学位論文要旨



No 115943
著者(漢字) 濵口,香苗
著者(英字)
著者(カナ) ハマグチ,カナエ
標題(和) 有機分子/Si(100)ハイブリッド系の構築を目指した反応
標題(洋) The First Step Reaction towards Fabrication of Novel Hybrid Structures between Silicon Surface and Organic Molecules
報告番号 115943
報告番号 甲15943
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3987号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 吉信,淳
 東京大学 教授 小林,昭子
 東京大学 助教授 長谷川,修司
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 太田,俊明
内容要旨 要旨を表示する

 Si(100)面は、学問的な見地のみならず、半導体デバイスの基板としてさまざまな表面科学的手法によって研究されており、その構造・物性について詳細な知見が得られている。一方、有機分子薄膜は、化学・生化学センサー、ナノリソグラフィーのレジスト、分子素子などの電子・光デバイスへ応用できる可能性から大きな注目を集めている。このようなデバイスはさらなる微小化・多機能化が求められており、それらの性能を制御・向上させるためにも、原子レベルで構造が規定された有機薄膜を作製すると同時に、その物性を詳細に解明することが必要となってきている。

 本研究では、表面化学反応を用いることにより、Si(100)面上に構造がよく制御された機能性有機分/Siハイブリッド系を作製することを目指した。着目したのは、有機分子の不飽和結合とSi(100)2x1面上のSiダングリングボンドとの反応(図1)であり、これはSiとCの間に非常に安定なσ結合を生成するため、原子レベルで構造を制御した有機分子薄膜を作製するために有効であると考えられる。有機分子膜に機能性を持たせるため、有機分子として二重結合を対辺の位置に二つもつ1,4-シクロヘキサジエン(1,4-CHD)を用いた。1,4-CHDの吸着構造として図2の二通りが予想される。(a)は二重結合が二つとも反応してつくえのような構造をとり、(b)は一つだけが反応する場合である。

 試料の作製は、液体窒素温度に冷却したSi(100)清浄面に1,4-CHDをパルスドーザーにより導入し、被覆量の制御はその照射回数を変化させることにより行った。測定には、低速電子線回折(LEED),高分解能電子エネルギー損失分光(HREELS),シンクロトロン放射光光電子分光(SRUPS)および走査トンネル電子顕微鏡(STM)を用いた。SRUPSの測定はUVSOR BL5Aにおいて、またHREELSの測定はVSI社Delta0.5により行った。

(1)LEED測定 LEED測定においては1,4-CHDを飽和量吸着させた後もSi(100)基板と同じ(2x1)構造を示し、1,4-CHDはSi(100)基板のダイマー列構造を保持して吸着することが示唆された。従って、図2(a)の吸着構造をとる可能性は低いと考えられる。

(2)HREELS測定 図3はin specularで測定したSi(100)c(4x2)清浄面と1,4-CHDの化学吸着層及び多層膜のHREELSの結果である。吸着量は各々のスペクトルの右に示した。5shotsがほぼ飽和量に相当する。まず、2020cm-1付近にVSi-Hに由来するピークが見られないことから1,4-CHDは解離せずに分子状で吸着していることが分かる。また669cm-1にSi-C結合由来のピークが、1613,3008cm-1にVC=CやVCHに由来するピークが観測されている。このことから1,4-CHDとSiダイマーとの間にSi-Cσ結合が生成され、また化学吸収層において二重結合が残っていることが確認された。なお、669cm-1に見られるVSi-Cに由来するピークが、in specularで測定した時の方が、off specularの時よりも強度が大きいことから、VSi-Cは表面垂直成分が大きいことが予想される。また、被覆量が増加すると、化学吸着層における吸着分子由来の各々のピークは、その位置を変えずに単調に強度が増加した。なお、-CH2-のrocking modeとscissoring modeの相対強度には変化が見られた。このことから、吸着状態は被覆量によらず基本的にはほとんど変化しないものの、被覆率の高い時には分子面がより垂直に近づく分子が現れることが考えられる。

