学位論文要旨



No 115879
著者(漢字) 豊田,晃久
著者(英字)
著者(カナ) トヨダ,アキヒサ
標題(和) オルソパラ状態をコントロールした固体重水素におけるミュオン触媒核融合の研究
標題(洋) Studies ofmuon-catalyzed fusion in ortho-para controlled solid D2
報告番号 115879
報告番号 甲15879
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3923号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 片山,一郎
 高エネルギー加連器研究機構 教授 赤石,義紀
 東京大学 教授 片山,武司
 東京大学 教授 高瀬,雄一
内容要旨 要旨を表示する

 ミュオン触媒核融合(μCF)は、負ミュオン(以下ミュオン)を水素同位体中に入射することによって核融合を促進する手法である。そのなかでも重水素中でのミュオン触媒核融合(dd-μCF)は重水素と三重水素の混合系(D-T系)でのμCF(dt-μCF)と並んで盛んに研究が行われている系である。そのダイアグラムを図1に示す。物質中に打ち込まれたミュオンは、非常に早いレート(液体水素密度4.25x1022cm-3で〜1010sec-1、以下で同様に規格化)でミュオン重水素dμを形成する。生成されたdμは超微細構造Fをもち、その各々の状態F(3/2もしくは1/2)にあるdμが、他の重水素と衝突して共鳴的にミュオン分子ddμを形成する。ミュオン分子は普通の分子より約200倍小さいので、数ナノ秒で核融合を誘起する。核融合後にミュオンは再び放出され、上記の過程をミュオンが電子に0.455μs-1で崩壊するか、ヘリウムに捕獲されるまで繰り返す。これをミュオンサイクルと呼ぶ。このサイクル率を上げることがμCFにおける最重要課題である。

 本実験では、重水素の状態を変えることによって、サイクル率において最も重要な過程の一つであるdμのF=3/2からの共鳴的分子生成の様子に影響を与えることを目指す。共鳴的分子生成に影響を与え得る重水素の状態には、温度、密度、相、回転状態、振動状態などがある。重水素のオルソパラ状態は原子核のスピンの組合せでできる分子のスピン状態であり、オルソ重水素はスピンI=0,2の状態、パラ重水素はスピンI=1の状態に対応する。また粒子交換に対する対称性より、オルソ重水素は回転量子数Jが偶数に限られ、パラ重水素はJが奇数に限られる。よって、オルソパラ変換により回転状態に影響を与えられる。本実験は重水素の回転状態を変化させてその影響を観測した初めての実験である。

 従来のdd-μCFの理論は、固体領域ではほとんど核融合が起きないと予測していた。その理由は、共鳴を起こすには、固体温度の熱エネルギーまで減速されたdμ原子の運動エネルギーが足りなくなるからである。ところが、最近固体領域でも液体領域と同じぐらい核融合が起きていることが実験によって発見された[1,2]。dd-μCFの理論は、液体気体の領域では非常に良く実験を再現するため、これは非常に驚くべき結果である。この実験結果を説明するために新たに幾つかの固体特有の効果を考慮した理論[3,4,5]が提示されている。これらの理論はそれぞれ実験を再現することが分かっており、どの理論が主要であるかは全く分かっていない。本実験は重水素のオルソパラ比を変えることにより新たな実験的情報を与え、固体領域におけるdd-μCFの現象を解明することを目的とする。

 図1内に示すμCFのパラメーターを決定するために我々は3.02MeV核融合陽子を観測した。その他にビーム量の規格化の目的で、重水素にミュオンが捕獲される際に放出される特性X線(2.0keV)を測定した。

 本実験ではRIKEN-RALミュオン施設のポート3およびTRIUMF M9Bにおいて実験を行った。標的は固体重水素、温度3.5(1)Kを採用した。放出される核融合陽子を全て観測するために、厚さ280μmのフォイル状標的を用意した。解媒(Al20370%,Cr20330%)の温度をコントロールすることにより、RIKEN-RALミュオン施設では99.9土0.4%オルソ、TRIUMFでは99.7±0.4%オルソの重水素を作成した。またオルソパラ比の熱伝導度依存性を利用することで、生成された重水素ガスのオルソパラ比を測定した。オルソパラ状態による影響の確認のためにオルソ66.7%重水素のデータを取り、バックグラウンドの除去のために標的無しのデータを取った。

 図2に標的近辺の装置配置図を示す。核融合陽子を測定するためのSilicon Surface Barrier検出器、特性X線を測定するためのSi(Li)検出器、ミュオン崩壊電子を測定するためのシンチレーション検出器を設定した。

