学位論文要旨



No 115971
著者(漢字) 福田,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) フクダ,ヒデキ
標題(和) 海洋生態系における付着性鞭毛虫類の機能 : 粒子の凝集過程におけるその役割
標題(洋) Role of attached nanoflagellates on aggregation of marine particles
報告番号 115971
報告番号 甲15971
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4015号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 木暮,一啓
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京水産大学 助教授 山崎,秀勝
 東京大学 助教授 野崎,久義
内容要旨 要旨を表示する

 海洋中のサブミクロン粒子(直径0.3〜1μmの大きさを持ち、主として有機物からなる非生物粒子の総称)は、溶存している微量金属の吸着や他の粒子との凝集過程などを通じてマリンスノーなどの沈降粒子を形成する。これらの沈降粒子の鉛直的な移動は海洋の物質循環系だけではなく、地球規模での炭素循環系においても重要な役割を担うと考えられている。これまでにサブミクロン粒子の吸着・凝集過程を記述するモデルを構築する試みが数多くなされているが、これらのモデルは粒子間の衝突を支配する要因としてブラウン運動や乱流、粒子の沈降過程などの物理的な要因のみを対象としてきたものであった。しかしながら海水中の沈降粒子や懸濁粒子の表面には数多く原生生物が付着していることが知られており、彼らが餌粒子を捕獲する際にその鞭毛や繊毛によって発生させるFeeding currentによって生じる流れ場がこれらの粒子の周囲に存在している。この鞭毛や繊毛の運動によって生じる移流が原生生物の摂食頻度を高めることに関してはこれまでに多くのモデル計算や実験が行われてきたが、粒子の凝集過程におけるその役割を解析した研究例はこれまでに報告されていない。

 本研究では(1)微細鞭毛虫類Parapysomonas imperforata単離株を用いたモデル実験からサブミクロン粒子の衝突要因としてのFeeding currentの検討、(2)沿岸域および外洋域にて付着性鞭毛虫類の分布特性の検討および(3)沿岸域における微生物群集によるサブミクロン粒子の凝集課程の影響の検討を行った。

(1)本研究ではまず遊泳態と付着態の両方の様式を持ち、培養が容易である微細鞭毛虫類Paraphysomonas単離株を用いて、Feeding currentによってサブミクロン粒子と彼らが付着している懸濁粒子との間の衝突頻度が増大することを示した。

 付着態をとっている微細鞭毛虫類P.imperforataのFeeding current中の蛍光ビーズ(直径0.5μm)を顕微鏡下でビデオ撮影した結果、鞭毛虫に捕獲されなかった移流中の粒子の一部が鞭毛虫の背後の凝集物に吸着する様子が観察された(図1)。 またP.imperforataの培養系内にはP.imperforata、細菌及びその他の有機物からなる凝集物が生成することがこれまでに報告されているが、餌となる細菌を熱処理により不活化した条件下でP.imperforataを培養し、培養系内の粒子のサイズ分布をコールーターカウンターで測定することにより、鞭毛虫の活動によって凝集物の体積が増加することが示された。

 次にP.imperforataの培養系内に存在している遊泳態をとっている個体と付着態をとっている個体のどちらが粒子の凝集を促進しているかを検討するための実験を行った。懸濁粒子と付着している鞭毛虫だけを熱処理により不活化した実験系と、未処理の両態が混在する実験系にトレーサーとなる蛍光ビーズ(直径0.5μm)を添加し、フローサイトメーターを用いて懸濁している粒子(直径5μm以上)にビーズ吸着していく速度を測定した。その結果、付着態の鞭毛虫が存在している系での吸着速度は遊泳態のみの系での吸着速度を上回り、またビーズの摂食速度との比較から、ビーズが鞭毛虫の食胞を経由することなく懸濁粒子に吸着していることが明らかになった。

 この付着態のP.imperforataによる凝集促進の効果がFeeding currentによるもであるのかを検証するために以下のモデル計算と培養実験を行い、両者の結果を比較した。

 培養実験は対数増殖期にあるP.imperforataの培養液に蛍光ビーズ(直径0.5μm)を添加し、上の実験と同様にフローサイトメーターを用いて懸濁している粒子にビーズ吸着していく速度を測定した。この時、同時に同じ培養液にアジ化ナトリウム(終濃度0.02%)を添加したものを培養し、ビーズ吸着速度を測定した。またモデル計算は以下の手順と仮定を用いて行った。アジ化ナトリウムを添加し系の中では、これまでに報告されている粒子の凝集モデルから凝集物の沈降過程が衝突要因として卓越していると考え、アジ化ナトリウムを添加していない系の中ではこの粒子の沈降過程による蛍光ビーズと凝集物の衝突と付着態の鞭毛虫が発生させた移流による衝突の両方のみが独立に存在していると仮定した。

 両衝突要因の頻度の関数β(cm3sec-1)は以下の式で記述される。

 β=7.98D2-3U1-3γ14-3 (A)

Dは式(B)で示されるBrownian diffusivity、Uは鞭毛虫のFeeding current中の蛍光ビーズの速度、または蛍光ビーズと凝集物の沈降速度の差、γ1は凝集物の直径を示している。

