学位論文要旨



No 115909
著者(漢字) 片桐,秀一郎
著者(英字)
著者(カナ) カタギリ,シュウイチロウ
標題(和) 赤外射出法を用いた上層雲の長期衛星モニタリングに関する研究
標題(洋)
報告番号 115909
報告番号 甲15909
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3953号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 住,明正
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 松田,佳久
 気象庁気象研究所気象研究部 主任研究官 井上,豊志郎
内容要旨 要旨を表示する

 近年、温室効果気体の増加に起因する地球温暖化が危機感を持って捉えられるようになり、大気大循環モデル(GCM)を用いた温暖化の研究が進められている。しかし、現在のGCMにおける雲の力学的・大気放射学的なモデリングは不十分であり、温暖化に伴う雲の挙動の不明確さは、全体としての温暖化予測の不明確さの主たる原因の一つである。特に放射収支に対し複雑な挙動を示す巻雲に関する知識は非常に不足しており、これまでに巻雲の微物理量の全球解析は行われておらず、また巻雲の放射強制力の符号についての議論も収束していない。

 本研究では人工衛星で得られた赤外窓領域2チャンネルと近赤外1チャンネル、計3チャンネルの放射データを用いて、巻雲の放射特性を決定する雲粒子の有効粒径、光学的厚さ、雲頂温度を全球にわたって求めるアルゴリズムを開発した。解析の原理は、光学的に薄い巻雲が衛星の視野内に存在した場合、赤外窓領域2波長に対する巻雲の射出率の差により、観測される2波長の輝度温度の間に差が生じることを利用している。解析法は精密な放射伝達モデルを用いて数値計算によりテーブルを作成し、それより解を求めるというルックアップテーブル法である。このアルゴリズムではサブピクセルの雲量の扱い、および下層に雲がある場合の扱いについて考慮されている。また、今回開発したアルゴリズムに適した全球の長期人工衛星データ解析用のセグメントデータセットを作成した。このセグメントデータセットのデータ構造は人工衛星データを用いた全球解析に適した構造をしている。

 今回、このセグメントデータを用いて1986年から1994年までの9年間の1月、4月、7月、10月についての長期解析を行い、巻雲の有効粒径、光学的厚さ、雲頂温度、雲量のデータセットを作成した。図1に有効粒径の緯度平均を示す。これらの解析の結果をISCCPのD2データと比較したところ、ISCCPでは雲頂温度を5〜10K程度高く評価してしまっていた。光学的厚さについてはISCCPと比べ、熱帯・亜熱帯ではおおよそ近い値となっている。しかし、中・高緯度側、太平洋では本研究の方が小さい値、大西洋では本研究の方が大きな値となっている。雲量はISCCPよりも本研究は過小評価であり、実際、本研究では解析出来たものより雲量を決めたため、解析出来なかった雲の分過小評価している。また、有効粒径についてはISCCPは有効粒径を求めていないので、航空機観測の結果から得られた有効粒径の雲頂温度依存性と比較した。本研究で得られた有効粒径は、どの雲頂温度に対しても航空機観測のものより小さく求まっている。これは、航空機観測では大きい粒子ほど観測されやすく、また、本研究はアルゴリズム上小さい粒子を選んで解析を行う傾向があり、また、球形を仮定した散乱位相関数を用いているため、非球形粒子については過小評価の傾向を持つことによると考えられる。しかし、230K程度より温度が高くなると、氷粒子が円柱型から砲弾集合型に変化し、粒径の温度依存性が急に変化するという性質は、本研究でも見えている。

 次に、本研究で解析された巻雲の微物理パラメータを用いて、巻雲による放射強制力を求めた結果、巻雲は加熱に働いていることがわかった(図2)。熱帯域では、巻雲の雲量が多い、雲頂高度が高い、地表面、海面温度が高い等の理由で特に強く加熱に働いている。しかし、実際は巻雲と他の種類の雲のオーバーラップなどがあるため、今回見積もられた放射強制力は大きめであるといえる。また、ISCCPD2データでの巻層雲の光学的厚さ、雲頂温度を用いて、巻雲より光学的に厚い巻層雲による放射強制力を求めたところ、短波放射の放射強制力と長波放射の放射強制力の中立線を回り込んで、加熱にも冷却にも働くことがわかった。したがって、巻層雲のように光学的に厚い雲が存在することにより、放射強制力は中立から冷却に働くといえる。また、以上のことを確認するため放射強制力の雲頂温度、粒径、光学的厚さに対する依存性を求めたところ、熱帯モデルの大気プロファイルで雲頂温度が220Kの場合、光学的厚さが5を越えると、その雲は冷却に働き、中緯度夏モデルの大気プロファイルでは235Kでは光学的厚さ2.5以上で冷却に働くようになっていた。

