学位論文要旨



No 115952
著者(漢字) 伊藤,太二
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タイジ
標題(和) SWI/SNF複合体の構成成分、BAF60aは、Fos/Junダイマーによる転写活性化能を決定する因子である
標題(洋) Identification of SWI/SNF complex subunit BAF60a as a major determinant of transactivation potential of Fos/Jun dimers
報告番号 115952
報告番号 甲15952
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3996号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 坂野,仁
 東京大学 客員教授 伊庭,英夫
内容要旨 要旨を表示する

 ある細胞がこれまでの発生過程を記憶していて、その細胞に特異的な遺伝子発現様式を維持したり、各刺激に対して特異的な応答をする、といった特異性の形成、確立、維持の分子機構はほとんど未知であり、現代生物学の一つの課題になっている。これらの特異性を担う因子は標的遺伝子のクロマチンの状態を認識し、維持する活性を持つものであると考えられる。実際、このようなepigeneticalな制御を受ける遺伝子の発現はヒストンのアセチル化・脱アセチル化、DNAのメチル化といったクロマチンの修飾に関わる因子群やクロマチン構造変換因子群等によって制御されることが示唆されている。

 AP-1は細胞の増殖・分化・癌化等に対して重要な役割を担っている転写制御因子である。AP-1は、Fosファミリータンパク質(c-Fos、Fra-1、Fra-2、FosB)とJunファミリータンパク質(c-Jun、JunB、JunD)から構成されている。Junファミリータンパク質はいずれも、Fosファミリーのどの構成タンパク質とも安定なダイマーを形成するが、Junファミリータンパク質相互の間でも不安定なダイマーを形成しうる。ダイマーは両ファミリータンパク質が持つロイシンジッパー構造を介して形成され、いずれのダイマーもTGA(C/G)TCAというAP-1結合配列に結合する。我々の研究室では、内在性AP-1活性が低いmouse embryonic carcinoma F9細胞株を用いて、各Fos、Jun発現ベクターと、human collagenase遺伝子のプロモーター領域にある典型的AP-1配列を一つ持つレポーターCATプラスミド(1×col.TRECAT)とを同時に導入して解析してきた。その結果、c-Junホモダイマーに対しc-FOSの添加は転写の活性化を促すが、Fra-1、Fra-2は抑制的に働くこと等を示している(1)。このことは、各ダイマーがそれぞれ独特の転写制御活性を有していて、2つのファミリータンパク質間で形成されるダイマーの種類によって、AP-1結合配列を介する発現に極めて広い多様性が生み出されることを示している。しかしながら、このような多様な転写制御活性を担う機構やそれに関わる分子は未知である。

 本研究では、Junファミリータンパク質の中でc-Junによる転写の活性化の分子機構の解明を目指し、酵母two-hybridスクリーニングによりc-Junの転写活性化能を担うとされるN端領域(a.a.25-187)をbaitとしてmouse brain cDNAライブラリーの中で相互作用する因子をスクリーニングした。5×105クローンをスクリーニングし、23個のヒスチジン非要求性、β-galactosidase陽性のクローンを得た。うち1クローンがmouse SWI/SNF複合体の構成成分、BAF60aのC端をコードしていた。

 SWI/SNF遺伝子群は最初、酵母の接合型変換に関与するHO endonuclease遺伝子の転写制御因子群(SWI;switching)、およびsucrose代謝に関与するSUC2 invertase遺伝子の転写制御因子群(SNF;sucrose nonfermenting)として同定された。その後SWI2はSNF2と同一のタンパク質をコードし、DNA-dependent ATPase活性を持つことが示されている。最近、mammalianのSWI/SNF複合体がクローニングされ、それは11個のサブユニットから成り、BRG1またはBrmのいずれか一方のみを必ず含む2MDaの複合体であることが示された(2)。これらBRG1およびBrmはSWI2/SNF2のmammalianホモログであり、DNA-dependentATPase活性を持ち、SWI/SNFの持つクロマチンリモデリング活性を担うコアサブユニットである。

 c-JunのN端領域とSWI/SNF構成成分BAF60aとの結合が示されたことで、AP-1による転写活性化の分子機構をクロマチンリモデリングの視点で解明できる可能性が高いと考えられた。そこでまずスクリーニングで得られたクローンを元に全長のBAF60aをコードするcDNAを得た。次に、BAF60aとc-Junの結合がin vitroでも見られるか調べた。BAF60aをGSTに融合させたもの、c-JunのN端(a.a.1-225)にヒスチジンタグをつけたものをともにE.coliで発現、精製して結合実験を行ったところ、BAF60aとc-JunのN端は直接的に結合することが示された。ここでAP-1構成成分間でBAF60aに対する結合性に差があるのかをin vitroで調べたところ、BAF60aは他のJun familyとしてJunBと(c-Junに比べて)弱く結合し、JunDとの結合は検出できなかった。またBAF60aはFosファミリーの中ではJunファミリーとは一次構造の大きく違うc-Fosとも結合した。さらに、c-Fosのdeletion mutantを作製してBAF60aとの結合を調べたところ、c-Fosでは、bZipを含まないC端領域(a.a.237-380)で結合に十分であった。

