学位論文要旨



No 115906
著者(漢字) 榎本,剛
著者(英字)
著者(カナ) エノモト,タケシ
標題(和) 小笠原高気圧に件う等価順圧構造の形成のメカニズム
標題(洋) The formation mechanism for the equivalent-barotropic struture of the Bonin high
報告番号 115906
報告番号 甲15906
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3950号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 中村,尚
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 助教授 木本,昌秀
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 松田,佳久
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 本研究は、小笠原高気圧の成因に関して調べたものである。小笠原高気庄は、梅雨の後、主に8月に日本付近で発達する。小笠原高気圧の特徴は、鉛直に深い構造をしていることである。対照的に、冬季のシベリア高気圧や夏季の太平洋高気圧は、浅い構造をしている。太平洋高気圧は、下降流により生じており、地表付近に限定されている。700hPaで既に不明瞭となり、上層は低気圧となっている。小笠原高気圧は、海面気圧の等圧線の連続性から、太平洋高気圧の一部とみなされることが多いが、鉛直構造が明らかに異なるので、小笠原高気圧と太平洋高気圧とは区別する必要がある。小笠原高気圧に伴う深い構造は、古くから知られていたが、その成因は自明ではなく、これまで説明されていなかった。

2.小笠原高気圧の平均像

 まず、小笠原高気圧の気候学的な特徴を再解析データを用いて明らかにした。従来から指摘されている通り、小笠原高気圧は対流圏上層のチベット高気圧の東端に位置し、総観規模(4000-5000km)の水平スケールを持っている。振幅の中心は圏界面付近にあり、気圧の峰が下方に減衰しながら伸びている。地表に到達して対流圏全体に渡って独立した中心を持つ高気圧となることもあるが、気候値では北緯30度付近に気圧の峰はあっても、地表に独立した高気圧中心は認められなかった。このような鉛直構造は、一般に等価順圧的(equivalent-barotropic)と形容される。温度構造を見ると、小笠原高気圧は、対流圏全体に渡って周囲よりも気温が高い。それでも対流圏全体に渡って高気圧となるのは、成層圏下部に低温域があるからである。以上述べたような鉛直構造は、圏界面付近に渦位の負偏差のみを考えた理想的な場合と類似している。気候値を見ると、小笠原高気圧には、渦位の負偏差が伴っていることが分かった(図1)。

 さらに対流圏上層の気候値を詳しく調べると、ユーラシア大陸上のジェットに沿って定在的な波列が認められた。気候値から渦度強制を計算したところ、ジェットの入口付近、沙漠上空の下降流に対応して、大きな振幅が確認された。また、チベット高気圧の縁辺部の大きな渦位傾度は「導波管」として定常ロスビー波の伝播に有利な基本場となりうる。

 気候値の吟味から、本研究で「シルクロード・パターン」と呼ぶアジア・ジェットに沿った対流圏上層の波の伝播により、小笠原高気圧が形成されることが示唆された。本研究では、このメカニズムの妥当性を数値実験で調べた。

3.小笠原高気圧の再現実験

 まず、気候値から作成した8月の非断熱加熱を強制として取り入れた3次元力学モデルにより、小笠原高気圧の再現実験を行なった。このモデルにおいて、小笠原高気圧を含め、観測される上層の特徴が再現された。さらに、東向きの群速度を持つ波の伝播が認められ、日本付近で渦位の等値線が転覆した(図2)。次に、一部の領域の非断熱加熱を除去した感度実験を行なった。日本の夏季の天候に大きな影響を持つとされる西太平洋の加熱を除いても、日本付近には深い高気圧は依然として存在した(図3)。これに対し、シルクロードに沿った沙漠域の冷却を除去すると、ジェット上の波の励起が抑制され、小笠原高気圧は形成されなかった(図4)。これらの実験結果は、気候値の吟味の結果と整合的である。

4.定常ロスピー波の励起・伝播メカニズムの検討

 大気に対する強制は、様々な熱源や冷源の他にも地形の力学的効果があり、応答は複雑となるため、容易には因果関係を断定しえない。そこで、最低限の要素により等価順圧構造を再現することにより、小笠原高気圧の成因に対する理解を深めることにした。まず、インド・ベンガル湾の加熱は北半球夏季の大循環の形成に不可欠なものとして仮定し、この熱源のみに対する応答を調べた。続いて、平均東西風、地形、インド・ベンガル湾以外の非断熱加熱を順次追加して応答がどのように変わるか調べた。

 ジェットを含む基本場で、インド・ベンガル湾の熱源だけを与えると、そのすぐ北西に局在化した鉛直流が生じ、定常ロスビー波が励起されたが、日本付近に等価順圧的な高気圧は形成されなかった。このような波の伝播は、全球の地形を含めると見られなくなった。これは、ヒマラヤに偏西風が当たって生じる上昇流と熱源の西側にできた下降流とが相殺し、波の励起が抑制されたためであることが分かった。以上のような非断熱加熱のうちインド・ベンガル湾の熱源だけを与える実験では、ジェットや地形を加えても、等価順圧的な高気圧は形成されなかった。ところが、沙漠域の冷却を含めると、シルクロード・パターンとともに日本付近に等価順圧的な高気圧が生じた。したがって、小笠原高気圧はジェット上を伝播してきた波によって作られるのだと考えられる。

5.まとめ

 以上の数値実験の結果から、ジェットの入口付近にある下降流により励起され、チベット高気圧の北側縁辺部にあたるアジア・ジェットを伝播してきた定常ロスビー波が小笠原高気圧をつくるという仮説(図5)を提出した。

図1: 8月における対流圏上層360K面上の渦位(気候値から作成)。等値線間隔は0〜2PVUの間で0.25PVU間隔、それ以外は1PVU毎。

図2:再現実験における対流圏上層350K面上の渦位。等値線間隔は、0〜2PVUの間は0.25PVU間隔、それ以外は2PVU毎。

図3:図2と同様ただし西太平洋(110-180E,5-25N)の非断熱強制を除去。

図4:図2と同様ただし中緯度(0-150E,30-60N)の非断熱強制を除去。

図5:小笠原高気圧の形成メカニズムを示す概念図。Qは熱源の中心、Hは高気圧の中心、楕円はチベット高気圧、東向きの矢印はジェット、下向きの矢印は下降、曲線は渦位の等値線をそれぞれ表す。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は7章からなり、第1章は導入部で、第2章では小笠原高気圧を含む亜熱帯高気圧に関する従来の研究の概観が示されている。続いて第3章では、最新の観測データに基づき、小笠原高気圧が他の亜熱帯高気圧とは異なり等価順圧的な深い鉛直構造を示す事実、そしてその西方に、亜熱帯ジェットに沿って地中海・アラル海方面の大気の冷源域にまで連なる波列構造が重畳する事実を初めて指摘している。これらの観測事実に基づき、第5章においては、第4章にて説明される現実的な大気循環モデルに観測された冷熱源分布を与えて行なった幾つかの数値実験の結果が示される。そしてその結果に基づき、西方の冷源域で起こる沈降流により強制され、その後亜熱帯ジェットに沿って東方に伝播した停滞性ロスビー波束に伴って,等価順圧構造を持った小笠原高気圧が形成されるという、所謂「シルクロード・パターン」機構が提唱される。引き続き第6章では更に数値実験を行ない、上記冷源域に比べより近傍に位置し、より卓越するインド・モンスーンの加熱効果が直接ロスビー波を励起しようと働くものの、それがチベット高原に当たる西風ジェットの力学一的効果により強く抑制され、結果として小笠原高気圧の形成に殆ど寄与し得ない可能性を示し、「シルクロード・パターン」機構の相対的重要性を論じている。これら幾つかの重要な成果は第7章にまとめられている。

 以上のように、本論文では、わが国の盛夏の天候を支配する最重要な因子の1つでありながら、従来その成因について殆ど詳しい解析のなされて来なかった小笠原高気圧の形成機構について、最新の大気循環データの解析とよく練られた複数の数値実験とを通じ、今後の更なる検証に資するに足る独自の新しい仮説を提唱し、その妥当性を論じた成果は高く評価されるべきである。

 なお、本論文の第3章から6章にかけては、松田佳久助教授(東京大学)・BrianJ.Hoskins教授(英国Reading大学)との共同研究に基づくが、いずれも論文提出者が主体となって実験・解析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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