学位論文要旨



No 115954
著者(漢字) 笠原,和起
著者(英字)
著者(カナ) カサハラ,タカオキ
標題(和) ニワトリ松果体細胞における光情報伝達経路の解析
標題(洋) Dual Phototransduction Pathways in the Chicken Pineal Cell
報告番号 115954
報告番号 甲15954
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第3998号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 講師 名川,文清
内容要旨 要旨を表示する

 地球上のほとんどすべての生物は、活動や生理機能に1日周期の変動を示すが、これらの変動の多くは生体内に存在する概日時計に駆動されている。概日時計は自律的に発振するものの、名前が示すように、その周期は概(おおむ)ね1日であって正確に24時間ではない。そのため、概日時計には、外界の明暗周期に同調するための光入力系がほぼ例外なく備わっている。ところが、脊椎動物においては、この光入力系に関わる光受容分子の実体すら未だに明らかになっていない。申請者は、この謎に包まれている概日時計の光入力系を分子レベルで探るため、ニワトリの松果体細胞を用いて研究を行った。

 ニワトリ松果体細胞は、個々の細胞が概日時計の発振系と光入力系を持ち併せており、分散培養した状態においても、時計の時刻(位相)にしたがってメラトニンを周期的に分泌する。これらの特徴から、この細胞は概日時計の解析に適した材料として詳しく研究されてきた。当研究室において、ニワトリ松果体に特異的に発現する光受容タンパク質であるピノプシンが同定され、松果体の概日時計の位相調節を担う光受容分子ではないかと注目された。ピノプシンは、網膜の視物質と同様、ロドプシンファミリーに属するGタンパク質共役型受容体であることから、ピノプシンと共役しているGタンパク質を同定し、それを足がかりに光入力系を解析しようと考えた。1980年代に行われた先行研究から、光はこの細胞に対して2つの異なる効果を与えることが知られていた(図1)。ひとつは概日時計に入力して位相シフトを引き起こす効果(光位相シフト効果)で、もうひとつは時計を介さず直接にメラトニンの合成を急性に抑制する効果(急性抑制効果)である。これら2つの効果を導く経路は百日咳毒素(PTX)に対する感受性が異なり、急性抑制効果はPTXによって阻害されるが、光位相シフト効果は影響を受けない(図1)。このことから、PTXに対して感受性の異なる2種類のGタンパク質が光の2つの効果にそれぞれ関与しているであろうと推測し、研究を進めてきた。

 はじめに、ニワトリ松果体に発現しているGタンパク質αサブユニット(Gα)を、遺伝子クローニングによって検索した。cDNAを単離すれば、推定アミノ酸配列からそのGαがPTXによるADPリボシル化反応の基質になるかどうかも推測することができるからである。網膜においてロドプシンがGタンパク質トランスデューシンと共役する際に相互作用する部位のアミノ酸残基が、特に高い割合でピノプシンにおいても保存されているため、トランスデューシン様のGαを中心に検索を行った。その結果、哺乳類の桿体視細胞に発現しているトランスデューシンαサブユニット(Gt1α)に高い相同性を示すタンパク質の全長cDNAクローンが得られた。当時、鳥類のトランスデューシンの一次構造が報告されていなかったため、このタンパク質がニワトリ網膜のトランスデューシンと同一か否か判断できなかった。そこで、ニワトリ網膜から、桿体型および錐体型トランスデューシン(Gt1αとGt2α)をコードするcDNAをそれぞれ単離した。その結果、松果体に発現しているトランスデューシンは、Gt1αと同一の分子であることが明らかになった。また、ニワトリGt1αは、C末端から4番目のアミノ酸残基がシステインのため、PTX感受性のGαであると考えられた。

