学位論文要旨



No 115929
著者(漢字) 堀,和明
著者(英字)
著者(カナ) ホリ,カズアキ
標題(和) 更新世末期から完新世の海水準変動にともなう長江沿岸河口域の堆積システムの発達
標題(洋) Evolution of coastal depositional systems of the Changjiang River in response to latest Pleistocene-Holocene sea-level changes
報告番号 115929
報告番号 甲15929
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3973号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 地質調査所 主任研究官 斎藤,文紀
 東京大学 助教授 春山,成子
 東京大学 助教授 池田,安隆
 東京大学 助教授 茅根,創
内容要旨 要旨を表示する

 沿岸域の堆積システムは,主として海水準変動によって支配される海進・海退サイクルにともなって変化する.沿岸域の堆積システムが変動する海水準に応答してどのように展開,累重し,地層として保存されてゆくのかを明らかにすることは,地層形成についての理解を深める上でも,また地質記録から海水準変動を推定する上でも重要である.これまでに,氷期・間氷期オーダーのサイクルではシーケンス層序学に基づいた地層形成モデルが提示されているが,より細かな海水準の変動に対応したシステムの応答に関しては実証的な研究はなされていない.一方,現在世界の沿岸域で見られる堆積システムとその分布は,過去約7仙年間の緩やかな海水準の変動(海水準の上昇・低下:<1-2m/ky)と堆積物供給量に支配されている.しかし,海水準上昇速度は,融氷期などでは10-30m/kyrにも達することが知られており,それらの変動に応答した沿岸域のシステムとその展開を,現在の沿岸システムに見ることはできない.このような海水準変動に対する沿岸堆積システムの応答は,陸棚域では外浜侵食によって堆積物の被保存能力が小さく海水準上昇期の地層が残りにくいこと,また,堆積速度が小さいために高分解能の解析が一般に難しいことから,炭酸塩のサンゴ礁を除いて詳細な研究がほとんどおこなわれていない.

 このような中で,近年,氷期の海水準低下にともなう河川の下刻作用により形成された開析谷を充填する堆積物に注目が集まるようになった.これは,開析谷が地形的凹地をなしていること,河口部に位置し土砂供給量が大きいこと,沿岸域の営力の影響が小さいことなどから,海水準上昇期の堆積物を保存しやすいためである.開析谷を充填する地層の形成と海水準変動との関係を高い精度で議論するためには,過去の海水準変動が詳しくわかっており,14C年代測定結果によって詳細に地層に同時間線を入れることのできる最終氷期最盛期以降の堆積物を研究対象とするのがよい.しかし,従来の研究では,詳細な堆積相・堆積システムの記載の欠如や,堆積物の層厚が薄く高解像度での解析に適していなかったこと,絶対年代値の不足などから,時間分解能が低く,海進・海退の一連のサイクルを通しての堆積相と堆積システムの累重様式が実証的に示されていなかった.これらの問題を解決するには,堆積速度が大きく,かつ高海水準期堆積体の発達がよい地域を研究対象とすることが望ましい.

 本研究では,河口域に発達する沿岸堆積システムの,堆積物や堆積システムの特徴を解析し,堆積システムの海水準変動への応答を明らかにして,海進・海退の一連のサイクルで形成される河口域の沿岸堆積システムの発達モデルを提示する.堆積システムの発達過程を高解像度で明らかにするために,厚さ80-90mの開析谷充填堆積物をもち,海退期のデルタの発達もよい長江河口域を調査対象地域として選んだ.

 陸上デルタ上から採取した長さ60-70mの3本のコア(CM97,J S98, HQ98)を試料として用いた.採取したコアについては,半裁した後,詳細な記載, AMSによる14C年代測定,砂泥含有率の測定,砂質部の粒度測定,軟X線写真撮影,カラー写真撮影をおこなった.

