学位論文要旨



No 115945
著者(漢字) 松本,淳
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ジュン
標題(和) LIF法を用いた大気中NO2の高感度測定装置の開発と海洋大気境界層におけるNOxの光化学平衡過程の観測研究
標題(洋) Development of a sensitive instrument for measuring atmospheric NO2 by LIF technique and field studies on photostationary-state processes of NOx in the marine boundary layer
報告番号 115945
報告番号 甲15945
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3989号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 巻出,義紘
 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 教授 永田,敬
内容要旨 要旨を表示する

 窒素酸化物(NOx=NO+NO2)は、光化学反応を通してオゾンの生成前駆物質として働くうえ、酸性雨物質である硝酸の原料物質であり、対流圏大気化学において重要な化学種である。近年、海洋大気境界層における光化学現象に注目が集まっているが、一般に人為発生源から遠く離れているためにNOx濃度は非常に低い。したがって、NOx濃度をPPtv(=10-12v/v)レベルで正確に測定することは、対流圏大気化学の研究において重要な課題である。現在、最も一般的に用いられているNOx測定法はオゾン化学発光法である。この方法では、NO2を光解離法によりNOに変換した後、NOとオゾンとの反応の際の化学発光を検出して測定するので、変換効率の変動・光変換器内における大気中オゾンとNOの反応・共存するNO変動の影響などの欠点が知られており、これにかわってNO2を直接・高感度に測定する手法の開発が急務となっている。NO2分子は可視領域に広い吸収帯を持ち、励起状態から蛍光を発することが知られている。本研究では、レーザー誘起蛍光(LIF)法を用いたNO2測定装置を開発し、清浄な海洋大気での測定を目指して高性能化を行なった。次に、実大気におけるNO2の関与する大気光化学反応を調べることを目標として、海洋大気境界層においてこの装置を用いて観測を行なった。

 測定装置の概要を図1に示す。半導体レーザー励起の高繰り返しパルスレーザーを励起光として用いた。試料大気は小孔板により流量・圧力を制御してからセルに導入し、油回転ポンプを用いて排気した。ここにレーザー光を照射して試料中のNO2分子を励起し、発せられる蛍光をレンズ系を通して光電子増倍管の光電面上に集光・検出した。レーザー散乱光による信号を抑制するため、励起光学系に衝立板、集光系に光学フィルタをそれぞれ設置した。検出精度の向上のため、レーザーパルスを基準としてゲートにより検出時間を制御した光子計数法を用いた。さらに、ゼロ点の変動を定期的に測定するために、自動的に制御した三方バルブを用いてNO2を除去した空気を導入した。PCによって信号の取り込みと試料の制御を行ない、自動連続測定を可能とした。装置の感度および検出下限は、励起セル内の圧力、光子計数におけるゲート設定、レーザー光強度、散乱光によるバックグラウンド信号等により決定される。さらに、文献値を用いて消光による感度減少を推定し、実験と比較したところ、海洋大気中に多く存在する水蒸気による影響は補正可能であることが示された。以上をふまえて、装置の設定と測定条件を詳細に調査し、装置の高性能化を実施した。

 装置の高性能化の履歴を表1に示す。最初に、感度向上を目的として、Nd:YLFレーザー第二高調波(0.36W、3kHz、波長523.5nm)を励起光として、光路数18の多重反射型励起セルを用いた。その結果、感度は278cps ppbv-1W-1となったが、同時に散乱光によるバックグラウンドも非常に大きく、検出下限は89pptvにとどまった(表中A)。多重反射型ではバックグラウンド抑制に限界があるため、光路数1の単光路型励起セルに変更し、衝立板の小孔を絞って散乱光を制御した。その結果、光路数が1/18になったにもかかわらず感度は1/5に、バックグラウンドは1/24になり、検出下限は101PPtvでAと同程度となった(表中B)。このことは、セルの中心での励起が有効である集光系の特性を反映しており、散乱光の制御を含めて単光路型が有利であることを示唆している。ここで集光系の光学フィルタを選定し、バックグラウンドを1/4に抑えることに成功した(表中C)。次に、励起光をより高出力のNd:YAGレーザー第二高調波(6.5W、10kHz、波長532.1nm)に変更し、ゲートと圧力の最適化を行なった結果、検出下限は5pptvに到達した(表中D)。最後に、衝立板の枚数・向き・配置・小孔の径を再検討した結果、バックグラウンドの低下により検出下限4pptvの性能が得られ、pptvレベルのNO2の測定を十分に可能とすることができた(表中E)。高出力のレーザー光の使用によるNO2励起状態の飽和について理論計算から検討した結果、現在のレーザーパルス幅とエネルギーの空間分布では飽和は無視できることが確認された。したがって、今後さらに高出力のレーザーが開発されれば、性能の向上が可能である。

