学位論文要旨



No 115956
著者(漢字) 佐藤,淳
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,アツシ
標題(和) ショウジョウバエにおける新規Wg/Wnt受容体遺伝子Dfrizzled-3の単離と機能解析
標題(洋)
報告番号 115956
報告番号 甲15956
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4000号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 助教授 能瀬,聡直
 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 教授 西郷,薫
内容要旨 要旨を表示する

 ショウジョウバエは完全変態の節足動物であり、胚発生に始まり、幼虫期・蛹期に起きる成虫原基の分化及び形態形成を経て、成虫となる。成虫原基は、胚期に外胚葉から分化する一層の細胞群で、幼虫期において細胞分裂を繰り返すと共に位置情報の決定を行い、蛹期においては成虫の組織となるために更に細胞増殖及び形態形成を行い、幼虫の組織と入れ替わる。このような成虫原基の位置情報形成の核となる軸形成において、肢や触覚原基では、後部区画でhedgehog(hh)が発現し、前後部区画境界の前部側でdecapentaplgic(dpp)の、腹側でwingless(wg)の発現を誘導し、dppがwgを、wgがdppを相互に抑制することで背側と腹側が決定される。さらに、dpp及びwgの発現領域が接した位置を中心として第3の軸である遠近軸が形成される(要旨Fig.1A)。また、翅原基においても、hh、dpp、wgにより軸形成が行われ、位置情報が決定される(要旨Fig.1B)。これら3つの遺伝子は、成虫原基だけでなく、胚発生や他の形態形成においても重要な働きを果たしていることが分かってきた。

 hh、dpp、wgの機能を解析する上で、これらの遺伝子の下流で機能する遺伝子を探ることは不可欠である。Hh、Dpp及びWgの受容体をはじめ、シグナルを受容した細胞内でのシグナル伝達経路については、かなり解析が進んでいる(要旨Fig.2参照)。Wgシグナル伝達経路においては、PorcupineがWgの分泌に関与し、Dfrizzled-2(Dfz2)がWg受容体として機能する。Dfz2以外にも、Arrow(Arr)というコレステロール受容体が必須であり、Dally、Dally-likeといった膜結合型糖脂質もWgの受容に関与していることが知られている。続いてDfz2から細胞内のDishevelled(Dsh)へとシグナルが伝達される。DshはWgシグナルが伝達されるとCasein kinase等によりリン酸化され、活性化する。細胞質内には、DAxinと呼ばれるプラットフォームのような分子が存在し、Zeste-white3(Zw-3)/Shaggy(Sgg)と、Armadillo(Arm)が結合し、DAPCによりそれらの結合が安定化されている。DAxinに結合したArmは、Zw-3のキナーゼ活性によりリン酸化され、ユビキチン化酵素の修飾を受ける。細胞内のArmは転写調節ではなく、このユビキチン化を経て分解されることで一定量に保たれている。Wgシグナルを受けて活性化したDshはAxinに結合し、Zw-3とArmの結合を阻害することで、Zw-3によるArmのリン酸化を抑制する。リン酸化されていないArmは細胞質中に集積する。細胞質中のArmはPangolin(Pan)/dTCFと結合し、核に移行して、転写因子として作用することが分かってきた。Hhの属するHhファミリーやDppの属するTGF-βファミリー、Wgの属するWntファミリーなどの分泌タンパク質シグナル伝達経路は、線虫からショウジョウバエ、カエル、トリやヒトに至るまで進化的に高度に保存され、全ての生物で発生分化及び神経系形成を含む形態形成において非常に重要な働きをしていることが分かってきた。つまり、ショウジョウバエで得られた成果は、脊椎動物でのHhシグナルやTGF-βシグナル、Wntシグナルの機能を知る上でも重要な手がかりとなる。

 そこで、本研究では、複雑なWgシグナルの下流構造をより明解にすることをめざし、wgと相同的に発現するエンハンサートラップラインJ29の解析を行った。J29のマーカー遺伝子lacZの発現は、胚期においてはwg特異的な体節ごとの発現は見られなかったが、脳や腸、マルピーギ管ではwgと同じ領域で発現していた。また、成虫原基においてはwgより広い領域で相同な発現を示していた。J29のP因子挿入点近傍のゲノムを単離し、解析した結果新現のFzファミリーに属するタンパク質をコードする遺伝子Dfrizzled-3(Dfz3)を同定した。Dfz3は、Fzファミリーに特徴的なシステイン豊富領域(CRD)及び7回膜貫通領域、PDZ結合モチーフを有していた。wg変異体や異所発現系、Wgシグナル伝達経路の因子であるArmの構成的活性型の異所発現系を用いて、Dfz3の発現の制御を解析したところ、Dfz2がWgシグナルによって転写が抑制されるのに対し、Dfz3の転写は逆に活性化された。このことは、Dfz3が今まで存在しなかったWgシグナルの強度を推測する良いマーカーであると同時に、Dfz2とDfz3という同じファミリーに属するタンパク質が相補的に発現していることを示しており、大変興味深いと思われた。また、内在的なDfz2やDfz3が発現していないことを確認した培養細胞Schneider line2において、Dfz2もしくはDfz3を発現させたところ、Dfz3は、Dfz2と同様に、Wgと直接結合できることが分かった。しかし、Wgシグナルの伝達能をWg依存的なArmの安定化を指標にして測定した結果、Dfz2と比べ、Dfz3のWgシグナル伝達能はかなり劣ると推測された。

