学位論文要旨



No 115958
著者(漢字) 鈴木,亭
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,トウル
標題(和) 細胞増殖抑制活性を持つTob蛋白質を介した細胞周期の制御
標題(洋)
報告番号 115958
報告番号 甲15958
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4002号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋山,徹
 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 竹縄,忠臣
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 助教授 渡辺,嘉典
内容要旨 要旨を表示する

 細胞の増殖、分化、形態形成は脊椎動物を含む多細胞生物が成り立つための基本的な生物学的過程である。それらがどのような諸因子で調節されているか、また増殖異常の極端な例である細胞癌化にどう関係しているかについて、数多くの研究がなされている。細胞周期の進行は増殖を促進する分子、抑制する分子それぞれの秩序だった活性化、あるいは不活性化により制御されている。これらの因子の異常は高頻度に細胞、そして個体の悪性形質転換を引き起こすことから、細胞の増殖、癌化と細胞周期制御の密接な関係は無視することができない。これまでに細胞増殖の開始、あるいは停止を指令するシグナル伝達、そして細胞周期進行の制御そのものにおいても多くの分子が関与することが明らかになっている。増殖因子受容体、およびその下流で活性化されるRas、MAPKを介した増殖シグナルは細胞周期の開始に重要な働きを持つ。しかし、Rasを介した増殖シグナル伝達と細胞周期の進行を直接結び付ける分子動態に関する知見は限られている。またMAPKは転写因子、キナーゼをリン酸化することが知られているが、G0/G1からS期への進行の制御との関連が明確に示された基質は現在同定されていない。

 我々は増殖因子受容体の一つであるErbB2とin vitroで相互作用する分子としてTob蛋白質を見い出している。Tobはここ数年で見い出されてきたBTG1、BTG2/PC3/TIS21、BTG3/ANA、Tob2からなる細胞増殖抑制蛋白質ファミリーの一つである。これまで報告されてきた結果はすべてTobファミリー蛋白質が細胞増殖の制御に関わることを示すものであるが、増殖抑制の機構、生理機能は殆ど明らかになっていない。

 細胞にTobを過剰発現させると、その増殖が抑制されることはすでに見い出している。そこでTobの細胞周期進行に対する影響を調べるために次の実験を行った。まず、血清飢餓により静止期に入ったNIH3T3細胞にGFP (Green fluorescent protein)発現ベクターとTob発現ベクター、あるいはコントロールのベクターをマイクロインジェクションにより導入した。それらの細胞にブロモデオキシウリジン(BrdU)と血清を加えて培養した後、BrdUに対する抗体で染色することにより、細胞周期S期に進行した細胞の割合を測定した。マイクロインジェクションされた細胞はGFPの発現を蛍光顕微鏡で検出することにより同定した。その結果、コントロールのベクターをインジェクションされたGFP発現細胞は約73%がBrdUを取り込んでいたのに対し、Tob発現ベクターをインジェクションされたGFP発現細胞は約13.3%の細胞しかBrdUを取り込んでいなかった(図1)。この結果はTobは過剰発現により細胞周期のG0/G1期からS期への進行を抑制できるということを示している。

 細胞周期を通してのTobの発現様式を調べたところ、Tob蛋白質は静止期の細胞でも検出され、発現量は刺激後1時間まで大きな変化を示さなかったが、G1期からS期へ進行の際、Tobの発現は徐々に減少し、最終的に殆ど検出できなくなった。その後、S期後期あたりから再びTobの発現がみられた。さらにTobの発現レべルでの変化に加えて、刺激後10分でTob蛋白質のゲル電気泳動の移動度が変化しており、それは刺激後1時間まで持続していることを見い出した。Tobの泳動度の変化を伴う修飾が増殖刺激によって生ずることをさらに詳しく確かめたところ、PDGF、EGF、血清などの増殖刺激はTobの泳動度の変化を誘導していた。脱リン酸化酵素処理は、増殖刺激によって誘導された泳動距離の短いTobを、刺激前の泳動距離の長いTobに一致させる変化を起こすことが分かった。それが脱リン酸化反応特異的であることは、脱リン酸化酵素阻害剤存在下でその変化が起きないことから判断できている。また、脱リン酸化酵素処理は刺激前の泳動距離の長いTobには影響を及ぼさないことも示された。以上の結果から、泳動距離の短いTobはリン酸化によって生じたものであり、そのリン酸化は増殖刺激によって誘導されるということが結論できた。そして、欠失変異体の作製とリン酸化ペプチドマッピングにより、Tobは刺激後いくつかの部位にリン酸化をうけるが、その中でも特にセリン152、154が主な部位であることを明らかにした。それはセリン152と154がともにリン酸化されたペプチドに対して作製した抗体によっても確かめられた。さらにこの抗体はPDGF刺激の有無に関わらずリン酸化部位を置換した変異体を認識しなかった。次にTobのリン酸化に関わる経路を調べた結果、MAPKファミリーErk1、2をリン酸化して活性化するMEK1、2に対する阻害剤PD98059が内在性のTob、過剰発現したTobのリン酸化誘導をともに抑制することがわかった。さらにPDGF受容体の下流で動くRas、MEK、MAPKがTobのリン酸化に関わることも明らかになった。