 図3に典型的なX線エネルギースペクトルを示す。標的が存在する場合において、2.0keVに目的のピークがあることが分かる。図4に陽子検出器で観測されたエネルギーの分布を示す。本実験では粒子識別の目的ΔE検出器(厚さ25μmおよび40μm)とE-ΔE検出器(厚さ150μm)を用いた。ここでΔEは一枚目の検出器で失われる粒子のエネルギー、Eは1組の検出器で失われる粒子のエネルギーである。標的がある場合に、(ΔE,E-ΔE)=(1.0MeV,0.6MeV)から(0.5MeV,2.5MeV)にかけて核融合陽子が存在することが分かる。ただし、ミュオンが原子核に捕獲される際に放出される陽子も若干混在するので(S/N〜2.5)、空の標的のデータを用いてその影響を除いた。図4右に実際のフィットの様子を示す。4つの自由パラメータとしてF=3/2からの共鳴的分子生成率λ2/3、F=3/2から1/2への超微細遷移率λ3/21/2、ミュオン崩壊以外のミュオン喪失率λloss、および全体にかかる規格因子を選んだ。フィット関数は二つの指数関数で示され、

以下のような式になる。

自由パラメータ以外のパラメータに関しては、他の実験値、理論値を用いた。

 表1に、この実験で得られたλ3/2およびλ3/21/2のオルソパラ比依存性を示す。オルソ99.7%重水素にした場合で、λ3/2に関して25.8±2.5%の減少、λ3/21/2に関して17.4±3.1%の減少を観測した。また、パラメータRp’=Yportho/Ypnormalを導入すると、TRIUMF実験ではRp’=-0.097±0.044、RIKEN-RALミュオン施設実験ではRp’=-0.100±0.117となる。ここで、YorthopおよびYnormalpは、コンバートされた重水素と、されていない重水素(オルソ66.7%)のF=3/2からの核融合で放出された陽子の検出数をビーム量で規格化したものである。各々の実験結果が良く一致することが分かる。

 続いて表1の結果から散乱による超微細遷移率λ3/21/2scatとパラメータΓ1/21/2/λfを求めた。ここで、Γ1/21/2はddμのスピン1/2からdμのスピン1/2へのback decay率、λfはddμからの核融合率である。λ3/21/2scatとΓ1/21/2/λfにはオルソパラ依存性が無いので、以下の関係式を用いるとそれぞれの値を求めることができる。

ここで、λnrは共鳴によらない分子生成率であり、λ3/2に比べると無視できる程小さい。このようにして、本実験においてパラメータλ3/21/2scatを13.9±6.5μs-1と決定した。これは理論値36μs-1より低い。これにより、以前から実験的に示唆されていたλ3/21/2scatに関する理論の過大評価を直接示すことができた。現在このパラメータに関する実験値は液体における値26.3±3.0μs-1しかなく、今回、固体において初めて実験値を求めたことになる。続いてパラメータΓ1/21/2/λfも我々の実験値から8.6±2.0と求まった。この値とλfの実験値(0.32(3)×10-3μs-1)を組み合わせることにより、back decay率Γ1/21/2を2.76(68)×10-3μs-1と初めて実験的に求めることができた。この値は理論値1.5×10-3μs-1と約1.9σ離れている。

 最後に本実験の目的であるdd-μCFの固体領域での現象の解明について述べる。この現象を説明するために現在主に3種類の固体特有の現象を採り入れた理論が挙げられている。一つはdμ原子が固体領域特有の散乱断面積の減少により熱平衡に達する前にddμ分子を形成すると言うもの(理論1)[3,7]、一つはdμ原子がパラ重水素からエネルギーを受け取る効果により熱平衡に達する前にddμ分子を形成すると言うもの(理論2)[4]、最後は固体特有のフォノン効果により共鳴的にddμ分子を形成すると言うもの(理論3)[5]である。それぞれの理論は、共鳴的分子生成率の重水素のオルソパラ状態に対する依存性が全く異なっている。それを本実験の結果とともに示したのが表2である。ここで、λ3/2ortho、λ3/2normalはオルソパラ変換された場合とそうでない場合のF=3/2からの共鳴的分子生成率である。どの理論も我々の実験値を再現しないことが分かる。我々の実験を説明するには、以下の2つのうちどちらかの現象が起きていなければならないと示唆できる。一つは理論2の効果が予測より大きく、わずか0.3%のパラ重水素によっても理論2の効果が消えないというものである。もう一つは理論2の効果がより小さくて理論1の効果と競合しているというものである。また、理論3はλ3/2がオルソパラ比に比例するはずであるため、我々の実験結果を全く説明できないことが分かった。このようにして、固体領域での重水素ミュオン触媒核融合において起きている現象を解明した。

参考文献

[1]PE.Knowles et.al.,Hyp.Int.101/10221(1996).

