学位論文要旨



No 115904
著者(漢字) 松浦,美香子
著者(英字)
著者(カナ) マツウラ,ミカコ
標題(和) 赤外線観測に基づく晩期型巨星の水蒸気バンドの研究
標題(洋) Observational Studies of Infrared Water-Vapor Bands in Late-Type Giants
報告番号 115904
報告番号 甲15904
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3948号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中田,好一
 東京大学 助教授 有本,信雄
 東京大学 助教授 田中,培生
 東京大学 助教授 土居,守
 国立天文台 教授 川辺,良平
内容要旨 要旨を表示する

1 序章

本研究は、晩期型巨星の光球の周りに位置する「大気外層(extended atmosphere)」と呼ばれる領域の構造を解明することを目的としている。これらの星の赤外線スペクトルに見られる水蒸気バンドの解析を行い、これまで予想されていた大気外層の存在を確立した。さらに水蒸気バンドを詳細に解析することにより、大気外層の温度、密度構造、およびその時間変動を明らかにした。

 晩期型巨星(有効温度2000-3500K程度)は中小質量星の進化の末期段階にあたり、進化段階の順に赤色巨星分枝(Red Gaint Branch;RGB)と漸近巨星分枝(Asymptotic Giant Branch;AGB)からなる。また、これらの星の多くは脈動型変光星である。晩期型星の周囲約1000Kあたりの領域では星表面から持ち上げられた物質を材料にダストが生成されている。ダストが中心星からの放射圧を受け、周りのガスを巻き込みながら外向きに流れ出すことで、質量放出が始まると考えられている。特にAGB星の場合、その放出量は一つの恒星あたり0.5から数M〓yr-1にも達し、銀河系内の主要なダストやガスの供給源の一つであると考えられている。しかしながら、ダストが星周で生成される条件、また質量放出が星のどの進化段階で開始するかは未だに解明されておらず、そもそも星表面からダスト生成領域の中間層、すなわち大気外層の詳しい状況はつかめていなかった。

 大気外層というのは、恒星の表面(光球)よりもさらに外側の半径が1から〜2-5恒星半径(後者については不明)の領域のことで、ガスの温度が約3000-1000K前後である。大気外層には分子が多く含まれている。こういった分子は主として近.中問赤外線に振動回転励起スペクトルをもち、大気外層の研究には赤外線の分光観測が有効である。しかしながら、恒星の水蒸気スペクトルは地球大気自身に含まれる水蒸気の影響により地上からの望遠鏡では詳細な研究が困難である。そこで本研究では、近年の赤外線観測衛星により得た晩期型星のデータをもとに水蒸気のバンドを解析し、晩期型巨星の大気構造を明らかにすることを目的とする。特に、水分子は大気中の存在比がH2,COに次いで高いと考えられ、なおかつ一本一本の遷移のライン強度が高いため、赤外線観測衛星を用いた場合には比較的広範囲の恒星から検出され、数多くの星を対象にした大気外層の研究には非常に有用である。また、他の分子に比べて外層の密度が薄い星からも検出されやすい特性がある。

2 早期M型巨星における水蒸気の検出

宇宙赤外線望遠鏡(IRTS)は1995年に打ち上げられ、全天の約7%を無バイアスサーベイ観測した。IRTSによる地球大気の影響を受けていない星のスペクトルを、その一部のデータを解析した。ここではIRTSに搭載された4つの観測装置のうち、近赤外線分光器(NIRS)の1.4-4.0μm低分散(△λ=0・1μm)分光データを用いた。解析はNIRSの観測した星の中から選んだ約100個の天体のスペクトルを対象とした・このうちB型からM型の早期(M6よりも早期)なスペクトルを持つ天体は67個が含まれる。M6よりも早期型の星は従来、静水圧平衡のモデルで光球までを考慮すればスペクトルが充分説明できるとされ、また静水圧平衡のモデルによれば水蒸気は観測されないと考えられていた・ところが、6つの天体については1.9と2.7μmに水蒸気のバンドが観測された。水蒸気が検出された星のなかで最も早期型の星はM2である。この水分子は光球ではなく、大気外層に存在しており、励起温度は1000-1500K、柱密度は星によるが5×1019cm-2から1×1020cm-2であった(Fig.1)。早期M型星から、大気外層の水蒸気を明確に検出したのはTsujiら(1997)についで二例目である。この研究は比較的スペクトル型が若い段階からすでにある程度の割合の星で大気外層が存在していることをしめした。また、約100個の天体のうち水蒸気の吸収を持つ天体は中間赤外線に過剰な部分があり、ダストを持つものと考えられる。つまり、外層の形成とダストの形成には関連がある可能性が示された。

