学位論文要旨



No 115973
著者(漢字) 井原,泰雄
著者(英字)
著者(カナ) イハラ,ヤスオ
標題(和) 配偶戦略の進化に関する理論的研究
標題(洋) A theoretical study on evolution of mating strategy
報告番号 115973
報告番号 甲15973
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4017号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,健一
 東京大学 講師 近藤,修
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 教授 徳永,勝士
 日文研 客員助教授 Waynforth, David charles
内容要旨 要旨を表示する

 動物の雌は一般に、卵生産・妊娠・授乳などを通じ、子に対して雄よりも多くの投資をする。このような子への投資における性差により、配偶者選択・子の世話・多重交配などの配偶戦略において、雌雄の間に違いが見られることがよくある。例えば、大多数の哺乳類では、雄は無作為に多数の雌と交配するが子の世話をしない傾向があり、雌は配偶者を慎重に選んだ上で子の世話をする。一方、おそらくヒトを含む一部の種では、雌親だけでなく雄親も子の生存に貢献しており、他の種と比較すると、子への投資における性差がより小さい。この論文では、後者の種における配偶戦略の進化と、その性淘汰および配偶システムへの影響について分析する。

一夫一妻および一夫多妻のヒト集団における雄の選択による性淘汰

 多くの動物では、雄が雌をめぐって競争し、雌が配偶者を選択する。雌の配偶者選択による性淘汰の結果、雄は生存に不利な形質を発達させていることがある。生存に不利な雄の形質と、その形質に対する雌の好みとの共進化については、これまでに数多くの理論的研究がなされてきた。

 これに対して、一部の種では、雌が雄をめぐって競争し、雄が配偶者を選んでいる。このような性の役割の逆転は、これらの種で、雌の繁殖成功が雄の提供する資源に依存しているということに起因するかもしれない。例えば、モルモンコオロギ(Anabrus simplex)の雄は、交尾の際に大きな精包を生産して雌に与えるが、これに含まれる栄養分は、雌の繁殖にとって重要であることが知られている。このため、モルモンコオロギでは食料が不足すると雌が雄をめぐって競争するようになり、性の役割の逆転が起こる。ヒトに関しては、他の動物と同様に雌をめぐる雄間競争があるものの、雌だけでなく雄もある程度の配偶者選択を行なっている。特に身体形質に関しては、女性よりもむしろ男性の方が選択的であるとも言われている。このことは、進化の過程で女性の繁殖成功が男性の資源に依存してきたということを意味するのかもしれない。

 雌の繁殖にとって重要な資源を雄が保有し、雌が資源の多い雄をめぐって競争する場合、雄の配偶者選択による性淘汰は起こりうるだろうか。私は、この間題について、2遺伝子座1倍体モデルを用いて検討した。ここで、雄の保有する資源量にばらつきがあり、雌は資源の多い雄を好み、雄の資源量が雌の繁殖成功に影響を与えるという仮定をした。

 モデルの解析の結果、生存に不利な雌の形質と、その形質に対する雄の好みとの共進化が起こりうることが理論的に示された。また、雄の選択による性淘汰は、(1)雌の繁殖成功が雄の資源に強く依存していて、(2)資源の多い雄と交配する雌の割合が大き過ぎも小さ過ぎもせず、(3)一夫多妻の程度が低く、(4)資源が父から息子へ相続されるときに最も効果的に起こることがわかった。これらの結果から、ヒトの女性のある種の身体形質も、配偶者選択による性淘汰によって進化してきたという可能性が示唆された。具体例として、性淘汰による皮膚色の進化について議論した。

HLAとヒトの配偶者選択:日本人夫婦における検定

 ヒトが配偶者選択の基準の一つとする形質の候補として、MHC(主要組織適合性複合体)が挙げられるかもしれない。MHCはマウスの配偶者選択に影響を与えていると言われている。マウスは、自分自身とMHC型が似ている個体よりも似ていない個体と交配する傾向がある。このようなMHCに関する異類交配は、においを媒介として行なわれているらしい。MHCに関する異類交配の適応的意義として3つの仮説が挙げられる。(1)異類交配によって生まれた子は、MHCに関してヘテロ接合になりやすい。MHCのヘテロ接合体はホモ接合体より広範な寄生体に対応できる可能性がある。(2)異類交配によって生まれた子は、親と異なるMHC型をもちやすい。これは、宿主の遺伝子型に適応する寄生体にとって「動く標的」となるかもしれない。(3)近親交配を回避できる。MHCは高度に多型的であるため、MHC型が似ている個体は、血縁個体である可能性が高い。

