学位論文要旨



No 115970
著者(漢字) 野本,泰寛
著者(英字)
著者(カナ) ノモト,ヤスヒロ
標題(和) 琵琶湖産カワニナ類Biwamelania属の種分化に関する研究
標題(洋) Studies on the explosive radiation in freshwater snails of the genus Biwamelania
報告番号 115970
報告番号 甲15970
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4014号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 上島,励
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 教授 武田,正倫
 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 助教授 野崎,久義
内容要旨 要旨を表示する

 琵琶湖産カワニナ類Biwamelania属は形態的、生態的に著しい分化を遂げており、14種に分類されている。化石記録から、これらのカワニナ類は琵琶湖という狭い水域の中で、比較的最近に爆発的な種分化を遂げたことが示唆されており、進化生物学的に非常に興味深い材料である。

一方、本属を特徴づけるもう一つの現象として、種間で核型に著しい分化が起きていることが知られている。一般に、染色体構造変化は雑種の減数分裂に支障を来すため、生殖的隔離の直接の原因となることがある。そのため、本属の種分化の機構を解明するためには、染色体構造変化の詳細な機構ならびに種間の遺伝的分化と染色体進化過程を明らかにする必要がある。そこで本研究では、まず、1)染色体末端構造であるテロメアをハベカワニナより単離し、それを用いて蛍光in situハイブリダイゼーション(FISH)法を行うことによって染色体の微細な構造変化を検出することを試みた。さらに、2)複数の分子遺伝学的マーカーを用いてBiwamelania属の系統関係、種間の遺伝的分化および遺伝子の流入について詳細な検討を行い、染色体の進化過程および種分化との関連を調べた。

1.テロメアの単離とFISH解析

 テロメアは染色体の末端にある構造であり、染色体の安定化や細胞分裂の制御に関わっている。テロメアの配列は多くの生物で単離されている。その配列は保存的であり、これまで調べられた脊椎動物や下等真核生物では(TTAGGG)n繰り返し反復配列であることが知られる。一方、近年テロメアは染色体構造変化を特定するマーカーとしても注目を集めている。染色体に構造変化がおきると本来末端にあるテロメアが染色体腕内に移行すると考えられるため、それらの配列をFISH法で検出することにより、染色体の融合点を特定出来る可能性がある。しかしながら、軟体動物ではテロメアの構造は研究されていない。そこでまず、ハベカワニナを材料にテロメアのをクローニングすることを試み、さらに得られた配列をプローブとしてFISH法を行った。

 (TTNGGG)n反復配列をプローブとし、ハベカワニナのゲノミックDNAからスクリーニングを行った結果、3つのpositive cloneを得た。その内一つのクローンは多くの真核生物のテロメアに保存されている(TTAGGG)n反復配列であることが分かった。残りの二つは配列に変異はあるものの、(TTAGGG)n様の配列が保存されていた。さらにBal31実験や、FISH法による解析から、この配列がハベカワニナのテロメアであることを明らかにした。この結果は軟体動物における初めてのテロメア配列の報告である。

 一方、ハベカワニナの多くの個体において、染色体末端以外の領域よりテロメアのシグナルが観察された。このことは、ハベカワニナでは頻繁に染色体構造変化が起きていることを示している。特に、ロバートソン型変異に関与していることが知られていた大型のメタ染色体からはその動原体付近からテロメアのシグナルが観察された。これは動原体融合が起きたことを示す直接的な証拠であり、ハベカワニナでもテロメアが染色体変化の方向性と融合点を特定する有効なマーカーになることが分かった。また、このシグナルは極めて強いことから、融合後にテロメア配列が増幅していると考えられた。さらに、動原体の近傍にもシグナルが見出され、これまで考えられた以上に複雑な構造変化が関与していることが分かった。

2.分子系統解析

 日本に生息するカワニナはSemisulcospira属とBiwamelania属の2属にわけられる。その内Semisulcospira属は広域分布種の3種を含むが、染色体数はいずれも2n=36である。Biwamelania属の進化過程を明らかにするため、Biwamelania属の11種と、Semisulcospira属3種および外群として韓国産のS.gottscheiを含めた系統解析を行った。マーカーとしては、核DNAからEF-1αイントロンとITS-1、そしてmt DNAから12Sおよび16Sr DNAを用いた。

