学位論文要旨



No 115947
著者(漢字) 山中,正浩
著者(英字)
著者(カナ) ヤマナカ,マサヒロ
標題(和) 有機銅(III)活性種の反応性に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical Studies on the Reactivity of Organocopper(III) Species
報告番号 115947
報告番号 甲15947
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3991号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中村,栄一
 東京大学 教授 高塚,和夫
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 川島,降幸
 東京大学 講師 佐々木,誠
内容要旨 要旨を表示する

 有機銅アート錯体は、付加反応や置換反応など種々の反応に適用されており、これまでに混合型有機銅アート錯体や有機銅-ルイス酸複合試薬、グリニャール試薬、亜鉛試薬と一価の銅塩の組み合わせなどの試薬が報告されている。これらの有機銅試薬によって発現する特異的な選択性、反応性は有機銅化学のみならず多金属複合反応系における協同効果の観点からも重要な話題となっている。近年の反応機構研究によって、特に有機銅アート錯体の共役付加反応では、高酸化状態の有機銅(III)活性種が重要な反応中間体であることがわかってきた(Chapter1)。本論文では、これまでの理論的反応機構研究(eq.1)に基づき、その理論的妥当性とより現実に即したモデルの検討(Chapter2、3)を行った後、密度汎関数計算(B3LYP/631A)を用いて、有機銅(III)活性種とルイス酸性金属との共同作用の観点から有機銅化学の重要な話題である共役付加反応における求核置換基選択性やルイス酸添加効果に関する検討(Chapter4、5)を行っている。さらに銅周辺金属(銀、金、コバルト)との比較検討を行っている(Chapter6、7)。

1。有機銅化学の理論計算における基底関数及びモデルの検討

 有機銅(I)、有機銅(III)化合物の理論計算では、B3LYP/631SDD、B3LYP/631ASレベルの計算によって実験値によく一致した構造が得られ、高精度計算方法であるCCSD(T)に類似した相対的エネルギー値が得られる。またリチウムへの溶媒分子の配位や現実に則した置換基を考慮したモデルを用いることで、実験値との定量的な比較が可能となり、実験値によく一致した活性化エネルギーや速度論的同位体効果の値が得られる事を明らかにした(Chapter2、3)。

2。混合型有機銅アート錯体の求核置換基選択性

 二つの異なる有機基を有する混合型有機銅アート錯体(RXCuLi・LiCl)は、一方の求核置換基(R)のみを選択的に求核攻撃に利用できるため、合成的活用価値が高く、有機銅化学の初期より注目を集めていた化合物である。これまで求核置換基選択性はCu-Xの結合の強さによって決定すると考えられてきた。本研究ではeq.1に基づき、種々の混合型有機銅アート錯体(X=Me,Et,But,CH2SiMe3,vinyl,ethynyl,CN,SMe)の共役付加反応における求核置換基選択性について検討を行い、いわゆるダミー配位子をはじめとして多くの置換基において、銅(III)中間体(CPmx,CPxm)の熱力学的安定性の差が求核性置換基選択性を制御しており、X=vinyl,CH2SiMe3では例外的に銅(III)中間体の速度論的反応性の差によって、求核性置換基選択性が発現していることを明らかにした(Scheme1)。

 また選択性を制御するCPmx、CPxmの安定性の差は、Li-Xの静電的相互作用に由来することを明らかにしている(Figure1).特に典型的なダミー配位子であるX=ethynyl、CNでは、Liへπ相互作用がCPxmの大きな安定化をもたらしている(Chapter4).

3。ルイス酸による有機銅(III)活性化

 BF3などのルイス酸は有機銅試薬を用いた共役付加反応を促進することが知られており、いわゆる有機銅-ルイス酸複合試薬として広く有機合成に用いられている。本研究では共役付加反応の律速段階が銅(III)中間体からの還元的脱離であることに着目し、ルイス酸が銅(III)中間体に直接作用して反応促進する可能性について検討を行った。共役付加反応の反応中心をモデル化したMe3Cu(III)・OMe2を用いて、Me3Cu(III)錯体(1)の還元的脱離に対する配位子及びルイス酸添加効果を検討した(Scheme2)。

 ルイス酸である(LiCl)2,BF3はルイス塩基性配位子(OMe2,SMe2,PMe3,Cl-)の場合と同様にMe3Cu(III)錯体(1)を熱力学的に大きく安定化させるが、同時に還元的脱離の活性化エネルギーを低下させることを見出した(Figure2).即ち、BF3のようなルイス酸は1に直接作用し、それを活性化することで、還元的脱離を加速して共役付加反応を促進する事が示唆された。BF3配位では、加速効果の鍵となるルイス酸配位時の銅(III)錯体(7)の構造はCu-F結合が形成され、Me基が配位した構造に変化し、遷移状態(8)の構造とよく似た構造となった(Figure3).このような構造変化はKohn-Sham軌道にもよく反映されており、BF3配位の場合、CPとTSで軌道変化が非常に小さいことがわかった。