[2]D.L.Demin et.al.,J.,Hyp.Int.101/10213(1996).

[3]A.Adamczak,Hyp.Int.119,23(1999);Hyp.Int.101/102,113(1996).

[4]C.L Gurin et.al.,Hyp.Int.118147(1999).

[5]L.I.Menshikov et.al.,Hyp.Int.101/102207(1996).

[6]S.N.Nakamura and M.Iwasaki,Nucl.Instr.Meth,in Phys.Res.A388220(1997).

[7]V.V.Filchenkov,Hyp.Int.101/10237(1996).

図1:ミュオン触媒核融合のダイアグラム

図2:ビーム後方からみた標的チェンバー内。

図3:X線のエネルギースペクトル。オルソ66.7%(上図)。空標的(下図)。

図4:陽子検出器に関するエネルギー分布図(左図)。横軸がΔE、縦軸がE-ΔEを示す。単位はkeV。オルソ66.7%(左上図)。空標的(左下図)。核融合陽子の時間スペクトル(右図)。点線はバックグラウンド。

表1:λ旦およびλ範のオルソパラ比依存性に関する本実験における結果。

表2:実験と各々の理論の比較

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり、第1章は導入、第2章は研究の動機と目的、第3章は実験の方法、第4章は本研究で製作した実験装置の説明、第5章は実験データの解析、第6章は結果とそれに対する考察が述べられ、第7章に結論がまとめられている。さらに付録の形で、ミュオンの性質、ミュオン生成、オルソーパラ状態、方程式の導出、数式の記号の意味、および、略号の説明が与えられている。

 ミュオン核融合は、核融合を実現する可能性のひとつとして、研究が続けられている。重水素、あるいは重水素と三重水素の混合系にミュオンを入射すると、重水素ミュオン分子、あるいは重水素三重水素ミュオン分子が生成する。ミュオンノ質量が電子の約200倍であることから、これらのミュオン分子中の重水素同士、あるいは重水素と三重水素は普通の水素分子に比べて200倍近づいているため、核融合が誘起される。

 ただしこの過程においてミュオンが増殖されることはなく、触媒的に作用するだけなので、ミュオンの固有の寿命2.2μsで崩壊するか、3Heに捕獲されるかの間に誘起する核融合の回数(これをミュオンサイクル率という)の向上が重要である。ミュオンサイクル率は重水素三重水素混合系の方が高いことが知られている。一方、重水素系のミュオン触媒核融合は、過程がより単純であり、基礎的な過程を研究する対象として適している。論文提出者は、後者を対象として選び、核融合サイクル率の値に重要な影響を与える共鳴的なミュオン分子形成を研究した。

 重水素中に負ミュオンを入射すると、非常に早いレート(液体水素密度4.25×1022cm-3で〜1010sec-1)でミュオン重水素dμを生成する。生成されたdμは、F=3/2もしくは1/2の超微細構造をもち、それぞれが他の重水素と衝突して、異なるレートで共鳴的にミュオン分子面μを形成する。

 この、共鳴的にミュオン分子ddμを形成する過程を促進することが、核融合サイクル率の向上にとって重要である。dd-μCFの共鳴分子生成率については、気体、液体領域を非常によく説明する理論が作られている。その理論によれば、固体領域では生成率が急速に減少するはずである。ところが、従来の66.7%オルソ重水素を用いた実験では、固体領域でも液体状態とあまり変わらない生成率が観測されている。これは固体に特有な効果によって説明されるものとされ、3つの原因が考えられているが、そのどれが正しいのかは明確でない。

 共鳴過程は分子内の回転状態を励起することによってエネルギーのバランスをとることにより実現されるので、回転状態を変化させることで、その生成過程に対する知見を得るとともに、これらの理論の優劣の評価が可能になる。

 そこで論文提出者らは、重水素のオルソ状態とパラ状態の比を調節する方法を用いて回転状態を変化させて実験を行った。これは初めての試みである。重水素は核スピンの組み合わせにより、オルソ状態とパラ状態をもっている。オルソ状態はスピンI=0,2で6重に縮退している。パラ状態はスピンI=1で3重に縮退している。また、ボース粒子である重水素の粒子交換に対する対称性により、分子振動が励起されない低温では、オルソ重水素は回転量子数Jが偶数に限られ、パラ重水素は奇数に限られる。このため、重水素を低温でオルソーパラ転換反応が起こりやすい状況に置くことで、オルソ重水素の割合を66.7%から、100%近くに上昇させることができる。

