学位論文要旨



No 115923
著者(漢字) 永島,達也
著者(英字)
著者(カナ) ナガシマ,タツヤ
標題(和) 中層大気に於けるオゾン減少の役割
標題(洋)
報告番号 115923
報告番号 甲15923
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3967号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,豊
 東京大学 教授 中島,映至
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 助教授 岩上,直幹
 東京大学 助教授 今須,良一
内容要旨 要旨を表示する

 中層大気は力学過程・放射過程・化学過程が密接に関連しあった結合系として捉える事が可能である。その結合系の中で、成層圏オゾンが果す役割は非常に大きな物である事が知られている。何故なら、オゾンは太陽紫外線の吸収、遠赤外線の放射吸収を通して、中層大気の非断熱的構造の形成に大きく影響を及ぼすからである。しかしながら近年、その成層圏オゾンに顕著な減少傾向の見られることが、各種の観測により明らかになってきており、その減少と人間活動に伴って大気中に大量排出されている幾つかの化学物質の関連が取り沙汰されるようになっている。このような成層圏オゾンの変化は、中層大気の結合系を通じて、中層大気の温度場、循環場に影響を与え、引いては、対流圏にまで影響を及ぼす可能性も指摘され始めている。実際、成層圏の幾つかの領域では顕著な気温の低下傾向が報告されているが、そのような変動の原因が成層圏オゾンの減少と言えるか否かについては、意見が分かれており、特に北半球高緯度下部成層圏の低温化については、研究の進展が待たれている状況と言える。一方、このような成層圏気温の低下傾向は、今後更にオゾン減少が進行してしまう事を予期させるが、それがどの程度の規模になるかは、現在想定されている化学物質の排出規制等を考慮しながら、適当な数値モデルを用いて検討していく必要がある。そこで、本研究では大気大循環モデルを基礎として、その中に中層大気の化学過程を組み込み、上述の結合系を陽に表現したモデル(化学大循環モデル)を開発し、これらの問題を考察する事にした。

 開発した化学大循環モデルを用いて、1990年代の化学物質量を想定した実験を行った所、同時期に観測されたオゾン全量の季節進行の様子を比較的よく再現する事が出来た(図1)。南極オゾンホールや北半球高緯度のオゾン減少も、モデルに組み込んだ化学過程の作用により計算可能である事が確認されたため、このモデルを用いて、(1)成層圏気温低下傾向の要因の検証、及び(2)今後のオゾン層予測実験、の2つの問題について考察を進める事とした。

 (1)に対しては、1986年から2000年までの各種化学物質量と、海面水温(SST)の変動を様々に想定した15年間の感度実験を5種類行い(表1)、各実験の結果を比較する事によって成層圏気温低下傾向の要因を検討した。

 計算された中層大気の気温は、実際に観測される低温化の様子を比較的よく再現している(図2)。特に、中上部成層圏、及び南半球高緯度春季における気温低下傾向を再現しており、前者は大気中のハロゲン量の増加に伴うオゾンの減少が引き起こす短波放射加熱の減少と、CO2の大気中濃度の増加に伴う大気の冷却がほぼ同程度の寄与を示している事が分った。一方、南半球高緯度の10月から12月には南極オゾンホールに相当する大規模なオゾン減少が再現され、その約1ヶ月後には気温の低下傾向も認められた。実験期間の前半と後半における各種気温変動要素(短波放射加熱・長波放射加熱・力学的加熱)の変化を調べた所、10月/11月にはオゾン減少に伴う短波放射加熱の減少が起こっており、これによって気温低下傾向が説明できる事が確認された。一方、気温低下が起こっている領域の上層(約10hPa)で`は、観測でも見られるような気温上昇域が再現された。この気温上昇には、同高度における下降流の増大が大きく寄与している事が示唆された。

 一方、上記の15年間の実験では北半球高緯度下部成層圏に於いて、有意な気温減少傾向は計算されなかった。気象場の年変動が卓越したためである。そこでEXP1/EXP2/EXP3に関して実験期間を更に10年延ばした実験を行った所、EXP1のみで北半球高緯度下部成層圏の1月から4月にかけて有意な気温減少傾向が再現された。また、EXP2にも有意ではないが気温低下の傾向が計算され、EXP3では計算されなかった。これにより、北半球下部成層圏の気温低下傾向にはSSTの変化が大きく影響している事が示唆された。