 最近では、ヒトの配偶者選択もHLA,(ヒト白血球抗原、ヒトのMHC)の影響を受けているかもしれないという指摘がなされている。ある実験では、女性は、HLA型が自分自身と似ている男性よりも、似ていない男性の体臭を好ましく感じることが示された。このようなにおいの好みは、配偶者選択に反映されている可能性がある。実際に、北米のHutteritesでは、夫婦間のHLA型の類似性が、任意交配で期待されるよりも低く、HLAに関する異類交配を支持するという結果が報告されている。一方、South Amerindiansに対する同様の調査では、異類交配は検出されなかった。

 私は、日本人夫婦の2つの標本で夫婦間のHLA型の類似性を分析し、HLAに関する異類交配の検出を試みた。一方の標本は、東北地方6県の約150組の夫婦であり、HLA-A、-C、-B、-DR、-DQの5座位についてタイピングされている。もう一方は、日本各地16県の約300組の夫婦で、HLA-A、-C、-B、-DRの4座位についてタイピングされている。なお、分析に用いたデータは徳永勝士教授(東京大学大学院医学系研究科)から提供していただいたものである。

 分析の結果、HLA-Aおよび-C座位については、強い異類交配は起こっていないことが示された。また、統計的検定の検出力が小さいことが多かったものの、分析したどの座位においても、日本人でHLAに関する異類交配が起こっている証拠は見出されなかった。

鳥類および哺乳類における雄による子の世話と雌の多重交配の進化モデル

 多くの動物では、雄は多数の雌との交配により繁殖上の利益を得るが、雌の繁殖成功はその卵の数によって限定されている。また、特に体内受精する種では、雄による子の世話は、他の雄の子に投資してしまう危険を伴う。このため、上述のように、大多数の哺乳類では、雄は複数の雌と交尾して子の世話をしないが、雌は配偶者を慎重に選んで子の世話をする。それにもかかわらず、多くの鳥類や少数の哺乳類では、雄も子の世話をする。また、雌が複数の雄と交配することが様々な種で知られている。

 雄は子の世話をすることによって、子の生存率の増大という利益を得る反面、配偶機会の減少という損失を被るかもしれない。一方、雌は多重交配によって遺伝的利益を得ると考えられている。雌はつがいを形成した後でも、遺伝的に優れた別の雄とのつがい外交尾によって、より生存力の高い子を産むことができるかもしれない。また、多重交配により、子の中での遺伝的多様性を大きくすることができ、予測不能な環境下では生き残る子の数を増やすことができるかもしれない。さらに、雄が子の世話をする種では、雌の多重交尾には直接的利益も考えられる。すなわち、雌は多重交配によって、自分の子に向けられる世話の量を増やすことができるかもしれない。反対に、雌の多重交配による損失として、負傷や感染の危険などが考えられる。

 雄による子の世話と雌の多重交配は、どのような条件下で進化しうるのだろうか。雄にとって子の世話は、それが自分の子に向けられている場合にのみ意義があるため、雄による子の世話の進化と、雌の多重交配の進化とは密接に関連している。私は、2遺伝子座1倍体モデルを用いて、雄による子の世話と雌の多重交配の同時進化について分析した。ある個体の適応度は、その個体が何をするかだけでなく、集団中の他の個体が何をするかに依存するので、雄が子の世話によって被る配偶機会の減少と、雌が多重交配によって得る世話の量の増大が、いずれも雌雄の配偶戦略の集団中における頻度に依存することを仮定した。

 モデルの解析の結果、(1)雄による子の世話は、それが子の生存率を大きく向上させ、かつ雌の多重交配の遺伝的利益が小さいときに進化しやすく、(2)雌の多重交配は、雄による子の世話が子の生存率を大きく向上させるか、または雌の多重交配の遺伝的利益が損失を上回るときに進化しうることが示された。さらに、(3)雄による子の世話と雌の多重交配が同時に維持されうるということも示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、第1章は、雄の配偶者選択による性淘汰の理論モデル、第2章は、HLA(ヒト白血球抗原)がヒトの配偶者選択に与える影響、第3章は、雄による子の世話と雌の多重交配の進化に関する理論モデルについて述べられている。

 一般に動物の雌は、卵生産・妊娠・授乳などを通じ、子に対して雄よりも多くの投資をする。このような子への投資における性差は、配偶者選択・子の世話・多重交配などの配偶戦略における、雌雄間の違いの原因になっている。例えば、大抵の哺乳類では、雄は無作為に多数の雌と交配するが子の世話をしない傾向があり、雌は配偶者を慎重に選んだ上で子の世話をする。これに対して、おそらくヒトを含む一部の種では、雌親だけでなく雄親も子の生存に貢献しており、他の種と比較すると、子への投資における性差が小さい。論文提出者は、後者の種における配偶戦略の進化と、その性淘汰および配偶システムへの影響について分析した。

 第1章は、生存に不利な雌の形質と、その形質に対する雄の好みとの共進化の理論モデルを解析した。多くの動物では、雄が雌をめぐって競争し、雌が配偶者を選択する。雌の配偶者選択による性淘汰の結果、雄は生存に不利な形質をしばしば発達させている。一方、一部の種では、雌が雄をめぐって競争し、雄が配偶者を選択している。このような性の役割の逆転は、これらの種で、雌の繁殖成功度が雄の提供する資源に依存しているということに起因するのかもしれない。ヒトに関しては、他の動物と同様に雌をめぐる雄間競争があるものの、雌だけでなく雄もある程度の配偶者選択を行なっているようだ。特に身体形質に関しては、女性よりもむしろ男性の方が選択的であるとも言われている。雌の繁殖にとって重要な資源を雄が保有し、雌が資源の多い雄をめぐって競争する場合、雄の配偶者選択による性淘汰は起こりうるだろうか。論文提出者は、この問題について理論モデルを構築・解析し、生存に不利な雌の形質と、その形質に対する雄の好みとの共進化が起こりうることを理論的に示した。

 第2章は、日本人で夫婦間のHLA型の類似性を分析し、HLAに関する異類交配の検出を試みた。マウスは、自分自身とMHC(主要組織適合性複合体)型が似ている個体よりも似ていない個体と交配する傾向がある。このようなMHCに関する異類交配の適応的意義として、子の寄生体耐性の向上や近親交配の回避が考えられている。最近では、ヒトの配偶者選択もHLA(ヒトのMHC)の影響を受けているかもしれないという指摘がなされている。論文提出者は、日本人で夫婦間のHLA型の類似性を分析し、HLAに関する異類交配の検出を試みた。なお、分析に用いたデータは徳永勝士教授(東京大学大学院医学系研究科)から提供された。分析の結果、HLA-Aおよび-C座位については、強い異類交配は起こっていないことが示された。また、分析したどの座位においても、異類交配が起こっている証拠は見出されなかった。

 第3章は、鳥類および哺乳類における雄による子の世話と雌の多重交配の進化モデルを解析した。多くの動物では、雄は多数の雌との交配により繁殖上の利益を得るが、雌の繁殖成功度はその卵の数によって限定されている。また、体内受精する種では、雄による子の世話は、他の雄の子に投資してしまう危険を伴う。この結果、大多数の哺乳類では雌だけが子の世話をする。しかし、多くの鳥類や少数の哺乳類では雄も子の世話をするし、様々な種で雌が複数の雄と交配すること知られている。雄による子の世話と雌の多重交配は、どのような条件下で進化しうるのだろうか。論文提出者は、理論モデルを用いて、雄による子の世話と雌の多重交配の同時進化について分析した。モデルの解析の結果、(1)雄による子の世話は、それが子の生存率を大きく向上させ、かつ雌の多重交配の遺伝的利益が小さいときに進化しやすく、(2)雌の多重交配は、雄による子の世話が子の生存率を大きく向上させるか、または雌の多重交配の遺伝的利益が損失を上回るときに進化しうることが示された。さらに、(3)雄による子の世話と雌の多重交配が同時に維持されうるということも示唆された。

 なお、本論文第1章は青木健一、第2章は青木健一・徳永勝士・高橋孝喜・十字猛夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行なったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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