 次にTobをリン酸化する酵素の同定を目的として、PDGF刺激前と刺激後のNIH3T3細胞の可溶化液を用いて、TobとTob3SAのアミノ末端側168アミノ酸とGST (glutathione-S-transferase)を融合させた蛋白質(GST-TobN、GST-TobN3SA)を基質としてゲル内リン酸化反応を行った。その結果、分子量およそ42kD(p42)と44kD(p44)の位置にPDGF刺激依存的にGST-TobNをリン酸化するバンドを検出したが、GST-TobN3SAをリン酸化するバンドは検出されなかった。従って、p42、p44がPDGF刺激に応じてTobのセリン152、154、164を特異的にリン酸化するキナーゼの候補と考えられた。分子量から判断して、この2つのキナーゼはErk1とErk2だと思われたが、その可能性はPDGF刺激した細胞から免疫沈降してきたErk1及びErk2がGST-TobNをリン酸化したことからも強く支持された。またペプチドマッピングにより、Erk1、2が試験管内ではTobのセリン152、154、164をリン酸化することを確認した。最後に、Tobのリン酸化の生物学的意義を調べるために、Erk1、2のリン酸化部位をグルタミン酸に置換したTob発現ベクターを作製した。この変異体(Ser152,154GluをTob2SE,Ser152,154,164GluをTob3SEとする)を野生型、Tob3SAと同様に静止期に入ったNIH3T3細胞にマイクロインジェクションにより導入し血清添加後のBrdUの取込みを調べた。Tob2SEやTob3SEの発現細胞は野生型、Tob3SAを発現した細胞にくらべて有意に高いBrdUの取り込みを示した。対照に使用したβ-galactosidase(LacZ)発現細胞のBrdUの取り込みに対して、野生型、Tob3SA発現細胞のBrdUの取り込みは20.7%、17.1%であったが、Tob2SE、Tob3SE発現細胞のBrdUの取り込みは47.9%、56.9%を示した(図2)。NIH3T3細胞に発現させたそれぞれの蛋白質の発現レベルはほぼ同じであり、安定性、転写翻訳の効率は等しいと思われる。グルタミン酸はアミノ酸に負電荷をもたせることでリン酸化を模倣できることがしられているが、さらにTob3SEがSDSがアクリルアミドゲル上で野生型Tobの高リン酸化型バンドの泳動度と一致した事実によっても支持される。従ってTob2SEやTob3SEは相当するセリンのリン酸化型を模倣していると考えられた。そしてこの結果はTobのセリン152,154,164のリン酸化が増殖抑制活性を減少させるということを示唆している。それに合致するように、Erk1,2のリン酸化部位をアラニンに置換したTob3SAの過剰発現は静止期からS期への進行を強く抑制した。今回見い出した、TobがErk1,2の新規基質であり、そのリン酸化がTobの静止期からS期への進行を抑制する活性を失わせるという結果はRas/MAPK経路の情報を細胞周期進行に結び付ける新たな制御機構の存在を示唆している。そしてTobは静止期にいる細胞が増殖因子刺激に応じた細胞周期進行の開始を厳密に行うための分子ではないかと想像され、Tobの細胞周期進行における重要性がうかがえる(図3)。TobはRas/MAPKの下流で機能している、細胞周期進行の決定を担う分子に位置付けられるのではないかと考えている。

