学位論文要旨



No 115911
著者(漢字) くぬ刀,卓
著者(英字)
著者(カナ) クヌギ,タカシ
標題(和) 気圧・海洋荷重に対するサブサイスミック帯域における地殻ひずみ応答特性 : 長周期水平地震動の高精度観測に向けて
標題(洋)
報告番号 115911
報告番号 甲15911
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3955号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大久保,修平
 東京大学 教授 深尾,良夫
 東京大学 教授 菊地,正幸
 東京大学 教授 川勝,均
 東京大学 教授 石井,紘一
内容要旨 要旨を表示する

[はじめに]

 地震学の一層の発展を妨げている問題の一つに,長周期における水平地震計記録の雑音レベルの高さが挙げられる.世界中のほとんどの地震観測点において,水平動地震記録は上下動地震記録にくらべ,雑音レベルが高いことが報告されている.特に,水平動の雑音レベルの高さは100秒以上の長周期で卓越するため,長周期地震学の研究にとって大きな障害となっている.この高い雑音レベルの原因として,多くの研究者が傾斜変動に水平動地震計が応答している可能性を指摘している.水平動地震計は振り子を用いたセンサーであり,傾斜と水平加速度の分離は原理的に不可能である.したがって,地震計による長周期水平地震動観測の高い雑音レベルは,本質的に避けがたいものである.このため,振り子を用いない観測機器で地震観測を行うことが考えられてきた.この目的のために,伸縮計などを用いた水平ひずみ計測による水平地震動観測が注目されている,伸縮計は,石英管などでできた基準尺を用いて,二点間の距離の変化を計る機器である.さらに,伸縮計にかわってレーザー干渉計が使われるようになり,水平ひずみ計測に使われるセンサーの性能はしだいに向上してきている.したがって,高精度の長周期水平地震観測を実現させるためには,高性能レーザー干渉計を用いた水平ひずみ計測を試すべきである.既存の機器を使って観測をする場合や,高性能の観測機器を開発する場合の,いずれにおいても,対象となる観測量の雑音特性を把握することは大切である,水平ひずみ観測の主要な雑音源は,固体潮汐ひずみを除けば,表面荷重の変動とされている,表面荷重の主なものとしては,海洋荷重と気圧荷重があげられる.しかしながら,潮汐帯域より短周期の地震波帯域のような周期では,もっとも主要な雑音源である海洋荷重と気圧荷重に対する地殻の応答に関してさえ,十分に明らかになっているとは言いがたい.これは,伸縮計観測の研究の対象が,地殻変動帯域を主体としていたからである.また,地殻変動帯域で観測された現象の解釈にも,適切な表層構造を考慮していないなどの問題点があり,観測と理論計算の一致は必ずしもよくない.また,気圧変動による地殻ひずみ応答の理論計算には,気圧の空間分布を考慮していないことや,地球を半無限弾性体で近似する場合がある,などの問題点がある.以上にのべた状況から,本論文では,いまだ明らかになっていない,潮汐帯域より短周期での気圧・海洋荷重に対する地殻ひずみの応答特性を明らかにし,水平ひずみ計測による高精度水平地震動観測に必要な基礎知識を蓄積することを目的とした,観測と解析に基づく研究について報告する.

[鋸山での観測]

 現在の水平ひずみ計測は地殻変動観測を目的として行われるのが普通であり,潮汐帯域より短周期での解析に向いたデータはなかなか存在しない.そのため,鋸山観測所に設置されている三成分石英管伸縮計の出力を独自にサンプリングして,データ取得を行った.鋸山観測所は房総半島に位置する東京大学地震研究所所属の観測所である.観測坑道は3本の坑道からなり,40m長の石英管伸縮計が3本の坑道に1成分ずつ設置されているほか,気圧計,潮位計も設置されていて,水平ひずみ計測における,気圧・海洋荷重の影響を研究するには適した場所である.また,海岸から1kmほどの場所にあり,潮位変動の影響を受けやすい場所にある.この観測により,1997年12月〜1998年5月の石英管伸縮計の連続データが使用可能となった.ここで得られた記録から,各機器の機械ノイズレベルを検討した結果,データ解析に使える帯域の上限は1000秒程度であることがわかった.そのために,本研究の対象とする帯域は,1000秒〜10000秒の,いわゆるサブサイスミック帯域とした.伸縮計と潮位計の観測データの比較をしたところ,周期が2200秒の東京湾の湾水固有振動による海洋荷重変動に対するひずみ応答が見つかった.また,伸縮計と気圧計の観測データの比較からは1998年1月8日の関東南岸の低気圧通過による,2時間で約6hPaの気圧低下と,それに対応する,ひずみ変化が検出された.

