学位論文要旨



No 115935
著者(漢字) 青木,寛
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,ヒロシ
標題(和) レセプター自己集合単分子膜での分子認識により制御された電子移動反応に基づく化学センサー
標題(洋) Electrochemical Sensors Based on Electron Transfer Controlled by Molecular Recognition at Self-Assembled Monolayers of Receptors
報告番号 115935
報告番号 甲15935
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3979号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 教授 巻出,義絋
 東京大学 助教授 鍵,裕之
内容要旨 要旨を表示する

0.序

 電気化学的手法を用いた分析では一般に電気化学活性な物質がその分析の対象とされるが、一方で構造規制された単分子膜での分子認識に基づいた信号変換を用いることにより、電気化学不活性な物質を分析対象とすることができる。これは分析対象である電気化学不活性な物質が、単分子膜を形成しているレセプターに結合することで、a)対象が電荷を持つ場合には静電的反撥を解消または生起することにより、b)対象が電荷を持たない時には立体的な障害を利用することにより、マーカーの電極表面への接近を制御するという機構である。一般的に、これらの現象の結果、電極表面での不均一電子移動の速度は増加または減少し、従って酸化還元電流は上昇または低下する。この原理に基づく化学センサーをイオンチャンネルセンサーと呼ぶ。

 私は、主にa)の原理を用いて従来検出の難しかった親水性イオン・ポリイオンの検出を行った。

1.チオアミド基を介して金表面と共有結合する分子の自己集合膜(SAM)を用いたセンサーについて、分子と金表面との結合を電気化学的に検討し、更に本センサーが多電荷を有するアミンに対して感度良く測定できることを見出した。それを踏まえ、2.従来有機液膜を用いた二相分配に基づく分析法では困難だったポリイオン・高親水性イオンを高選択的に検出できないか各種ポリイオンで検討した。その中でポリアニオンであるDNAを分析対象として、配列の相補性を検出できることを明らかにした。また、3.本センサーにより親水性の高いイオンであるリン酸イオンを分析対象とし検出に成功した。更に、b)の原理により、4.分子内に内孔を持つ分子をレセプターとしたSAMを電極上に固定し、電荷を持たない分子の測定が可能であることを確認した。

1.トリカルボン酸レセプターによる多価プロトン化アミンの選択的検出

 3つのカルボキシル基を持ちチオアミド基を介して金基板上に共有結合するレセプター(図1)を設計・合成し、従来研究されてきた長鎖アルキル基を持つレセプターSAMに比べて極端に薄いSAMによるセンサーを作成した。これは、分子間に働くvan der Waals力を用いてSAMを安定させる目的で、従来SAMを形成するレセプター分子として長鎖アルキル基を持つ物質が頻繁に用いられてきたが、本センサーのようにマーカーの酸化還元反応の変化に基づくセンサーの場合には、長鎖アルキル基はむしろ不利に働くと考えたためであった。まず、チオアミド基を介しての金属電極表面での自己集合に関する報告としては最初の報告であったことから、これを詳細に検討した。また、この研究から、電荷を多く持つ物質ほどセンサーの検出下限が小さいことが分かった。

1-1. チオアミドSAMの評価 thioacetamideおよびlaurylthioamideを用いて、チオアミドの金電極表面への自己集合について詳細を電気化学的に検討した。まずthioacetamideを含む溶液中に、アルミナパウダーにより鏡面状に研磨した金ディスク電極を保持し、サイクリックボルタモグラム(CV)の掃引速度およびpH依存性を観測した。掃引速度に従い酸化還元のピーク電流値が直線的に増加し、pHに従いこれらのピークポテンシャルが傾き49.6mVで負側にシフトする傾向が観測された。このことからthioacetamideは金電極表面上で吸脱着し、その際にプロトン/電子比が1:1で関与することが分かった。従来の赤外スペクトルや表面増強ラマン散乱等の研究から、thiourea分子が様々な金属基板表面上で硫黄-金属共有結合により吸着していることが明らかになっているので、ここで用いたthioacetamideも同様にして結合していると予想される。以上のことより、thioacetamideは硫黄原子を介して金電極表面に結合し、吸脱着の際には1つの電子と1つのプロトンとが伴うと結論付けた。次に、図1のレセプターSAM修飾金電極を0.5MKOH中に保持してCVを測定したところ、-1050 mVに還元脱離に起因するピークが観測された。脱着の際に1電子が使われることを考慮すると、還元脱離のピーク面積から分子占有面積は150Å2であり、CPKモデルとの比較からこの分子が基板に対して平面状に吸着していると示唆された。以上より、チオアミド基を有する分子のSAMが金電極表面上で安定に形成される確証を得、基本的な知見を得た。

