学位論文要旨



No 115957
著者(漢字) 嶋田,睦
著者(英字)
著者(カナ) シマダ,アツシ
標題(和) 高度好熱菌アルギニルtRNA合成酵素のX線結晶構造解析および変異体解析によるアルギニンtRNAの主要アイデンテイティー決定因子A20の認識機構の研究
標題(洋)
報告番号 115957
報告番号 甲15957
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4001号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 豊島,近
 東京大学 教授 黒田,玲子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨 要旨を表示する

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)は、アミノ酸とtRNAとをATP を利用して結合する酵素であり、それぞれのアミノ酸に対応して一般に20種類存在する。正確な遺伝情報の翻訳は、aaRSによるアミノ酸とtRNAの厳密な基質認識に依存している。aaRSは、分子量や四次構造が変化に富むが、それはaaRSがクラスI、クラスIIの二つの異なる祖先から派生したことと、対応するアミノ酸やtRNAの認識を厳密に行うために、独自のドメイン構成を保持していることに起因する。aaRSは正しいtRNAを識別するため、tRNA上の特定のヌクレオチド残基(アイデンティティー決定因子)を認識してそのtRNAをアミノアシル化することが知られている。tRNAArgでは、DループのA20とアンチコドンのC35が主要なアイデンティティー決定因子である。C35は他のアミノ酸に対応するtRNAにも分布しているが、A20はtRNAArgに特異的である。A20は、原核生物、古細菌から真核生物までほとんどの生物種において保存されており、tRNAArgの普遍的なアイデンティティー決定因子であると考えられる。本研究では、構造未知のアルギニルtRNA合成酵素(ArgRS)のX線結晶構造解析および変異体解析を行い、ArgRSによるtRNAArgの主要アイデンティティー決定因子A20の認識機構の研究を行った。

 高度好熱菌由来の酵素は熱安定で結晶化に有利であることが知られているため、高度好熱菌ArgRS遺伝子をクローニングし、その組み換え酵素を使用して結晶化を試みた。まず高度好熱菌の菌体より、4段階のカラムクロマトグラフィーを経てArgRSを精製した。続いて、精製したArgRSの部分アミノ酸配列に基づきPCRプライマーを設計し、そのプライマーを用いてPCRを行い、ArgRS遺伝子断片を含むDNA断片を調製した。調製したDNA断片をプローブとしてArgRS遺伝子全長を含むDNA断片をクローニングした。遺伝子の全塩基配列を決定した結果、高度好熱菌ArgRSは592アミノ酸残基からなり分子量は66,212であった。高度好熱菌ArgRSは他生物種ArgRSと16-40%の相同性を示し、最も高い相同性を示したのは、古細菌Pyrococcus horikoshii ArgRSであった(相同性40%)。高度好熱菌ArgRS遺伝子を発現ベクターpK7にクローニングし、大腸菌を用いた発現系により、ArgRSを大量発現させた。大量発現したArgRSを、熱処理と2段階のカラムクロマトグラフィーにより精製し、結晶化スクリーニングを行った。その結果、PEG8000とエチレングリコールを沈殿剤として用いた条件で、結晶構造解析に適する高分解能結晶を得た。この結晶は空間群P65に属し、格子定数はa=b=156.1,c=87.2Åであった。この結晶は再現性が非常に悪いが、種結晶化法を用いることで安定して結晶を得ることができた。K2PtCl4、およびUO2(CH3COO)2をそれぞれ浸潤させた2種類の重原子置換結晶、およびArgRS中のメチオニンをセレノメチオニンで置換したセレノメチオニン化結晶を調製した。これらの3種類の重原子置換結晶を利用して、重原子同形置換法により位相問題を解決し、高度好熱菌ArgRSの結晶構造を2.8Å分解能で決定した。その後、放射光施設SPring-8(播磨)において低温条件(100K)で得られたデータを使用して、構造モデルを2.3Å分解能で精密化した。ArgRsはクラスI aaRsに特徴的なRossmann foldを触媒ドメインに持つ一方、C末端のアンチコドン結合ドメインがサブクラスIaに特徴的なヘリックスバンドル構造であることから、サブクラスIaに属すことが判明した。