[計算手法の改良]

 一般に,気圧荷重や海洋荷重によるひずみ応答の理論計算は,荷重分布と荷重グリーン関数の畳み込み積分を評価することで行われる.本研究では,既存の手法を改良し,平面極座標系のグリッド配置と,荷重近傍でのグリーン関数の解析解表現を用いて,効率化を図った畳み込み積分計算手法を開発した.この計算手法を用いて,モデル的な気圧分布を与えて,球対称地球モデルの地殻ひずみ応答を計算した.計算結果からは,半無限弾性体で近似した応答にくらべると,面積ひずみ応答の振幅が数10%に減少することがわかった.したがって,地殻ひずみの気圧応答の解析に際して,地球を半無限弾性体で近似することには注意を要するといえる.

[解析]

 改良した計算手法をもちいれば,さまざま球対称地球モデルに対するひずみの荷重応答を効率よく計算できる.まず,周期が2200秒の湾水固有振動による海洋荷重変動に対するひずみ応答の観測値と理論値を用いて最適な表層構造の決定を行った.結果は,表層の厚さ3kmのとき,密度2.20g/cm3,P波速度3.12km/s,S波速度1.60km/sが最適な表層の物性値となった.なお,表層より下部の地球モデルとしては,標準地球的な地球モデルである,PREMモデルを用いている.次に,この表層構造のもと,1998年1月8日に観測された,低気圧通過による鋸山のひずみ応答を計算した.気圧荷重分布として,気象庁の東海・南関東の体積ひずみ観測網に併設されている気圧計の10分値を,時間ごとに空間補間したものをあたえることで,実際の気圧の時空間変動を考慮した.この計算結果と観測記録を,0.1mHz-0.8mHzの帯域で比較したところ,計算結果(図の3の実線)は,観測された面積ひずみの気圧応答(図の1)の10分の1程度にしかならなかった.この原因を調べて見ると,観測点から半径500m以内の気圧荷重による面積ひずみ応答(図の3の点線)を,それより外側の気圧荷重による応答(図の3の破線)が打ち消すようになっていることがわかった.これは,半無限弾性体近似の計算ではみられない,成層地球モデル特有の現象である.一方,観測所周辺の地質を検討した結果,鋸山観測所は,周囲より地質年代が新しい鋸山向斜という地質構造の中に位置していることがわかった.地質年代と岩相から期待される構成岩のP波速度は2km/s程度であり,仮定した表層構造よりも柔らかい物性値となっている.したがって,このような水平方向不均質の存在が観測点に近い場所の面積ひずみ応答のみを増幅させれば,観測と理論の一致が見られる可能性がある.この効果をごく簡単に考慮して,再計算を行ったところ,観測された面積ひずみ応答と計算結果の位相および振幅を,ほとんど一致させることができた(図の1と図の2).また,計算された面積ひずみ応答は,鋸山の観測気圧値と高い相関を持ち,その極性は,気圧増に対し面積ひずみが縮みである.これは,多くの観測事実と一致する1また,この直上の気圧値に面積ひずみが反比例するという結果は,半無限弾性体を仮定して行った計算結果に一致する.一方,計算されたせん断ひずみは,観測されたせん断ひずみと比べると,100分の1以下と著しく小さい.ただし,今回の計算では,気圧の時空間分布を作成する際に用いた気圧観測点の間隔の制約のため,短波長の気圧分布の影響を大きく受けるせん断ひずみ応答を,正しく評価できていない可能性がある.そこで,観測記録にいくつかの補正を加えて,短波長気圧分布によるせん断ひずみ応答の上限を見積もったところ,0.1mHz-0.8mHzの帯域では,10-10〜10-9strainのオーダーであることがわかった,

[議論]

 いままで,面積ひずみと直上の気圧値の相関が高いという観測事実は,地球を半無限弾性体と仮定した理論計算で説明されてきた.しかし,本研究では,より現実的な成層地球モデルの計算結果と半無限弾性体を仮定した計算結果が一致しないことを示した.ただし,水平方向不均質の影響で観測点近傍のひずみ応答が増幅している場合は,半無限弾性体を仮定した計算結果にほとんど一致することがわかった.これは,しばしば報告される,面積ひずみと直上の気圧値の相関が高い観測点では,水平方向不均質の影響が,少なからずあるということを示唆する.また,解析でもとめられた,短波長気圧分布によるせん断ひずみ応答の上限である10-10〜10-9strainは,さまざまな補正をおこなってもなお残る,せん断ひずみの背景雑音の上限でもある.したがって,せん断ひずみ計測を行う機械の自己ノイズは10-10strain以下であることが望まれる.このような,高精度のせん断ひずみ観測を,比較的短い10m程度の基線長で行えるものとして,重力波天文学の分野で開発が進んでいる直交レーザー干渉計がある.

[まとめ]

 本研究において,いままで経験的に知られてきた観測事実が,現実的な気圧分布,表層を考慮した地球モデル,水平方向不均質の存在などを考慮にいれた計算でも裏付けられたこれらは,水平ひずみ計測を行う際の基礎知識として重要である.また,直交レーザー干渉計の一部分は,名古屋大学犬山地震観測所にて,すでに試験中であり,今後の地震学の発展にとって不可欠な,長周期水平地震動の精密観測を実現するものとして期待される.

