学位論文要旨



No 115881
著者(漢字) 成田,哲博
著者(英字)
著者(カナ) ナリタ,アキヒロ
標題(和) 細いフィラメント上でのトロポニンとトロポミオシンのカルシウムによるスイッチング
標題(洋) Ca2+-induced switching of troponin and tropomyosin on actin filaments as revealed by electron cryo-microscopy
報告番号 115881
報告番号 甲15881
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3925号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 早野,龍五
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
内容要旨 要旨を表示する

筋肉の細いフィラメントはアクチンのフィラメントに、アクチン14分子ごとに2分子のトロポミオシンと、2分子のトロポニンがついてできている。筋肉は、筋小胞体からのCa2+の放出によって収縮する。トロポミオシンとトロポニンが、そのCa2+によって直接の制御を受け、アクチン・ミオシン系に伝達する。アクチンとミオシンの相互作用は、Ca2+がないときに阻害され、Ca2+があるときに促進される。このカルシウム制御のあり方を探るには、トロポミオシンやトロポニンを含めた細いフィラメントの3次元構造を解くことが必要不可欠である。この三次元構造を解く方法として、いままでは電子顕微鏡写真からのhelicalreconstruction(らせん対称性を仮定し、らせん対称性を利用した三次元再構成法)が多く用いられて来た。しかしCa2+と結合、解離し、カルシウム制御のトリガーであるトロポニンは、前述のようにアクチン14分子に2分子の割合でしか結合していない。トロポミオシンのようにアクチン7分子に結合できるような長い構造をもっているわけでもない。従って、トロポニンはアクチンのらせん対称性には従わず、helical reconstructionでその構造を解くことは不可能である。そのため、カルシウムによるトロポニンートロポミオシンの細いフィラメント内の構造変化の実態について議論が絶えなかった。

 そこで私たちは、helical reconstructionと異なる逆投影法を用いた新しい画像処理法を開発し、細いフィラメントに適用してトロポニンの可視化を行った。逆投影法はX線CTなどで用いられている技術で、三次元物体の様々な投影方向からの投影方向がわかった二次元投影を集めることによって、もとの三次元構造を計算する方法である。これをトロポニン、トロポミオシンを含む細いフィラメントに適用するには、1番目にフィラメントの軸周りの投影方向を決めること、2番目にトロポニン、トロポミオシンのフィラメント軸方向の位置を判別することが必要である。今回私たちは、この二つの条件を満たすために二段階にわけて画像処理を行った。

 まず、最初にアクチン分子ごとに平均化した像を三次元再構成した。この三次元再構成にも逆投影法を用いるが、結果の像はhelical reconstructionによって得られる像と基本的には変わらない。この像には、アクチン分子ごとに平均化されたトロポニン、トロポミオシンの質量を含む。これを平均化モデルと呼ぶ。この平均化モデルを作るときに、電子顕微鏡写真上の細いフィラメントの投影方向が決定される。次に、この像からアクチン分子二分子分だけトロポニン+トロポミオシンの成分を残した像を作成する(figure 1)。この像をトロポニンモデルと呼ぶことにする。このトロポニンモデルを用いて、電子顕微鏡写真上のトロポニンの位置を決定する。その情報をもとに逆投影法で三次元再構成し、その結果を新たなトロポニンモデルとして、再び電子顕微鏡写真上のトロポニン位置を決める。これを収束するまで繰り返し、細いフィラメント上のトロポニンの構造を解く。これによって、35Aと低分解能ながら、はじめてトロポニンを含んだ細いフィラメントの構造を解くことができた。