1-2. トリカルボン酸レセプターSAMと各種プロトン化アミンに対する応答 レセプター分子を合成し、この分子のレセプターSAM修飾金電極を[Fe(CN)6]4-/3-を含む溶液中に保持し、[Fe(CN)6]4-/3-の酸化還元反応のpH依存性をCVにより測定したところ、pHの増加に従って+400 mVでの酸化電流値の減少が観測された。これは、低いpHの溶液中でプロトン化していたレセプター分子がpHの増加に従って脱プロトン化し、電極表面が負に帯電することによって[Fe(CN)6]4-/3-の酸化還元反応速度が減少したためであると考えられる。このことを基に各種プロトン化アミンの濃度に応じた電極応答を観測した(図2)。pH 4.5でそれぞれ1,2,3つの正電荷を有するプロトン化アミン1、2、3を用いたところ、1ではほとんど応答は観測されなかったが、2,3では観測され、ともに10-3Mで応答が飽和するのが観測された。また2,3で前者が10-5Mに対して後者はそれよりも低い10-6Mあたりから応答するのが観測された。これら応答の違いは、電荷数の大きな分子でレセプターとの結合定数が単に大きいだけではなく、結合前後で電極表面の電荷を大きく変化させるためではないかと考えられる。

2.ペプチド核酸(PNA)をプローブとした相補的オリゴヌクレオチドの選択的検出

 イオンチャンネルセンサーは、固液界面に存在するレセプター単分子膜での分子認識により分析対象を検出するため、有機相への分配の困難な親水性の高い物質やポリイオンの検出に大変有効である。無機イオンを簡便に検出するセンサーとして、既に液膜型イオン選択性電極を用いた報告がなされていたが、一般に高親水性イオンは有機液膜中へ取り込まれにくく、また電荷数の大きいイオンでは感度が逆関数的に低下する。一方、本センサーでは固液界面での分子認識現象を観測するため、これらのイオンを検出下限・感度・選択性良く検出できるセンサーを提供するのではないかと考えた。このことと、1.の研究より本センサーが電荷数の大きい物質の検出に有効であることを見出したこととにより、ポリアニオンであるDNAを分析対象としオリゴヌクレオチドの配列の相補性の検出を検討し、成功した。

2-1. DNAプローブによる金電極の修飾 DNAプローブとして、DNAの末端にヘキサンチオール部位を結合した分子を合成した。この分子は金電極表面とチオールの-SHを介して共有結合により固定されると期待した。DNAプローブ水溶液に35時間浸したDNA修飾金電極を、相補的配列を持つDNA溶液中で40分間、65℃下(Tm=61.0℃)でインキュベートした後にCVを測定したところ、準可逆的な[Fe(CN)6]3-/4-の酸化還元が観測された。このCVはDNAを含まない測定溶液中でのCVとほとんど同じであり、DNAのハイブリッド形成を観測することはできなかった。これは、第一にDNAプローブが多価アニオンであるために生じる分子間の静電的斥力により、電極表面に固定化されるプローブ密度が減少したこと、第二に相補的DNAが結合したとしても、既に帯電している表面電荷が2倍に変化するだけであるのに加えてハイブリッド前のCVがかなり可逆的であることなどから、ハイブリッド後も同様のCVを示したと考えられる。そこで、各核酸塩基がペプチド結合を介して結合し、電気的に中性なバックボーンを持つ分子であるPNAをプローブとして用いた。