(図)

水平方向不均質を考慮して計算した面積ひずみの気圧荷重応答と観測との比較(pass band 0.1mHz-0.8mHz)

水平方向不均質を考慮しない計算結果

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、伸縮計,気圧計,潮位計の記録を比較分析し,水平ひずみ観測における気圧・海洋荷重変動起源のノイズ特性を明らかにしたものである.本論文は6章から構成されている.第1章では,振り子型地震計による水平動検出の限界を越えるため,レーザー干渉計等を用いた水平ひずみ計測による精密水平地震動観測が注目されていることと,その雑音源としては海洋荷重と気圧荷重の変動が主であることが述べられ,関津する既往の研究がレビューされている,このレビューは出色め出来であり,当該分野を概観するのに有用である.このレビューを踏まえて,本論文の目的を,いまだ明らかになっていない潮汐帯域より短周期側での気圧・海洋荷重に対する地殻ひずみの応答特性を解明し,水平ひずみ計測による精密水平地震動観測への応用を議論することに設定している.また,既存の研究で扱われてこなかった適切な表層構造と現実的な気圧の空間分布を考慮して解析することと,その結果従来常識とされていたことが覆ってしまう場合のあることを発見したことをもって,本論文の特色としている.本論文では,東京大学地震研究所の鋸山観測所設置の三成分石英管伸縮計の出力を高速サンプリングしてデータセットを得ている.この高速サンプリングシステムのインストールと受信・編集は論文提出者の独自の貢献である.第2章では,鋸山での観測とデータの特徴が記述され,記録に含まれる機器ノイズの性質から,本論文の対象とする帯域が1000秒〜10000秒のサブサイスミック帯域となったことが述べられている.

 本論文では,以下のように,観測された記録を定量的に再現することを通じて,気圧・海洋荷重に対する地殻ひずみの応答特性を明らかにしようとしている.第3章には,論文提出者の工夫により改良された表面荷重に対する地殻ひずみ応答の計算法が記述されている.この手法は従来の計算法にくらべて計算精度が極めて高い.この章では,モデル的な気圧分布に対する地殻ひずみの応答も計算され,表層物性値の半無限弾性体で地殻を近似した計算に比べると,球対称成層地球モデルで計算した面積ひずみ応答の振幅は数10%程度に減少すること,および,気圧変動によるせん断ひずみ応答は,観測点の気圧値とは相関がなく,気圧の空間分布の影響を受けるという特徴が明らかにされている.第4章では実際に得られたデータの解析について記述している.まず,伸縮計および潮位計の観測データと理論海洋荷重応答の比較から最適な表層構造モデルの決定が行われている.この構造モデルにより観測データはひずみ三成分ともよく説明できている.次に,この表層構造のもと,観測期間中の最大気圧擾乱時のひずみ応答が計算されている.この部分は本論文の一つのハイライトと言うべき部分であり,関東東海地方の多点気圧データを用いたひずみ応答が詳しく計算されている.このような試みはかってなかったものである.この計算結果と観測記録を,0.1mHz-0.8mHzの帯域で比較したところ,計算された面積ひずみは観測の15分の1程度にしかならないことが明らかになった.そのため,観測点付近の構造異常の効果を考慮した再計算が行われている.その結果,観測された面積ひずみ応答と理論応答の位相および振幅をほぼ一致させることが出来ている.現実的な構造異常を考慮することで,理論と観測の一桁以上の食い違いを説明できたことは特筆すべき成果である.第5章では,サブサイスミック帯域における気圧・海洋荷重の応答特性について考察している.面積ひずみや体積ひずみと直上の気圧値の相関が高いことは,よく知られた観測事実である.本論文の解析および理論計算から,水平方向不均質の影響で観測点近傍のひずみ応答が増幅する場合に,この現象が起きることがわかった.一方,水平方向不均質の影響で観測点近傍のひずみ応答が減少する場合は,半無限弾性体近似などの単純なモデル計算での予測値と極性が反転する場合があるという予想外な結果を得ている.また,せん断ひずみの気圧応答は,面積ひずみに比べると小さいという観測事実も知られていた.この現象は,実際の気圧変動がせん断ひずみを発生しにくい空間分布になっているために起こるということを明らかにした.さらに,解析結果の高精度水平地震動観測への応用も議論している.データ解析から,せん断ひずみ計測に用いるセンサーの機械ノイズレベルは,0.1nano strain以下であることが望ましいことを指摘し,このような精密計測を実現させるために,直交光路レーザー干渉計を用いた直接せん断ひずみ計測を提案している.この試作機はすでに長期試験観測の段階に入っており,設置と観測の部分は論文提出者の手によるものである.第6章は以上の内容のまとめである.

 以上の内容から,本論文は地球物理学の特に地震計測分野に重要な貢献をしたものと判断される.したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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