学位論文要旨



No 115891
著者(漢字) 宮原,慎
著者(英字)
著者(カナ) ミヤハラ,シン
標題(和) SrCu2(BO3)2に対する直交ダイマー・ハイゼンベルグスピン系の理論
標題(洋) Theory of Orthogonal Dimer Heisenberg SpinSystem for SrCu2(BO3)2
報告番号 115891
報告番号 甲15891
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3935号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 今田,正俊
内容要旨 要旨を表示する

 銅酸化物高温超伝導において擬ギャップが発見されて以来、低次元スピンギャップ系は盛んに研究が行なわれている分野の一つである。中でも2次元スピンギャップ系は、多くの研究者の注目をあつめており、これまでにもCaV4O9といった物質が盛んに研究されてきている。

 最近、陰山らによってSrCu2(BO3)2がスピンギャップ系物質の一つであることがしめされた。この物質は、S=1/2の2次元系物質であると考えられ、スピンギャップの大きさは約35Kと見積もられている。さらに、磁化過程において飽和磁化の1/3、1/4と1/8に磁化プラトーが観測されている。本研究ではこの系の磁気的性質を理論的な観点から調べた。

 低温におけるSrCu2(BO3)2の磁気的特徴は図(1)のような2次元スピン1/2ハイゼンベルグ模型でよく説明される。ここでJが最近接相互作用をJ’が次近接相互作用をそれぞれ表す。このモデルはJ=0の極限では2次元正方格子と等価なモデルとなる。

 この模型ではJボンド上でダイマー一重項状態をとる

で表せる状態が固有状態となることがShastryとSutherlandによってしめされている。このような固有状態が実現する上で、隣合うダイマー同士が直交していることが重要な役割を果たしている。 J’/J<<1の極限では式(1)の固有状態が基底状態になることは明らかである。この系では量子相転移点(J’/J)c=0.69(1)が存在し、式(1)は量子相転移点(J’/J)cより小さい領域では基底状態となる(ダイマー一重項相)。一方、臨界点より大きいJ’/Jの領域ではNe’el状態が基底状態であると考えられる。3次元性まで含めたSrCu2(BO3)2格子の場合においても面間相互作用がJと比べて充分小さい領域では、式(1)が基底状態になっていることが分かった。このことは、この物質で2次元性がよく成り立っている原因の一つとなっている。面間相互作用の大きさまで考慮に入れ、スピンギャップの大きさと帯磁率の温度依存性よりJとJ’を見積もると、J=85KとJ’=54Kが得られる。これらの値はこの物質が量子相転移点に近いことを表している。上記のパラメータを用いることで、比熱や中性子の実験結果をよく再現することができる。

 図(1)の2次元モデルにおけるダイマー一重項相に対する特徴の一つに三重項の最励低起状態の局在性の強さがある。基底状態同様、この性質が成り立つ上でもダイマーボンドの直交性が重要な役割を果たしている。J’/J≪1の極限からの摂動計算の結果J’/Jの5次まではトリプレット励起が完全に局在していることがわかる。こうした局在性の強さは、ほとんど水平な分散関係として中性子実験で実際に観測されており、中性子の結果は厳密対角化や摂動計算でよく説明できる。中性子やESRなどの実験では、第一励起状態よりも高エネルギー領域に分散関係の幅が広い励起が観測されている。この系では、2つの三重項励起の束縛状態が安定な状態として存在する。束縛状態では、2つの三重項励起が隣合うことで1つの励起がある場合に比べて三重項励起が移動がしやすくなる(correlated hoppings)。中性子で観測されている分散の幅の広い励起も、このような束縛状態を考えることで説明することができる。

 三重項励起状態の局在性は、磁化過程に見られる磁化プラトーを考える上でも重要な役割を果たす。この系では、三重項励起状態の局在性のため、三重項励起の結晶化が起こる。この結晶化状態がエネルギー的に安定となる磁化で磁化プラトーが出現する。そのような安定状態は三重項励起間の相互作用が等方的であるとすればユニットセルが正方形をとるときに実現すると考えられる。その時の各ユニットセルのスピン数はN=4,8,16,20,32,…であり、それぞれ1/2,1/4,1/8,1/10,1/16、…のプラトーの原因となると考えられる。実際に観測されている磁化プラトーはこのうちの1/4、1/8に当たる。ところが、三重項励起間の相互作用を摂動計算でもとめると、三重項励起間の相互作用には方向依存性があることがわかった。そのため1/4の磁化プラトーでのスピン状態は上記のような正方形のユニットセルとは異なるストライプの構造をとることで安定となる。こうした方向依存性により、上記の正方形のユニットセルからは発生しないと考えられていた1/3の磁化にもプラトーが存在することが分かった。1/3のプラトーでも、三重項励起のストライプ構造が示唆されている。実際に、理論予測の後に行なわれた実験において、この1/3プラトーが観測されている。1/4と1/3以外の磁化では、等方的な相互作用から予測されていた正方形のユニットセルが実現していると考えられる。

