を追跡することで干渉計内の光の様子を調べるものである。この波面解析は、米国の共同研究者が開発した特殊なpmgrammを使いこなす事で実現したが、実際の実験条件に合わせて解析を行う事は、容易ではなく本論文提出者の技術と経験によってはじめて実現した(第4章)。この波面解析計算手法の正当性は、実験と見積計算が容易に比較できる、即ち明らかに熱レンズ効果が起こることが想定されるアクリルサンプルを用いて検証した(第5章)。

 実際に計画している低温度でのサファイア鏡の場合にどの様になるかを調べるため、実際の物理パラメータ、即ち、光吸収率、熱伝導率、屈折率の温度係数を実際の干渉計を動作させる極低温温度領域で実測し(第6,7,8章)、極低温度での熱レンズ効果の影響を上記波面解析によって具体的に見積もった(第9章)。この結果、低温に干渉計鏡を冷却する事によって熱レンズ効果も問題ではなくなり、低温レーザー千渉計型重力波検出器の総合的感度曲線を10-1,000Hzの広範な周波数帯で見積もることが出来、これで中性子連星の合体や超新星の爆発による重力波の観測が現実に期待されることを示した。

 なお、本論文第6章の内容は、別にPhysics LettersA(2001)に出版見込みである。

本論文提出者、都丸隆行の他Takashi Uchiyama,Daisuke Tatsumi,Shinji Miyoki,Masatake Ohashi,Kazuaki Kuroda,Toshikazu Suzuki,Akirz Yamamoto,amd Takakazu Shintomi,との共同研究であるが、第1著者である本論文提出者が主体となって実験、解析、著述を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断された。

 又、本論文の他の部分も別に同様の出版予定との報告があった。ここでも本論文提出者の寄与が十分であると判断された。

 従って、本審査委員会は、本論文提出者、都丸隆行に対し、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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