学位論文要旨



No 115885
著者(漢字) 藤山,茂樹
著者(英字)
著者(カナ) フジヤマ,シゲキ
標題(和) ホールをドープした擬1次元銅酸化物におけるスピンと電荷のダイナミクスのNMRによる研究
標題(洋) NMR Study of Spin and Charge Dynamics in Hole-Doped Quasi One-Dimensional Cuprates
報告番号 115885
報告番号 甲15885
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3929号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 助教授 酒井,広文
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 助教授 廣井,善二
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、ホールをドープした擬一次元銅酸化物におけるスピンと電荷のダイナミクスを調べ、両者がどのように関連しているか、を議論するため二種類の物質系を取り上げている。

 2本のスピン1/2一次元鎖が平行に結合した2本足梯子格子においては、その基底状態がスピン一重項状態(RVB状態)であり、スピン三重項励起状態との間に有限のエネルギーギャップ(スピンギャップ)が開いていることが明らかになっている。

 一方、二本足梯子格子にホールをドープした場合、スピン一重項基底状態がどのように変化するか、という問題は明らかにされておらず、現在も研究が続いている。特に、ドープされたホールが短距離相関によりホールペアを形成しd波超伝導を発現する、という理論的な予測が、この分野の研究の進展に寄与している。

 本論文では、ホールをドープした二本足梯子格子Sr(La)14-xCaxCu24O41をとりあげ、銅核および酸素核において核磁気共鳴法(NMR)を行ない、スペクトルの周波数シフト、核スピン格子緩和率(1/T1)、核スピンスピン緩和率(1/T2)の測定からスピン一重項基底状態がホールのドーピングおよびその運動によってどのように変化していくか、またその時のスピンおよび電荷のダイナミクスの変化を研究した。

 この物質はCu2O32本足梯子格子面、CuO2鎖面、Sr面によって構成されているがSr2+サイトをLa3+またはCa2+で置換することによりCu2O3面内のホールドーピング量を制御し、絶縁相La6Ca8Cu24O41から金属相Sr2Ca12Cu24O41までホールの伝導を連続的に変化させることが可能である。また、この物質の金属組成は二本足梯子格子物質の中で唯一、高圧力下でTc=12Kの超伝導が発現する。

 NMRで測定される1/T1はスピン相関関数S(q,ω)との間に

の関係がある。ここでF(q)は遷移運動量qに依存した超微細結合定数である。本論文ではCu2O3梯子面内のCu核と2つの酸素核におけるF(q)に違いがあることに着目し、s(q,ω)のq空間内での広がり方を議論した。

 絶縁相La6Ca8Cu24O41における1/T1の温度依存性から、この物質では非弾性中性子散乱等で測定されたスピンギャップより十分低温からすでにスピン波の熱によるダンピングが大きくなることが明らかとなった。最近行われた梯子格子に対する数値計算との比較から、これはCu2O3の梯子方向(一次元方向)の交換相互作用Jlegの方が桁方向のそれJrungより大きいことに起因していることが明らかとなった。この結果はNMRスペクトルの周波数シフトから得られる超微細結合定数の異方性からも再現された。

 少量(約5%)のホールがドープされた半導体組成Sr14Cu24O41においては、電気抵抗の温度依存性から得られる活性化エネルギーが180K付近で変化することなどから、低温においてホールが電荷秩序状態を保っていると考えられている。1/T1の温度依存性の測定から、低エネルギースピン相関関数は電荷秩序が保たれている温度領域では絶縁相La6Ca8Cu24O41のそれとの間に大きな差が認められないのに対し、200K以上で急激に(π,π)モードのスペクトラルウェイトが成長していく様子を観測した。これは、電荷秩序が融解し、インコヒーレントなホールの運動が大きくなるのにともない、スピン波のダンピングが加速されていった、と解釈することができる。同時に、電荷秩序の融解が始まる温度領域においては、15MHz程度の電荷の遅い揺らぎがCu核位置での電場勾配の揺らぎとして1/T1に反映されることが分かっており、この組成における低エネルギースピン励起と電荷の揺らぎが密接に関連していることを示している。

