学位論文要旨



No 115895
著者(漢字) 山瀬,博之
著者(英字)
著者(カナ) ヤマセ,ヒロユキ
標題(和) t-J模型に基づく、La系銅酸化物高温超伝導体におけるフェルミ面の擬一次元描像
標題(洋) Quasi-One-Dimensional Picture of Fermi Surface in La-Based High-Tc Cuprates : A View from t-J Model
報告番号 115895
報告番号 甲15895
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3939号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 教授 高山,一
 東京大学 教授 高木,英典
 東京大学 教授 内田,慎一
内容要旨 要旨を表示する

 高温超伝導体はモット絶縁体にキャリアをドープした強相関電子系であり、新奇で多彩な磁気現象や輸送現象が観測されている。これらの現象を調べるモデルの一つとして正方格子上に定義された2次元t-J模型が知られている

ここで、t(l)は第l最近接サイト間のホッピング積分(l≦3)、J(>0)は最近接間超交換相互作用、f†iσ(b†i)はスピンσ(電荷e)を持ったフェルミオン(ボソン)の生成演算子、Siはパウリ行列σを用いてき1-2Σα,βf†iασαβfiβとして定義される。式(2)は局所拘束条件を表している。

 この模型の磁気的性質は1992-1994年頃、棚本らによって精力的に調べられた。主な結果の一つとして、(π,π)を中心とした丸い‘ホール的’なフェルミ面(角度分解型光電子分光(ARPES)の実験で観測されたYBa2Cu306+y(YBCO)系のフェルミ面と一致する)では、(π,π)の波数をもった整合反強磁性揺らぎが、一方Γ点を中心としたダイアモンド型の‘電子的’なフェルミ面では、(π,π)からずれた波数を持ついわゆる非整合反強磁性揺らぎが存在することが示された。中性子散乱実験から、YBCO系は整合反強磁性揺らぎを、La2-x、Sr、CuO4(LSCO)系は非整合反強磁性を揺らぎを持つことが示されていたことから、棚本らはこの磁気励起の物質依存性をフェルミ面の相違(前者は‘ホール的’なフェルミ面、後者は‘電子的’なフェルミ面)で理解出来ることを指摘した。

 ところが、最近LSCO系でARPESの実験が初めて行われ、フェルミ面の断片が観測された。その結果は、ホール濃度がおよそ0.20以下ではYBCO系と同様な‘ホール的’なフェルミ面である可能性を示唆しているように思われた。このことは磁気励起を、フェルミオロジーではなく、むしろ2次元CuO2面での電荷の一次元オーダーの形成によって理解しようという、いわゆる‘スピン-電荷ストライプ’仮説(1995年にTranquadaらによって提唱された)の可能性を支持しているように思われた。

 そこで、本論文では

 LSCO系の磁気励起の背後にある物理はいったい何か?

と問題設定をし、t-J模型の観点から追求した。

 その結果、我々は図1に示すようなフェルミ面の擬一次元描像-各CuO2面では擬一次元フェルミ面が実現しており、それがc軸方向に交互に積層している-をLSCO系において提案し、磁気励起は擬一次元フェルミ面を用いたフェルミオロジーで理解出来ることを指摘した。

 まず、この擬一次元描像がARPESの結果と矛盾しないことを、面間の結合の効果を考えることで示した。次に以下に示すように、(1)擬一次元フェルミ面を考える理論的根拠、(2)擬一次元描像のもとでの磁気励起、について調べた。

(1)2次元t-J模型のフェルミ面の擬一次元不安定性

 2次元t-J模型にサイトiに依存しない、3種類の実の平均場、〓(フェルミオンのホッピング秩序)、〓(シングレットオーダー),〓(ボソンのホッピング秩序)、を導入しセルフコンシステントな解を探した。ボソンは近似的にボーズ凝縮状態にある(したがって電荷分布は一様)とし、〓(δはホール濃度)とした。その結果、Δτ≡0の条件下ではXrが図2に示すようにある温度以下で自発的に4回対称性を破り(Xx≠Xy)、結果としてフェルミ面が擬一次元的になること(擬一次元状態)を見出した。この擬一次元状態は(π,0)、(0,π)近傍のフェルミ面の不安定性に起因したものであった。一方、Δτ≠0の条件下でのセルフコンシステントな解は等方的なd波シングレット状態(Δx=-Δy)であり、擬一次元状態は安定化されなかった。ところが、式(1)のt(1)とJにわずかな空間的異方性を与えると、異方性が低温で大きく増大され、擬一次元状態はd波状態と競合しつつも共存できることを突き止めた。このような擬一次元不安定性は、ホール濃度0.30のLSCOのフェルミ面(実験的に全体の形が確かめられている)を再現するバンドパラメータで最も顕著であった。これらの結果を踏まえ、LSCO系で擬一次元状態が実現している可能性を指摘した。t(1)とJの空間的異方性の主な起源として、LTT構造またはその構造揺らぎを考えた。