3 晩期型星の赤外線と一酸化硅素メーザーでの特性の比較

SiOメーザーは、晩期型星の場合大気外層中で励起されていると考えられているが、SiOメーザーの励起機構については未だに議論が残されている。IRTSの観測により、水蒸気の吸収の深さが多数の星によって観測され、大気外層の発達の度合がわかるようになった。そこで、水蒸気の吸収の深さを基にした大気外層の発達の度合とSiOメーザーの検出率を比較した。

 IRTSで水蒸気が検出された星について、Sioメーザーの検出を国立天文台野辺山観測所45m電波望遠鏡にて試みた。観測天体59個中、27個の天体についてメーザーが検出された。検出された天体の大部分はミラ型変光星であるとともに、水蒸気の吸収が特に深く、大気外層が発達した星であった。いくつかの天体について定量的考察を行うと、SiOメーザーが検出された天体というのは水蒸気の柱密度が3×1019-3×1020cm-2以上ある。近赤外線の水蒸気スペクトルに貢献している層の厚みをおよそ一恒星半径(3×1013cm-2)と仮定すると、SiOメーザーが検出される領域の密度は109-1010cm-3で以上であることが示された。密度の差異が直接的な要因であるか、あるい密度以外の理由、例えば脈動の強さによりショックが起きるか起きないか等がSioメーザーの励起には直接関係して、密度の差異は間接的な現象なのかの解明は今後の課題である。

4 ミラ型変光星の水蒸気バンドの時間変動

最後の章では代表的な脈動型変光星であるミラ型変光星について、水蒸気バンドの時間変動を調べた。観測データは赤外線宇宙天文台ISOに搭載された短波長分光器SWSによる。変光の一周期以上にわたり、複数回観測がなされた4つの星(わし座R、カシオペア座R、ケフェウス座T、はくちょう座Z)について、近赤外線領域(2.5-3.95μm)スペクトルのモデル解析を行った。その結果、これらの星の2.5-3.95μmのスペクトルは、ほとんど水蒸気で支配されていることがわかった(Fig.2)。特に〜3.5-3.95μmの、励起エネルギーが高いラインが支配する領域は、時間変動にともなって、水蒸気のバンドが吸収から放射と変化をしていた。4つの星全てが可視光の変光曲線が極小の時は吸収、極大の時は放射を示す。これらの波長領域は励起温度が2000Kの水蒸気が観測されていると考えられるが、この水蒸気の層が、中心星に対して極大でより広がっていると解釈される。観測スペクトルに対してモデル解析を行ったところ、2000Kの層の半径の中心星の半径R*に対する大きさは、極小では水蒸気の層の半径は約1.0R*であるのに対し、極大では約2.0R*にまで達する(Fig.3)。

 ミラ型変光星の中心星の半径も変動すると考えられているが、脈動型変光星を対象とした動的大気モデルによると、約20%の範囲(極大で半径が小さくなる)でしか変動しておらず、また、干渉計を用いた観測では変動幅は検出限界(7%)以下である。すなわち、観測された水蒸気層の半径の時間変動は水蒸気の層の方が動いていることに起因し、層の半径の変動幅は、極小に対して極大の方が約1.5-2.0倍大きい。

 この水蒸気層の半径の変動は、光学的に厚い水蒸気の層の半径が時間変動していることによる。ミラ型変光星の脈動により局所的に密度が高い領域が生じ、その高密度領域が動径方向に移動している。極小では高密度領域が中心星付近に位置し、極大にかけて外へと拡散していく。このように、このミラ型変光星の大気外層で、赤外線観測をもとに物質の動系方向の水蒸気層の運動が間接的にであれ示すことができた。

 ミラ型変光星の水蒸気のバンドは2.5-4.0μmの波長領域ほぼ全域で、光学的厚みが1を越えている。つまり、赤外線の領域のスペクトルは、大気外層にある水蒸気の分子が支配しており、光球は直接見えていない。ミラ型変光星はLバンド(3.5から3.8μm付近)でも等級幅0.5-1.0等程度の変光をしていることが知られている。今回の研究から、Lバンドの変化は光学的に厚い水蒸気の層の半径の動径方向の運動に支配され、光度はその層の半径の二乗に比例する。赤外線における変光の要因が観測を基に示されたのはこの研究が初めてである。

 一連の赤外線水蒸気バンドの研究により、大気外層は、早期M型星から生成し始め、ミラ型変光星では普遍的に存在することが観測的に確かめられた。特に脈動による密度波の移動が初めて定量的に測定された。この結果は、大気構造を考える上で必要な動的恒星大気モデルの今後の確立に無視できない影響を与える。一方、SiOメーザーの励起のために必要な密度を、メーザーとは独立な観測から与え、励起機構に具体的な制限を課す一方、ミラ型変光星とそのほかの星では大気外層の性質が異なることを示した。以上の結果を基にした今後の研究により、大気外層の構造とダストの形成の関係を通じて、質量放出機構の理解が進むものと思われる。