 実際に解かれた全体構造をflgure2に示す。トロポニンヘッド周辺の拡大図をfigure3に示す。トロポニンヘッドは、カルシウムが有る状態ではアクチンのinner domainの正面に、アクチン表面からやや離れた形で存在する。一方カルシウムが無い状態ではトロポニンヘッドはアクチン分子の前面全体にへばりつくように存在する。またカルシウムが無い状態では、アクチンのN端からC端にかけてアクチン成分ではない質量が細長く伸びており、これはtroponinIのC端側の部分であると考えられる。また、トロポニンとトロポミオシンの質量のアクチンに対する位置が、トロポニンヘッドの上下で異なることがわかった(figure4)。これらのことと従来の様々な研究結果から、カルシウムによる細いフィラメントの構造変化のモデルを構築することができた。

 まず、カルシウムが有る状態では、トロポニンヘッドはトロポミオシンともアクチンとも強く結合しない。トロポミオシンートロポニンは、主にトロポミオシンによってアクチンと結合し、アクチンのinner domainの正面に存在する。カルシウムが無い状態ではトロポニン1のC末端側とアクチンのN末端からC末端にかけての領域が結合し、トロポニンヘッドがtroponinIに引っ張られてアクチンのouter domain側に移動する。それに伴い、トロポニン尾部(troponinT1)もouter domain側に移動し、トロポニンヘッドとトロポニン尾部に結合しているトロポミオシンを引っ張る(figure5)。

 細いフィラメントの中のトロポニンが可視化できたことによってはじめて構築できたこのモデルは、今までの多くの研究結果のかなりの部分を説明できる。今回の結果によって、細いフィラメントのカルシウム制御に対する理解を大幅に深めることができたと考えている。

figure 1(右図):トロポニンを可視化するためのモデル。まず、最初にアクチン分子ごとに平均化した像を三次元再構成した(a)。この像には、アクチン分子ごとに平均化されたトロポニン、トロポミオンシを含む。次に、この像からアクチン二分子分だけトロポニン、トロポミオシンの成分を残した象を作成した(b)。矢印が残したところを示している。これを初期化モデルとして、細いフィラメントの電子顕微鏡写真上のトロポニンの位置を決定していった。

Figure2(右図):解かれた細いフィラメントの構造。トロポニンヘッド(TnI+TnC+TnT2)の部分を矢印で示した。(a,b,c)がカルシウムが有る状態。(d,e,f)がカルシウムが無い状態。(a,d)が全体の構造。(b,e)がアクチンの成分を除いたもので、トロポニン+トロポミオシンに相当。(c,f)は、(b,e)の中.でとくに有意性が高い部分である。トロポニンヘッドの周辺は高い有意性をもっており、良く決まっている。

Figure3(下図):figure2c,fのトロポニンヘッド周辺の拡大図。トロポニンヘッドは、カルシウムが有る状態ではアクチンのinner domainの正面に、アクチン表面からやや離れた形で存在する。一方カルシウムが無い状態ではトロポニンヘッドはアクチン分子の前面全体にへばりつくように存在する。また、低カルシウム濃度のときには、block V(tropoin head)のアクチンのN末端からC末端にかけて、アクチンを抱き込むような質量が伸びる(円内)。これはカルシウム有り状態には存在しない。

Figure4(左図):Troponin+tropomyosinの位置は、troponin headの上下で異なる。カルシウムがある状態(オレンジ)では、常にinner domainの前にある。カルシウムが無い状態(水色)では、troponin headの上ではほとんど位置が変わらないが、troponin head,troponin headの下となるにつれて、outer domain側に移動する。

Figure5(右図):低カルシウム濃度では、troponinIのC末端側がアクチンのN末端からC末端にかけての領域に結合する。それに伴うtroponin,tropomyosinの構造変化によって、block VI,VIIのtropomyosin+troponinの質量はouter domain側に引きずられる。troponin headが主に存在する場所のアクチンモノマーをblock Vと定義した。

審査要旨 要旨を表示する

 この論文では、フィラメント結合タンパク質の三次元構造をクライオ電子顕微鏡写真から再構成するための新しい方法の開発と、その方法を用いて初めて明らかにされた、筋肉の細いフィラメント上にあるトロポニンとトロポミオシンの構造変化について述べられている。