 開析谷充填堆積物は,岩相,堆積構造,砂泥含有率,含有化石などから,10の堆積相に区分され,それらは下位から河川,エスチュアリー,デルタの大きく3つにまとめられた.なお,JS98のみに約8-3 kyr BPにかけて,サンドリッジ堆積物がみられた.これは,JS98地点が現在のデルタ北側に発達する放射状サンドリッジの端に位置していたためだと考えられる.3つの主な堆積相のうち河川相はトラフ状斜交層理で特徴づけられる上方細粒化を示す淘汰のよい細〜中粒砂からなる.エスチュアリー相は厚さ30m程度で下位からTidal river, Distributary channel, Muddy intertidal to subtidal flat,Transgressive lag, Estuary frontからなり,全体に上方細粒化を示す.デルタ相は厚さ30m程度で,Prodelta, Delta front, Delta plainからなる.粘土質のProdelta相からそれを覆う砂質のDelta front相にかけて上方粗粒化,Delta frontからDelta plainにかけて上方細粒化を示す.河川相以外では,砂と泥の薄い互層や2方向の古流向を示す斜交葉理など,潮汐の影響を受けて形成される堆積構造が頻繁にみられた.砂泥互層のなかには砂層の厚さが周期的に変化するものがみられ,これらは大潮 小潮周期を記録していると考えられる.14C年代測定の結果から,コア採取地点においては,河川相は約11kyr BP以前,エスチュアリー相は約11-8kyr BP,デルタ相は約8kyr BP以降に堆積したことが明らかになった.また,堆積速度はエスチュアリー堆積物で平均約10m/kyr, Prodelta堆積物の堆積速度は約1m/kyrであった.堆積速度はProdeltaからDeltaf rontにかけて急増し,Delta frontでは最大10m/kyr程度に達していた.

 以上の結果に基づいて,開析谷および開析谷上に発達したエスチュアリーおよびデルタシステムの構造を考察した.エスチュアリーシステムは,開析谷の中に出現し,堆積物の特徴から潮汐卓越型であったことがわかる.従来,潮汐卓越型エスチュアリーの堆積相モデルは,海側からの堆積物供給に比べて河川からの堆積物供給量が小さいエスチュアリーに基づいて組み立てられていた.一方,長江の開析谷の中に出現したエスチュアリーは河川からの堆積物供給量が非常に大きいことで特徴づけられる.このことは潮汐卓越型エスチュアリー内にみられる地形の相違にもつながっている.したがって,河川からの士砂供給の重要性を考慮して,潮汐卓越型エスチュアリーのモデルを再構築する必要がある.デルタシステムは潮汐卓越型で,開析谷の中に堆積したエスチュアリー堆積物や開析谷外の堆積物を覆いながら発達してきた.Delta frontとDelta plainの境界付近は,ほぼ水中デルタ地形の傾斜変換点に相当する.このあたりでは一般的に波の営力が強いため,堆積物の粒度は粗く,淘汰もよい傾向にある.この境界相はコア中でも明瞭に確認でき,地層から古環境を復元する上でよい指標となることが示された.

 長江河口域にみられるこれらの堆積相や堆積システムの累重様式は,海水準変動およびその速度変化によって強く支配されていた.堆積システムの発達過程は,最大海氾濫面によって海進期と海退期(高海水準期)の大きく二つに区分された.さらに,海進期,海退期における発達過程は,それぞれ4つ(ステージ1-4,1:11kyr BP以前,2:11-10kyrBP, 3:10kyrBP直後,4:9-8kyr BP)と2つ(ステージ5-6,5:8-6kyrBP, 6:6kyr BP以降)のステージに細分された.海進期には主として開析谷内に河川・エスチュアリーシステムが発達し,海退期には開析谷上およびその周辺域にデルタシステムが発達した.

 海進期における堆積システムの累重様式は,ステップ状の海水準上昇に起因するアグラデーションとバックステップで特徴づけられた.ステージ1,2の後期および4では海水準の緩やかな上昇にともなって上方に堆積空間が付加されるため,アグラデーションが卓越し,海岸線は徐々に陸側に後退していた.一方,ステージ2の初期,および3では急激な海水準上昇によって堆積システムが陸側にバックステップし,海岸線が急速に陸側に後退した.

 海退期のデルタシステムにおいては,海水準上昇速度の減少やそれに引き続く海水準の安定により上方への堆積空間の付加が小さかったため,側方からのプログラデーションが卓越していた.ステージ5では海水準の上昇がまだ続いていたため,アグラデーションもみられていた.ステージ6では海水準上昇も終了しており,海水準は比較的安定していたのでプログラデーションが卓越した.

