No | 115951 | |
著者(漢字) | 船越,陽子 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | フナコシ,ヨウコ | |
標題(和) | ショウジョウバエ翅パターン形成における新規遺伝子master of thickveinsの機能解析 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 115951 | |
報告番号 | 甲15951 | |
学位授与日 | 2001.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第3995号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 序 多細胞生物は発生段階において、各々の細胞がその位置に応じた位置情報価を元にして分化することによって形作られる。その機構の一つは、モルフォゲンモデルで説明されている。オーガナイザーから分泌された可溶性のモルフォゲン分子の濃度勾配により、位置情報の元となるシグナル強度の勾配が形成されると考えられている。私は本研究において、キイロショウジョウバエの翅のパターン形成をモデルとして、この系で前後軸方向のモルフォゲンである、TGF-βスーパーファミリーに属するDecapentaplegic(Dpp)の情報勾配の形成機構に関与している新規遺伝子master of thickveins(mtv)を見いだし、その詳細な機能解析を行った。本研究により、当遺伝子がDppの受容体であるthickveins(tkv)の転写を制御してtkvの発現パターンを形成し、それを通じてDpp情報伝達系のシグナル強度の勾配を形成していることを明らかにした。また、当遺伝子が翅パターン形成に重要な他の情報伝達系に関与していることを示した。 1.master of thickveinsのクローニング エンハンサートラップラインのスクリーニングにより、新規パターン形成遺伝子にP因子が挿入されたラインを得た。このマーカー遺伝子の翅成虫原基における発現パターンは、将来成虫の翅になる部分においてtkvの転写パターンやリン酸化型Mothers against Dpp(Mad)(p-Mad)の勾配とほぼ相補的であった(Fig.1)。このエンハンサートラップラインからプラスミドレスキュー法により挿入部位の近辺のゲノムDNA断片を得、これを利用してcDNAライブラリーより目的の遺伝子をクローニングした。そして、後述する機能から、master of thickveins(mtv)と名付けた。 mtvは、その予想されるアミノ酸配列より、2310アミノ酸からなる巨大なタンパク質であることが示唆された(Fig.1)。そして、これは最近報告された、ショウジョウバエ視神経のラミナへの投射に必須であるbrakelessや、幼虫の正常な運動に重要なscribblerと同じ遺伝子であることが判明した。他の既知のタンパク質との顕著なホモロジーは見いだされなかったが、核移行シグナル、zinc finger motif、セリンに富む領域、グルタミンに富む領域の存在から、核に局在する因子であることが予想された。また、これに対する抗血清で成虫原基を染色したところ、核局在を示唆する染色像が得られた。 2.mtvによるtkvの転写制御 2.1mtvによるtkvの抑制 mtvの変異体細胞クローン内におけるtkvの転写量を観察したところ、tkvの転写レベルが上昇、それに伴い、Dpp情報活性を示すリン酸化型Madや標的遺伝子のレベルが上昇していた。mtvはtkvのレベルを負に制御することによりDpp情報活性の勾配を形作っていることが判明した(Fig.2)。このことは、変異体クローンの示す表現型と野生型tkvの異所的な発現による表現型との間に共通性があることからも示された。 さらに、ここで明らかになった構成の生物学的な位置づけについて考察するために、翅の前後軸の位置情報価の決定に重要な因子であるhedgehog(hh)、engrailed(en)との関係を調べた。 2.2mtvを通したhhによるtkvの制御 最近、Hh情報伝達系により、前後コンパートメント境界付近においてtkvが転写抑制を受け、そこのDpp情報伝達系のレベルが低く押えられていることが報告された。そこでmtvがこの経路に関わっているかどうかについて検討した。 mtvは、前後コンパートメントの境界において高いレベルで転写されているが、これがHh情報により誘導されたものであるかどうか検討した。Hhの受容体であるsmoothened(smo)の変異クローン内部においてmtvの転写レベルは低くなっており、また、pkaの変異クローン、cubitus interruptus(ci)の異所的発現クローン内においてmtvの転写レベルが上昇していたことより、mtvはHh情報により誘導されていることが示された。 次に、Hh情報との遺伝学的な上下関係を調べるために、Hh情報を抑制しているpatched(ptc)とmtvの二重変異体クローン内部でのtkvの転写レベルを調べた。