 エンハンサートラップラインからP因子の再転移を行わせることにより、Dfz3の変異体を作製し、機能完全欠失変異体Dfz3G10を単離した。Dfz3変異体では、背中のDorso-Central bristle(DC bristle)の増加という表現型が見られた。DC bristleの形成には、Wgシグナルが必須であることから、Dfz3はWgシグナル伝達系に関与すると考えられた。さらにwg機能部分欠失変異体で見られる翅や触角が欠失するという表現型が、Dfz3とwgの二重変異体で顕著にrescueすることが分かった。翅においては、wg変異体では約32%の翅で形質転換が見られたのに対し、Dfz3とwgの二重変異体では約7%であった。触角においては、約95%の触角が完全に欠失していたが、Dfz3とwgの二重変異体では約13%が完全に、約57%が部分的にrescueした。この二重変異体では、wg変異体と比べ、wgの発現量は変化がまったく見られなかったにも関わらず、触角の形成にかかわる遺伝子であるdachshundやBarH1/H2の発現は約10%の成虫原基で完全に、約50%の成虫原基で部分的にrescueしていた。また、これらの触覚原基において、Wgシグナルの制御を受けているDfz2の発現に関してもrescueされたことから、Dfz3がWgシグナルの伝達経路の過程で抑制的に機能すると考えられた。Dfz3の異所発現系を構築し、酵母のUAS-Gal4システムを利用して様々な時期及び場所でDfz3を異所発現させた。その結果、Dfz3の異所発現によりDC bristleが減少するという表現型が見られ、やはりWgシグナルを抑制する機能を持つと考えられた。しかし、翅原基において、Wgシグナルにより活性化されるDistal-less遺伝子の発現がわずかながら誘導された。このことは、Dfz3がWgシグナルを活性化する機能も持っていることを示している。以上の結果から、Dfz3はWgシグナルを正にも負にも制御する機能を持つ調節受容体であると推測された。

Dfz3のWgシグナルに対する機能をより詳しく解析する上で、Wgの受容体であるDfz2の変異体が必要であると考えた。しかし、実験を開始した当初、Dfz2変異体は存在しなかったことから、Dfz2変異体を単離することを試みた。ショウジョウバエではエンハンサートラップラインのライブラリーがデータベース化され、公表されているため、Dfz2領域にP因子が挿入している系統を選び発現を調べた結果、Dfz2と似た発現パターンを示すP0013系統を得た。P0013系統のP因子挿入点近傍のゲノム領域を解析した結果、P因子がDfz2のintron内に挿入していることが分かり、P0013系統がDfz2のトラップラインであることを確かめた。そこで、P因子の再転移により突然変異体を作製した。Dfz2の発現およびゲノム構造を解析した結果、機能完全欠失変異体Dfz2a28が得られた。不妊であるという従来の報告と異なり、Dfz2a28変異体はホモ接合体で妊性があり、顕著な形態的表現型は見られなかった。このことは、従来fzとDfz2がredundantに機能しているという考えを裏付けた。しかし、野生型のfzを持つwg機能部分欠失変異体には致死性は無いが、Dfz2変異体との二重変異体により致死となったことから、FzとDfz2は互いにredundantに機能しているのではないという可能性が生じてきた。また、fzもしくはDfz2変異体とDfz3変異体の二重変異体を作製した結果、Dfz2とDfz3では表現型は見られず、fzとDfz3では、fzの極性変異のみが観察された。さらに、WgとFzファミリーの結合定数を求めた実験から、Dfz2がFzやDfz3に比べ、約10倍Wgに結合しやすく、FzとDfz3は同程度の結合能力を持っていた。以上の結果より、Wgシグナルにおいて、Dfz2が主要な受容体として、Fzは正のみの補助受容体として、Dfz3は正及び負の調節受容体として機能していると推測された(要旨Fig.2)。

要旨Fig.1成虫原基におけるhh、dpp、wgの発現の模式図

 A)肢・触覚原基。hhが後部区画で発現し、背側のdpp及び腹側のwgの発現を誘導する。dpp及びwgの発現が接した領域を中心として遠近軸が形成される。B)翅原基。後部区画にhhが、前後軸上にdppが、背腹軸上にwgが発現する。肢原基と同様、dppとwgの発現が接した領域を中心として遠近軸が形成される。