 論文提出者らは、A120370%+Cr20330%を触媒として用いて、これを低温に保ってその間を重水素をゆっくり通すことにより、パラ重水素をオルソ重水素に転換させた。オルソ、パラの濃度比は、ピラニゲージを用いた熱伝導率の測定から定めた。その測定値の較正には、触媒の温度を変化させて測定し、各温度で反応時間を長くしたときの飽和値が熱平衡分布から予想される濃度比であるとすると、確かにブリッジ回路の非平衡電流に比例することを用いた。

 測定は、英国のRIKEN-RALとカナダのTRIUMFで、同じ装置を輸送して行った。試料室内に3.3Kの100μmの銀薄膜を用意し、それにオルソの濃度を増した重水素を吹き付けて厚さ280μmだけ凝縮させ、銀薄膜の側から32MeV/cのミュオンビーム(RIKEN-RALでは幅62nsのパルスビーム、TRIUMFではDCビーム)を入射させた。RIKEN-RALではオルソ重水素の割合が99.9%、TRIUMFでは99.7%の重水素を使用し、66.7%の場合のデータとの比較を行った。

 測定は、ミュオンが重水素に捕獲されるときに放出される2.0keVの特性X線と、核融合反応に際して放出される陽子(核融合陽子)と、ミュオン崩壊電子を検出した。X線の強度を用いてミュオンビーム量を規格化し、核融合陽子の強度から核融合の量を求めた。陽子は他の過程からも生成するので、核融合陽子のみを識別するために、2重のSilicon Surface Barrier(SSB)検出器を用いた。1枚目の検出器(25μmおよび40μm)で失われる粒子のエネルギーΔE、2枚目の検出器(150μm)で残りのエネルギーE-ΔEを測定した。この情報の(ΔE,E-ΔE)から、核融合陽子を選別して、その時間スペクトルを測定した。

 得られた時間スペクトルを、F=3/2のduからの共鳴分子生成率λ3/2、F=3/2のdμからF=1/2のdμへの超微細遷移率λ3/21/2、ミュオン崩壊以外のミュオン喪失率λloss、および全体にかかる規格因子を自由なパラメタとして、最小二乗フィットを行った。

 その結果、λ3/2は66.7%オルソ重水素に対して3.276±0.080μs-1、99.7%オルソ重水素に対して2.432±0.057μs-1であり、25.8±2.5%の減少が見られた。また、λ3/21/2に対しては、66.7%オルソ重水素に対して41.77±1.22μs-1、99.7%オルソ重水素に対して34.49±0.90μs-1であり、17.4±3.1%の減少が見られた。

 またこれらの値から、散乱による超微細遷移確率λscat3/21/1と、スピン1/2のddμからスピン1/2のdμへのback decay率Γ1/21/2とdμからの核融合率λ〜fの比Γ1/21/2/λfを求めた。その結果、λscat3/21/2=13.9±6.5μsec-1、Γ1/21/2/λf=8.6±2.0μsec-1であった。この値と、他の実験から求められているλf=3.2±0.3×10-4μs-1を用いて、Γ1/21/2=2.76±0.68x10-3μs-1を、初めて求めた。この値は、理論値1.5×10-3μs-1と約1.9σ離れている。

 F=3/2のdμからの共鳴分子生成率λ3/2の値は、従来の66.7%オルソ重水素を用いた実験の値とも、気体、液体領域を非常によく説明する理論の固体領域に対する予言の値とも異なった。66.7%オルソ重水素を用いた実験を説明するために提案されている固体に特有な効果は以下の3つである。

(1)dμ原子が固体領域では熱化が遅くなり熱化する前にddμを形成する。(2)dμ原子にパラ重水素の回転エネルギーが供給されて加熱されddμ分子を形成する。(3)熱化したdμ原子がパラ重水素の回転エネルギーとフォノン放出によるエネルギーバランスで共鳴的にddμを形成する。

 本実験の結果はどの理論によっても、単独では説明できない。説明の可能性をこれまでのモデルの枠の中で考えると、(2)の効果が理論予測より大きいく、わずか0.3%のパラ重水素の効果が観測されたか、あるいは、(2)の効果は理論予測より小さくて(1)の効果と共存している、ということになる。

 このように、論文提出者は、重水素のオルソ状態とパラ状態の組成比を調整することでddμ分子の回転状態を制御し、ミュオン核融合にとって重要な過程であるddμ分子の生成率の変化を調べた。これによって、従来得られていなかったパラメタの値を求めることができ、また、固体状態でのddμ分子の共鳴的生成率の理論の有効性を区別する情報を得たものであり、その成果は高く評価できる。

 なお、本論文は、指導教官等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって装置の製作、測定、及びデータ解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 よって本論文は博士(理学)の学位請求論文として合格と認められる。

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