その結果、mtvの単独のクローンと同様にtkvの転写レベルの上昇が検出された。このことより、mtvは、Hh情報を受けてコンパートメント境界部で高いレベルで誘導され、その領域においてtkvをより強く抑制していることが明らかになった。 2.2mtvを通したenによるtkvの制御 enによって、後部コンパートメントにおいてmtvは抑制を受けており、逆にtkvはその転写活性が増強されていることがわかった。enとmtvの二重変異クローン内において、tkvはmtv単独の変異クローンと同じように脱抑制を受けていたことから、enはmtvを抑制することによってmtvのtkvの抑制を解除していることが判明した。 以上より、mtvは、EnとHh両方の情報による転写制御を受けてtkvの転写レベルを制御していることが判明した。すなわち、ショウジョウバエの翅パターン形成過程において、Dpp情報活性の勾配は従来報告されていたような、単純拡散によるリガンドの量の勾配のみで形成されているのではなく、Dppの転写を誘導するenやhhにより、mtvによるtkvの抑制を通じて詳細に制御を受けていることが明らかになった(Fig.2)。 3. ショウジョウバエの翅パターン形成に関するその他の機能 mtvの変異体細胞クローンを誘導すると、Dpp情報以外が関わっていると考えられる表現型も見いだされた。そこで、mtvによるtkv以外の遺伝子の制御について検討し、その他の機能についても考察した。 3.1 翅前後コンパートメント境界の保持 翅の前後軸は細胞系譜により前部、後部の二つのコンパートメントに分けられる。モルフォゲンであるDppが正しくパターンを誘導するためには、Dppの転写されている領域がコンパートメント境界に限定されている必要がある。そこで、以前からこの過程には前後コンパートメントの境界をまっすぐに保つ機構が重要であると考えられてきた。そして、この機構は、前後コンパートメント間における細胞の親和性の違いで説明されてきた。 本研究で着目されているmtvはその変異クローンが通常の体細胞クローンとは異なり、クローンの周囲がなめらかで、周囲の細胞との接触面積を少なくするような機構が働いていることが想像された(Fig.3)。また、mtvのクローンは、パウチ領域においてどこに形成された場合でもクローンの周囲がなめらかであった。境界にまたがるように存在、あるいは、前後両方のコンパートメント由来のクローンがコンパートメント境界において融合した場合、そのクローン内部において、コンパートメント境界が直線にならず曲がったり野生型細胞集団における境界線とずれを生じたりしていた。境界における親和性の違いはHh情報の強度によることがすでに報告されており、mtvはコンパートメント境界において高いレベルで誘導されていることから、mtvがこの親和性の違いに関与している可能性が示唆された。 3.2Hh情報伝達系の制御 mtv単独の変異クローン内部においてHh情報伝達系の強度に顕著な低下は見られない。また、Hh情報伝達系の因子であるfused(fu)の変異体の成虫原基においてHh情報の強度は低下するものの、大幅に下がるわけではない。しかし、mtvとfuの二重変異体クローンの内部、あるいはfuの変異をバックグラウンドとして持つ成虫原基に誘導したmtvのクローン内部でHh情報により誘導される遺伝子であるdppの転写活性がマーカー遺伝子の発現がほぼ検出されない程度に顕著に低下していた。これは、恐らくmtvがfuに平行な経路においてHh情報伝達系の制御に関与していることを示唆している。 3.3翅脈の形成 2番の翅脈の位置情報の決定に、kniがsalにより誘導を受けることが重要であることが報告されている。mtvの変異クローンの内部でkniの発現を調べたところ、salの発現していない領域全面において発現が見られた。一方、野生型tkvの異所的発現クローン内部では、salの発現領域に隣接した領域のみでしかkniの異所的な発現が見られなかった。このことから、mtvには、tkvに非依存的な経路を通したkniの転写の制御があると考えられた。 また、翅脈の形成においてEGFR情報伝達系が重要な役割を果たしていることが示されている。蛹化前の成虫原基において、Dpp情報とEGFR情報伝達系との直接的な関わりはないが、その時期においてmtvの変異クローン内部でEGFR情報の強度を示唆する抗リン酸化MAPK抗体による染色強度が増強されていた。このことより、mtvは、tkvに非依存的にEGFR情報伝達系に関わっている可能性が考えられた。 以上のことより、mtvは、kniやEGFR情報伝達系を通した翅脈形成機構に関与していることが示唆された。 まとめ・今後の展望 以上より、mtvは、tkvの転写制御の他、いくつかの情報伝達系路を通してショウジョウバエの翅パターン形成において重要な役割を果たしていることが判明した。今後はこのようなmtvの多機能性を分子レベルで明らかにしてゆくことが必要である。 Fig.1 Mtvの構造 Fig.2 パウチにおけるenとhhによるmtvの制御とmtvによるtkvの制御の流れ(図中の実線は、それぞれの因子の量を表す。 Fig.3 mtvの変異クローンとtwin spotの形の比較(模式図) | |