 Gtlαを含め、それまでにニワトリ松果体cDNAライブラリーからcDNAが単離されていたGα(Gi2α,Gi3α,Go1α,Go2α)は、いずれもPTXによるADPリボシル化部位を持っていた。したがって、これらはすべて、光位相シフト効果(PTX非感受性)ではなく、むしろ急性抑制効果(PTX感受性)に関与していると考えられた。このことから、上記4種類のGαに加えてPTX非感受性のGαが松果体に発現しているに違いないと考え、それを探索した。ここで申請者は無脊椎動物の網膜における光情報伝達に着目した。なぜなら、無脊椎動物の視細胞においてロドプシンと共役しているGαはGqファミリーに属し、PTX非感受性であることが知られているからである。GqファミリーのGα(GqαやG11α)に着目したのには、もうひとつの理由があった。種々の薬剤を用いた先行研究から、細胞内Ca2+ストアからのCa2+動員がニワトリ松果体細胞において光と同様の位相シフトを引き起こすことが報告されていたからである。多種の細胞において、Gq/11α(GqαおよびG11α)はホスホリパーゼC-βを活性化し、イノシトール三リン酸の産生を介して細胞内Ca2+ストアからのCa2+動員を引き起こす。この経路がニワトリ松果体細胞に存在すれば、PTXの影響を受けない光入力系を構成し得ると考えた。そこで、GqファミリーのGαを増幅できるような縮重プライマーを用い、ニワトリ松果体RNAに対してRT-PCRを行った。その結果、G11αをコードするcDNA断片が得られ、その配列をもとに5'および3'RACE法を用いてコード領域全長のcDNAを単離した。ニワトリG11αはC末端から4番目のアミノ酸はチロシンで、PTXの基質とならないことが確認された。

 次に、全長cDNAが得られた6種類のGα(Gt1α,G11α,Gi2α,Gi3α,Go1α,Go2α)のなかから、ピノプシンと共局在しているGαを免疫組織化学的に検索した。すなわち、これらのGαに対する特異的抗体を用いてニワトリ松果体の切片を免疫染色し、ピノプシンが局在している濾胞内腔の膜構造体に陽性像が認められるかどうかを調べた。その結果、Gt1αおよびG11αを認識する抗体によって濾胞内腔の周辺が強く染色された。一方、その他のGαに対する抗体を用いた場合は、そのような特異的な染色像は得られなかった。これらの結果から、Gt1α(PTX感受性)とG11α(PTX非感受性)の2種類のGαがピノプシンと共存しており、ピノプシンから光情報を受け取り、急性抑制効果および位相シフト効果にそれぞれ寄与している可能性が示唆された。

 Gt1αが松果体の光情報伝達を担っていることを機能的に明らかにするため、トリプシンプロテクションアッセイ法を松果体懸濁液に応用して調べた。この方法は、Gt1αが不活性型(GDP結合型)から活性型(GTP結合型)に変化する際に、トリプシンによる消化部位が1つ消滅することを利用している。ニワトリ松果体懸濁液にGTPγSを添加し、光を照射した。その後、トリプシンを加えて懸濁液中のタンパク質を消化し、ウエスタンブロットによってGt1αのトリプシン消化断片を検出した。その結果、GTPγSを加えた場合のみ、光刺激依存的に活性型Gt1αの消化断片が検出された。このことから、松果体Gt1αが松果体に存在する光受容タンパク質(おそらくはピノプシン)によって活性化されたと考えられた。

 また、脊椎動物のオプシンとの共役がこれまで全く知られていないG11αに関しては、免疫沈降法を用いてオプシンとの相互作用を検出することを考えた。ニワトリ松果体に含まれるピノプシンは極めて微量で、十分な解析を行うことが困難であったため、ニワトリの網膜を材料に用いてロドプシンとG11αの相互作用を調べた。暗順応させたニワトリ網膜の懸濁液から、抗Gq/11α抗体によってG11αを免疫沈降し、ロドプシンが共沈するか否かをウエスタンブロットにより解析した(図2,レーン5〜8)。その結果、光照射を行わなかった懸濁液からはロドプシンが共沈したが、GTPを加えて光を照射した懸濁液からはほとんど共沈されなかった。つまり、G11αは暗中ではロドプシンと会合しており、GTP存在下において光依存的にロドプシンと解離すると考えられた。このG11αの挙動(レーン5〜8)と、ロドプシンとの共役がよく知られたGt1αの挙動(レーン1〜4)が極めて類似していることからも、オプシン型光受容タンパク質はトランスデューシンだけでなくG11αとも共役していることが強く示唆された。