 細いフィラメントは、アクチンとトロポミオシン、トロポニンから成る。従来は、らせん対称性を仮定した再構成法を用いて細いフィラメントの構造変化が議論されてきた。しかし、トロポニン分子はアクチンフィラメントのらせん対称性に従わないため、らせん対称性を仮定した方法でその構造を解くことはできない。本論文では、トロポニンを含めた細いフィラメントの三次元構造を解くために、逆投影法を用いた新しい画像処理法を開発した。逆投影法をトロポニン、トロポミオシンを含む細いフィラメントに適用するには、まず、第一にフィラメントの軸周りの投影方向を決めること、次に、トロポニン、トロポミオシンのフィラメント軸方向の位置を判別することが必要である。本論文ではこの二つの条件を満たすために二段階に分けて画像処理を行った。

 逆投影法を用いた二段階画像処理は以下のようにまとめられる。 (1)最初にアクチン分子ごとに平均化した像を三次元再構成した。この三次元再構成にも逆投影法を用いるが、結果の像はらせん対称性を仮定した方法により得られる像と基本的には変わらない。この像には、アクチン分子ごとに平均化されたトロポニン、トロポミオシンの質量が含まれる。この像を作るときに、電子顕微鏡写真上の細いフィラメントの投影方向が決定される。(2)上で得られた像から、アクチン分子二分子分だけトロポニン+トロポミオシンの質量成分を残し、他はアクチン成分だけにした像を作成する。この像をトロポニンモデルと呼ぶ。このトロポニンモデルを用いて、電子顕微鏡写真上のトロポニンの位置を決定する。その情報をもとに逆投影法で三次元再構成し、その結果を新たなトロポニンモデルとして、再び電子顕微鏡写真上のトロポニンの位置を決める。これを収束するまで繰り返し、細いフィラメント上のトロポニンの構造を解く。

 以上の方法によって、35Aの分解能でトロポニンを含んだ細いフィラメントの構造が解かれた。

 トロポニン頭部は、カルシウムがある状態ではアクチンの内部ドメインの正面に、アクチン表面からやや離れた位置に存在した。トロポニンおよびトロポミオシンと見られる質量は常にアクチンの内部ドメイン上にあった。一方、カルシウムがない状態では、トロポニン頭部はアクチン分子の前面全体にへばりつくように存在していた。また、アクチンのN末端からC末端にかけてアクチン成分ではない質量が細長く伸びており、これをトロポニンIのC末端側であると推論した。トロポニンおよびトロポミオシンと見られる質量のアクチンに対する位置は、トロポニン頭部の矢じり端側では内部ドメイン上にあるが、反矢じり端側では外部ドメイン上であることもわかった。

 以上の結果をもとに、本論文では、カルシウムにより引き起こされる、細いフィラメントの構造変化に関するモデルを構築している。カルシウムがある状態では、トロポニン頭部はトロポミオシンともアクチンとも強く結合しない。トロポミオシン-トロポニンは、主にトロポミオシンによってアクチンと結合し、アクチンの内部ドメインの正面に存在する。カルシウムがない状態では、トロポニンIのC末端側とアクチンのN末端からC末端にかけての領域が結合し、トロポニン頭部がトロポニンIに引っ張られてアクチンの外部ドメイン側に移動する。それに伴い、トロポニン尾部(トロポニンT1)も外部ドメイン側に移動し、トロポニン頭部とトロポニン尾部に結合しているトロポミオシンを引っ張るというモデルである。

 本論文は、長年の謎であった、細いフィラメント上のトロポニンの構造変化を初めて捉えたものであり、得られた結果は、筋肉のカルシウム制御の解明に多大な寄与をなすものである。また、今回開発された新しい画像処理法は、細いフィラメント上のトロポニンの構造のみではなく、フィラメント結合タンパク質の構造解析に広く使用することができる。この論文は、安永卓夫氏、若林健之氏、真柳浩太氏、石川尚氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、審査員一同は同提出者が博士(理学)の学位を授与するのに十分であると判断した。

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