 標準試料に対する応答を調べた結果、数10pptvから数ppbvの濃度領域について、非常によい直線応答性が得られ(図2)、清浄海洋大気でのNO2濃度の観測が十分に可能となった。

 Aの装置を用いて1999年8月に沖縄辺戸岬において、さらにEの装置を用いて2000年6月に北海道利尻島において、実大気中のNO2濃度の観測を行なった。沖縄で10日間、利尻で18日間の自動連続測定を実施した結果、図3のNO2濃度変動を得た。実大気中の連続観測における装置の動作安定性が確認された。さらに利尻島における観測値を、従来法である光解離・化学発光法(PLC-CL法)による観測結果と比較した。PLC-CLでは、光変換器内でのNOとの反応による大気中オゾンの影響を受けるため、NO2に対して8-12%の補正が必要であることがわかった。一方、LIF法では、試料導入管内でのオゾンとNOの反応を考慮した補正量は1%以下であり、無視できる量であった。この点で、LIF法によるNO2直接測定がPLC-CL法よりも有利であることが確認された。オゾン補正後の両者のデータを比較した結果、大気中NOx変動と測定誤差の範囲内でよく一致した応答を示し(図4)、LIF法の測定値が妥当であることが確認された。実大気測定と相互比較の結果、LIF法による装置が清浄大気測定への実用化に成功したことが示された。

 今回得られたNO2濃度と、同時に観測したNO・オゾン・NO2光解離係数を用いて、海洋大気境界層における光化学反応について検討した。(1)NO-NO2交換におけるオゾンの反応を考え、光化学平衡を仮定してNO観測値からNO2を推定する方法がしばしば用いられてきた。しかし表1測定装置の高性能化の履歴。

(a)沖縄辺戸岬(1999年),(b)北海道利尻島(2000年)。この方法では、ペルオキシラジカル(HO2,RO2)を無視しているために、NO2を過小評価する傾向が見られた(図5(a))。特にNOxが200PPtv以下の低濃度領域では、平均60%の相違が生じ、清浄大気における対流圏光化学の正確な検討のためには、NO2の観測が必須であることが確認された。(2)次に、ペルオキシラジカルを考慮して、NOxの光化学平衡を検討した。まず、NO-NO2交換について定常状態を仮定して、NO・NO2の実測値からペルオキシラジカル濃度を予測した。一方で、0次元光化学反応モデルによるペルオキシラジカル濃度の計算を行なった。その結果、ボックスモデルで計算されたペルオキシラジカル濃度が、NOx交換の定常状態から予想された値より系統的に小さくなることが確認された(図5(b))。このことから、光化学反応モデルで考慮していないNO-NO2交換反応が重要であることが示唆された。

図1 LIF法によるNO2測定装置の概略図。

図2標準濃度(横軸)に対する装置の応答(縦軸)。

図3LIF法によって観測されたNO2濃度

図4 利尻島におけるLIF法とPLC-CL法の測定値の比較。500pptv以下について。回帰直線はy=1.08x-3.0(r2=0.89)。

図5 (a)利尻島において観測されたNO2濃度(横軸)と、NO実測値から推定したNO2濃度(縦軸)の比較。(b)ペルオキシラジカル濃度推定値:NOx光化学定常状態(●)と光化学反応モデル(実線)。

