学位論文要旨



No 115966
著者(漢字) 和田,恭高
著者(英字)
著者(カナ) ワダ,ヤスタカ
標題(和) ハト外側中隔に毒ける光情報伝達経路め解析
標題(洋) Phototransduction molecules in the pigeon lateral septum
報告番号 115966
報告番号 甲15966
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4010号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 助教授 飯野,雄一
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 助教授 岡良,隆
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 多くの脊椎動物は、松果体や脳深部など網膜以外の組織においても光受容を行い、様々な生理機能を調節することで環境に適応している。脳深部における光受容は季節の識別に関与しており、主に鳥類を対象として研究されている。鳥類の場合、脳深部で受容した光情報と体内の時刻情報を統合して日長(昼の長さ)を計測することにより、季節を識別し、季節性の生理応答(光周性応答)を誘起していると考えられている。したがって、季節の識別機構を分子レベルで解析するうえで、脳深部の光情報伝達経路の解明は極めて重要な課題である。

 光周性応答の誘起に関わる脳深部光受容部位の探索が多くの鳥類を対象に行われた。微小な発光物質を用いて脳内の特定の領域のみに光を照射し、性腺刺激ホルモンの分泌や生殖腺の発達を指標として光受容部位を探る一連の実験から、終脳の一部(外側中隔)と間脳の基底部(漏斗)において光が受容されていることが示された(図1)。また、光周性生殖応答を誘起する光の作用スペクトルが測定され、可視部の中波長領域(約500nm)に極大を持つことが報告された。この作用スペクトルの波長特性は網膜の光受容物質(視物質〉の吸収波長特性とよく一致しており、以上の知見から脳深部には視物質に類似した中波長感受性の光受容物質が存在していることが示唆された。

[結果及び考察]

 脊椎動物網膜の光受容蛋白質は、アミノ酸配列の一致度から4つのグループ(グループL、M1、M2、S)に分類される。これらの中でグループM2は、桿体型光受容蛋白質であるロドプシンと緑色感受性の錐体型光受容蛋白質(Green)の2種類からなり、いずれの吸収極大波長も可視部の中波長領域(467nm〜511nm)に存在する。前述のように、鳥類の生殖応答を誘起する光の作用スペクトルの極大波長が約500nmであることから、脳深部にはグループM2に属する光受容蛋白質が存在すると推定した。

 そこでまず、グループM2に属する光受容蛋白質のアミノ酸配列をもとに縮重オリゴヌクレオチドプライマーを設計した。これらのプライマーを用いてハトのゲノムDNAに対してPCRを行なったところ、2種類のDNA断片(Po-2とPo-39)が増幅された。ニワトリの光受容蛋白質との一致度から、Po-2とPo-39はそれぞれハトロドプシンおよびハトGreenの遺伝子断片であると推定した。このゲノムPCRの過程で、ロドプシンやGreen以外の光受容蛋白質をコードするDNA断片は増幅されなかった。

 次に、ハト脳深部にロドプシンまたはGreenの遺伝子が転写されているか否かについて検討するために、RT-PCR解析を行った。ハトロドプシン(Po-2)に特異的なプライマーを用いて外側中隔のRNAに対してRT-PCRを行ったところ、期待された長さ(225bp)のDNA断片が増幅された。この増幅産物の塩基配列は、Po-2の部分配列と完全に一致したため、ハト外側中隔にはロドプシン遺伝子が転写されていることが強く示唆された。一方、ハト外側中隔においてはGreen遺伝子の転写は検出できなかった。

 外側中隔に発現しているロドプシンが、網膜のロドプシンと同一の分子であるか否かを知るために、それぞれのコード領域の全長にわたって塩基配列を決定した。具体的には、まずハト網膜のmRNAに対して5'RACEと3'RACEを行い、網膜のロドプシンcDNAの非コード領域を含む部分断片をそれぞれ増幅した。この際、網膜のロドプシンcDNAの増幅産物が外側中隔のRNA画分に混入する危険性を回避するために、網膜ロドプシンのコード領域全長を含むcDNAの増幅は行わなかった。このように、5'RACEと3'RACEから得られた塩基配列をもとに網膜のロドプシン遺伝子の5'および3'非コード領域に対するプライマーをそれぞれ作製し、外側中隔RNAに対してRT-PCRを行った。RT-PCRによる増幅産物の塩基配列は、その全長にわたって網膜ロドプシンの推定塩基配列と完全に一致していた。以上の結果から、ハトの網膜と外側中隔には同一のロドプシン遺伝子が転写されていることが明らかになった。

