学位論文要旨



No 115892
著者(漢字) 武藤,覚
著者(英字)
著者(カナ) ムトウ,サトル
標題(和) 2次元ウィグナー固体の数値的研究
標題(洋) Numerical study of two-dimensional Wigner solids
報告番号 115892
報告番号 甲15892
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3936号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 常行,真司
 東京大学 助教授 高田,康民
 東京大学 教授 家泰,弘
 東京大学 教授 和達,三樹
 東京大学 助教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

 60年以上前、Wigner(ウィグナー)は、電子系が十分低密度では強いクーロン斥力のために格子を組むことを指摘した(ウィグナー結晶化)。ウィグナーはフェルミ縮退した3次元電子系を念頭に置いていたが、電子結晶化の最初の実験的な証拠は、液体ヘリウム表面上の古典2次元電子系で観測された。

 液体ヘリウム表面上に実現される古典2次元電子系や、シリコン電界効果トランジスターあるいは半導体ヘテロ接合の中に実現される縮退2次元電子系では、電子は2次元平面内で(電子間相互作用を別とすれば)ほとんど自由に運動する一方、垂直方向の運動に関しては最低量子化準位に束縛されている。これらの電子系は、一様な正の背景電荷に浸かった2次元電子ガスとしてモデル化される(ジェリウムモデルあるいは一成分プラズマ)。

2次元電子系は実験的に制御可能であり、量子ホール効果のような豊かな物理現象を示すことが知られているので、長年にわたって広範囲に研究されてきた。

 古典2次元電子系は、典型的なクーロンエネルギーと熱運動エネルギー(kBT)の比で決まる無次元の結合定数Γで特徴付けられる。Γが1より十分小さいときには気体のように振る舞い、1より十分大きいときには固体になると考えられる。数値計算および実験は、Γ〜-130で液体から固体への結晶化を示唆している。一方、縮退2次元電子系は、典型的なクーロンエネルギーとフェルミエネルギー(EF)の比で決まる無次元の結合定数γsで特徴付けられる。γsが1より十分小さいときには気体のように振る舞い、1より十分大きいときには固体になると考えられる。数値計算および実験は、γs〜-37で液体から固体への結晶化を示唆している。

 ウィグナー結晶化は電子ガスという固体物理のもっとも基本的な課題の一つと関連しており、その研究は多電子系を理解するための理論的な基礎を与える。この問題を興味深くしているのは、2次元電子系の結晶化が、結合定数(Γあるいはγs)が1よりもずっと大きいときに起きることである。つまり、電子はお互いに強く相関している。また、2次元における大きなゆらぎは、3次元系にはない特異な現象をもたらすことがある。このような系に解析的な手法を適用するのは各極限では可能であるが、主に数値的手法が応用されてきた。われわれも本研究では数値シミュレーションの技法を用いる。

 これまでに数多くの数値的な仕事がなされてきたが、なお未解決で重要な問題が残っている。(i)30年以上も前に、Mermin(マーミン)は、2次元では熱力学極限で真の長距離結晶秩序が有限温度では存在しないことを厳密に示した(マーミンの定理)。しかし、長距離の1/rクーロン相互作用はマーミンの定理の適用範囲外であり、2次元電子系に真の長距離結晶秩序があるかないかは、この定理からは結論付けられない。マーミンの定理をクーロン相互作用にまで拡張するいくつかの解析的な近似があるが、これまでのところ厳密な結果は得られていない。(ii)Kosteritz,Thouless,Halperin,Nelson,Ybung(コスタリッツ、サウレス、ハルペリン、ネルソン、ヤング;KTHNY)は、2次元の融解理論を用いて、液相と固相の間に、準長距離の角度相関を持つ「hexatic」と呼ばれる中間相を予言していた。これは興味深いが、KTHNY理論はさまざまな仮定や近似に基づいた有効理論なので、その妥当性は数値シミュレーションによって検証されなければならない。しかし、古典2次元電子系に対してこれまでに得られた数値結果には、KTHNYの予言を支持するものと否定するものとが混在しており、いまだに決着がついていない。(iii)系の動的な性質に関しても、初期の数値計算で、古典2次元電子系の特異な動的性質を示唆する結果が得られているが、その物理的な解釈は与えられていない。

 本学位論文では、上記の問題を数値的な手法を用いて調べた。われわれは、能勢とHoover(フーバー)によって定式化されたカノニカル分子動力学法を、古典2次元電子系に対して初めて適用した。われわれは、結晶秩序を特徴付ける2つの相関関数(位置相関関数と角度相関関数)を計算することによって、2次元電子固体がどのような秩序状態を持つのかを明らかにした。KTHNY理論の予言する中間相の存在についても議論した。また、分子動力学シミュレーションおよび力定数行列の厳密対角化から、振動状態密度と振動モードを求め、初期の論文では解析されていない古典2次元電子系の動的性質を明らかにした。