審査要旨 | 本論文では、ショウジョウバエの翅パターン形成における新規遺伝子master of thickveinsの機能について述べられている。論文提出者である船越氏は本研究に於いて発生生物学における位置情報の形成機構の解明を目的として、ショウジョウバエの翅パターン形成過程をモデルシステムとして研究を行った。 船越氏は、本論文の結果の章において、4.1から4.5節にかけてはmaster of thickveins(mtv)のクローニング、および、遺伝子の同定について述べている。ショウジョウバエの翅前後軸におけるパターン形成に関与する新規遺伝子を探索するために、エンハンサートラップラインのスクリーニングを行い、新規パターン形成遺伝子の下流にマーカー遺伝子が挿入された系統を得た。この系統から従来の方法を用いて原因遺伝子を同定、クローニングを行った。その結果、2310アミノ酸からなる巨大な核内因子をコードしていることが明らかになった。 4.6節においては、mtvの翅発生過程における転写制御について述べている。船越氏は、このmtvがショウジョウバエ翅の前後軸のパターン形成に重要な役割を果たしているDpp情報伝達系、Hh情報伝達系、転写因子Enによって転写量、分布が制御されていることを示した。 続く節においては、本研究において明らかになったmtvの機能について述べている。4.7から4.9節にかけては、mtvによるDpp受容体をコードする遺伝子であるthickveins(tkv)の転写制御について述べ、そして、翅発生過程におけるこの転写制御機構の意義について考察している。船越氏は、翅の前駆組織である成虫原基に於いてtkvの転写がmtvによって抑制を受けていること、そして、そのことによってtkvの場所的な分布制御が行われていることを示した。また、Hh情報伝達系やEnによるtkvの転写制御機構との遺伝学的な上下関係を明らかにすることで、mtvは翅前後軸のパターン形成の重要な遺伝子の下流にあり、それらの情報を統合してtkvの転写レベルを制御していることが明らかになった。すなわち、Enに始まる翅前後軸のパターン形成過程においてEnやHhといった上流の遺伝子はmtvを経由して下流のDppモルフォゲン情報勾配を決定しているということになる。 4.10節ではmtvによる翅前後軸のコンパートメント境界の親和性の制御の可能性について追求している。船越氏は、mtvの変異クローンを作製したところ、そのクローン内部、あるいはその周囲において細胞の挙動が乱されることがあった。そして、その際に通常は直線状になっているコンパートメントの境界線が乱されている現象が見いだされた。コンパートメント境界の直線性はコンパートメントごとの親和性の違いによるものと考えられている。そのことより、mtvがコンパートメントの境界における親和性の制御機構に関与していることが示唆された。また、この機構は、今までに明らかになっているHh情報伝達系によるものとは平行、あるいは独立な経路であることも示唆された。この、コンパートメント間における親和性の違い、あるいはその制御機構に関しては未だ明らかになっていない点が多いのであるが、今後のmtvによる制御機構の研究は、それらの未解明な点を明らかにする手がかりを与えるものと考えられる。 4.11節においては、Hh情報伝達系におけるmtvの役割について論じている。船越氏は、mtvの変異クローン内においてHh情報伝達系のトランスデューサーであるCiの各フォームの分布が乱されていることを見いだした。また、fuの変異と遺伝学的に相互作用をする事を見いだした。Hh情報伝達系には、例えば、活性化型Ciがどのようなものであるのかといった、未解明な点がまだ数多く残されており、このmtvによる新しいHh情報伝達系の制御機構の解明は、今後のHh情報伝達系の研究に新しい鍵となるものと考えられる。 最後に、4.12節において、mtvの翅脈形成過程への関与の可能性について追求している。船越氏はmtvの変異クローン内において異所的に翅脈の組織が形成されること、翅脈の分化に関与する遺伝子が脱抑制を受けて転写されるようになること、そして、翅脈の組織の誘導に重要なEGF情報伝達系が活性化を受けていることが明らかになった。 このように、船越氏は本論文において新規遺伝子であるmtvがショウジョウバエの翅前後軸の位置情報価決定機構全般に於いて重要な役割を果たしていることを示しており、本論文は学位論文としてふさわしいものであると認められる。 なお、本研究のうち、mtvによるtkvの転写制御機構の解明に関する研究は東京大学分子細胞生物学研究所の南真樹氏、多羽田哲也氏との共同研究であるが、船越氏がほぼ全ての実験及び解析を行ったものである。そのため、本論文への船越氏の寄与が十分であると認められる。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク |