学位論文要旨



No 115950
著者(漢字) 芹澤,尚
著者(英字)
著者(カナ) サリザワ,ショウ
標題(和) マウス嗅覚受容体遺伝子の相互排他的発現
標題(洋)
報告番号 115950
報告番号 甲15950
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3994号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 助教授 飯野,雄一
内容要旨 要旨を表示する

 嗅覚受容体(odorant receptor:OR)をコードする遺伝子は1991年、BuckとAxe1らによってラットにおいて同定された。この遺伝子系は哺乳類では1,000種類に及び多重遺伝子がらなっており、様々な染色体上にクラスターをなして存在している。OR遺伝子をプローブとしたin situ hybridizationにより、げっ歯類の嗅上皮は4つのゾーンに分けられ、各OR遺伝子はこれら4つのゾーンのいずれが一つで発現している。また様々な状況証拠がら、各々の嗅神経細胞で発現されるOR遺伝子の種類はおそらく1種類で、2つある対立遺伝子のどちらか一方のみが発現されていると考えられている。

 また嗅球への投射に際しては、同じ種類の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞は、約2,000個ある糸球のうち特定の2対に対して軸索を収束させている。したがって、嗅上皮において受容される匂いの化学情報は、嗅球において糸球の場所によって規定される二次元的位置情報に変換されると考えることができる。

 本研究では、OR遺伝子の発現調節、及び、嗅神経の軸索投射機構を解明するため、MOR28クラスター(MOR28、MOR10、およびMOR83を含むマウスのOR遺伝子クラスター)を含む460kbの染色体領域をYACベクターに導入し、これを含むトランスジェニックマウスを作製、その発現に成功した。

1 トランスジェニックマウスにおける嗅覚受容体遺伝子の発現

 これまで試みられた嗅覚受容体のトランスジェニック実験には、単一のOR遺伝子を含む比較的短いDNA領域が用いられ、いずれもその発現に成功していない。私は、OR遺伝子の発現にはクラスターレペルの制御機構が存在すると考え、MOR28を含む460kbのDNAをYACベクターを用いてマウスに導入した(YAC-460)。本研究ではまた、YAC-460の上流及び下流領域を削った、長さの短いコンストラクト(YAC-200、YAC-180、YAC-90)を持つトランスジェニックマウスも平行して解析した。いずれの場合にも、トランスジーンの発現を容易に検出する為、MOR28をIRES(internal ribosomal entry site)と共にtau-lacZで標識してある(図1)。トランスジェニックマウスから嗅上皮及び嗅球を取り出し、全体をX-galで染色したところ、嗅上皮で青色に染まる嗅神経細胞が認められ、その軸索は嗅球上の特定の糸球に投射していることが観察された(図2)。YAC-460については独立に4つのラインが得られ、全てにおいてトランスジーンの発現が認められた。YAC-200を含むマウスについては6系統全てで発現が認められ、YAC-180では、10系統中4ラインにおいて極めて低いレベルの発現が観察された。YAC-180の残りのラインとYAC-90については全く発現が認められなかった。これらの発現結果から、YAC-200にはMOR28の発現に必要な一応の制御領域はすべて含まれること、YAC-200には存在するがYAC-180には含まれないMOR28の上流領域に重要な発現制御領域の有ることが示唆された。

2 内在性と外来性のMOR28遺伝子は相互排他的に発現する

 トランスジーンとして導入された外来性MOR28の発現を内在性のそれと区別して検出するため、内在性MOR28がgap-GFPで標識されたノックインマウスを、先のトランスジェニックマウスとかけあわせ、同一組織中で外来性と内在性、2種類のMOR28遺伝子の発現と投射を解析した。gap-GFPの産物は膜輸送シグナルペプチドGAP43とGFPの融合タンパク質であり、緑の蛍光によりその発現を検出出来る。一方、tau-lacZで標識した外来性MOR28の発現は、抗β-ga1抗体を用いた抗体染色により赤の蛍光で検出した。このかけあわせマウスを解析したところ、外来性MOR28(赤)と内在性MOR28(緑)はともに嗅上皮のゾーン4で発現するが、その発現細胞は赤あるいは緑いずれかの蛍光を発し、両者を同時に発現する細胞は極めて稀であることが確認された。これらの結果は、外来性MOR28と内在性MOR28とは制御領域も含め基本的には同じ遺伝子構造をもつにもかかわらず、その発現に際してはそれぞれが独立のOR遺伝子としてふるまうことを示している。

3 相互排他的発現は複数導入されたトランスジーン間にも認められる

 次にトランスジーン同士の発現における相互排他性を調べるため、YAC-200をもとに標識を違えた2種類のコンストラクトを作製した。一つはMOR28をtau-lacZで標識し(YAC-200)、もう一つはMOR28をtau-GFPで標識(YAC-200G)してある。これら両者を同時にマウス受精卵に導入しトランスジェニックマウスを作製、4つのラインを得、その内EとF、2つについて更に詳しい解析を行った。FISH解析やSouthern hybridizationの結果から、YAC-200とYAC-200Gの両コンストラクトは同じ染色体の同じ領域に並んで挿入されていることが確認された。次に嗅上皮においてその発現を調べたところ、トランスジーンMOR28を発現する嗅細胞は赤または緑いずれか一方の蛍光を発し、賛色に発色するものは認められなかった。このことは、同時に導入された複数の外来性MOR28の間にも相互排他的発現制御のみられることを示すものである。ちなみにラインEマウスについては、3751個の赤色細胞と2061個の緑色細胞に対し、黄色の細胞はひとつも検出されなかった。

4 トランスジーンMOR28を発現する嗅神経細胞の投射先

 上に述べたように、外来性MOR28と内在性MOR28とは各々別の細胞集団で発現することが判明したので、次に我々はそれぞれの発現細胞の軸索投射について解析した。laoZで標識したYAC-460トランスジーンとGFPで標識した内在性MOR28を持つかけあわせマウスから嗅球を取り出しその全体を蛍光染色したところ、赤の蛍光(抗β-ga1抗体)を発する軸索と緑の蛍光(GFP)を発する軸索は近傍ではあるが別々の糸球に投射することが判明した。

考察

 本研究ではYACトランスジェニックマウスの系を用いて、マウス嗅覚受容体遺伝子MOR28の発現制御とその投射先について解析した。YAC-460とYAC-200をトランスジーンとして用いた場合、外来性MOR28の発現が嗅上皮上のゾーン4で相互排他的に見られ、さらにその発現細胞は特定の糸球に投射する事が判明した。これらの結果は、YAC-200のDNA領域にMOR28の正常な発現と投射に必要な制御領域が、一応一通り含まれている事を示している。今回我々は、lacZとGFP、2種類の標識遺伝子を用いて、外来性及び内在性のMOR28遺伝子が相互排他的に発現されることを示した。同様な発現調節は、同じ染色体部位に導入された複数の外来性MOR28間にも観察された。では、この様な相互排他的発現を保障する制御機構とはどの様なものであろうか。これ迄嗅覚受容体遺伝子の選択的発現を、各OR遺伝子に特異的な複数の転写因子の組み合わせで説明しようとする立場もあったが、今回の我々の結果はこれを明確に否定するものである。このtrans-actingモデルに従えば、転写因子を一分子と仮定しない限り、同じ制御領域を持つ複数のMOR28遺伝子は同一細胞で共発現されなければならない。今回の研究により、全く同じ構造を持つnon-allelicなOR遺伝子の間にも、相互排他的発現制御の働くことが明らかとなったが、この様な調節機構は極めて特殊であり、これ迄に抗原受容体遺伝子で報告されているのみである。

 今回明らかにされたOR遺伝子の相互排他的発現は、嗅覚系が進化してくる過程において極めて重要な役割を果たしたと考えられる。嗅覚系は遺伝子重複と変異を繰り返すことで遺伝子プールを拡大してきたと推測されるが、それと同時に軸索投射先である糸球の数も増大しなければならない。重複によって生じた新たな嗅覚受容体遺伝子に、リガンド特異性を変え得る様な変異が生じた場合、この変異に呼応して投射の位置も新たに用意される必要がある。しかし、嗅細胞の軸索投射に嗅覚受容体自身が何らがの形で関わっているという最近の報告を踏まえれば、遺伝子の重複と変異に対応して投射先の数が増加したことも充分説明可能である。但しこの際、新しく重複によって出来た遺伝子が、もとの遺伝子と相互排他的に発現されなければ、遺伝子に対応して生じる投射先の特定という原則に混乱の生じることになる。一方、個々のOR遺伝子の相互排他的発現が保障されていれば、これら重複によって作り出された遺伝子は独立に変異を重ねることが可能となり、遺伝子のレパートリーと投射先の拡大が平行して行われることになる。

図1

図1:マウスゲノムライブラリーより単離された460kbのYACクローン(YAC-460)上のMOR28遺伝子3'非翻訳領域をIRES-tau-lacZ(▲)で標識した。YAC-200、YAC-180、及びYAC-90は標識されたYAC-460の上流及び下流域を削り、作製した。YACクローン上には3種類のマウス嗅覚受容体遺伝子、MOR28、MOR10、及びMOR83、が含まれる。制限酵素切断位置、P(Pmel)及びS(Sse8387l)を示す。

図2

図2:X-gal染色を行った嗅上皮及び嗅球側面。外来性MOR28を発現する嗅神経細胞及びその軸索は青く染まって観察される。発現細胞の喚球上の特定の糸球への軸索投射が観察された(矢印)。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はにおい識別の分子機構を、嗅覚受容体(odorant receptor:OR)遺伝子の発現をしらべることにより明らかにしようとするものである。OR分子をコードする候補遺伝子は1991年、Columbia大学のBuckとAxe1らによってラットにおいて同定された。この遺伝子系は哺乳類では1,000種類に及ぶ多重遺伝子からなっており、様々な染色体上にクラスターをなして存在している。OR遺伝子をプローブとしたin situ hybridizationにより、げっ歯類の嗅上皮は4つのゾーンに分けられ、各OR遺伝子はこれら4つのゾーンのいずれか一つで発現している。また様々な状況証拠から、各々の嗅神経細胞で発現されるOR遺伝子の種類はおそらく1種類で、2つある対立遺伝子のどちらか一方のみが発現されていると考えられている。また嗅球への投射に際しては、同じ種類の嗅覚受容体を発現する嗅神経細胞は、約2,000個ある糸球のうち特定の2対に対して軸索を収束させている。したがって、嗅上皮において受容される匂いの化学情報は、嗅球上の糸球の位置によって規定されるtopographica1な情報に変換されると考えることができる。

 本研究では、OR遺伝子の発現調節、及び、嗅神経の軸索投射機構を解明するため、MOR28遺伝子クラスターを含む460kbの染色体領域をyeast artifcial chromosome(YAC)ベクターに導入し(YAC-460)、これを含むトランスジェニックマウスを作製、その発現に世界で初めて成功した。本研究ではまた、YAC-460の上流及び下流領域を削った、長さの短いコンストラクト(YAC-200、YAC-180、YAC-90)を持つトランスジェニックマウスも平行して解析した。YAC-460とYAC-200を含むマウスについては全ての系統で外来性MOR28遺伝子の発現が認められが、YAC-180とYAC-90については正常な発現が認められなかった。これらの発現結果から、YAC-200にはMOR28の発現に必要な制御領域はすべて含まれること、YAC-200には存在するがYAC-180には含まれないMOR28の上流領域に重要な発現制御領域の有ることが示唆された。これらの発見は、今後OR遺伝子の発現制御をつかさどるDNA領域を特定する上で重要な第一歩となる。

 次に本研究では、lacZとGFP2種類の標識遺伝子を用いて、外来性及び内在性のMOR28遺伝子が相互排他的に発現されることを示した。同様な発現調節は、同じ染色体部位に導入された複数の外来性MOR28間にも観察された。これは同じ制御領域をもつ全く同じ遺伝子が複数同時発現する事なく、個々に独立して振るまい、単独に活性化されるという、極めて例外的現象である。これ迄嗅覚受容体遺伝子の選択的発現を、各OR遺伝子に特異的な複数の転写因子の組み合わせで説明しようとする立場もあったが、本研究での結果はこれを明確に否定するものである。このtrans-actingモデルに従えば、転写因子を一分子と仮定しない限り、同じ制御領域を持つ複数のMOR28遺伝子は同一細胞で共発現されなければならない。今回の研究により、同じ構造を持つnon-allelicなOR遺伝子の間にも相互排他的発現制御の働くことが明らかとなったが、この様な調節機構はこれ迄に抗原受容体遺伝子で報告されているのみであり、本研究で確立されたOR遺伝子の発現系は、そのメカニズムの解明に大きな手がかりを与えたといえる。

 学位論文はトランスジェニックマウスの作製、遺伝子の発現制御、及び制御モデルの考察からなり、その主要な部分は提出者を筆頭著者として欧文誌に発表された。論文には多数の共同研究者が名を連ねるが、提出者は一貫してこのプロジェクトをリードし、その寄与と果たした役割については特筆すべきものがある。また関連する研究内容は、このほかに共著者として欧文誌3報に発表され、関連分野の研究者から高い評価を得ている。

 したがって、提出者の研究は博士(理学)の学位を授与するに値すると判断する。

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