 多量(約20%)のホールをドープした組成Sr2Ca12Cu24O41においては、梯子方向に60K以上で、桁方向には200K以上で電気抵抗に金属的な温度依存性を示す領域が現れる。

 この組成では60K以上ですでにS(π,π)が非常に大きく成長し、絶縁組成や半導体組成のスピン波と比較して低温からダンピングを強く受けていることが分かった。また、特に重要な結果としてCu2O3梯子面内に二種類ある酸素核で測定された1/T1の温度依存性が全く異なり、50K以上の温度領域ではS(π,0)がS(0,π)と比べて強い温度依存性を持ち成長していくことを見いだした。言い換えると50K以上で梯子方向の反強磁性相関が桁方向のそれよりも相対的に強くなっていき、50Kより十分高温では2本足梯子があたかも2つの一次元鎖に分離することを意味している。この現象は、低ドープ組成においては観測されなかった結果であり、ホールドーピングと密接に関連があることが分かる。

 一方、NMR法によるCu核の1/T2の温度依存性には50K付近に鋭いピークがある。このピークは絶縁組成や半導体組成においては観測されないものであるが、1/T2の緩和機構が電場勾配の揺らぎに起因していることから、50K付近で電荷揺らぎの相関時間が数百kHzのエネルギースケールにまで遅くなっていることを示している。また、電場勾配の揺らぎを正しく評価するためにCu核の核四重極共鳴法により1/T1を測定することにより、150K付近に1/T1のピークがあり、この温度での電荷揺らぎの相関時間が20MHzであることを明らかにした。1/T1と1/T2の測定から、梯子格子内にドープされたホールは温度降下にともない徐々にその揺らぎのエネルギースケールを小さくしていくことを観測した。これは、ある種の電荷秩序が最低温度で実現しており、かつその相関距離が短いことを意味している。

 この短距離的電荷秩序の観測は、梯子格子において理論的に安定性が示されている、低温でのホールペアの形成と矛盾しない。また、ホールペアの形成は、桁方向の電気伝導度が抑制されているという電気抵抗の異方性や、温度降下にともない低エネルギースペクトラルウェイトが小さくなっていく光学伝導度の温度依存性などの最近の実験結果とも矛盾しない。

 ホールペアは温度上昇にともない解離するが、解離したホールは桁方向より梯子方向に、より動きやすい。このとき、ホールペアが解離する温度領域では桁方向の反強磁性相関は相対的に弱められると考えることができ、先に述べた2つの酸素核位置での1/T1の温度依存性を矛盾なく解釈することができる。

 本物質系のNMRによる研究によって、低温での電荷秩序状態が融解することにより、スピン波のダンピングが引き起こされ、低エネルギースピン相関関数に影響を及ぼすことが明らかになった。スピン波のダンピングの仕方には、低温での電荷秩序の形が密接に関連しており、半導体組成における長距離的電荷秩序と、金属的組成における短距離秩序(ホールペア)との場合で電荷秩序融解後のスピンダイナミクスが全く異なっていることを明らかにした。

 第二に取り上げた物質はPrBa2Cu4O8である。この物質はCuO2正方格子とCu2O4一次元zig-zag鎖が層状に並んでいる、高温超伝導関連物質である。この物質は超伝導相転移を示さずTn=220KでCuO2面が反強磁性長距離秩序を持つ。電気伝導は金属的な温度性を示すものの大きな異方性を持つことから、この物質のzig-zag鎖は絶縁相CuO2面に挟まれた良い一次元系であると考えることができる。また、光電子分光による電子の分散関係からzig-zag鎖のCuの価数が+2.5(quarter-filled)であることがわかっている。

 本論文では、この1次元zig-zag鎖の銅核NQRをおこない、そのスペクトル、1/T1および1/T2の温度依存性から電荷の揺らぎを議論した。その結果、1/T1の温度依存性は100Kにピークを作るのに対し、1/T2のそれは50Kにピークを作ることを見いだした。