Figure1: 早期M型巨星(M2)やぎ座AKに観測された水蒸気スペクトル(白丸と黒丸)と、水蒸気バンドのモデルスペクトル。やぎ座AKのスペクトルは水蒸気がない同じスペクトル型の星HR1667(白丸)とHR6306(黒丸)で割ってある。モデル中の水蒸気の柱密度は5×1019cm-2で、励起温度は500,1000,1500K。観測スペクトルは励起温度1000-1500Kの水蒸気で再現できる。

Figure2: はくちょう座Zの観測スペクトル(左)とそれに対応するモデルスペクトル(右)。はくちょう座Zは6回観測され、それぞれのフェイズ(φ)は図中にしめした。モデルには水蒸気分子のみが含まれている。観測スペクトルはほぼ水蒸気分子のみを考えれば再現できることを示してる。

Figure3: 4つの星についての、励起温度2000Kの層の半径の時間変動。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章から成り、第1章はイントロダクション、第2章はIRTS衛星による観測、第3章は早期M型星中の水蒸気、第4章は一酸化珪素(SiO)メーザー観測、第5章はミラ型星の水蒸気、第6章はまとめについて述べられている。

 第1章は赤色巨星および漸近巨星分枝星についての一般的な序論、それらの大気構造や、赤外線域に見られる分子の放射・吸収帯の観測についての序論である。

 第2章では、日本初の衛星搭載赤外線望遠鏡であるInfrared Telescope in Space(IRTS)のミッション概要、およびIRTS搭載近赤外線分光器(NIRS)による赤外線点源(そのほとんどが銀河系内の星)データを紹介している。

 第3章は、上記NIRSによって観測された早期M型巨星に見られる水蒸気吸収帯について述べている。これまでの恒星大気モデルでは、早期M型巨星の大気からは水蒸気吸収帯は観測されないと考えられてきた。しかし論文提出者はM6よりも早期の6つの巨星(最も早期のものでM2型)に水蒸気吸収帯を見出した。論文提出者は、波長1.9μmと2.7μmの吸収帯に対して簡単なモデル計算を行い、水蒸気の励起温度と柱密度に対してそれぞれ〜1,000K、〜1020cm-2を得た。またこれらの星では、Kバンドと波長12μmでの放射強度から求めた色が赤く、質量放出が始まっていることを示している。M6よりも早期型で水蒸気吸収が観測された星の幾つかは不規則型、あるいは半規則型の脈動変光星であることが知られている。これはミラ型ほど強い脈動がなくても、なんらかの条件が満たされれば質量放出が開始される可能性を示している。この観測は、質量放出をしている巨星では、静水圧平衡で決まる恒星大気よりも外側に、低温で水分子が存在できる層があることを初めて明確に示した観測の一つであり、重要な結果である。

 第4章では、3章で提示された晩期型巨星サンプルの内59個について、国立天文台野辺山宇宙電波観測所の45m電波望遠鏡を用いてSiOメーザーの検出を試みた結果が報告されている。この観測では27個の星からSiOメーザーを検出し、そのほとんどはミラ型星であった。上記の早期M型星で水蒸気吸収が観測された星とそうでない星は、どちらもSiOメーザー放射強度は検出限界以下であり、残念ながら差があるのかどうかはわかっていない。

 第5章は、欧州字宙連合(ESA)が1995年に打ち上げた赤外線天文衛星Infrared Space Observatoryに搭載された短波長分光器SWSによる観測について述べている。活発な質量放出を継続中のミラ型変光星の大気外層を、やはり水蒸気の放射・吸収帯の観測に基づいて調べたものである。観測された4つのミラ型変光星のスペクトルにおいて、波長3.8μm付近に現れる水蒸気の放射・吸収帯は、変光曲線の極大では放射、極小では吸収として観測された。論文提出者は、水分子が存在する外層大気を、光球を模擬する黒体の手前に置いた、異なった半径、温度、柱密度を持つ2層のガス円盤で模擬する簡単化したモデルを用い、近赤外域スペクトルの時間変動を再現することを試みた。その結果、励起温度2000K程度を持つ層の半径が、変光の極大時には、極小時の2倍程度まで広がることを導いた。

 第6章は、本論文全体に対するまとめが述べられている。以上、本論文では晩期型巨星外層大気に関する最新の観測結果とそれに基づく新たな知見が述べられており、博士論文として十分なレベルにあると判断できる。

 なお、本論文第3章は山村一誠、村上浩、M.M.Freund、田中昌宏との共同研究、第4章は山村一誠、村上浩、尾中敬、大坪貴文、東矢高尚、岡村吉彦、M.M,Freund、田中昌宏との共同研究、また第5章は山村一誠、T.de Jong、尾中敬、村上浩、J.Camiとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析を行ったもので、論文提出者の寄与が最大であると判断する。

 したがって、審査員全員一致で博士(理学)の学位を授与できると認める。

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