2 古典2次元電子系の結晶化

 まず、固相の秩序状態について議論した。

 固相の位置相関関数はゆるやかな減衰を示す。数値結果は長距離相関(定数)と短距離相関(指数関数的減衰)の中間で、漸近的にはべき的に減衰すると考えられる。これは、2次元電子固体に真の長距離結晶秩序がなく、位置相関は準長距離であることを意味している。したがって、われわれは、「マーミンの定理がクーロン相互作用にも適用できる」という数値的示唆を得たことになる。これは、近似的ではあるが解析的に導かれた結論と一致する。

 一方、固相の角度相関関数は直ちに一定値に近付く。これは、長距離の角度秩序は保たれていることを示唆する。したがって、われわれは、2次元電子固体が真の長距離結晶秩序を持たない一方、「トポロジカルな秩序」を持つことを見出した。固体から液体への転移は、このトポロジカル秩序が失われるところで特定される。

 静的構造因子は、液相では等方的なのに対し、固相では六方対称な鋭いピークを示す。但し、デルタ関数的なブラッグ斑点をもつ3次元固体とは違い、位置相関関数のべき的な減衰のため、各ピークは熱力学極限でべき的な発散を示すはずである。位置相関が準長距離である一方で、角度相関が長距離に保たれる理由は、固相では、トポロジカル欠陥(回位)が、角度相関を局所的にしか乱さない4対束縛状態(すなわち、転位の束縛対)として現れるためであることがスナップショットからわかった。

 次に、液体固体転移近傍におけるhexatic相の可能性について議論した。

 液体から固体へ冷やしたときに得られた角度相関関数は、短距離相関を示すΓ=120と長距離相関を示すΓ=140の間のΓ=130付近でべき的な減衰を示した。べき的依存性はKTHNY理論の予言と一致する一方、得られた指数は約1であり、その値はKTHNY理論の予言する1/4という上限からは逸脱している。

 しかし、Γ=130付近に見られた角度相関関数の大きなゆらぎによって、hexatic相の存在に関する明確な結論を導くことはできなかった。すなわち、このべき的な振る舞いは、数値シミュレーションでは転移近傍で不十分な平衡化しかできていないためである可能性を排除できない。実際、固体から液体へ温めたときには、長距離の角度相関がΓ=130まで持続した。系を冷却するか加熱するかで転移近傍の相関関数の振る舞いに違いが生じるのは、数値計算上のさまざまな有限サイズ効果が原因であると考えられる。

 KTHNY理論は、hexatic-液体転移が回位欠陥の対の解離によって起きるという描像に基づいている。そうなっているかを調べるために、5配位の回位に対する7配位の回位の分布を計算したところ、Γ=140では欠陥が強く束縛されている一方、Γ=120とΓ=130に質的な違いは見られなかった。むしろ、Γ=130のスナップショットは、有限サイズと有限時間のシミュレーションという制限のもとでは、あるドメイン構造を示した。また、Γ=130に対する静的構造因子は、液体とも固体とも異なる非等方性を示した。これは、液体ヘリウム表面上の古典2次元電子系に対する構造因子の測定によって、実験的に検出することができるかもしれない。

3 古典2次元電子系の動的性質

 分子動力学シミュレーションから得られた速度相関関数は、ほとんど温度に依らない特徴的な振動を示した。驚くべきことに、液体でも長時間でその振動は残る。これは初期の研究で得られた結果を再現している。

 これをより定量的に見るために、振動スペクトル(振動状態密度)を速度パワースペクトル密度(以下、速度スペクトル)から計算した。速度スペクトルは速度相関関数のフーリエ変換に対応する(Wiener-Khinchinの定理)。速度スペクトルは、温度に依らず固体でも液体でも持続する高周波ピークを示した。このピークは、速度相関関数に見られた振動に対応している。

 このピークの起源を特定するために、有限サイズの三角格子電子結晶に対して力定数行列の厳密対角化を行い、固有振動数と固有モードを求めた。これによって得られた振動状態密度は、固相の速度スペクトルを定性的に再現した。

 ピークに対応する振動モードは、最隣接格子間で格子定数程度の波長でほぼ逆位相に振動するものであることがわかった。振動ピークが液相でも残るということは、強く相関する2次元電子液体が、長距離秩序はないにもかかわらず、短波長の振動を維持するだけの明確な局所配置を有限な時空領域に持っていることを示唆している。

4 議論と結論

 本研究では、EF≪kBTの古典極限を扱った。EF〓kBTでは量子効果が重要になるはずである。実際、ウィグナー固体でこの条件を満たすあるパラメータに対して、分子動力学法および経路積分モンテカルロ法を用いて一体電子密度を計算したところ、量子ゆらぎのために、熱ゆらぎだけを考慮した場合と比べて分布が広がることが見えた。このような量子ウィグナー固体は、多体スピン交換相互作用モデルで有効的に記述されると考えられている。今後の課題として、ウィグナー固体の低エネルギーの性質を理解するために、その有効モデルのさらなる研究が期待される。本研究の延長線上にある興味深い問題としては、絶対零度の縮退2次元電子系で真の長距離結晶秩序が可能かどうかを調べることが考えられる。また、古典系から量子系にわたる相図の定量的な決定もやりがいのある問題であろう。