 D=KT/6πμγ2 (B)

Kはボルツマン定数(1.38x10-16g cm2s-2oK-1)、Tは絶対温度、μは粘性率、γ2は蛍光ビーズの直径を示している。

 この(A)式を上記の仮定に当てはめるとアジ化ナトリウムを添加していない系での蛍光ビーズの吸着速度(以下No)と添加した系の同速度(以下Na)の比(以下Na:Noとする)は次式で表される。

上記式のβds、βfc及びUds、Ufcはそれぞれ粒子の沈降過程およびFeeding currentによる衝突関数と移流の速度を表し、Daは1つの凝集物に付着している鞭毛虫の平均値を示している。なお、この(C)式を計算するために必要な付着態のP.imperforataのフィーディングカレント中でのビーズの速度(Ufc)は別の実験で測定した。

 図2は1凝集物当りの付着態のP.imperforata密度の平均値(Da)が異なる条件下で測定されたNa:Noと(C)式から推定されたNa:Noの関係を表したものである。UdsはStokesの法則と、これまでに報告されているこのサイズの凝集物の含水率から計算した。この結果は付着態のP.imperforataによるサブミクロン粒子の凝集過程の促進が彼らのFeeding currentによるものであることを示唆している。(2)日本の沿岸域から北太平洋域及びベーリング海において付着性鞭毛虫類の鉛直分布を明らかにする観測を行い、付着性鞭毛虫類の数とクロロフィルα濃度、細菌数および懸濁粒子の数等の指標との関連を解析した。付着性鞭毛虫類は東京湾などの富栄養的な沿岸域から生物量の少ない外洋域にかけて海洋表層部では普遍的に分布していることが明らかになった。またその細胞数はクロロフィルα濃度にほぼ比例して増加することが明らかになり(R=0.748,N=32;図3)、また懸濁粒子の数とも相関関係(R=0.559,N=32)があったが、細菌数および遊泳性鞭毛虫類の細胞数との相関は弱かった(細菌数:R=0.499、遊泳性鞭毛虫類数:R=0.322,それぞれN=32)。一方、1つの懸濁粒子に付着している鞭毛虫類の平均値(Da)は付着性鞭毛虫類の数と有為な相関関係があったが(R=0.700,N=32)、他の指標とは有為な相関関係(Pく0.05)が見られなかった。

(3)東京湾、大槌湾および油壷湾で採取した海水に栄養塩類を添加した物を培養し、微生物混合群集によるサブミクロン粒子の凝集促進の有無を検討した。培養液にP.imperforataを用いたモデル実験と同様の方法で蛍光ビーズの懸濁粒子へ吸着速度を測定した。またこの際に真核生物の阻害剤であるチウラムまたはアジ化ナトリウムを添加したものも対照区として培養した。その結果、蛍光ビーズの吸着速度は阻害剤を添加していない系で最も高く、またチウラムを添加した系とアジ化ナトリウムを添加した系の吸着速度の間には有為な差が無かったことから蛍光ビーズの吸着が主として真核生物によるものであることが示された。またこの蛍光ビーズの吸着速度は原生生物によるビーズの摂食速度を上回り、ビーズが鞭毛虫の食胞を経由することなく懸濁粒子に吸着していることが明らかになった。またこれらの観測から得られたNa:No比は1を超え(表1)、サブミクロン粒子の凝集過程に生物群集の活動が寄与していることが明らかになった。また、Na:Noの変動を説明する要因を重回帰分析から検討した結果、1つの懸濁粒子に付着している鞭毛虫類の平均値(Da)と水温が(F値はそれぞれ41、35)棄却されず(Adj R2=0.765)、P.imperforataを用いたモデル実験から予想された細菌数は棄却された(F値<2)。

 本研究では原生生物により引き起こされる層流が粒子の間の衝突を促進し得ることをP.imperforataを用いたモデル案験から示した。また、これまでにその分布が明らかにされていなかった付着性鞭毛虫類が海洋表層において海域を問わず普遍的に分布していることが明らかにされた。さらに沿岸域においては生物活動による凝集が物理的な要因による凝集を上回ることがあることが定量的な解析により示され、この促進が付着性の鞭毛虫類の活動によるものであることを示唆する結果を得た。

「まとめ」

 この原生生物による凝集の促進という「食胞を経由しない」粒子の移行過程は、海洋における新しい凝集要因を提示するだけではなく、通常の食物連鎖のような同化による有機物の変性や呼吸による消費が伴う過程とは異なり、有機物を失うこと無くコロイド有機物を直接上位の食物段階と結びつける特徴をもっており、生態系における微細鞭毛虫類の役割を考える上で新しい側面を提供するものである。

図1:付着態をとっているP.imperforataのフィーディングカレント中の蛍光ビーズの挙動の奇跡。 (A)多くのケースでは鞭毛虫にも背後の凝集物にも接触すること無く通過したが、鞭毛虫の表面に接触ケース(B)や背後の凝集物に吸着するケース(C及びD)も観察された。矢印は0.2秒間のビーズの動きを示している。スケールバーは10μm。