要旨Fig.2Wgシグナル伝達経路

 Wgシグナル伝達経路において、Dfz2が主要な受容体として、Fzが正のみの補助受容体として、Dfz3が正及び負の調節受容体として機能していると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 生物の発生、形態形成において分泌性のシグナル分子が細胞の分化、増殖を制御している。なかでもWingless(Wg)シグナルは進化上良く保存され、様々な局面において主要な働きをするシグナルの1つとして知られている。しかしながら、その受容体とそれに続くシグナル伝達の機構はいまだ未知の部分が多い。本論文はショウジョウバエを用いてWgの新規受容体を同定し、その機能解析を通してWgシグナルを解明したものである。

 エンハンサートラップラインJ29はマーカー遺伝子lacZがwgと相同的に発現する系統であった。そこでP因子挿入点近傍のゲノムを単離し、解析した結果、新規のFrizzled(Fz)ファミリーに属するタンパク質をコードする遺伝子Dfrizzled-3(Dfz3)を同定した。Dfz3は、Fzファミリーに特徴的なシステイン豊富領域(CRD)及び7回膜貫通領域、C末端のPDZ結合モチーフの全てを有していた。wg変異体や異所発現系、Wgシグナル伝達経路の因子であるArmadillo(Arm)の構成的活性型の異所発現系を用いて、Dfz3の発現の制御を解析したところ、Dfz2がWgシグナルによって転写が抑制されるのに対し、Dfz3の転写は逆に活性化されていた。このことは、Dfz3が今まで存在しなかったWgシグナルの強度を推測する良いマーカーであると同時に、Dfz2とDfz3という同じファミリーに属するタンパク質が相補的に発現していることを示しており、大変興味深い。また、培養細胞Schneider line2において、Dfz2もしくはDfz3を発現させたところ、Dfz2と同様にDfz3はWgと直接結合できることが分かった。しかし、Wgシグナルの伝達能をWg依存的なArmの安定化を指標にして測定した結果、Dfz2と比べ、Dfz3のWgシグナル伝達能はかなり劣ると推測された。生体内においても、Dfz3の異所発現系を用いた解析で、翅原基においてWgシグナルにより活性化されるDistal-less遺伝子の発現がわずかながら誘導されていた。このことから、Dfz3がWgシグナルをわずかながら活性化する機能を持っていることがわかった。 P因子の再転移により、Dfz3の変異体を作製し、機能完全欠失変異体Dfz3G10を単離した。wg機能部分欠失変異体で見られる触角が欠失するという表現型が、Dfz3変異体とwg変異体との二重変異体では顕著にrescueしていた。この二重変異体では、wg変異体と比べ、wgの発現量は変化がまったく見られなかったにも関わらず、触角の形成にかかわる遺伝子であるdachshundやBarH1及びBarH2の発現はrescueしていた。また、これらの触覚原基において、Wgシグナルにより抑制されるDfz2の発現に関してもrescueされたことから、Dfz3がWgシグナルに対して抑制的に機能すると考えられた。さらに、Dfz3変異体において、背中のDorso-Central bristle(DC bristle)が増加するという表現型が得られ、異所発現系を用いた解析でもDC bristleが減少するという表現型が得られたことから、生体内のDfz3はWgシグナルに対し、抑制的に機能する受容体であると推測された。

 さらに、Dfz2の変異体を単離することを目的とし、Dfz2と似た発現パターンを示すP0013系統を単離した。P0013系統のP因子挿入点近傍のゲノム領域を解析した結果、P因子がDfz2のintron内に挿入していることが分かり、機能完全欠失変異体Dfz2a28を作製した。Dfz2変異体の表現型は不妊であるという従来の報告と異なり、Dfz2a28変異体はホモ接合体で妊性があり、顕著な形態的表現型は見られなかった。このことは、従来fzとDfz2がredundantに機能しているという考えを裏付けている。しかし、致死性は無いが野生型のfzを持つwg機能部分欠失変異体とDfz2変異体との二重変異体が致死となったことから、FzとDfz2は完全に同等な機能を有しているのでは無いことが示された。また、fzもしくはDfz2変異体とDfz3変異体の二重変異体を作製した結果、Dfz2とDfz3では表現型は見られず、fzとDfz3では、fzの極性変異のみが観察され、Dfz3が補助的な機能しか有していないことが示された。以上の結果より、Wgシグナルにおいて、Dfz2が主要な受容体として、Fzは正のみの補助受容体として、Dfz3は正及び負の調節受容体として機能していると推測される。

 以上のように、本研究ではWgシグナル伝達経路に関する重要な発見を述べており、評価できる成果である。なお、本論文は小嶋徹也、程久美子、宮田雄平、西郷薫の各氏との共同研究であるが、論文提出者が全ての研究過程において主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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