図1 Tob過剰発現の細胞周期進行に対する影響

静止期のNIH3T3細胞にTod発現ベクターとGFP発現ベクターをインジェクションし、血清とBrdUを加え培養後、染色によりBrdUの取り込みの割合を集計した。グラフはコントロールベクター(vector、pMETob(Tob)がインジェクションされたGFP発現細胞の中でBrdUを取り組んだ細胞の割合を示す。各実験で70以上の細胞を観測し、値は、4回の実験の平均±標準偏差を表す。

図2 野生型、変異体Tobの細胞周期進行に対する影響

静止期の細胞にpME-Tob、pME-Tob2SE、pME-Tob3SE、pME-Tob3SA、pME-B-galactosidaseをインジェクションし、血清刺激後BrdU取込みを調べた。グラフはB-galactosidase(LacZ)、Tob(Tob),Tob2SE(2SE),Tob3SE(3SE)Tob3SA(3SA)発現細胞のBrdU取組みの割合を示す。各実験70以上の細胞を測定し、値は5回の実験の平均±標準偏差を表す。挿入図:NIH3T3細胞過剰発現させた野生型、変異体Tobのイムノブロット。

図3 Tobを介した細胞周期進行の制御(概念図)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は細胞増殖抑制因子であるTob蛋白質が細胞周期進行において果たす役割の解明について述べられている。本論文の内容を要約すると以下のようになる。

 論文提出者はマイクロインジェクション法を用いて、Tobを細胞に過剰発現させると細胞周期の静止期からDNA合成期への進行が抑制されることを示した。さらに静止期の細胞を血清刺激することで細胞周期を開始させ、M期まで進行させたときの様々な経過時間における培養細胞抽出液のウエスタン解析により、Tob蛋白質は細胞周期進行開始後すぐにリン酸化を受け、その後G1中期で分解され、S期終了時再び発現が上昇してくるという発現様式であることを示している。以降はリン酸化に注目し、Tobのリン酸化は静止期の細胞をPDGFやEGFなどの増殖因子で刺激することにより誘導され、さらにシグナル伝達構成因子に対する特異的阻害剤やドミナントネガティブ体を用いた実験によりRas/MEK/MAPKの経路がTobのリン酸化に関与していることを明らかにした。その結果をふまえた上でゲル内リン酸化反応を行い、Tobをリン酸化する酵素としてMAPKファミリーのErk1/2を同定し、実際にErk1/2は試験管内ではTobをリン酸化することを示した。リン酸化部位の決定も行っているが、その手順として様々な欠失体の作製と細胞内でリン酸化させたTobのリン酸化ペプチドマッピングによって候補を絞り、次いでTobのリン酸化を特異的に認識する抗体を作製することによって各部位にリン酸化が入っていることを直接確認している。

 Tobのリン酸化の意義に関しては、増殖抑制因子であることからその抑制活性の制御にかかわるのではないかという仮説をたて、リン酸化型を模倣するとされる変異体を作製し、先と同様マイクロインジェクション法によりその抑制活性について検討を行った。その結果、リン酸化型を模倣するTobは野生型およびリン酸化を受けない変異体に比べ増殖抑制活性が減少していることを示す結果を得た。またTobの生理機能について検討するため、すでに作製されているtob遺伝子欠損マウスから樹立した細胞を利用した実験もあわせて行った。これまでに得られた知見から、Tobの増殖抑制活性は細胞が静止期にいる際、増殖因子刺激非依存的な増殖を行わなせないために発揮されるという仮説をたてた。野生型、およびtob遺伝子欠損細胞を血清飢餓状態にすると野生型細胞は静止期に入るのに対し、tob遺伝子欠損細胞では静止期に入らずDNS合成期まで進行する割合が有意に増加しているという結果を得、その結果が支持された。すなわちTobは細胞が静止期に止まっていることに必要であり、増殖因子によって活性化されたMAPKがTobをリン酸化するとその抑性能が解除され、細胞周期が進行するという制御機構の存在が示唆された。Tobは増殖因子刺激に応じた細胞周期進行の開始を厳密に行うための重要な因子である可能性が考えられる。

 以上、論文提出者は増殖抑制因子Tobのリン酸化による活性制御という側面から、細胞周期進行における新たな制御機構の存在を提示した。細胞周期の制御と細胞の癌化には密接な関係があると考えられていることからも、本論文は細胞増殖の機構とともに癌化機構の解明にも寄与する研究であると考えられた。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

 なお、本論文は都竹順子氏・松田覚氏・吉田富氏・山本雅氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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