 つづいて、エルニーニョであった1987年と比較的平均的な年であった1990年について巻雲による放射強制力を計算し、その違いについて調べた(図3)。その結果、エルニーニョ時にはペルー沖赤道上で巻雲の発生が増え、そこでの放射強制力は6.04W/m2で1990年の3.99W/m2に比べ2.05W/m2増加していた。しかし全球平均での放射強制力は1987年が4.43W/m2であるのに対し、1990年は4.98W/m2でエルニーニョ時には0.55W/m2小さかった。これは、西太平洋域での放射強制力は1987年が6.88W/m2であるのに対し1990年は11.01W/m2と、エルニーニョ時の方が3.13W/m2と小さくなったため、全球平均での放射強制力は1987年の方が小さくなっている。

図1 有効粒径の緯度平均値 1986-1994年

図2 巻雲及び巻層雲による放射強制力の散布図

図3 1987年(エルニーニョ時)と1990年の巻雲による放射強制力の差

審査要旨 要旨を表示する

 最近、人間活動に起因する温室効果気体の増加に伴う地球温暖化問題が、重要な政治的・社会的な問題となり、温暖化予測の精度向上、影響評価、対応策の策定が焦眉の課題となっている。

 地球温暖化予測の精度向上の一つの重要な要因は、雲の気候に及ぼす影響の正しい評価である。一般的に、雲は、太陽放射を反射したり、地球放射を吸収したりするので、温暖化に対しては、正のフィードバックも、負のフードバックも及ぼし得る。この中でも、上層の氷からなる巻雲の地球の放射収支に及ぼす影響については、未だに不確定であり、重要な課題となっている。

 そこで、論文申請者は、巻雲の気候に及ぼす知見を得るために、人工衛星データに基づく長期間の全球解析を試みた。まず、アメリカの極軌道衛星NOAAに搭載されている赤外放射計(AVHRR)の赤外窓領域2チャンネル(10.8ミクロンと12ミクロン)と、近赤外1チャンネル(3.7ミクロン)の3チャンネルを用いた、巻雲の放射特性を決定する雲粒子の有効粒径、光学的厚さ、雲頂温度を求めるアルゴリズムを開発した。これまでの可視と赤外を用いたISCCPでの解析や赤外2チャンネル法では有効粒径、光学的厚さ、雲頂温度の3パラメータの内1パラメータを仮定する必要があった。申請者の解析の原理は、光学的に薄い巻雲が、衛星の視野内に存在した場合に、赤外窓領域2波長に対する巻雲の射出率の差により、観測される2波長の輝度温度に差が生じることを利用している。さらに、巻雲は薄いために、下層の雲や地表面の影響を受ける。このような影響を見積もるために、3.7ミクロンと10.8ミクロンの放射温度と温度差の分布の特徴を利用し、巻雲の下に下層雲が存在する多層構造の巻雲についても雲頂温度が決定できるよう工夫がなされている。

 今回は、このようなアルゴリズムを用いて、1986年から1994年の9年間の、1月、4月、7月、10月についての解析を行い、巻雲の有効粒径、光学的厚さ、雲頂温度、雲量の気候値データセットを作成した。特に、9年間に及ぶ全地球的な巻雲に関する有効粒径に関するデータセットは、世界でも始めての成果である。同様の成果は、ISCCP(衛星雲気候学)という国際プロジェクトによって行われているが、巻雲に関しては、有効粒径を仮定しているために、雲頂温度が、本研究に較べて5-10K高く評価している、という欠点を指摘している。また、論文申請者は、本研究で得られた粒径分布を、飛行機観測などと比較している。その結果によれば、全体として、本研究は小さい粒径分布を与えているが、その理由は、飛行機観測は大きな粒子を観測しがちであると言う点と、本研究のアルゴリズムが、粒径の小さいのを選びがちであることによると考えられる。

 本研究で得られた巻雲の微物理パラメータを用いて、巻雲による放射強制力を計算した結果、巻雲は加熱に働いていることが明かにされた。特に、熱帯域では、巻雲の雲量が多く、雲頂高度が高く、地表面温度が高いなどの理由で、特に強く働いていることが分った。また、ISCCPから得られた巻層雲のデータに本研究から得られた雲の微物理パラメータを適用して放射強制力を計算してみると、光学的に厚くなるにつれて、冷却に働くことが示された。

 また、エルニーニョが発生していた1987年と比較的平均的な1990年について巻雲に伴う放射強制力の差を求めた。その結果によると、エルニーニョ時のペルー沖では、巻雲の発生が増加するなどのために2.05W/m2増加するが、一方、西太平洋域では雲が減少するために、3.13w/m2減少しており、全球平均としては、0.55W/m2少なくなっていた。

 以上のように、本研究では、巻雲の雲の微物理パラメータを求めるアルゴリズムを開発し、世界に先駆けて巻雲の微物理パラメータの長期間に及ぶグローバルなデータセットを作成した。また、そのデータセットに基づき、巻雲の地球温暖化に及ぼす効果が正(温暖化を促進する)であることを明らかにした。

 以上の結果は、気候システム科学に新しい知見を与え、気候システム科学の発展に大きく寄与したと認められ、本申請者は、博士(理学)の学位にふさわしいと判断した。

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