 本研究は,海進・海退にともなう河口域の地層・地形発達過程を定性的にのみではなく,実証的かつ定量的に示した点で重要である.とくに本研究で初めて,氷床の融解にともなう急激な海水準上昇期に形成された地層の累重様式が海水準上昇速度の変化に対応したバックステップとアグラデーションの組み合わせからなることを示し,それをモデル化したこと,また,現在みることのできない急激な海水準上昇に対する沿岸システムの応答を明示したことは,地質時代の海進期堆積物を用いて堆積システムの発達過程や海水準変動を復元する際の基礎的資料となるだろう.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、世界最大級の河川である中国の長江を対象に、海水準変動に対して河口域の地形や堆積システムがどの様に応答、発達したかという問題を、3本のボーリングコアを用いて、堆積学的手法に基づいた詳細な解析を通じて明らかにしたものである。

 本論文が対象とした長江は、浮遊物質の運搬量、流量、流域面積などがいずれも世界の河川中10位以内に入る世界でも最大規模の河川であり、河口に発達するデルタの規模も大きい。従って、長江の河口域を対象とした堆積過程の研究は、河口域堆積システムの研究の典型例のひとつとなるものである。これまでほとんど研究のなされていなかった長江を対象として選定し、もっとも地質学的証拠と情報がそろっている後氷期の海進・海退に伴う堆積過程の解明を研究課題として設定した本研究は、博士論文に見合った研究課題をとりあげていると判断される。

 本論文の試料解析に用いられた方法は、砂泥含有率の測定、粒度分析、軟X線写真撮影など、いずれもとくに新しい手法ではない。しかしながら明確な研究目的に基づいてボーリングコアを詳細に観察、記載し、さらに最近10年間に進んだ堆積学とシークェンス層序学の知見を十全に活かしてその結果を適切に解釈した点は、高く評価される。本論文の構成上重要である14C年代測定についても、測定自身は外部機関に依頼して行ったものであるが、試料の産状吟味など重要な点は自分で判断を行い、結果についても、妥当な解釈を行っている。

 考察に関しては、区分した層相を現在見られる実際の堆積環境と比較して位置づけ、その堆積過程を復元している。その結果、本研究では、長江においてデルタ相の下位にエスチュアリー相が存在することを明らかにし、これまでほとんど知見の得られていなかった、河川からの堆積物の供給が大きい潮汐が卓越するエスチュアリーにおける堆積システムの特徴を世界で始めて明らかにした。さらに、後氷期海水準変動に伴う堆積システムの応答については、エスチュアリー相が海進期に、デルタ相が海退期に形成されたことを示し、多数の14C年代測定結果と詳細な層相解析に基づいて、両層相の堆積過程と海水準変動との関係を詳細に明らかにした。こうした考察は、従来少数のコアと年代によって議論されていた沿岸堆積システムの堆積過程に関する研究と比較して、より実証的であると同時に、格段に高い時間分解能をもっている点で、高く評価できる。

 結論として、問題の設定、試料の記載、解析、結果の考察の全体にわたってオリジナリティが高いと判断される。本研究によって、海水準変動に伴う沿岸堆積システムの形成過程についての知見は大きく進んだと考えられる。この成果はさらに、地層の堆積構造の解釈の基礎となるものであり、地球規模の環境変動に対する沿岸域の応答という今日的な問題にも寄与するものと期待される。

 なお本論文の一部は、斎藤文紀、Quanhong Zhao,Xingrong Cheng, Pinxian Wang,佐藤喜男,Congxian Liとの共同研究(Geomorphplogyに印刷中、Marine Geology, Chinese Science Bulletinに投稿中、Geology, Journal of Sedimentary Researchなどに投稿準備中)であるが、いずれも論文提出者が主体となって現地調査と結果の解析を行ない、筆頭著者として論文をまとめたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 上記の点を鑑みて、本論文は地球惑星科学とくに地形学、堆積学研究の新しい発展に寄与するものであり、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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