(3)PES測定 s偏光(垂直入射)を用いて測定したSRUPSの結果を図4に示す。(a)はシングルドメインのSi(100)面、(b)は1,4-CHDの多層膜、(c)と(d)は1,4-CHDをSi(100)上に化学吸着させたもので、(c)は入射光の電気ベクトル(E)がSiダイマー列方向に垂直、(d)は平行になる条件で測定した。また、(e)は1,4-CHDより二重結合が一つ少ない分子構造を持つシクロヘキセン(図4挿入図)の多層膜である。まず、(a)で見られたSiダングリングボンドに由来するピーク(A)は、1,4-CHDを飽和量吸着させることにより、(c)と(d)ではほぼ消失している。また気相のデータと比較することにより、ピーク(B),(C),(E)はπ結合に由来するピーク(π:HOMO)であることが分かった。1,4-CHDを化学吸着させた後((c),(d))ではC=Cπ結合に由来する二つのピーク(B),(C)が消失し、(d)においては新たにピーク(D)が一つ現れた。ピーク(D)はピーク(E)とほぼ同じ位置にあることから、C=Cπ結合由来であると考えられる。従って、1,4-CHDをSi(100)面上に化学吸着させると、二つある二重結合のうち一つだけがSiのダングリングボンドと反応し、もう一つの二重結合は反応せずに残っていることが分かり、先のLEEDとHREELSの結果と一致した。さらに、残った二重結合に由来するピーク(D)は、(C)のEがダイマー列に垂直であるときは見られず、(d)の平行であるときにのみ観測され、偏光依存性を示した。光電子分光における軌道対称性選択則に基づいて吸着構造を考察すると、残ったπ軌道の表面平行成分はダイマー列に平行な面に対して偶対称、垂直な面に対して奇対称を示すことになる。従って、1,4-CHDは、残った二重結合をSiダイマー方向に対して平行にして配列していることが分かった。なお、p偏光(50°入射)を用いて測定したところ、残ったπ軌道に由来するピークはEがダイマー列に平行・垂直であるときのいずれにおいても観測された。このことから、C=Cπ軌道はSi表面に垂直な成分を持っていることになり、1,4-CHD分子の分子面がSi表面に垂直な方向から傾いていることが明らかとなった。

 さらに、高分解能Si2p測定においては、吸着面において新たな成分が生じた。この成分は出射角に対してSi表面最外層の成分に特有の強度変化を示し、また吸着によるSiダングリングボンド成分の減少分と同じ強度を示した。このことからこの新たな成分がCに結合したSiに由来することが分かり、界面においてSi-C結合が生成されていることが確認された。

 また、さまざまな被覆量の化学吸着層についてSRUPSの測定を行ったところ、吸着分子に由来するピークはいずれも被覆量が増加するとともに単調増加した。このことから、価電子帯の電子状態は被覆量に関わらずほとんど変化しないことが分かった。

(4)STM観察 図5に1,4-CHDを低被覆量吸着させたとき、占有状態(a)及び非占有状態(b)について室温で測定したSTM像を示す。右上から左下にかけて縞状にみえているものがSiダイマー列であり、占有状態においてダイマー列内にある個々の楕円状のものが各Siダイマーに相当する。そのダイマー列の上に存在する明るい楕円状の輝点が吸着した1,4-CHD分子である。STM観察の結果、1,4-CHDの吸着状態はほとんど単一であり、被覆量が増加するとほぼその吸着状態のまま単調に増加することが分かった。さらに個々のSTM像を詳しく解析するとその吸着状態はSiダイマー列に対して対称となっており、先のSRUPSの結果を支持した。また、非占有状態において、1,4-CHDのSTM像にはダイマー列方向に節が観察された(図5(b))。従ってSTMで観測された局所状態密度は、真空側へはり出した分子のπ軌道(HOMOとLUMO)からの寄与が大きいと考えられる。さらにこのSTM像 がSiダイマーとSiダイマーの間に観察されたことから、

1,4-CHDの分子面はSi表面に垂直な方向から傾いていると考えられる。

 また吸着量を増加させていくと、基板表面に対して分子面がより垂直になった1,4-CHDに由来すると思われるSTM像が新たに観察された。これは、分子が密に配列したために生じる立体障害による反発力などの分子間相互作用が原因であると考えられる。

 以上の結果より、1,4-CHDはSi(100)2x1表面上において二つある二重結合のうち一つだけがSiダイマーと1:1で反応して、di-σSiC結合を生成して吸着し、残った二重結合を真空側にして、かつSiダイマー方向に平行に配列した異方性のある構造をとっていることが分かった。さらに、この吸着状態はほぼ単一であり、吸着量の増加とともに分子面がSi表面に対してより垂直になった分子が現れてくるものの、1,4-CHD分子がdi-σ結合によってSiダイマーに1:1で結合しているというこの吸着構造は、被覆量によってほとんど変化しないことが明らかとなった。

 従って、1,4-CHD/Si(100)ハイブリッド系は、二重結合がSi(100)(2x1)面のダイマー列構造をテンプレートとして、原子レベルで秩序正しく配列している構造を実現するものであり、非常に興味深い有機分子膜としてさらなる展開が期待できる。