 また銅と配位子の電荷分布についても7と8の両者で変化が非常に小さかったことから、BF3配位銅(III)錯体(7)では錯形成時にすでにかなりの電荷移動が生じており、還元的脱離の際の電荷移動が著しく促進しているため、活性化エネルギーが低下したと考えられる。これはルイス酸MXによる有機銅(III)錯体の直接的活性化という全く新しい概念であり、ルイス塩基性部分Xによる銅(III)錯体の熱力学的安定化とルイス酸性金属部分Mによる銅(III)錯体の速度論的活性化の二つの効果が有機銅(III)錯体に協同的に作用した結果であるといえる(Chapter5).このように有機銅(III)錯体形成時に発現する銅とリチウム又はルイス酸の共同作用が、有機銅(III)活性種の安定性や反応性を制御して求核置換基選択性やルイス酸加速効果をもたらすという新しい概念を見出した。

4.銅周辺金属(銀,金,コバルト)と銅の比較

 有機銅(III)活性種の反応性を制御する銅-ルイス酸性金属系の協同効果は有機銅化学のみならず、二核金属複合反応系の観点からも興味深いため、さらに有機銀、有機金と有機銅の比較検討やコバルト-コバルト系の協同効果との比較についても検討を行った。Me3Cu(III)錯体の還元的脱離はd-軌道関与の三中心二電子軌道を経て進行しており、有機銅化合物は対応する有機銀、有機金化合物に比べてd-軌道レベルが高いために、より高い反応性を示す(Chapter6).コバルトの二核金属触媒系であるPauson-Khand反応では反応を通じて一方のコバルトが金属-金属結合を介して反応中心であるもう一方のコバルトに静電的な影響を与えている(Chapter7).最後に銅-ルイス酸性金属系とコバルト-コバルト系における協同効果の比較についてChapter8にまとめた。

Scheme 1. Energetics of conjugate addition of Me(X)CuLi●LiCl for(a)X=CCH、(b)CN、(c)SCH3、and(d)CH2Si(CH3)3(e)CH=CH2(B3LYP/631AS//B3LYP/631AS).

Figure 1. The 3D structures of two isomeric open complexes of acrolein and Me(ethyny1)CuLi●LiCl(B3LYP/631As).Bond lengths are in A。

Scheme 2. Effects of additives on reductive elimination of Me3Cu(III)(1)

Figure 2. Energetics of complex formation(CP)and reductive elimination(TS)through interaction of Me3Cu(III)with(a)Lewis bases and(b)Lewis acids(B3LYP/631AS).

Figure 3. The 3D structures of CP and TS of reductive elimination for(a)Me3Cu・(Cl-)and(b)Me3Cu●BF3(B3LYP/631AS).Bond lengths are in A.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は八章から構成されている。第一章では、構造及び反応機構研究における有機銅(III)錯体の重要性について述べられている。

 第二章、第三章では、有機銅アート錯体の反応機構研究における構造及び相対エネルギーに対する計算レベルと化学モデルの評価について述べられている。有機銅アート錯体の反応機構研究における最適な計算方法はB3LYPであり、銅に対する基底関数は、全電子基底関数及び相対論効果を含んだ有効内核ポテンシャルが適していることを明らかにしている。また、実験値との定量的な比較の際にはリチウムへの溶媒和、有機銅アート錯体の置換基を考慮することが必須であることを明らかにしている。

 第四章では、混合型有機銅アート錯体の共役付加反応における求核置換基選択性の検討について述べている。ダミー配位子をはじめとする多くの置換基において、求核性置換基選択性はリチウム-置換基間の静電相互作用に由来する有機銅(III)錯体の熱力学安定性の差によって制御されており、置換基がビニル基、シリルメチル基では例外的に有機銅(III)錯体の速度論的反応性の差によって求核置換基選択性が制御されることを明らかにしている。

 第五章では、有機銅アート錯体の共役付加反応におけるルイス酸添加効果の検討について述べている。ルイス酸MX添加による反応加速は、反応基質の活性化のみならず、有機銅(III)錯体がルイス塩基部分Xにより安定化され、ルイス酸部分Mにより速度論的に活性化されることにより発現することを明らかにしている。これはルイス酸による有機銅(III)錯体の直接的活性化といえる新しい概念である。

 第六章では、トリアルキル銅(III)、銀(III)、金(III)錯体の還元的脱離反応の検討について述べている。有機銅(III)錯体では四配位構造、有機銀(III)、有機金(III)錯体では三配位構造の遷移状態を経て還元的脱離する事を明らかにし、その要因をKohn-Sham軌道解析により明らかにしている。

 第七章では、Pauson-Khand反応の検討について述べている。Pauson-Khand反応はアルケン挿入、CO挿入、還元的脱離からなり、不可逆なアルケン挿入段階で位置及び立体位選択性が決定している。また反応過程において、コバルト-コバルト結合を介した協同作用により、反応中心に静電的な影響を与える事を明らかにしている。

 第八章では求核置換基選択性、ルイス酸加速効果、Pauson-Khand反応を二核金属間の協同効果の観点から総括している。

 なお、本論文の第二章は、森聖治氏、稲垣昭子氏、中村栄一氏との共同研究であり、第五章は森聖治氏、中村栄一氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって検討を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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