 in vivoではAP-1は主にFosファミリーとJunファミリーとの間で安定なヘテロダイマーを形成して機能すると考えられるので、予めFosファミリーとJunファミリーの間でダイマーを形成させた後、BAF60aとの結合を調べた。結果、図1に示すように、BAF60aはc-Fos/c-Junヘテロダイマーを高い選択性で結合すること(図1A)、c-Fosまたはc-Junを含むヘテロダイマーとは弱い親和性を持つこと(図1B、C)、Fra-2/JunDダイマーとの結合は検出されないこと(図1D)が示された。次にFosファミリー、Junファミリータンパク質間で形成される様々な組み合わせのヘテロダイマーの転写活性化能を比較検討した。F9細胞株に対してAP-1構成成分の発現プラスミド及び1×col.TRECATプラスミドを一過的に導入してCAT assayを行ったところ、表1に示すように、c-Fos/c-Junダイマーがもっとも強い転写の活性化を示し、Fra-2/JunDダイマーはほとんど活性化は示さなかった。これらのことから、Fos/Junダイマーの転写活性化能はBAF60aとの結合能によって主に決定されていることが強く示唆された。

 次にc-Fosあるいはc-Junはin vivoでSWI/SNF複合体と結合しているかを確認する実験を行った。血清飢餓状態にさらして、G0期に同調した細胞に対して血清刺激を行うと一過的にc-Fos、c-Junの著しい発現が起こる(3)。その状態におけるNIH3T3の細胞抽出液を用いた免疫沈降法を行ったところ、c-Fos、c-JunがSWI/SNF複合体構成成分Brm及びINI1を含む複合体とin vivoで結合していることが示された。

 最後に、c-Fos/c-Junダイマーによる転写の活性化はSWI/SNFによるクロマチンリモデリングを介しているのか、またその際にもBAF60aによってc-Fos/c-Junダイマーが選択される分子機構が働くのかを調べた。SWI/SNFのDNA-dependent ATPase活性を担うBrmやBRG1を発現していない副腎皮質由来のadenocarcinoma SW13細胞株でのCAT assayで、c-Fos/c-JunダイマーはBrmの共導入に依存してcollagenase上流域由来のAP-1結合配列を介した著しい転写の活性化を示したが、この活性化はBAF60aへの結合が検出されなかったFra-2/JunDダイマーではみられなかった。ここで、同じ系を用いてAP-1結合配列を上流に持つcollagenase及びc-metの内在の発現を調べたところ、図2に示すようにc-Fos/c-JunダイマーはcollagenaseではBRG1及びBrmの、またc-metにおいてはBRG1の共導入に依存して著しい転写の活性化を示したが、これらの活性化はFra-2/JunDダイマーではみられなかった。

 以上より、AP-1成分中の特定のダイマーはBAF60aを介してSWI/SNF複合体を染色体上に動員させて、転写開始を誘導することが示された。特にc-FosがPDGF、interferon、血清、TPA等の刺激に応答して一過的に発現する超初期遺伝子であることを考えると、AP-1結合配列を持っているが通常は不活性な状態にある標的遺伝子のクロマチン構造は、それらの多様な刺激に応答してc-Fosを含むダイマーにより動員されたSWI/SNF複合体により活性型のクロマチンヘと構造変換を受けるものと考えられる。BAF60aひいてはSWI/SNF複合体に対する結合活性を持たないFos/Junヘテロダイマー(例えばFra-2/JunDダイマー)はc-Fosを含むダイマーにより一旦openな状態になったAP-1結合配列に結合して、転写をONの状態に保持するといった機能を持つと考えられる。今後はFos/Junダイマーの制御下にあって組織特異性の維持、発生・分化の誘導、また組織特異性の破綻から生じると考えられる腫瘍形成等といった過程に直接に関わる標的遺伝子の検索を行い、それらの過程におけるFos/Junによる転写制御にSWI/SNF複合体の動員がどのように関わるかを追求したい。

35Sメチオニン及びウサギ網状赤血球抽出液を用いて作製したc-Fos(Fra-2)及びc-Jun(JunD)を混合して37℃で30分間保温することにより、ヘテロダイマーを形成させた。この後、GST融合BAF60aと混合して、GST pull down assayを行った。

(1)Suzuki,T.,Okuno,H.Yoshida,T.,Endo,T.,Nishina,H.,and Iba,H.(1991).Nucleic Acids Res.19,5537-5542.

 (2)Wang,W.,Xue,Y.,Zhou,S.,Kuo,A.,Cairns,B.R.,and Crabtree,G.R(1996).Genes Dev.10,2117-2130.

 (3)Murakami,M.,Ui,M.,and Iba,H.(1999).Cell Growth Differ.10,333-342.