 最後に、G11αを介する細胞内情報伝達経路が時計発振系に入力しているかどうか検討した(図3)。G11αを特異的に活性化するために、G11αと共役することが知られているムスカリン性アセチルコリン受容体m1サブタイプ(m1mAChR)を初代培養したニワトリ松果体細胞に発現させた。恒暗条件下においてmAChRのアゴニストであるカルバコールで刺激すると、光照射を行ったときと同様にメラトニン分泌リズムの位相がシフトした(図3A,C)。対照実験としてGiαやGoαと共役するm2mAChRを導入した場合は、カルバコール刺激を行ってもリズムの位相シフトは観察されなかった(図3B)。これらのことから、Gタンパク質共役型受容体からG11αを介した伝達経路は概日時計の発振系に入力し、位相のシフトを引き起こすことが明らかになった。

 以上の一連の実験結果から、ニワトリ松果体細胞において、ピノプシンはGt1αとG11αという2種類のGαと共役して光情報をそれぞれに伝達していると考えられた。網膜の桿体視細胞において視覚の初期過程を担っているGt1αが、松果体細胞ではメラトニン分泌の急性抑制に関わっており(図4)、同一の遺伝子産物が異なる組織において異なる生体反応に利用されている極めて興味深い知見といえる。本研究はさらに、「ピノプシンーG11α」という新規の光情報伝達経路がニワトリ松果体細胞に存在し、概日時計の光入力系として働いていることを強く示唆した(図4)。脊椎動物における概日時計の光同調にかかわる光受容分子はこれまで謎であったが、ニワトリ松果体細胞においてはピノプシンがその分子(のひとつ)であることを初めて示すことができた。

【図1】メラトニン分泌リズムに与える光の2つの異なる効果

ニワトリ松果体細胞を分散培養し、明暗周期に同調させた後、恒暗条件下に移した。4時間おきに培地を回収・交換し、培地中に含まれるメラトニン量を測定した。夜の前半に相当する時間帯に4時間の光照射を行なった(○)。光照射とともにメラトニンの分泌は急性に減少し、さらに位相のシフトが観察された。また、光照射前26時間から照射後4時間の間、百日咳毒素(PTX)を投与した細胞では、2つの光効果のうち、急性の抑制効果のみが阻害された(△)。

【図2】G11αは脊椎動物のオプシンと機能的に相互作用する

暗順応させたニワトリ網膜からCHAPS可溶化画分を調製し、GTP存在/非存在下において光照射を行なった。その懸濁液から、Gt1αあるいはG11αを認識する抗体を用いて免疫沈降を行い、共沈したロドブシンをウエスタンブロットによって検出した(上)。その後、抗G11α抗体と抗Gt1抗体によってリプローブした(下)。

【図3 】Gq/11共役型受容体の刺激は光照射と同様の位相シフトを引き起こす

分散培養したニワトリ松果体細胞に、ムスカリン性アセチルコリン受容体(mAChR)のm1サブタイプ(A)またはm2サブタイプ(B)のcDNAをトランスフェクトした。プラスミドを持たない細胞を抗生物質によって死滅させた後、恒暗条件下においてカルバコールを4時間投与した。また、ml mAChRを導入した細胞に4時間の光照射を行った(C)。

【図4 】ニワトリ松果体における2つの光情報伝達経路のモデル

審査要旨 要旨を表示する

 多くの生物は、約24時間周期で自律的に発振する概日時計を体内に持っており、その重要な特性のひとつに、外界からの光刺激による時刻(位相)の調節がある。本論文は、ニワトリの松果体細胞に発現している光受容分子ピノプシンに着目し、ピノプシンと共役するGタンパク質の同定を通じて概日リズムに関わる光情報伝達経路を解明しようとしている。