 これらの現象から、100Kで20MHzの相関時間を持っていた電荷揺らぎが50Kに数百kHzにまで徐々に遅延していくことを明らかにした。1/T1の温度依存性をmotinal narrowing theory(運動による先鋭化理論)に基づき解析し、電荷揺らぎの相関時間の温度依存性から、この物質の電荷揺らぎの遅延現象は相転移などによって急激に起こるものではなく、約650Kというエネルギーギャップを感じながらグラス的に起こっていることを見いだした。このことは同時に、低温における電荷秩序が短距離的に起こっている、ということを意味している。

 電荷揺らぎの遅延現象を反映して、50K以下ではNQRスペクトルの半値全幅が大きくなっていくことを見いだし、その線幅の広がりが電荷揺らぎの振幅に相当していることを明らかにした。電荷揺らぎの振幅は最低温度でもたかだか0.02e分くらいであり、ここで問題になっている電荷秩序が短距離的で、振幅が極めて小さいものであることを明らかにした。このzig-zag鎖の電気抵抗は金属的な温度依存性を示し、局在の徴候は観測されていないが、ごくわずかの電子は短距離秩序を持っていることが明らかになり、極めて特異な種類の電子状態が実現しているといえる。

 本論文では、ホールをドープした2本足梯子格子Sr(La)14-xCaxCu24O41および十分に孤立しているquarter-filled zig-zag一次元鎖PrBa2Cu4O8のスピンおよび電荷のダイナミクスを調べるためにNMR法による研究を行ったが、両方の物質系において電荷揺らぎのグラス的な遅延現象を観測した。これらの現象は低温における短距離的電荷秩序を意味しているが、こういった現象を実験的に明らかにした研究はほとんど無い。本論文で取り扱った物質の他の実験手法による測定や、NMR周波数程度の小さなエネルギースケールを定量的に調べる理論的な研究を行うことにより、擬一次元伝導体の電子状態の研究がなされることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 高温超伝導の発見とそれに続く研究の進展により銅酸化物系におけるスピンと電荷のダイナミクスに関心が持たれ、多くの研究が活発に行われている。量子スピン系にキャリア・ドーピングを施した系の磁性と伝導、さらには超伝導は今日の物性科学の重要課題の一つと位置づけられる。本論文は、擬1次元銅酸化物系におけるスピンと電荷のふるまいを核磁気共鳴(NMR)の手法を用いて研究したものである。本論文で採り上げられた2種類の物質、すなわちスピン梯子物質Sr14-xCaxCu24O41とPrBa2Cu4O8、はいずれも銅と酸素からなる1次元鎖を有し、それらの1次元鎖がスピンダイナミクスと密接に絡んだ電荷ダイナミクスの場となっている。

 本論文は全6章からなる。第1章は序論で、本研究の対象となったスピン梯子物質およびPrBa2Cu4O8に関するこれまでの研究が概観されるとともに、NMRから得られる情報について述べられている。第2章では、試料作製およびNMR測定の方法が述べられている。第3章から第5章までが実験結果とその考察に当てられている。第3章では、スピン梯子物質のスピンのダイナミクス、第4章ではPrBa2Cu4O8の銅酸素鎖における電荷のダイナミクス、第5章ではスピン梯子物質における電荷のダイナミクスがそれぞれ議論されている。第6章は全体のまとめに当てられている。以下、それぞれの物質系に関して得られた主な成果を述べる。

[1]2本足スピン梯子系(Sr14-xCaxCu24O41)

 スピン梯子物質Sr14-xCaxCu24O41はCu2O32本足梯子格子面とCuO2鎖面とがSr面を隔て交互に積層した構造を持つ。Sr14-xCaxCu24O41のSr2+サイトの一部をLa3+またはCa2+で置換することによってCu2O3面内の正孔ドーピング量を制御し、絶縁相であるLa6Ca8Cu24O41から金属相のSr2Ca12Cu24O41までをカバーすることができる。金属相では超伝導発現の可能性が理論的に予測され、実際に高圧下で超伝導が観測されたことで注目を集めている。NMRの核スピン縦緩和率1/T1はその核の周囲の電子スピンのゆらぎを反映するが、Cu2O3のCuサイト、0(1)サイト、0(2)サイトのそれぞれの幾何学的因子を反映して、スピン相関関数S(q,ω)のq空間の異なる部分を選択的にプローブすることができる。また、核四重極共鳴(NQR)の1/T1およびNMRの核スピン横緩和率1/T2の温度依存性から、緩和機構を支配する電場勾配のゆらぎに関する情報が得られる。各ドーピング領域の試料について得られた主な結果は次のとおりである。