図2:P.imperforataの培養実験から求められたNo:Na比とモデル計算(文中の(C)式)から推定されたNo:Na比の関係。エラーバーは縦軸が測定値の±1SD、横軸は推定値の範囲。

図3:海洋表層における付着性鞭毛虫類の数とクロロフィルα濃度の関係。●:東京湾、○:大槌湾、▼:西部北太平洋、▽:ベーリング海、■:東部北太平洋域、ロ:相模湾及び房総沖。

表1 現場海水中の生物群集を用いた実験における、未処理区内での蛍光ピーズの大型粒子への吸着速度に対するアジ化ナトリウム処理区内での同速度の比(No:Na)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は海洋中の生元素循環の重要な担い手であるサブミクロン粒子の凝集要因として、新たに付着態鞭毛虫類が鞭毛運動によって発生させる層流(Feeding Current)の重要性を提起し、従来の物理的な衝突要因を中心に研究が進められてきた粒子の凝集過程に対して、全く新しい知見を提供したものである。

 本論文は5章からなり、第1章の序論に続いて第2章では微細鞭毛虫類Paraphysomonas imperforataの単離株を用いたモデル実験からサブミクロン粒子の衝突要因としてのFeeding Currentを検討し、第3章では表層における付着性鞭毛虫類の分布特性および外洋の中・深層での微細鞭毛虫類の分布特性を解析し、第4章では沿岸域においてサブミクロン粒子の凝集課程に対する現場の微生物群集の影響の検討を行っている。さらに第5章ではこれらの結果から海洋での生元素循環における意義を議論している。

 サブミクロン粒子の懸濁物への凝集要因としてFeeding Currentを検討した第2章では、微細鞭毛虫類Paraphysomonas imperforata単離株を用い、付着態のP.imperforataの活動がサブミクロン粒子から凝集物へのプロセスを促進し、それが付着態P.imperforataのFeeding Currentの作用によるものであることを複数の実験から示している。すなわち、まず餌となる細菌を熱処理により不活化した条件下でP.imperforataを培養することにより、鞭毛虫の活動によって凝集物の体積が増加することを示し、次に遊泳態のP.imperforataがサブミクロン粒子の凝集を促進しないことを示すことにより、付着態のP.imperforata存在が凝集の鍵となっていることを実証している。次に付着態のP.imperforataのFeeding Current中のサブミクロン粒子の速度を測定し、付着態P.imperforataによるサブミクロン粒子の凝集促進効果がFeeding Currentによる粒子の衝突過程で説明され得ることを論証している。これらの論拠により「付着態のP.imperforataのFeeding Currentが凝集物の生成を促進する」という仮説が検証出来ると考えられる。また、これらの実験結果はP.imperforataの培養系内における凝集物の生成過程の解析に止まらず、付着態鞭毛虫類のFeeding Currentが実際の海洋におけるサブミクロン粒子の凝集要因として機能し得ることを示している点は高く評価できる。

 第3章の前半における沿岸域から外洋域において付着性鞭毛虫類の分布特性の解析は、前章で得られた結果を海洋で考える際に不可欠な情報であるが、これまでに報告例が乏しかった。しかしながら本研究の結果から、付着性鞭毛虫類の数とクロロフィルa濃度、細菌数および懸濁粒子の数等の間との関係が明らかになり、付着態鞭毛虫類が海域を問わず、生産性の高い海域で増加するという新しい知見を示している。さらにこの章の後半で述べられている北太平洋域、ベーリング海の中層部、深層部の微細鞭毛虫類の分布特性に関する結果とその解析は、これまで確認されていなかった海洋中層部、深層部における微生物食物連鎖の存在の可能性を示している点が意義深い。

 第4章では沿岸海水中の微生物群集によるサブミクロン粒子の凝集過程の促進について述べられている。微生物群集による凝集促進効果についてのこれまでの研究は、定性的な比較に止まっていたが、本論文では始めて定量的な速度論を用いてその効果を検討している点が高く評価できる。また沿岸環境において微生物群集による凝集過程が物理的な凝集過程以上に機能しているという新しい知見は、海洋における粒子の動態と物質循環を考える上で微生物群集の役割に関する新しい視点を提供するものである。また本論文で開発されたフローサイトメーターを用いた「粒子の凝集速度」の測定法は本論文で提示されている仮説を検証する上で有効であるのみに止まらず、簡便且つ有効な手法として今後多くの研究者に利用可能なものである点も高く評価できる。

 なお本論文のうち第2章の1部は小池勲夫との共同研究(Marine Ecology Progress Series誌に掲載ずみ)であり、また第3章、第4章も、小池勲夫との共同研究(Limnology and Oceanography誌、Aquatic Microbial Ecology誌にそれぞれ投稿準備中)であるが、いずれも論文提出者が筆頭著者として観測と結果の解析を行ない論文を作成するものであり、論文提出者の寄与は十分であると判断する。

 上記の点を鑑みて本論文は生物科学とくに生物海洋学の新しい発展に寄与するものであり、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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