(2)擬一次元フェルミ面を用いた2次元t-J模型の磁気励起

 図1に示したフェルミ面の擬一次元描像に基づいて、‘RPA’動的帯磁率の虚部ImX(q,ω)をt-J模型で計算した。温度はT=0.01Jに固定した。まず、面間の結合を無視し、ωを固定した時のImX(q,ω)のq依存性を調べた。その結果、(π,π)近傍に鋭い非整合ピークがあり、それは(i)広いホール濃度領域(δ〓0.02)で存在する、(ii)d波シングレット秩序の有無に関わりなく存在する、また、(iii)ピーク位置のω依存性はω〓0.1-0.2J以下でほとんど無視出来る、等の特徴を持つことが分かった。面間の結合の効果を取り込んでも、これらの特徴は保たれた。以上の結果はLSCO系の中性子散乱実験データの特徴をよくとらえたものであった。特にd波シングレット秩序が期待出来ない温度でも非整合ピークが存在しているという実験事実は、フェルミ面の擬一次元描像を直接支持するものであることを、2次元フェルミ面との磁気励起の相違、及び温度依存性の効果を調べた上で指摘した。これらの結果を踏まえ、LSCO系の磁気励起を理解する上での本質的な概念は、‘スピン-電荷ストライプ’の描像ではなく、擬一次元フェルミ面を用いたフェルミオロジーである可能性を主張した。

 LSCO系における、ARPESと中性子散乱実験のデータを統一的に理解する描像として、擬一次元フェルミ面を用いたシナリオをt-J模型に基づいて提案した。本理論研究では、ボソン(電荷)をボーズ凝縮状態にある(電荷分布は一様)と近似して、フェルミオン(スピン)のみに注目した。今後、フェルミ面の擬一次元状態でのボソンの状態を調べ、我々の擬一次元描像と‘スピン-電荷ストライプ’描像との関係を明確にすると共に、LSCO系のホール濃度1/8近傍でのいわゆる‘1/8異常’の理論的理解に向けて研究を発展させたいと考えている。

図1:提案するフェルミ面の擬一次元描像。各CuO2面で擬一次元フェルミ面が実現し、それがc軸方向に交互に積層している。

図2:(a)Δτ≡0の条件下でのXrの温度依存性。低温で4回対称性が自発的に破れる(Xx≠Xy)。(b)高温での4回対称なフェルミ面(灰色の線)が低温で擬一次元的(実線)になる。

審査要旨 要旨を表示する

 高温超伝導発現のメカニズムを理解するために、典型的な物質であるLa2-xSrxCuO4(LSCO)が精力的に調べられ、近年そのフェルミ面や磁気励起が実験によって詳しくわかるようになってきた。その結果、波数空間におけるフェルミ面の位置と、磁気励起の波数との間に興味深い関係があることが明らかになり、いくつかの理論が提唱されている。キャリアの存在しない絶縁体状態では、磁気励起の波数は反強磁性を表す(π,π)というものであるが、キャリアを導入していくとその波数が(π,π)からずれてきて、いわゆる非整合反強磁性ゆらぎとなることがわかっている。

 この状態についての1つの有力な説明は、ストライプモデルによるものである。このモデルでは、2次元平面内のキャリアがストライプ状に局在し、それ以外の部分は反強磁性的な状態になっていると考えられている。一般には、この考え方によって、いろいろな現象を説明できると思われているが、本研究では全く別の観点から同じ現象を説明することのできるモデルを提唱した。それはLSCO系に特有の2次元平面内の異方性が相互作用のために低温で増強され、その結果としてフェルミ面が擬1次元的なものになったとするモデルである。このアイデアに基づき、微視的なモデルを用いて平均場近似をおこない、さらに得られた状態での磁気励起の様子を調べ実験との比較を行なった。

 本論文の第一章は序、第二・三章では本研究で議論される問題に関する今までの理論と実験の研究を紹介し、第四章で本研究で得られた結果について簡単にまとめている。第五章からが実際の理論計算であり、高温超伝導体のモデルとして適していると考えられているt-Jモデルに対する平均場近似を実行している。具体的には、t-Jモデルに異方性、つまりx方向とy方向のパラメータの違いを導入し、スレーヴボゾンを用いる近似により平均場解を求めた。モデルの異方性のためにフェルミ面も異方的になるわけであるが、その異方性の度合が相互作用の結果低温になるにつれて増強するということを見出した。この点が本論文で新たに見つかった現象である。この結果に基づき第六章では磁気励起を計算し、次の第七章で実験との比較を行なっている。第八章はまとめと将来の課題に当てられている。

 以上のように本研究では、t-Jモデルの平均場近似という範囲内においても、モデルの異方性という観点からは新たな異常が見出され、実験を説明できる可能性があるということを示した。強相関電子系において、平均場近似という手法が正当化されるかどうかということについては議論の多いところであり、本研究で見出された新しい平均場解が本当の基底状態であるかどうかは今後の研究を待たなければならないが、1つの新しい可能性を示したという点が評価できる。また本研究で得られた結果が、高温超伝導という現象についてどの程度本質的なものなのか、またはLSCOという試料特有のものであるのかについても、未だ結論が得られていないが、今後の理論発展の上で興味深い研究であると思われる。

 本論文の内容の一部は、英文雑誌に掲載済である。また本研究は福山秀敏教授、河野浩助教授との共同研究であるが、論文提出者は本質的な寄与をしていると認められる。以上をもって審査員一同は、本論文が博士(理学)の学位を授与するにふさわしいものであると認定した。

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