図1:2次元直交ダイマーハイゼンベルグ模型。最近接相互作用Jを実線で、次近接相互作用J’を破線で表している。

審査要旨 要旨を表示する

 隣接するスピン間に反強磁性相互作用を有する磁性体では、低温で、隣接スピンが交互に反平行に並んだ、ネール状態と呼ばれる秩序状態が出現する。スピンを矢印で表せるような微小磁石と見なす、磁性体に対する古典的な描像から直ちに導かれるものだが、隣接する二つのスピンだけを取り出すと、スピン演算子の量子性から、合成スピンがゼロのスピンー重項状態をとる。通常の三次元反強磁性体では、他の隣接スピンからの相互作用効果が強いため一重項が壊され、古典的なネール状態が安定となる。一方、低次元非磁性スピンギャップ系と分類される磁性体では隣接スピンからの影響が弱く、各スピン対は一重項を保ったまま、系全体としては一重項で敷き詰められた状態が出現する。このような系ではスピンの量子性を直接反映して、古典的描像からは予想もつかない新奇な磁性現象が見られ、銅酸化物高温超伝導の解明とも関連して、近年多くの研究が集中している。

 本提出論文の対象であるSrCu2(BO3)2(以下SCBOと略記)は、三次元反強磁性体でありながら最隣接磁性原子Cuがダイマーを構成し、それらが互いに直交しているという特徴的な空間的配置からダイマーに生じた一重項間の相互作用が相殺し、基底状態として量子的なスピンギャップ状態が出現している。本論文提出者宮原慎は、実験結果に対する洞察からこの特徴を見出し、「直交ダイマー・ハイゼンベルグ模型」に基づく理論を構築してSCBO固有の磁性現象の解明を行った。

 本論文は6章からなり、序章に続く第2章では、まず、SCBOに対する磁化率、比熱、各種スペクトロスコピーによる励起状態解析、磁化曲線などの実験結果がまとめられている。第3章で直交ダイマー・ハイゼンベルグ模型が提起されている。そのハミルトニアンは、ダイマーを構成するスピン間の反強磁性相互作用(大きさJ)と隣接直交ダイマーに属するスピン間の反強磁性相互作用(J’)からなる。空間二次元の場合、この模型はShastry-Sutherland模型と呼ばれ、その基底状態はJ≫J’の極限で非磁性スピンギャップ状態、J≪J’の極限ではネール状態となることが知られていたが、本論文では、数値的厳密対角化法により、二つの状態間の量子相転移がJ’/J=0.69(1)で起こることを検証している。さらに三次元物質としてのSCBOは面間のダイマー間相互作用も相殺し、スピンギャップ状態を直接反映する低温での磁性については二次元系に対する解析結果がほぼそのまま当てはまることが論じられている。

 第4章はスピンギャップ基底状態からの励起状態の解析に当てられている。特に、一重項からの励起状態である三重項状態の局在性が強いこと(J’項を摂動としたときその6次の過程から初めてホッピングが生じる)、ただし、励起された二つの三重項が束縛状態にある場合はJ’の2次摂動で協調的なホッピングが生じることが導かれている。それらの結果を用いて磁化率や比熱の熱力学量および励起スペクトルを算出し、JとJ’、さらにスピンギャップより高温側の熱力学量を決めるために必要な面間の相互作用J”を合わせた三つのパラメータを適切に定めることにより、SCBOの基底状態は量子相転移点からわずかにスピンギャップ相側に入った状態にあること、また、その多くの実験結果が定量的にもよく説明できることが示されている。

 SBCOの磁化過程が第5章のテーマである。磁場は一重項を壊し三重項を生成させるが、本論文では、上述の三重項の局在性と局在した三重項間の強い斥力相互作用から磁化曲線に平坦部(プラトー)が出現するとの提起がされている。その詳細を数値的厳密対角化法で解析するとともに、その磁化曲線の振る舞いが、三重項の集まりを異方的相互作用のある剛体球ボゾン系と見なすことで説明できること、すなわち、飽和磁化の1/8,1/4,1/3,1/2等の値に現れる磁化プラトーは、ボゾン(三重項)のそれぞれある周期的空間配置に対応していることが論じられている。最終章は研究成果のまとめに当てられている。

 以上に述べた本論文の研究成果は、SrCu2(BO3)2の特異な磁性が直交ダイマー系に固有な量子揺らぎに起因することを数値的手法も併用して理論的に検証したものである。本研究で得られた多くの新たな知見が当該分野の研究進展に果たした貢献は十分なものがあり、学位論文として高く評価される。

 なお、本論文第3,5章は上田和夫との、また、第4章は上田和夫・戸塚圭介との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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