2-2. PNAプローブによる金電極の修飾と相補的配列の測定 PNAプローブとして、PNAの末端にシステインを結合した分子を合成した。この分子はシステインの-SHを介して共有結合的に固定化されるものと期待した。また先立つ測定により、合成されたPNAプローブは相補的配列を持つDNAと二本鎖を形成し、融解温度Tmは46.6℃であることを確認した。PNAプローブ水溶液に24時間浸したPNA修飾金電極を測定溶液中に保持しCVを測定したところ、[Fe(CN)6]3-/4-の酸化還元が全く観測されなかった。これはPNA分子が密度の高い単分子膜を形成するためだと考えた。そこで、膜に適度な隙間を持たせるためにPNA-6-mercaptohexanol混合SAM修飾電極を用意し以下の測定に用いた。この電極を100μMの相補的配列を持つDNA溶液中で40分間、47℃下でインキュベートした後にCVを測定したところ、不可逆なCVが得られた。これは、電気的に中性な電極表面上で容易に電子移動できていた[Fe(CN)6]4-/3-が、PNAプローブと相補的DNAとのハイブリッド形成によって増加した表面負電荷からの静電的斥力を受けて、酸化還元反応が困難になったためと説明できる。この結果はDNAプローブを用いた時には観測されなかった。ハイブリッド形成の前後で電極表面の電荷を中性から負電荷に大きく変化させたこのPNAプローブは、一般的に用いられるDNAプローブよりも本研究の目的に適していると考えられる。この電極応答の相補的DNAに対する濃度依存性を確認したところ、10-6Mより応答が観測され始め、10-3Mあたりで応答が飽和を迎えた(図3)。次にこの修飾電極の配列選択性を観測するため、非相補的DNAの溶液を用いて同様の実験操作を行った。(dA)10および(dT)10溶液中でインキュベートした後CVを測定したが、CVは修飾直後のそれと全く変化なかった。更に、一塩基変異を持つDNAを用いて同様の観測を行ったが修飾直後のCVと全く変化なかった。

3. 水素結合を用いて無機アニオンを認識するレセプターによるリン酸イオン検出 無機アニオンを水素結合によって認識するビスチオ尿素イオノフォアに基づくイオン選択性電極のアニオン選択性と、同じイオノフォアのLangmuir-Blodgett単分子膜(LB膜)を電極表面上に固定して作製した本センサーの選択性とを比較した研究報告から、後者では、Hofmeister系列の下方にあり、非常に親水性の高いイオンであることが知られているリン酸イオンに対して、選択的に応答することが明らかになっている。この結果は、今まで水溶液中では検出の難しかった親水性の高いアニオンの検出に対して、本センサーという検出法が有効であることを示しているが、しかし、LB膜という不安定なレセプター膜では繰り返しの使用が不可能であり、センサーとして用いることはできない。そこで、認識部位としてビスチオ尿素、電極結合部位としてチオール基を有するレセプターを合成し、金電極表面上にSAMを作製したところ、高選択的なリン酸イオンの測定に成功した。合成したレセプターと短鎖チオールとの混合単分子膜を金電極上に作製し、NaBF4を支持電解質、[Fe(CN)6]4-/3-をマーカーとして含む水溶液中で、修飾電極の応答のリン酸イオンおよび硫酸イオン濃度依存性を観測した。観測したCVの還元波のピーク電位をイオンの濃度に従ってプロットすると、リン酸イオンでは濃度の上昇に従ってピーク電位が負側に移動しているが、他のアニオンではほとんど電位の変化が見られなかった。無機アニオンに対する選択性が以下の順であることを確認した:HPO42-≫SO42-,NO3-,F-,Cl-,Br-。

4. シクロデキストリ修飾吊り下げ水銀電極による電荷中性分子の検出 シクロデキストリン(CD)は分子内内孔を有する分子であり、内孔での電子移動反応を内孔での分子認識により制御できれば、電荷中性分子の検出に用いることができると考えた。長鎖アルキル基を有するCDの単分子膜をLB膜により作製した研究報告があるが、電子移動反応を阻害すると考えられる長鎖アルキル基を使わずにパッキングの良い単分子膜を用いるため、吊り下げ水銀電極(HMDEs)上でのCD短鎖チオール誘導体(CD*)によるSAMを作製することにした。HMDEs上のCD* SAMは、気液界面での単分子膜(LB膜)と同程度のパッキングの良い膜であり、マーカーであるbenzoquinone(BQ)はCD*の分子間間隙に入らず分子内内孔のみに入り電子移動反応を行うことが分かった。分析対象として1-adamantanol(AD)を用いたところ、β-,γ-CD* SAMではADが溶液中に存在するかしないかでBQの電子移動反応が大きく変化したが、α-CD* SAMでは変化しなかったことから、ADのCD内孔への結合がサイズ選択的に行われていることを示した。更に、β-,γ-CD* SAMでは、溶液中のAD濃度を上昇させていくに従ってBQの電子移動反応の速度定数が減少することを確認した。

5.まとめ

 私は、電気化学的に不活性な分子・イオンを電気化学的に検出するイオンチャンネルセンサーについてa)電荷を持つ分析対象、b)電荷を持たない分析対象の両方に関して研究した。a)では、従来測定の難しかった親水性の高いイオンおよびポリイオンの検出に本センサーが使用できることを、プロトン化アミン、オリゴヌクレオチド、リン酸イオンなどの測定を行うことで示した。b)では、短鎖チオール修飾のCDをレセプターとして用いてHMDE上にパッキングの良いSAMを作製することで、内孔への結合のサイズ選択性およびゲスト濃度上昇に伴う電子移動反応速度の変化を観測し、本センサーによる電気的中性分子の電気化学的検出が可能であることを示した。これらの研究は、イオンチャンネルセンサーの適用範囲拡大の可能性を単に示すのみならず、検出の難しかった親水性の高いイオン・中性分子の新規検出法としての確固たる地位を築く礎となった。