(1)絶縁相La6Ca8Cu24O41では、中性子非弾性散乱から求められたスピンギャップに較べて十分低温の領域でもスピン波の熱的ダンピングが大きいことが見出された。

(2)低ドープ領域のSr144Cu24O41は、電荷秩序があると考えられる低温域では絶縁相La6Ca8Cu24O41のそれと大差ないふるまいを示すのに対して、200K以上で正孔の運動が活発化するのに伴ってスピン波のダンピングが強くなることが見出された。

(3)高ドープ領域のSr2Ca12Cu24O41は、60k以上で梯子方向の抵抗が金属的な温度依存性を示し、200K以上では梯子間方向も金属的伝導に転ずる。スピンダイナミクスに関してまずCuサイトの1/T1の温度依存性から、比較的低温からS(π、π)が大きく成長し、スピン波が強いダンピングを受けていることが明らかとなった。また、0(1)サイトと0(2)サイトで1/T1の温度依存性が50K以上では大きく異なり、S(π、0)がS(0、π)に較べて強い温度依存性をもって成長するという結果が得られた。すなわち梯子方向の反強磁性相関が桁方向のそれよりも相対的に強くなり、2本足梯子がデカップルして2つの1次元鎖に分離したように見える。

Cu核のNMR1/T2は50K付近に鋭いピークを示す。このことは、この温度域で電場勾配のゆらぎの特徴的時間スケールが数百KHzにまで遅くなっていることを意味する。一方Cu核のNQR1/T1は150K付近にピークがあり、この温度域での電荷ゆらぎの時間スケールが20MHz程度になっていることがわかった。これらの結果から、この系における電荷のゆらぎが温度の低下とともに徐々にslowing downを起こして、グラス的な短距離電荷秩序に向かっていることを示唆する。

この系に関して、低温において正孔がペアを形成するという可能性が理論的に示されているが、上記の観測はこの描像と矛盾しない結果と考えられる。

[2]1次元ジグザグ鎖系(PrBa2Cu408)

 PrBa2Cu4O8はCuO2面とCu204ジグザグ鎖が層状に並んだ構造を持っている。CuO2面はネール温度TN=220Kで反強磁性長距離秩序を示し、絶縁体的である。伝導を担うCu2O4ジグザグ鎖のCuの価数は+2.5でありquarter-filledの状況にある。この物質のCu核のNQRの1/Tl、1/T2の温度依存性を調べ、1/T1が100K付近、1/T2が50K付近にそれぞれピークをもつことを見出した。このことは100K付近では20MHzの時間スケールをもっていた電荷ゆらぎが50Kでは数百kHzにまで徐々にslowing downを起こしていることを意味するものである。これは電荷ゆらぎの凍結がグラス的に起こっていることを示唆する。一方、50K以下ではNQRスペクトルの幅が広がる現象が見出され、それが電荷ゆらぎの振幅を反映したものであることが明らかにされた。その解析によれば、電荷ゆらぎの振幅は最低温度でもたかだか0.02e程度に過ぎず、電荷秩序が短距離かつ小振幅のものであることを示している。このことは、この物質の抵抗が低温でも金属的温度依存性を示していることと関連しているものと考えられる。

 本研究は核磁気共鳴という実験手段の特性を生かして銅酸素1次元鎖物質におけるスピンと電荷のダイナミクスの特徴的ふるまいをとらえたもので、これら興味深い物質の電子状態に関して重要な知見を得たものと認められる。本論文の中核をなす研究内容は指導教官らとの共著論文として学術誌に印刷公表されているが、実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行なったものと判断される。

 以上のことから、本論文は博士(理学)の学位授与に値するものと認める。

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