 核DNAの系統解析からは、Biwamelania属とSemisulcospira属を明瞭に識別することができた。また、Biwamelania属が単系統群になり、Semisulcospira属がその側系統群になることが分かった。Biwamelania属はさらに二つのクレイドにわかれ、その一方にハベカワニナ、ヤマトカワニナ、カゴメカワニナ、クロカワニナ、クロダカワニナの5種(以下ハベ種群)が含まれた。そしてもう一方には、タテヒダカワニナ、イボカワニナ、ナカセコカワニナ、モリカワニナ、シライシカワニナ、タケシマカワニナ、ホソマキカワニナの7種(タテヒダ種群)が含まれていた。両種群内には貝殻の形態や染色体の著しく異なる種が含まれていた。さらに、種群内には明瞭な遺伝的な分化はなく、貝殻の形態や生態、染色体の著しい多様化をともなう爆発的種分化が各種群で独立に起きたことが分かった。

 また、従来染色体の特徴からSemisulcospira属に分類されていたクロダカワニナは、Biwamelania属のハベ種群であることが分かった。クロダカワニナは貝殻の形態がBiwamelania属に似ている点や、その分布域が古琵琶湖の地域と一致することは、今回の結果とを支持するものと考えられる。さらに、種群間や属間において交雑が確認された。興味深いことに、多景島では多くの個体で交雑による遺伝子の流入が確認された。

 一方、mtDNAの系統樹はBiwamelania属が単系統になり、Semisulcospira属がその側系統群となる点では核DNAの系統樹と一致した。しかし、多くの例外的個体群もみつかり、核DNAに比べて頻繁に遺伝子流入が起きていることが分かった。このことは、核とmt DNAで遺伝様式が異なることによるものと考えられる。

 また、Biwamelania属のクレイド内をみると、種のクラスターが存在しないだけでなく、核DNAで識別された二つの種群は単系統群にならなかった。しかし、興味深いことに、それぞれの種群を表すいくつかのクラスターが存在し、それらがモザイク状に分布していた。核DNAと結果が一致しない原因としては、過去に種群間で大規模な交雑が繰り返し起きたためであると考えられる。この様に、mt DNAは系統的な情報は含まぬものの、核と合わせることで過去の進化過程を明らかにすることが出来た。

 さらに、核DNA系統樹から染色体の進化過程を推測すると次のような事が分かった。韓国産S.gottscheiも含め、Semisulcospira属のカワニナ類はいずれも染色体数が2n=36であり、Biwamelania属は染色体数が2n=17〜32と著しく少ないため、染色体の変化がまずBiwamelania属の共通祖先で起きたと考えられていた。ところが、今回得られた分子系統解析の結果では、まずBiwamelania属が二つの種群に分かれ、その一方には従来染色体の特徴からSemisulcospira属に分類されていたクロダカワニナが含まれていた。このことは染色体の変化は共通祖先で起きたのではなく、二つの種群で完全に独立に起きたことを示している。また、同じ種群内において核型の全く異なる種が含まれることから、その後に各種で独自の機構で急激に染色体の変化を遂げたと考えられる。

 なお、本研究ではEF-1αのalleleを親子で比較することでBiwamelania属の生殖様式についても調べており、両性生殖を確認している。両性生殖を行う種における核型の急激な分化は、雑種の減数分裂に支障を来すため種分化の原因となった可能性が高い。

考察 Biwamelania属の種分化

 Biwamelania属は二つの種群で独立に爆発的種分化を遂げたことが分かった。貝殻の形態や生態的分化をともなうこの様な種分化は、タンガニーカ湖のカワスズメやバイカル湖のヨコエビなどで知られる。Biwamelania属は、形態や生態の分化および遺伝的特徴に関してこれらの生き物と多くの共通点がある。しかし、Biwamelania属のような種間、種内での染色体の分化は他にはなく、特筆すべき点である。

 染色体構造変化は雑種の減数分裂に支障を来すため、種分化の引き金になった事も考えられる。特に、急速に核型進化が起きる場合に、生殖的隔離の原因となりやすいと言われ、Biwamelania属はこれに良く当てはまる。特に、染色体種分化の例としては、多景島産ヤマトカワニナが挙げられる。この島ではこれまでに2つの核型の全く異なるcytotypeが見出されている。これらの間の雑種は見出されておらず、染色体の急激な変化による種分化が起きたと考えられている。

 一方、興味深いことに、多景島産ヤマトカワニナは繰り返し別種と交雑を行っていることが分かった。染色体の劇的変化と交雑が多景島産ヤマトカワニナにのみ見出された。これまで、多くの生物で交雑が染色体の劇的変化を引き起こすことは報告されており、今回の結果と良く一致する。多景島産ヤマトカワニナでは、交雑が染色体の劇的な変化と種分化を引き起こしたものと考えられる。そして、もしこのメカニズムがBiwamelania属の他の種にも当てはまるなら、過去に繰り返し起きた交雑が染色体の著しい分化と爆発的種分化に関与したと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第1章ではテロメアをプローブとした蛍光in situ hybridization(FISH)法により、Biwamelania属の1種であるハベカワニナの微細な染色体構造変化を明らかにし、第2章ではBiwamelania属のカワニナ類の分子系統解析を行い、その結果をもとに本属の種分化、染色体進化についての著者の仮説が述べられている。