 ハト外側中隔に発現しているロドプシンの推定アミノ酸配列はニワトリロドプシンと非常に高い一致度(98.0%)を示し、特にN末端付近(79アミノ酸残基)の配列は完全に一致していた。そこで、ニワトリロドプシンのN末端(29アミノ酸残基)に対するポリクローナル抗体(RhoN)を用いてハト脳切片の免疫組織化学的な解析を行い、脳深部光受容細胞の同定を試みた。その結果、側脳室の周辺に局在するごく少数の細胞が免疫染色された(図2)。これらRhoN陽性細胞は、側脳室に向けて神経突起を伸展させるという特徴的な形態を示し、脳脊髄液接触ニューロンであると推定された(図2矢頭)。また、RhoN抗体陽性細胞は側脳室に向けた突起以外にも神経突起を伸ばしており(図2 矢印)、他の細胞と神経連絡を行なっている可能性が示唆された。

 外側中隔にロドプシンが発現していることから、脳深部における光情報伝達経路は視細胞の光情報伝達経路に類似していると考えられる。視細胞では、[光受容蛋白質の光による活性化→三量体G蛋白質トランスデューシンの活性化→cGMP分解酵素(phosphodiesterase;PDE)の活性化→細胞質中のcGMP濃度の低下→cGMP存在性カチオンチャンネルの閉鎖]という一連の光情報伝達経路を経て、光情報は電気信号に変換されて伝達される。そこで、トランスデューシン、cGMP-PDE、cGMP依存性チャネルに着目し、ハ卜外側中隔における発現の有無を調べた。

 まず、桿体型トランスデューシンのαサブユニット(Gt1α)に対する抗体を用いてハト脳切片を免疫染色したところ、外側中隔の脳脊髄液接触ニューロンが陽性反応を示した。一方、錐体型トランスデューシンのαサブユニット(GT2α)に対する抗体を用いた免疫染色実験では、ハト外側中隔における陽性反応は検出されなかった。抗Gt1α抗体とRhoN抗体を用いた二重染色実験の結果、ロドプシンとGt1αが同一の細胞に発現している事が明らかになった。

 また、cGMF-PDEの活性サブユニット(α,β,α')の間で保存されたアミノ酸配列をもとに縮重プライマーを作製し、外側中隔のRNAに対してRT-PCRを行ったところ、βサブユニット(桿体型サブユニット)のcDNA断片が単離された。同様の解析をcGMP依存性チャネルのαサブユニットについて行ったところ、興味深いことに桿体型ではなく錐体型αサブユニットのcDNA継片のみが単離された。したがって以上の結果から、ハト外側中隔における光情報伝達経路は、桿体型の分子と錐体型の分子からなる事が示唆された。

 視細胞の光情報伝達蛋白質が外側中隔に発現していることから、脳深部の光受容細胞においても視細胞と同様に、光情報は電気信号に変換されて伝達されると考えられる。したがって、電気生理学的な解析によって、脳脊髄液接触ニューロンの機能解析が可能になると期待できる。しかしながら、脳脊髄液接触ニューロンは数が少なく、散在しており、顕微鏡下で同定することは極めて困難であるため、電気生理学的な解析を行うためには標的細胞を生きた状態でプレラベルする必要がある。そこで、標的細胞に対するプローブとして、cGMP依存性チャネルの細胞外領域に対する抗体を作製した。作製した抗体と抗Gt1α抗体を用いて二重染色実験を行ったところ、同一の細胞が陽性反応を示した。今後、この抗体をプローブとして用いることにより、脳脊髄液接触ニューロンの機能解析が可能になると考えている。

 ハト外側中隔の脳脊髄液接触ニューロンには、神経ペプチドの一種であるVIP(Vasoactive intestinal polypeptide)が発現していることが報告されていた。そこで、RhoN抗体と抗VIP抗体を用いて二重染色実験を行い、外側中隔の脳脊髄液接触ニューロンにおいてロドプシンとVIPが共局在している事を見出した。このことから、脳深部光受容細胞はVIPを伝達分子として放出している可能性が考えられた。最近、ハトの視床下部においてVIP陽性の軸索が、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)産生細胞とシナプス様の構造体を形成していることが報告された。したがって以上の知見から、光周性の生殖応答が誘起される際に、光情報は脳深部光受容細胞からGnRH細胞にシナプスを介して直接伝達されると考えられる。