図1レセプター分子

図2[Fe(CN)6]4-/3-のCVにおける+250 mVでの酸化電

図3[Fe(CN)6]4-/3-のCVにおける+101 mVでの酸化電流値の相補的DNA濃度依存性。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、生体膜のイオンチャンネル蛋白の機構の概念に基づき、イオン・分子を選択的、高感度に検出する電気化学センサーの開発に関するものである。全体が8章からなり、第1章から第3章までは序論であり、第1章では本研究の目的とその意義が述べられている。第2章および第3章では、合成リセプターで化学修飾した固体電極上で、電気化学不活性な目的物質がそのリセプターに選択的に結合することで電極酸化還元活性なマーカーの膜透過の化学選択的開閉を制御し、信号増幅可能なイオン・分子検出法をどのような仕組みで電気化学的化学センサーとして成立させるか、その原理とセンサー膜製作法について解説している。第4章から7章までは、具体的化学センサーの製作と応答の評価に関するものである。

 第4章では、トリカルボン酸リセプターによる多価プロトン化アミンの選択的検出に関する研究が述べられている。3つのカルボン酸基をもち、チオアミド基を介して金電極上に共有結合するリセプターを設計・合成し、従来研究されてきた長鎖アルキル基をもつリセプター自己集合膜(SAM)に比し著しく薄いSAMによるセンサーを作製した。これはセンサーの信号変換のためのマーカーの酸化還元反応が、長鎖アルキル基による阻害を避けるために考えられている。また、チオアミド基を介しての金属電極表面でのSAM形成に関するはじめての例であるため、これを詳細に評価している。この膜センサーの多価プロトン化アミン類に対する化学選択性および検出下限は、それら被分析物質の有する電荷の大きさに依っているといることを見出した。また、これを膜界面での脱プロトン化したリセプターと被分析物質との超分子形成に伴う界面電荷密度の変化が、マーカーFe(CN)63-/4-の電極界面への接近の度合いを変化させるためと説明している

 第5章では、ペプチド核酸(PNA)をプローブとした相補的オリゴヌクレオチドの選択的検出について述べている。PNAプローブとしてPNAの末端にシスティンを結合した分子、5'-HS(CH2)6-TTGTGA GGCACT GCC-3'を用い、システィンの-SH基を介して共有結合時に金電極上にSAM膜として固定化した。この膜のプローブ分子間に適当な間隙をもたせるためにメルカプトヘキサノールとの混合SAM修飾電極とした。こうすることにより10-3Mから10-6Mの濃度範囲の相補的オリゴヌクレオチドを選択的に検出できることを示した。また一塩基変異も検出できることを示した。このセンサーの応答機構を、電荷中性のPNAプローブに負の電荷を有する相補的オリゴヌクレオチドが結合し、負の電荷を有するマーカーFe(CN)63-/4-が電極界面にアクセスしにくくなり、その電極酸化還元反応が生起しにくくなるためと説明している。

 第6章は、水素結合を用いて無機アニオンを認識するリセプターによるリン酸イオンの検出について述べている。リン酸認識部位としてビスチオ尿素、電極結合部位としてチオール基を有するリセプターで金電極上にSAMを修飾したリン酸イオンセンサーを作製し、その応答のリン酸イオンに対する優れた選択性を見出した。その応答機構は多点水素結合によるリン酸イオンの界面リセプターへの結合により電極界面の負の電荷密度が増大し、マーカーFe(CN)63-/4-件の電極酸化還元反応を阻害するためと説明している。

 第7章は、シクロデキストリン(CD)修飾吊り下げ水銀電極による電荷中性分子の検出について述べている。SAMの分子充填を最密にするよう水銀電極表面積を調節することにより、CDの内孔に目的物質がサイズ選択的に結合すること、その結果酸化還元マーカーの内孔透過量の変化を尺度に目的物質のサイズ選択的検出ができることを例示している。第8章は結論である。

 以上、本研究は超分子形成する分子膜に基づく化学センサーに関する研究で、分析化学の発展に寄与する成果を収めた。よって理学博士取得を目的とする研究として十分であると審査員は全員一致で認めた。なお、本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったもので論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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