 熱帯から北半球中緯度の下部成層圏・上部対流圏には、対流圏変動の影響と見られる特徴的な気温の変動が見られた。各種気温変動要素を解析すると、熱帯の70hPa付近に見られる気温減少傾向は、同高度における力学的加熱量の減少が原因と考えられ、主に上昇流の強化が影響している。一方、北半球中緯度(30°Nから45°N)の125hPa付近には顕著な気温上昇傾向が見られ、この気温上昇にも力学的な加熱が大きく作用しており、下降流速度の増加が見られた。一方、TEM方程式系の質量流線関数の変動傾向を調べた所、上記の2領域を繋ぐような形で、成層圏の循環が強化されている様子がわかる。つまり、熱帯から北半球中緯度の下部成層圏・上部対流圏に見られる気温の変動傾向は、成層圏循環強化の一側面を見ていた事になる。また、対流圏に於いてもハドレー循環が強化されており、これが成層圏循環の強化と撃がっている様子が見られた。このような循環の強化はオゾンの変動傾向とも整合的と言える。このような一連の変動傾向は、SSTの変化を考慮に入れた実験でのみ再現されるが、この実験で使用したSSTデータの熱帯域では海水温の上昇が見られ、それに伴って対流活動が活発化した事が、ハドレー循環の強化に繋がっていると考えられる。一方、SSTの変動が成層圏循環の変動にどのように影響を及ぼしているのか判断は難しいが、ハドレー循環の強化及び中緯度における惑星波動の活動を変化させる事によって、成層圏循環の変動が起こっている可能性が示唆される。また、このような成層圏循環の強化に伴って、中緯度、特に北半球中緯度の下部成層圏・上部対流圏に気温の上昇傾向が生じているが、これにより同高度域における気温の南北勾配が大きくなり、北半球高緯度成層圏のほぼ全域で、冬季から春季の西風が強くなっていた。この西風の強化は極向きの熱輸送が減少する事と表裏の関係にあり、既に述べたような北半球高緯度成層圏の気温低下傾向が引き起こされたものと解釈できる。一方、その気温低下傾向は、EXP2の方がEXP1よりも、特に下部成層圏の2月から4月において小さい値を示していたが(EXP1:-3K/10年,EXP2:-1.4K/10年)、これは、両者とも上記したような熱輸送の減少に伴って下部成層圏の気温が冷えていくものの、EXP1には低温下でのオゾン破壊化学反応系が組み込まれているため、オゾンの破壊が起こり、春(2月から4月)の短波放射加熱を減少させている事が原因であった。気温トレンドの値から北半球下部成層圏春季の気温低下傾向に対する、力学的な作用と化学的な作用の寄与を見積もると、ほぼ1:1という結果であった。

 次に1986年から2050年までの化学境界条件(ハロゲン化合物,CO2)及びSSTの変動を考慮した65年間のオゾン層予測実験を行った。計算された南極オゾンホールは、TOMS観測の存在する期間で観測されたオゾンの経年変化を良く再現していた(図3(b))。計算された南極オゾンホールは、最初の15年程度は広さ・深さともに拡大していき、その後2015年位までほぼ同規模で推移する。その後、2030年までかけた比較的ゆっくりとした回復の後、2030年から2035年にかけて急激に回復し、2040年代後半には220DUという、1980年代の値にまで回復した。このような南極オゾンホールの長期的な推移は、モデルで計算された下部成層圏における無機塩素総量の推移にほぼ等しい。一方、CO2の変動及びSSTの変動を考慮しない実験を同期間行った所、計算される南極オゾンホールの長期的な推移は、考慮した場合と比べてほとんど変化しなかった。CO2の大気中濃度の増加及びSSTの変化に伴う成層圏循環の変化は、南極オゾンホールには余り影響しないようである。

 一方、北半球高緯度における計算結果は、今後も南極オゾンホールのような大きなオゾン破壊は起こりそうにも無い事を示している(図3(a))。(1)の実験結果が示した所によれば、北半球高緯度下部成層圏の冬季から春季における気温低下傾向は再現されてはいるが、高々-3K/10年程度であり、大気中の塩素負荷が最大になる2015年程度までに約8K程度の気温低下にしかならない。この気温低下には約半分程度化学的なオゾン減少の効果が入っているが、そのオゾン減少自体が非常に小さく、気温低下は余り大きくならない。更に大気中の塩素負荷の減少にともなって化学的なオゾン減少も小さくなっていくため、気温はそれ以上低下せず、結果として大きなオゾン減少は、今回の計算では起こらなかった。

図1: 経度平均したオゾン全量時系列。(a)TOMSによる5年間(1990年〜1994年)の平均値、(a)実験の平均値である。コンター間隔は20DU。

表1: 各実験の設定

図2: EXP1で計算された、年平均・経度平均した気温のトレンド[K/10年]。コンター間隔は、0.2K/10年であり、淡トーンは95%、濃トーンは99%の信頼区間を示す。

図3: オゾン層予測実験で計算された、(a)64°N以北の3/20〜4/10におけるオゾン全量最低値(b)64°S以南の10/20〜11/10におけるオゾン全量最低値。▲はTOMSにオゾン全量観測から求めた同様の値

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は主な部分として3つの章からなり、第2章は3次元化学大循環モデルを用いた成層圏オゾン分布の再現実験、第3章ではそのモデルを用いた近年の成層圏気温低下傾向の検証、第4章では今後のオゾン層変動予測実験について述べられている。

 近年、成層圏オゾンに顕著な減少傾向の見られることが、各種の観測により明らかになってきている。また、成層圏のいくつかの領域では顕著な気温の低下傾向も報告されている。このような気温低下の原因が成層圏オゾンの減少といえるか否かについては、意見が別れており、特に北半球高緯度下部成層圏の低温化については、研究の進展が待たれている状況である。このような成層圏気温の低下傾向は、今後さらにオゾン減少が進行してしまう事を予期させるが、これがどの程度の規模になるかは、適当な数値モデルを用いて検討していく必要がある。

 第2章では、今回開発された化学大循環モデルの概要、およびこれを用いたアンサンブル実験の結果を示している。モデルは33種の化学成分が関与する50本の均一化学反応と24本の光解離反応を含んでいる。さらに、極域成層圏雲(PSC)の生成量をモデルが計算する気温場、水蒸気量、硝酸蒸気量を用いて陽に計算しその上での不均一反応を考慮している。アンサンブル実験を行うことにより、1990年代のオゾン全量の季節進行の様子を比較的よく再現する事ができ、南極域オゾンホールや北半球高緯度のオゾン減少も、モデルに組み込んだ化学過程の作用により計算可能である事を確認している。

 第3章ではこのモデルを用いて最近の成層圏気温低下傾向の要因の検証を行っている。具体的には1986年から2000年までの各種化学物質量や、海面水温(SST)の変動を様々に想定した15年間の感度実験を5種類行い、各実験の結果を比較する事によって要因を検討している。計算された中層大気の気温は、中上部成層圏における気温低下を良く再現している。これについては大気中のハロゲン量の増加に伴なうオゾン減少が引き起こす短波加熱の減少とCO2の大気中濃度の増加に伴う大気冷却がほぼ同程度の寄与を示していることが分った。一方、南半球高緯度の10月から12月には南極オゾンホールに相当する大規模なオゾン減少が再現され、その1ケ月後には気温の低下傾向も認められた。10月/11月にはオゾン減少に伴う短波放射加熱の減少が起こっており、これにより気温低下傾向が説明される。一方、気温低下が起こっている領域の上層約10hPaでは下降流の増大にともなう気温上昇が再現されている。

 北半球高緯度下部成層圏においては年々変動が卓越しているため、さらに10年実験期間を延長している。それによると、北半球高緯度下部成層圏気温低下傾向にはSSTの変化が大きく影響している。熱帯から北半球中緯度の下部成層圏、上部対流圏には、特徴的な気温変動が見られ、熱帯70hPa付近の気温減少傾向は上昇流の強化が影響している。北半球中緯度の125hPa付近には下降流の増加が見られた。それに伴い、極域気温の南北勾配が大きくなり、北半球高緯度成層圏のほぼ全域で冬季から春季の西風が強くなり、熱輸送が減少している。一方、この気温低下に伴いオゾン破壊が起こり春の短波放射加熱を減少させており、北半球下部成層圏春季の気温低下傾向は、力学的作用と化学的作用の両者が1:1の寄与をしていることを示している。

 第4章では、1986年から2050年までのオゾン層予測実験を行っている。計算された南極オゾンホールは、TOMS観測期間は良く再現している。その後2015年位までは同じ規模で推移し、その後2040年後半に1980年代にもどると予想されている。これは下部成層圏の無機塩素総量の推移にほぼ等しい。北半球高緯度においては、気温低下傾向は大きくなく、塩素負荷の減少に伴いオゾン減少も小さくなっていく結果となっている。

 最近の成層圏温度の低下傾向とオゾン変動をむすびつけた詳細なモデル研究はこれまでになく、きちんとした化学大循環モデルによるオゾン予測は始めての研究である。以上のような研究は気象学に新しい知見をあたえ、気象学の発展に大きく寄与したと判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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