図1 ハト脳縦断面図

図2 ハト外側中隔のロドプシン陽性細胞 V:側脳室

審査要旨 要旨を表示する

 多くの脊椎動物は、松果体や脳深部など網膜以外の組織においても光受容を行い、様々な生理機能を調節することによって環境に適応している。鳥類の場合、脳深部で受容した光情報をもとに日長を識別し、季節性生殖応答などの光周性応答を制御している。したがって、光周性の制御機構を分子レベルで解析するうえで、脳深部の光情報伝達経路の解明は極めて重要な課題である。本論文において論文提出者は、ハトを実験材料とし、脳深部光受容部位である外側中隔に発現する光受容蛋白質を探索し、さらにその情報伝達経路に関与する蛋白質群を解析した。

 光周性生殖応答を誘起する光の作用スペクトルの解析結果から、脳深部の光受容物質は網膜の光受容物質(視物質)と同様の吸収波長特性を持ち、可視部の中波長領域(500nm近傍)に吸収極大を有することが示唆されていた。中波長感受性の視物質としては、これまで桿体視物質ロドプシンと緑色感受性の錐体視物質(Green)が知られている。そこでまず、ハトロドプシンとハトGreenをコードするcDNAの部分塩基配列をそれぞれ決定し、各々の遺伝子に対するPCRプライマーを作製した。外側中隔のRNAに対してRT-PCRを行った結果、ロドプシン遺伝子に対するプライマーを用いた場合にのみ期待長のDNA断片が増幅された。そこでさらに、網膜と外側中隔からロドプシンcDNAをそれぞれ単離し、コード領域全長にわたって塩基配列を決定したととろ、両者は完全に一致していた。以上の実験から、ハトの網膜と外側中隔には同一のロドプシン遺伝子が発現していることを明らかにした。また、ハトロドプシンのN末端領域を認識する抗体(RhoN)を用いた免疫組織化学解析により、ハト外側中隔の側脳室周辺に局在するごく少数の細胞がロドプシンを発現していることを見出した。これらロドプシン発現細胞は、側脳室に向けた短い突起と、軸索様の長い突起を備えていることから、脳脊髄液接触神経であると推定された。

 外側中隔にロドプシンが発現していることから、脳深部における光情報伝達経路は視細胞の光情報伝達経路に類似していると推測された。視細胞では、[光受容蛋白質の光活性化→三量体G蛋白質トランスデューシンの活性化→cGMP分解酵素(phosphodiesterase;PDE)の活性化→細胞内のcGMP濃度の低下→cGMP依存性カチオンチャネルの閉鎖]という光情報伝達経路を介して光情報が電気信号に変換される。そこで、トランスデューシン、cGMP-PDEならびにcGMP依存性チャネルに着目し、ハト外側中隔における発現の有無を調べた。

 まず、桿体型トランスデューシンのαサブユニット(Gt1α)に対する抗体を用いてハト脳切片に対する免疫染色実験を行い、Gt1αが外側中隔の脳脊髄液接触神経に発現していることを見出した。さらに抗Gt1α抗体とRhoN抗体を用いた二重染色実験から、脳脊髄液接触神経にロドプシンとGt1αが共局在している事を明らかにした。次に、cGMP-PDEの触媒サブユニット(α,β,α')の間で保存された部分配列に対する縮重プライマーを用いてRT-PCRを行い、外側中隔にβサブユニット(桿体型サブユニット)が発現していることを見出した同様の解析をcGMP依存性チャネルのαサブユニットについて行ったところ、桿体型ではなく錐体型αサブユニットが外側中隔に発現していることが判明した。そこで、錐体型チャネルαサブユニットの細胞外配列を抗原として抗体(PCC-L5抗体)を作製し、抗Gt1α抗体とPCC-L5抗体を用いて二重染色実験を行ったところ、ハト外側中隔の同一の細胞が陽性反応を示した。以上の実験結果から、ハト外側中隔の光受容細胞には、桿体型分子と錐体型分子の混成からなる光情報伝達経路が備わっていると推定された。

 光周性の生殖応答が誘導される際に、光情報(または日長情報)は性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)細胞に入力し、視床下部一下垂体経路を介して生殖腺に伝達されると考えられている。最近、ハトの視床下部において神経ペプチドVP陽性の軸索が、GnRH産生細胞とシナプスを形成していることが報告された。また、ハト外側中隔の脳脊髄液接触神経には、VIPが発現していることが報告されていた。そこで、RhoN抗体と抗VIP抗体を用いて二重染色実験を行い、外側中隔の脳脊髄液接触神経にロドプシンとVIPが共局在している事を見出した。以上の知見は、光(または日長)情報が脳深部光受容細胞からGnRH細胞にシナプスを介して直接伝達される可能性を示唆している。

 なお、本論文は、岡野俊行氏、深田吉孝氏、足立明人氏、海老原史樹文氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

 以上、本論文は博士(理学)の学位にあたいするものと認められる。

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