 高度好熱菌ArgRSの立体構造と、構造既知である大腸菌グルタミニルtRNA合成酵素とtRNAGlnとの複合体の立体構造とを、共通のRossmann-foldに基づき重ね合わせ、高度好熱菌ArgRSとtRNAの結合モデルを構築した(図1)。結合モデルにより、ArgRSに特有のN末端ドメインがtRNAArgのA20を、ヘリックスバンドルドメインがC35をそれぞれ認識することが示唆された。また結合モデルにおいて、A20やC35の近傍の酵素表面には、生物種間における相同性の高い残基が集中していた(図2)。そこで、特にN末端ドメイン上の保存残基(Tyr-77、Asn-79)が、A20の認識にどのように関与しているかを調べるため、これらの残基とtRNAArgのA20の双方に変異を導入し、アルギニル化における酵素反応速度論定数を測定した(表1)。まず初めに、A20、G20、U20、C20をそれぞれ持つtRNAArgをin vitro転写反応により調製した。これらのtRNAに対する野生型ArgRSによるアルギニル化の反応速度論定数を測定したところ、高度好熱菌ArgRSはA20を持つtRNAArgはアルギニル化するが、他のtRNAArgバリアントはほとんどアルギニル化しないことが判明した(1/1000以下に活性が低下)。したがって高度好熱菌においてもやはりtRNAArgのA20は主要なアイデンティティー決定因子であることが確認された。

 Tyr-77に対応するアミノ酸残基は、ほとんどの生物種のArgRS(A20を持つtRNAArgを持つ生物種では全て)においてチロシンあるいはフェニルアラニンである。したがってこのアミノ酸残基は、スタッキングによってA20の認識に関与していると考えられる。まず、Tyr-77をアラニンに置換した場合にはアルギニル化活性は著しく低下した。このことからこの残基がA20の認識に重要な役割を果たしていることが示された。一方、Tyr-77をフェニルアラニンに置換した変異体では、アルギニル化の効率はほとんど低下しなかった。この結果は、Tyr-77によるA20の認識にはスタッキング相互作用が重要であるという仮説を支持する。

 Asn-79に対応するアミノ酸残基は、A20を持つtRNAArgを持つ生物種では完全に保存されており、Saccharomyces cerevisiaeなどの例外的な生物種では他のアミノ酸に置換されている。したがってこのアミノ酸残基がA20に対する塩基特異性を決定しているアミノ酸残基であると考えられる。まず、Asn-79をアラニンに置換した変異体では、アルギニル化活性は著しく低下した。このことから、Asn-79がA20の認識に重要な役割を果たしていることが示唆された。一方、Asn-79を他の極性アミノ酸残基に置換した変異体でも、アルギニル化活性は低下した。しかしその活性低下め程度は変化に富み、アスパラギン酸への置換ではほとんど活性が変化しなかった。A20を持つtRNAArgを持つ生物種ではこのアスパラギン残基が進化上完全に保存されていることを考えると、実験の結果は一見矛盾する。しかし興味深いことにこれらの多くのAsn-79の変異体においてはtRNAArgの20位のヌクレオチドに対する塩基特異性が拡がっていた。特にN79D変異体はG20をA20と同様に認識する。遺伝暗号の翻訳には高度な厳密性が要求される。生体内ではこのような変異体は、アルギニン以外のアミノ酸に対応するtRNAを誤ってアルギニル化する可能性が高いと考えられる。このことが選択圧となりAsn-79は進化上高度に保存されてきたと推測される。

 Tyr-77とAsn-79に周囲のいくつかのアミノ酸残基を加えて形成されたポケットに対して、変異体解析の結果を考慮し、アデノシンの認識モデルを作製したところ、このポケットはアデノシンの塩基がちょうど入る大きさであり、変異体解析の結果をよく説明した(図3)。

 本研究と同時期に、フランスのグループによりS.cerevisiae ArgRSの結晶構造解析プロジェクトが進行しており1998年に酵素単独の結晶構造が、2000年に酵素とtRNAとの複合体の結晶構造がそれぞれ発表された。S.cerevisiaeではtRNAArgの20位は例外的にシチジンあるいはジヒドロウリジンで占められており、また生化学的な実験からは、これらのヌクレオチドは主要なアイデンティティー決定因子ではないことが示唆されている。しかしS.cerevisiae ArgRSとtRNAArgの複合体の結晶構造によるとtRNAの20位のジヒドロウリジン(D20)は、S.cerevisiae ArgRSにおける相同なN末端ドメインにより塩基特異的に認識されている。S.cerevisiae ArgRSにおけるD20の認識ポケットはT.thermophilus ArgRSのA20の認識ポケットとドメイン上の位置が対応しており、元来A20を認識していた認識ポケットがD20やC20に対応するように変化したと考えられる。構造の比較から、A20からD20への認識の変化には、ドメインの回転と認識アミノ酸残基の変化(保存アスパラギンからグルタミンヘの置換を含む)が必須であることが判明した。

 以上本研究ではT.thermophilus ArgRSの立体構造解析および変異体解析により、進化上普遍的に保存されているtRNAArgの主要アイデンティティー決定因子A20のArgRSによる認識機構を構造および機能の両面から解明した。

図1 高度好熱菌ArgRSとtRNAの結合モデル

図2 ArgRS表面の保存残基 保存残基を丸で示す.

表1 野生型および変異体ArgRSによるtRNAArgバリアントに対するアルギニル化活性

図3 A20認識ポケットによるA20認識モデルの立体模式図

審査要旨 要旨を表示する

 アミノアシルtRNA合成酵素(aaRS)は、アミノ酸とtRNAとをATPを利用して結合する酵素であり、正確な遺伝情報の翻訳には、aaRSがアミノ酸とtRNAを厳密に認識することが必須の役割を果たしている。aaRSは正しいtRNAを識別するため、アイデンティティー決定因子と呼ばれるtRNA上の特定のヌクレオチド残基を認識してそのtRNAをアミノアシル化する。

 本論文では、構造未知のアルギニルtRNA合成酵素(ArgRS)のX線結晶構造解析と変異体解析を行い、ArgRSによるtRNAArgの主要アイデンティティー決定因子A20の認識機構の研究を行っている。

 本論文の第2章では、高度好熱菌ArgRS遺伝子のクローニングと高度好熱菌ArgRSのX線結晶構造解析について述べられている。高度好熱菌ArgRS遺伝子をクローニングし、クローニングしたArgRS遺伝子を大腸菌で発現させ、精製した組み換えArgRSを用いて結晶化を行い、高分解能結晶の作製に成功している。作製した高分解能結晶を使用し、重原子同型置換法により高度好熱菌ArgRsの結晶構造を最終的に2.3A分解能で決定している。ArgRsの全体構造は、主に以下の6つのドメインから構成されていた。すなわち、Rossmam-foldドメイン、α-helix bundleドメイン、small helicalドメイン、connective polypeptide(CP)コア、stem-contact(SC)foldドメイン、N末端ドメインである。このうちRossmann-foldドメインはクラスIaaRSに共通のドメインであり、a-helix bundleドメインとsmall helicalドメインはサブクラスIa aaRSに共通の、connectivepolypeptide(CP)コアとstem-contact(SC)foldドメインはサブクラスIa、Ibに共通のドメインである。N末端ドメインはArgRSだけが持つドメインである。

 ArgRSのサブクラスは一次構造からは不明であったが、ArgRSがサブクラスIa aaRSに共通のa-helix bundleドメインを保持するなどの立体構造上の特徴から、ArgRSがサブクラスIaに属することを明らかにしている。また他のクラスI aaRSとの詳細な高次構造の比較により、サブクラスIaとIbに共通のドメインが明らかにされ、これらのサブクラスに共通の反応機構が考察されている。 tRNAとの複合体の結晶構造が知られている、他のクラスI aaRSとの比較により、ArgRSとtRNAの結合モデルを提示している。結合モデルに基づき、tRNAArgの主要アイデンティティー決定因子であるA20とC35を認識するドメインが示されている。すなわち、ArgRSのN末端ドメインがtRNAのDループのA20を、a-helix bundleドメインがアンチコドンのC35をそれぞれ認識することが示されている。結合モデルにおいてA20やC35の近傍には、保存アミノ酸残基が集中していることが示されている。

 本論文の第3章では、A20の認識に関与すると推測される保存アミノ酸残基に変異を持つArgRS変異体の反応速度論的解析について述べられている。ArgRSのN末端ドメイン上の2つの保存残基、Tyr-77とAsn-79に変異を持つ変異体ArgRSが調製され、A20、G20、C20、U20をそれぞれ持つtRNAArgバリアントに対するアルギニル化の効率が測定されている。変異体解析の結果から、Tyr-77はスタッキング相互作用によりA20の認識に関与していることが示唆されている。Asn-79のいくつかの変異体は、野生型ArgRSはアルギニル化しないG20やU20を持つtRNAArgバリアントをアルギニル化することを明らかにしている。変異体解析の結果と矛盾しないTyr-77とAsn-79によるA20の認識モデルがArgRSの立体構造上に構築可能であることが提示されている。

 なお、本論文第2章の前半は、東京大学の横山茂之教授、濡木理博士、理化学研究所の瀧尾擴士博士、堂前直博士との共同研究であり、第2章の後半と第3章は、東京大学の横山茂之教授、濡木理博士、日本女子大学の高橋征三教授、五島美絵氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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