図1

図2

図3

図4

図5

審査要旨 要旨を表示する

 シリコン表面と有機分子を反応させ新しい機能を持ったハイブリッド薄膜を構築することは、分子デバイスやセンサーなどへの応用を探索する上で重要であり興味が持たれている。本論文は、吸着分子として1,4シクロヘキサジエンを選び、Si(100)(2x1)表面における吸着状態、分子間相互作用などについて、様々な表面分析法を駆使して調べ、それらを初めて解明したものである。

 本論文は7章からなり、第1章は序論、第2章は実験法、第3章は実験手段の基本原理、第4章はsi(100)(2x1)表面における1,4シクロヘキサジエンの吸着状態、第5章は吸着状態の被覆率依存性、第6章は1,4シクロヘキサジエン吸着面に対する反応の探索、第7章は結論が述べられている。

 第1章では、研究の背景を述べ、これまでに知られている実験的および理論的研究のレビューを行い、本研究の位置づけを行なった。

 第2章は、本論文で用いられた実験装置および実験条件について述べられている。用いられた表面解析手段は、低速電子回折(LEED)、光電子分光(PES)、高分解能電子エネルギー損失分光(HREELS)、走査トンネル顕微鏡(STM)である。

 第3章では、HREELS、PES、STMの原理や選択則についてやや詳しく述べられている。特に、HREELSにおける表面垂直双極子選択則と、入射光に偏光を用いたときのPESスペクトルの軌道対称性選択則についてまとめられている。

 第4章では、Si(100)(2x1)表面における1,4シクロヘキサジエンの化学吸着状態について、LEED、価電子領域のPES、Si2p領域のPES、HREELS、STMを用いて詳細に調べ、解析を行なった。LEEDの結果からSi(100)(2x1)表面のダイマー構造が吸着によっても保存されていることが分かった。次に価電子領域PESからSi(100)(2x1)表面のダングリングボンドと、1,4シクロヘキサジエンの2つのπ結合のうち1つだけが反応していることが見いだされた。残存しているπ結合状態を放射光を用いた光電子分光により観測した結果、残った2重結合の向きはダイマー方向に平行に配向していること、C=Cπ軌道はSi表面に垂直な成分をもっていることがわかった。よって、1,4シクロヘキサジエンの分子面がSi表面に垂直な方向から傾いていることが結論された。HREELSの結果から、1,4シクロヘキサジエンは分子のまま吸着し、1つのπ結合が残存していること、SiC結合を形成していることが解明された。さらに、高分解能Si2pPESより、分子とSi表面との間にSiC結合が生じていることが実証された。以上の結果から、1,4シクロヘキサジエンはSi(100)(2x1)表面のダイマー上にdi-σ結合していることが結論された。更に、真空側につきだしたπ結合状態は、STMの占有状態像、非占有状態像により直接観測された。

 第5章では吸着状態の被覆率依存性が詳細に調べられた。PESの結果から吸着状態の基本構造には変化が無いことが分かった。HREELSの結果からは、基本構造に変化はないものの、被覆率が大きくなるに従い、分子面の傾きがより垂直に近くなる分子が増えてくる事が示唆された。STMを詳細に解析することにより、同列内のダイマー間の2倍以上の間隔を空けて吸着する場合は分子間相互作用が無いが、それ以下の場合は立体反発により分子の傾きに変化が現れることが直接見いだされた。

 第6章では、この吸着系に対して超高真空中で塩素分子、1,3ブタジエン、1,3シクロヘキサジエン分子をそれぞれ導入して、その反応性を探索した。塩素分子を導入すると、Si表面が主に反応し1,4シクロヘキサジエンの残存π結合に塩素が付加したことを示す積極的な証拠は見出されなかった。また、1,3ブタジエン、1,3シクロヘキサジエンの導入により、ディールス・アルダー反応の可能性を探索したが、超高真空中での気体導入という条件下では付加反応したことを示す証拠はつかめなかった。このことから、1,4シクロヘキサジエン/Si(100)(2x1)系への反応は、反応条件のパラメータを更に探索することが必要だと結論された。

 第7章は結語であり、本論文によって初めて解明されたSi(100)(2x1)表面における1,4シクロヘキサジエンの吸着状態と、吸着分子間相互作用についてまとめ、この吸着系を基礎にした反応や物性への展望が述べられている。

 なお、本論文の第2章、第4章、第5章、第6章は、吉信淳、山下良之、向井孝三、長尾昌志、安井芙美子、川合真紀、加藤浩之、奥山弘、岩槻正志、佐藤智重との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験とその解析を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって審査員全員により、博士(理学)の学位を授与できると認めた。

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