 1980年代に行われた実験により、光刺激は互いに異なる光情報伝達経路を介して2種類の効果をニワトリ松果体細胞に与えることが示唆されていた。本論文ではまず、松果体細胞の培養法や分泌されるメラトニンの検出系を改良し、その追試を行っている。その結果、2つの光効果のうち、メラトニン合成を急性に抑制する効果は百日咳毒素(PTX)によって阻害されるが、概日時計の位相をシフトする効果はPTXの影響を受けないことを確認した。このことから、PTXに対して感受性の異なる2種類のGタンパク質が2つの光効果をそれぞれ伝達していると推測し、以降の解析を行っている。

 はじめに、ニワトリ松果体に発現しているGタンパク質αサブユニット(Gα)を遺伝子クローニングによって検索し、Gαをコードする5種類のcDNAを単離している。そのうちのひとつは、哺乳類の桿体視細胞においてロドプシンと共役しているトランスデューシン(Gt1α)に高い相同性を示していた。ニワトリ網膜から桿体型および錐体型トランスデューシン(Gt1αとGt2α)をコードするcDNAをそれぞれ単離し、松果体に発現しているトランスデューシンがGt1αと同一の分子であることを明らかにした。また、ここで得られた5種類のGαは、そのアミノ酸配列から、いずれもPTX感受性のGαであろうと推定している。さらに論文提出者は、文献の中からいくつかの重要な知見を見出し、イノシトールリン脂質代謝ならびにカルシウム動員を介する情報伝達経路に着目した。この経路が松果体細胞や視細胞において光情報の伝達を担っているならば、PTX非感受性のGqファミリー(GqαやG11α)がオプシンと共役しているのではないかと推測した。

そこで、RT-PCR・ノザンブロットおよびウエスタンブロット解析により、ニワトリ松果体や網膜にG11αが発現していることを明らかにした。さらに、cDNAの配列をもとに、ニワトリG11αはPTXの基質とならないことが確認されている。

 次に、ニワトリ松果体を用いた免疫組織化学的解析を行い、これまでにcDNAを単離した6種類のGαのうち、Gt1α(PTX感受性)とG11α(PTX非感受性)の2種類がピノプシンと共存している可能性を示した。また、ニワトリ網膜視細胞においても、ロドプシンや色覚オプシンが局在している外節に抗G11α抗体に対する陽性像を見出し、松果体細胞だけでなく視細胞におけるG11αとオプシンの共役についても論じている。Gt1αが松果体の光情報伝達を担っていることを示すため、トリプシンプロテクションアッセイ法を応用して調べている。GTPγSを加えた場合のみ、光刺激依存的に活性型Gt1αに由来するトリプシン消化断片が検出され、松果体Gt1αが松果体に存在する光受容タンパク質(おそらくはピノプシン)によって活性化されたと議論している。またG11αは、これまで脊椎動物のオプシンとの共役が全く知られていなかったため、免疫沈降法を用いてロドプシンとの相互作用を解析している。その結果、G11αは光刺激依存的・GTP依存的にロドプシンと解離・会合することを明らかにした。これと同様の現象は、ロドプシンとの共役がよく知られたGt1αの場合にも観察されたことから、オプシン型光受容タンパク質はトランスデューシンだけでなくG11αとも共役している可能性が強く示唆された。

 最後に、G11αを介する細胞内情報伝達経路が時計発振系に入力しているかどうかを検討している。G11αを特異的に活性化するために、ムスカリン性アセチルコリン受容体m1サブタイプをニワトリ松果体細胞に発現させ、カルバコールで刺激するという実験系を構築した。その結果、光を照射した場合と同様にメラトニン分泌リズムの位相がシフトすることを見出し、G11αを介した伝達経路は概日時計の発振系に入力して位相のシフトを引き起こすことを示した。

 以上の一連の解析を通じ、本論文は、2種類のGα(Gt1αとG11α)がピノプシンから光情報をそれぞれ受け取っている可能性を主張している。そのうち、Gt1αは光によるメラトニン分泌の急性抑制に関わっていると考察されている。また本論文の結果は、「オプシンーG11α」という新規の光情報伝達経路が概日時計の光入力系として働いていることを強く示唆しており、概日時計の光位相調節を解明する上で重要な端緒になると評価できる。

 なお、本論文は、岡野俊行、山崎一恭、深田吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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