図1. 各Fos/JunダイマーのBAF60aへの結合性

表1. F9細胞株における各Fos/Junダイマーの転写活性化能

F9細胞株にFos及びJunファミリータンパク質発現プラスミドと1Xco1.TRECATを一過的に共導入し、CAT活性を測定した。空のプラスミドをタンパク質発現プラスミドの代わりに用いた場合のCAT活性を1として相対的に表した。

図2.BRG1及びBrmの共導入のAP-1の転写活性化能への効果

SW13細胞株に発現プラスミドを一過的に導入し、各トランスフェクタントから全RNAを抽出後、各内在遺伝子に対するプライマーを用いてRT-PCRを行った。GAPDHは内部標準遺伝子として用いた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は転写制御因子AP-1による転写活性化の分子機構について解析したものである。AP-1は細胞の増殖・発生・分化・癌化等に対して重要な役割を担っている転写制御因子である。AP-1は、Fosファミリータンパク質(c-Fos、Fra-1、Fra-2、FosB)とJunファミリータンパク質(c-Jun、JunB、JuhD)から構成されており、FosファミリーとJunファミリータンパク質との間で形成される安定なヘテロダイマーとして主に機能する。各Fos/Junダイマーはそれぞれ独特の転写制御活性を有していて、2つのファミリータンパク質間で形成されるダイマーの種類によって、AP-1結合配列を介する遺伝子発現に極めて広い多様性が生み出されると考えられる。しかしながら、このような多様な転写制御活性を担う機構やそれに関わる分子は未知であった。

 論文提出者伊藤太二は、AP-1の構成成分であるc-JunのN端の転写活性化領域に結合する因子を酵母two-hybrid法を用いて検索し、クロマチンリモデリング因子であるSWI/SNF複合体の構成成分、BAF60aを得、AP-1の転写活性化機構におけるその役割についての検討を行なった。その結果、以下のような新しい知見を得た。

 BAF60aはin vitroでc-Junと強く結合し、他のJun familyとしてJunBと(c-Junに比べて)弱く結合した。しかしながら、JunDとの結合は検出されなかった。またBAF60aはFosファミリーの中ではJunファミリーとは一次構造の大きく違うc-Fosとも結合した。

 in vivoではAP-1は主にFosファミリーとJunファミリーとの間で安定なヘテロダイマーを形成して機能すると考えられるので、予めFosファミリーとJunファミリーの間でダイマーを形成させた後、BAF60aとの結合を調べた。結果、BAF60aはc-Fos/c-Junヘテロダイマーを高い選択性で結合すること、c-Fosまたはc-Junを含むヘテロダイマーとは弱い親和性を持つこと、Fra-2/JunDダイマーとの結合は検出されないことが示された。次にFosファミリー、Junファミリータンパク質間で形成される様々な組み合わせのヘテロダイマーの転写活性化能をF9細胞株を用いたCAT assayにより比較検討したところ、c-Fos/c-Junダイマーがもっとも強い転写の活性化を示し、Fra-2/JunDダイマーはほとんど活性化は示さなかった。すなわち、Fos/Junダイマーの転写活性化能はBAF60aとの結合能と高い相関があることが示され、Fos/Junダイマーの転写活性化能はBAF60aとの結合能によって主に決定されていると考えられた。

 次にc-Fosあるいはc-Junはin vivoでSWI/SNF複合体と結合しているかを確認する実験を行った。血清飢餓状態にさらして、G0期に同調した細胞に対して血清刺激を行うと一過的にc-Fos、c-Junの著しい発現が起こる。その状態におけるNIH3T3の細胞抽出液を用いた免疫沈降法を行ったところ、c-Fos、c-JunがSWI/SNF複合体構成成分Brm及びINI1を含む複合体とin vivoで結合していることが示された。

 最後に、c-Fos/c-Junダイマーによる転写の活性化はSWI/SNFによるクロマチンリモデリングを介しているのか、またその際にもBAF60aによってc-Fos/c-Junダイマーが選択される分子機構が働くのかを調べた。SWI/SNFのDNA-dependent ATPase活性を担うBrmやBRG1を発現していない副腎皮質由来のadenocarcinoma SW13細胞株を用いてAP-1結合配列を上流に持つcollagenase及びc-metの内在の発現を調べたところ、c-Fos/c-JunダイマーはcollagenaseではBRG1及びBrmの、またc-metにおいてはBRG1の共導入に依存して著しい転写の活性化を示したが、これらの活性化はFra-2/JunDダイマーではみられなかった。

 以上より、AP-1成分中の特定のダイマーはBAF60aを介してSWI/SNF複合体を染色体上に動員させて、転写開始を誘導することが示された。BAF60aひいてはSWI/SNF複合体に対する結合活性を持たないFos/Junヘテロダイマー(例えばFra-2/JunDダイマー)はc-Fosを含むダイマーにより一旦openな状態になったAP-1結合配列に結合して、恒常的な転写を保持するといった機能を持つと考えられる。

 以上のように論文提出者はAP-1による転写活性化の分子機構をクロマチンリモデリングの視点で初めて解明した。転写制御因子AP-1とSWI/SNF複合体との結合を示したことは、単に転写制御機構の解明にとどまらず、今後、AP-1の関与する発生・分化・癌化といった現象を解明していく上でも大きな貢献である。ゆえにこの業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいものであり、審査員全員が合格と判定した。

 なお、本論文は山内麻衣、仁科光恵、山道信毅、水谷壮利、宇井基泰、村上政男、伊庭英夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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