学位論文要旨



No 115907
著者(漢字) 遠藤,貴洋
著者(英字)
著者(カナ) エンドウ,タカヒロ
標題(和) 日本南海岸沖の黒潮大蛇行の形成に至る過渡的応答の数値シミュレーション
標題(洋) Numerical Simulation of the Transient Response of the Kuroshio Leading to the Large Meander Formation South of Japan
報告番号 115907
報告番号 甲15907
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3951号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 教授 杉ノ原,伸夫
 東京大学 教授 日比谷,紀之
 東京大学 助教授 新野,宏
 東京大学 助教授 安田,一郎
内容要旨 要旨を表示する

 日本南岸域における黒潮流路が、大蛇行流路と非大蛇行流路の二様性を示すことはよく知られている。この流路の二様性は、黒潮以外の西岸境界流には見られない特徴的な性質として、早くから学術的な興味を集めてきた。また、その流路形態が漁業や船舶の運航などに与える影響の大きさから、流路変動を支配している力学機構の解明をめざして、現在に至るまで非常に多くの研究がなされてきた。それにもかかわらず黒潮の流路変動の物理機構については未だによくわかっていない。

 黒潮の流路変動に関して、現在解明されていない問題の一つとして、大蛇行流路と非大蛇行流路の間の遷移過程が挙げられる。大蛇行流路・非大蛇行流路ともに、いったん形成されると数年の時間スケールで継続するが、例えば非大蛇行流路から大蛇行流路への遷移過程は、

(1):九州南東沖での黒潮小蛇行、いわゆる「引き金蛇行」の発生(約1ヶ月)

(2):四国沖での引き金蛇行の東進(約3〜4ヶ月)

(3):潮岬を通過した引き金蛇行の急激な増幅、および、それに伴う「S字型流路」の形成(約1ヶ月)

と、合計しても約6ヶ月程度の、比較的短期間の現象に支配されていることが観測から明らかにされている。しかしながら、これら一連の過渡的応答からなる遷移過程を矛盾なく再現した数値的研究は未だに行われていない。

 本研究ではまず、この引き金蛇行の発生、東進とその途上での増幅がどのような過渡的応答のもとに起こるのかについて、海底地形を含まない、準地衡流・二層モデルを用いた数値実験を行うことによって考察を行った。その結果、引き金蛇行の形成時にトカラ海峡内で観測されているような、短期的な流速変動を強制的に与えることによって、観測結果とよく一致した引き金蛇行の発生過程、および、潮岬を通過するまでの引き金蛇行の東進過程を再現することに成功した。九州南東沖で発生した引き金蛇行は、下層に高気圧性渦と低気圧性渦とを励起しながら四国沖を東進していく。特に低気圧性渦は、境界面変位の等値線と直交する方向の移流効果によって生じる渦柱のstretchingを通して、上層の蛇行の谷が発達するのに重要な役割を果たしている。実際、下層の運動を静止させたreduced gravityモデルを用いて同様の数値実験を行った場合、九州南東沖で発生した小蛇行が東進とともに減衰してしまうという結果が得られた。このような、下層の低気圧性渦との相互作用によって上層の蛇行の谷が発達していくという計算結果は、四国沖を東進する引き金蛇行の増幅に、傾圧不安定が本質的な役割を果たすことを示している。

 次に、この単純化した数値モデルの結果をふまえつつ、現実的な海底地形、密度成層の効果を取り入れた、プリミティブモデルを用いた数値実験を行い、特に準地衡流・二層モデルでは再現できなかった、引き金蛇行が潮岬を通過した後の、S字型流路を経由した大蛇行流路への遷移過程に注目して考察を行った。従来の数値実験では、引き金蛇行を発生させるために、トカラ海峡内で観測されているような短期的な流速変動を強制的に与えているが、このような局所的な流速変動をもたらす要因の一つとして、最近、衛星海面高度計データの解析により明らかにされてきた、トカラ海峡付近へと西進してくる中規模渦[Ebuchi and Hanawa,2000]の役割が指摘されている。そこで、この数値実験では中規模渦をトカラ海峡付近へ入射させ、黒潮と直接に相互作用させることによって、トカラ海峡付近へ西進してくる中規模渦の存在が、引き金蛇行発生のトリガーとして作用する可能性についても調べた。その結果、九州南東沖で発生した引き金蛇行が、潮岬を通過後、S字型流路を経由して大蛇行流路へと遷移していくという、一連の過渡的応答を数値モデルで再現することに初めて成功した(図1)。まず、トカラ海峡付近へ接近してきた、高気圧性の強い中規模渦との相互作用によって、九州南東沖に引き金蛇行が形成される。形成された引き金蛇行は、準地衡流・二層モデルの場合と同様、下層に高気圧性渦と低気圧性渦とを励起しながら四国沖を東進し、潮岬を通過した後、約1ヶ月間でさらに急激に増幅してS字型流路を形成する。その後、蛇行の東西幅が広がるとともにその振幅が若干減少することで大蛇行流路が形成されていく。

 注目すべきことは、引き金蛇行が急激に増幅してS字型流路を形成する時期に、潮岬のほぼ真南約200kmに位置する膠州海山を取り巻くように、深層における高気圧性の循環が急激に発達する様子が見られることである。実際Fukasawa and Teramoto[1986]によって、1981年の大蛇行形成前のS字型流路の形成時に、潮岬沖約100km南方の海域において、東向きの深層流の強化が観測されている。これは、数値モデルで再現された膠州海山上での高気圧性の循環の強化と非常によく対応している。この膠州海山上の高気圧性の循環は、深層であるにもかかわらず、その流速が約0.1m/sにも達しており、等密度線と直交する方向の移流効果によって生じる渦柱のstretchingを通して、上層の蛇行の谷が発達するのに重要な役割を果たしている。同時に、膠州海山上の高気圧性の循環それ自体も、渦柱のshrinkingを通してさらに強化されていくため上層の蛇行の谷はより大きく発達していく。深層の高気圧性循環との相互作用によって上層の蛇行が発達していくという計算結果は、潮岬通過後の引き金蛇行の急激な増幅過程とそれに伴うS字型流路の形成過程に、海底地形、特に膠州海山の存在により著しく強化された、傾圧不安定の機構が主要な役割を果たすことを示している。このように、中規模渦の効果や膠州海山の存在をexplicitに考慮し、大蛇行流路の遷移過程における、それらの重要な役割を明らかにした数値的研究は、本研究が初めてのものである。

 以上の結果より、北太平洋上の風系の変化によって黒潮流量が増加し、黒潮が傾圧的に不安定になったときに、高気圧性の強い中規模渦がトカラ海峡に接近してくると大蛇行流路への遷移が起こるという、一連のシナリオを提出することができる。このシナリオは、日本南岸域における黒潮の流路変動を正確に予測するためには、北太平洋からの線形ロスビー波の伝播で説明されるようなグローバルなスケールの現象と、トカラ海峡における中規模渦と黒潮との相互作用のような局所的現象の両者を、正しく理解する必要があることを示唆している。今後は、黒潮の状態を規定している、黒潮流量の経年変動と北太平洋上の風応力場との関係といったグローバルなスケールの現象のみならず、引き金蛇行発生のトリガーとして作用する、高気圧性の強い中規模渦の発生・伝播過程についても、理論・観測の両面から考察をすすめ、このシナリオの有効性を検証していくことが必要であると思われる。

図1. PN線での流量が約25Svの定常な黒潮流路に、表層での最大流速0.5m/s、水平方向のe-foldingスケール100km、鉛直方向のe-foldingスケール400mの高気圧性のGaussian渦を131oE、26.5oN付近から接近させた場合の海面高度の計算結果と海洋速報の流路パターンとの比較。等値線の間隔は0.1m。

審査要旨 要旨を表示する

 日本南岸域における黒潮流路は興味深いことに大蛇行流路と非大蛇行流路の二様性を示す。この流路の二様性は、沿岸域の気象や漁業や船舶の運航などにも影響を及ぼすことから社会的にも大変関心のある話題である。学術的には流路変動を支配している力学機構の解明をめざして、多くの研究がなされて来たが、その物理機構についてはまだ未解明の部分が多い。特に大蛇行流路と非大蛇行流路の間の短期間の遷移過程についてはこれまであまり解明されて来なかった。たとえば非大蛇行流路から大蛇行流路への遷移は、九州南東沖での黒潮小蛇行、いわゆる「引き金蛇行」の発生(約1ヶ月)、四国沖での引き金蛇行の東進(約3〜4ヶ月)、潮岬を通過した引き金蛇行の急激な増幅、および、それに伴う「S字型流路」の形成(約1ヶ月)の過程からなるが、これらを合計しても約6ヶ月程度の、比較的短期間に行われる。これら一連の遷移過程を矛盾なく再現した数値的研究はこれまでに報告されていない。

 本論文は全四章からなり、第一章は黒潮蛇行の研究に関する総括的なレビューと後続の章の簡単な解説がなされる。第二章は日本南方におけるトリガー蛇行について二層の準地衡流モデルを用いて議論が展開される。第三章ではプリミティブ方程式系を用いて黒潮大蛇行の形成過程を初めて再現できたことが報告されている。第四章は結語である。

 まず、第二章では引き金蛇行の発生、東進とその途上での増幅という過渡的応答に焦点を絞り、海底地形を含まない、準地衡流二層モデルを用いた数値実験の結果に基づいて考察している。短期的な流速変動をトカラ海峡内で強制的に与えることによって、観測結果とよく一致した引き金蛇行の発生過程、および、東進過程をうまく再現することができた。九州南東沖で発生した引き金蛇行は、下層に高気圧性渦と低気圧性渦とを励起しながら四国沖を東進する。特に低気圧性渦は、境界面変位の等値線と直交する方向の移流効果によって生じる渦柱の伸びを通して、上層の蛇行の谷の発達に重要な役割を果たしていることが明らかになった。これは引き金蛇行の増幅に、傾圧不安定が本質的な役割を果たすことを示している。

 第三章では、前章で議論した単純化したモデルの結果を踏まえて、現実的な海底地形、密度成層の効果を考慮した、プリミティブ方程式系を用いて数値実験を行っている。引き金蛇行を発生させる、トカラ海峡内での局所的な流速変動をもたらす要因として、衛星海面高度計データの解析などから、西進する中規模渦の役割が指摘されている。そこで、この数値実験では中規模渦をトカラ海峡付近へ入射させ、黒潮と直接に相互作用させることによって、トカラ海峡付近へ西進してくる中規模渦が、引き金蛇行発生のトリガーとして作用する可能性について調べている。その結果、九州南東沖で発生した引き金蛇行が、潮岬を通過後、S字型流路を経由して大蛇行流路へと遷移していく一連の過渡的応答を再現することができた。注目すべきことは、引き金蛇行が急激に増幅してS字型流路を形成する時期に、潮岬のほぼ真南約200kmに位置する膠州海山を取り巻くように、深層における高気圧性の循環が急激に発達する様子を見出したことである。この膠州海山上の高気圧性循環は、深層であるにもかかわらず、その流速が約0.1m/sにも達しており、等密度線と直交する方向の移流効果によって生じる渦柱の伸びを通して、上層の蛇行の谷の発達に重要な役割を果たしている。同時に、膠州海山上の高気圧性の循環それ自体も、渦柱の縮みを通してさらに強化されるため上層の蛇行の谷はより大きく発達してゆく。深層の高気圧性循環との相互作用によって上層の蛇行が発達するという結果は、傾圧不安定の機構が主要な役割を果たすことを示している。

 中規模渦の効果や膠州海山の存在をあらわに考慮し、大蛇行流路の遷移過程における役割を明らかにした本研究は極めてユニークなものであり、日本南岸域における黒潮の流路変動を予測するための基礎となるものである。したがって博士(理学)を授与するのにふさわしい研究であると認める。なお、本論文の第二章、第三章は東京大学大学院理学系研究科日比谷紀之教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって計算、解析を行ったもので、その寄与は十分であると判断する。

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