 結論として、本学位論文では、数値的な手法を活用して、古典2次元電子系の静的および動的性質を調べた。われわれは、古典2次元電子固体が、有限温度では、準長距離の位置相関と長距離の角度相関を持つトポロジカルな秩序しか持たないという示唆を得た。これは、マーミンの定理が1/γクーロン相互作用にも拡張できるということを数値的に裏付ける。一方で、KTHNY理論が予言するhexatic相については、べき的な角度相関が準安定な状態として液相と固相の間に見出されるかもしれないという示唆を得た。しかし、有限系に対する有限時間のシミュレーションのために、この結果は決定的ではなく、その有効理論の検証は依然として未解決な問題として残る。動的な性質については、液相でも短波長の振動を維持するだけの明確な局所配置が存在するという示唆が得られた。

審査要旨 要旨を表示する

 液体ヘリウム表面上に実現される古典2次元電子系や、シリコン電界効果トランジスタあるいは半導体ヘテロ接合の中に実現される縮退2次元電子系では、電子は2次元面内でほとんど自由に運動する一方、垂直方向の運動に関しては最低量子化準位に束縛されている。これらの電子系は一様な正の背景電荷に浸った2次元電子ガスとしてモデル化され、基本的な多体問題の一つとして古くから理論研究が行われてきた。とくに液相から固相、いわゆるウィグナー固体への相転移は興味深い問題である。本論文は古典2次元電子系の相転移を、詳細な計算機シミュレーションによって論じたものである。

本論文は5章から構成される。第1章は序章であり、2次元電子系に関する過去の研究の簡潔なまとめと本研究の目的が提示される。第2章では古典2次元電子系の相転移に関する問題点の整理と、本研究で用いた計算手法の説明を行った後、静的分布関数からみた結晶化に関する計算結果が述べられる。第3章では系の動的性質に着目し、固相液相を問わず現れる特徴的な振動モードの起源が明らかにされる。第4章では量子揺らぎの効果について、過去の研究例と本人による計算機シミュレーションの試みが紹介され、第5章で本論文の結論がまとめられている。また本論文で用いられた計算手法の詳細が補遺にまとめられている。

本論文の焦点の一つは、クーロン相互作用する2次元系が長距離秩序をもつ固体に相転移するかどうかという問題である。2次元系では熱力学極限で真の長距離秩序が有限温度では存在しないことが、30年以上も前にN.D.Merminによって厳密に示されたが、クーロン相互作用はその証明の適用外であった。その後Merminの定理をクーロン系に拡張する試みがなされているが、いずれも近似の範囲をでない。本論文では能瀬とHooverによって定式化されたカノニカル分子動力学法を古典2次元電子系に初めて適用し、これまでにくらべて多粒子・長時間のシミュレーションから結晶秩序を特徴づける2つの相関関数、すなわち位置相関関数と角度相関関数を求めた。その結果、固相の位置相関関数が距離に対してべき的に緩やかに減衰することがわかった。これはMerminの定理がクーロン相互作用にも適用できることを示唆している。一方、固相の角度相関関数は直ちに一定値に近づくことから、長距離角度秩序は存在していることがわかる。すなわち本研究で行われたシミュレーションの範囲では、固相は真の長距離秩序を持たずトポロジカルな秩序を持つ状態であり、液相への転移はこのトポロジカルな秩序の消失であると結論された。

一方、Kosterlitz,Thouless,Halperin,Nelson,Young(KTHNY)は2次元の融解理論を用いて、液相と固相の間に準長距離の角度相関を持つ「hexatic」と呼ばれる中間相を予言していた。古典2次元電子系は、平均電子間距離での電子間相互作用エネルギーと温度の比「Γ」によって特徴づけられるが、本論文で得られた角度相関関数は、明らかな液相(Γ≦120)と固相(Γ≧140)の中間(Γ=130)でべき的な振る舞いを見せた。これはKTHNYの予言と一致する一方、得られた指数1はKTHNYの予言する1/4という上限からは逸脱していた。しかしながらΓ=130では、シミュレーションのサイズ、時間等の制限から角度相関関数に大きな揺らぎがあり、hexatic相の存在に関して明確な結論を導くことはできなかった。また速度相関関数に関する過去の計算機シミュレーションで、古典2次元電子系にはほとんど温度によらない(固相、液相によらない)特徴的な振動の存在することが指摘されていたが、その起源はわかっていなかった。本論文では速度パワースペクトル密度から振動状態密度を計算して、それに対応する高周波ピークの存在を確認した。その起源をあきらかにするため、三角格子電子結晶の格子力学計算を行ったところ、定性的に同じ振動状態密度が得られ、上記の高周波ピークに対応する固有モードは最近接格子間で格子定数程度の波長でほぼ逆位相に振動するものであることがわかった。このことは2次元電子液体が、長距離秩序はないにもかかわらず、短波長の振動を維持するだけの明確な局所配置を持っていることを示唆している。

以上のように、本論文は古典2次元電子系の相転移現象という基本的かつ重要な問題について、いくつかの興味深い知見を与えており、審査委員全員一致により、博士論文として十分な内容をもつものと判定された。なお本研究は青木秀夫教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって理論を構築したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断された。したがって審査員全員により、博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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