審査要旨 要旨を表示する

 二酸化窒素NO2、はオゾン生成を支配する大気中で最も重要な化学種のひとつである。海洋大気境界層のような清浄大気中でのNO2測定が光化学的オゾン生成の評価において必要不可欠である。しかし、従来の方法では感度・選択性・野外観測における簡便性の面から、大気中NO2を直接測定することは困難である。本研究では、レーザー誘起蛍光法(LIF法)を用いて小型で高感度なNO2測定装置の開発を行なった。装置の測定条件と設定について最適化した結果、清浄な海洋性大気でのNO2測定に十分な感度を得た。装置の実用化のために、海洋大気中で二度の観測を実施し、装置の安定性を確認した。さらに、光解離・化学発光法(PLC-CL法)との相互比較により、測定値の妥当性を確認した。得られた測定値を用いてNOxの光化学平衡を検討した結果、これまで考慮されなかった反応がNO-NO2交換において重要となりうることが示唆され、NO2の直接測定の重要性を確認した。

 本論文は全7章からなり、第1章では、大気化学的な背景を紹介している。対流圏におけるオゾンの生成消滅は主にNOxによって決定される。とくに海洋大気境界層などの清浄大気中でのオゾンの収支を議論するにはpptvレベルの低濃度NOxの測定が重要である。ところが現在広く用いられているNO2測定法である光解離・化学発光法(PLC-CL法)はNOに変換して測定する間接法であり、変換効率の誤差やNOの変動による測定の限界がある。本研究では、レーザー誘起蛍光法(LIF法)を用いて、大気中のNO2を直接にpptvレベルまで測定する装置の開発を行なった。

 第2章では、LIF法によるNO2測定の原理を検討した。NO2は可視光領域に吸収を持つ上に蛍光を発する、大気中の化学種では特徴的な物質である。したがってレーザー光を光源として試料中の分子を励起し、励起分子が基底状態に戻る際に発せられる誘起蛍光を検出するレーザー誘起蛍光法によって測定が可能であると考えられた。励起・蛍光・消光の過程から導出した感度・検出下限の式を考慮して、励起セル中の圧力・光子計数法のゲートタイム・セルにおけるレーザー光路の設定・励起レーザーの選択・バックグラウンド信号の抑制が重要な要素であることを確認した。

 第3章では、装置の構築と性能の向上を行なった。装置は、レーザー光源と励起セルからなる励起光学系、試料大気を導入する導入排気系、蛍光を効率良く検出するための集光検出系、測定を自動的に制御してデータを得る制御系、の4つの部分から成っている。野外観測での自動連続測定のために、3方バルブを自動的に制御してNO2を含まないゼロエアを導入し、定期的にバックグラウンドを測定した。装置の校正には、信頼性の高い気相滴定法を採用した。この装置について測定条件の最適化を行ない、最終的に検出下限4pptv(60秒積算)となった。さらに、標準試料濃度に対する直線応答性を確認した。以上のように、pptvレベルのNO2測定が十分に可能な装置の開発に成功した。

 第4章では、実際に海洋大気境界層においてNO2の測定を行ない、装置の実用性について検討した。測定は、1999年8月に沖縄辺戸岬、2000年6月に北海道利尻島において行なった。さらに従来法であるPLC-CL法との相互比較を行ない、測定値の妥当性について検討した。沖縄で10日間、利尻で18日間、ほぼ連続して測定をすることに成功し、夜間など無人の場合を含めて、装置の動作安定性が確認された。相互比較の結果、LIF法とPLC-CL法との測定値は非常に良く一致し、LIF法の測定値が妥当であることが確認された。さらに、測定値に対する大気中オゾンの影響を検討した結果、PLC-CL法は大きな影響を受けるがLIF法はほとんど影響されないので有利であることがわかった。以上のように、本装置は清浄大気測定への実用化に成功した。

 第5章では、利尻における測定値を用いて大気中のNOxの光化学平衡について検討した。NO-NO2交換反応を解明することは、対流圏オゾンの研究で重要である。オゾンとNOからNO2濃度を推定したところ実測のNO2より小さくなり、ペルオキシラジカル(HO2、RO2)がNO-NO2交換反応において重要であることが確認された。次に、光化学反応モデルによりペルオキシラジカル濃度を推定したところ、実測のNO、NO2濃度から予想される値より小さくなり、光化学反応モデルで考慮していないNO-NO2交換反応の存在が示唆された。以上のように、LIF法を用いてNO2を実測することが大気化学において有用であることが示された。

 なお、第3章で述べられている「LIF法を用いた大気中NO2の高感度測定装置の開発」については、廣川淳、秋元肇、梶井克純らとの共著論文として発表されているが、論文提出者が主体となって開発、観測を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。その他の章の研究に関しても、同様である。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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