 Biwamelania属は琵琶湖に固有の淡水貝類で、染色体に著しい変異のあることが知られている。まず、第一章では、本属における染色体の微細な変異を明らかにするための手法を開発した。本章では、Biwamelania属の1種であるハベカワニナを材料として、テロメアDNAの単離に成功し、その構造は真核生物に広く保存されている(TTAGGG)n反復配列であることを明らかにした。これは、軟体動物においてテロメア構造を明らかにした最初の研究であり、(TTAGGG)n反復配列が無脊椎動物にも存在することを示した最初の報告である。次に得られた(TTAGGG)n配列をプローブとしたFISH法を行い、この配列が染色体の末端だけでなく、染色体腕内にも存在することを示した。一部の大型メタ染色体の動原体付近からテロメアのシグナルを検出し、この染色体で動原体融合が起きたことを立証した。また、この他にも、染色体腕内のテロメアシグナルを多数観察し、本属における染色体の構造変化が予想以上に複雑で、かつ最近になっても頻繁に生じていることを示した。

 第二章では、性質の異なる3種類の分子マーカーを用いてBiwamelania属11種とSemisulcospira属3種の系統解析を行った。分子マーカーとしては核DNAからEF-1α遺伝子のイントロンとITS-1、mt DNAから12Sおよび16S.rDNAを用いている。核DNAの系統解析から、Biwamelania属が単系統群であること、Semisulcospira属がその側系統群であることを明らかにした。また、Biwamelania属は二つのクレイド(ハベカワニナ種群とタテヒダカワニナ種群)から成り、前者にはハベカワニナ、ヤマトカワニナ、カゴメカワニナ、クロカワニナ、クロダカワニナの5種が、そして後者には、タテヒダカワニナ、イボカワニナ、ナカセコカワニナ、モリカワニナ、シライシカワニナ、タケシマカワニナ、ホソマキカワニナの7種が含まれることを見い出した。各種群内では貝殻の形態や染色体が著しく異なるが、種間の遺伝的分化は著しく小さく、複数の対立遺伝子が多くの種に共有されていた。このことから、染色体の構造変化や形態の分化を伴う著しい種分化が急速に、かつ各種群で独立に起きたことが分かった。また、これまでSemisulcospira属に分類されていたクロダカワニナは、Biwamelania属のハベカワニナ種群の一員であることを初めて示した。さらに、種群間および別属間で交雑が起きていることを見い出した。

 mt DNAの系統解析ではBiwamelania属が単系統になり、Semisulcospira属がその側系統群となることが支持された。また、別属の遺伝子を持つ個体を多数見い出し、これら2属間で交雑が繰り返し起きたことが分かった。なお、mt DNAの系統解析ではBiwamelania属内の種間の遺伝的分化は不明瞭で、二つの種群も明確に区別できなかった。また、主にどちらかの種群から成るクラスターが多数存在するが、それらは系統樹上ではモザイク状に分布していた。これらの結果から、過去に種群間で大規模な交雑が頻繁に起きたと推定した。

 Biwamelania属では染色体数に2n=17〜32と変異があるが、Semisulcospira属ではいずれの種も2n=36である。これまで、染色体数の減少および核型の著しい変化はBiwamelania属の共通祖先で一度だけ起きたと考えられていたが、核DNAの系統系統解析から、染色体数の変化はハベカワニナ種群とタテヒダカワニナ種群の二つの系統で独立に起きたと結論した。

 核DNA、mt DNAのデータを総合すると、Biwamelania属では2種群が分岐し、大規模な種群間交雑が頻繁に起きた後に爆発的種分化が起きたと考えられた。また、ヤマトカワニナでは多景島の集団にのみ別種群からの顕著な遺伝子流入が認められ、この集団でのみ核型の急激な変化による染色体種分化が起きている。これらの結果から、種群間および別属間で過去に起きた大規模な交雑が染色体の劇的な変化を生じ、染色体の構造変化が、小集団に固定することによって著しい種分化を引き起こしたという仮説を提唱した。

 本研究は、Biwamelania属の染色体進化と種分化について分子遺伝学的手法を用いて解析した初めて研究であり、古代湖における適応放散の新しいモデルとして高く評価できる。

 なお、本論文第一章は平井百樹、上島励との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って博士(理学)の学位を授与できると認める。

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