学位論文要旨



No 115976
著者(漢字) 甲斐,理武
著者(英字)
著者(カナ) カイ,マサタケ
標題(和) アフリカツメガエル初期胚にセットされたアポトーシス・プログラム
標題(洋) Maternally-preset program of apoptosis in Xenopus embryos.
報告番号 115976
報告番号 甲15976
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4020号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩川,光一郎
 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 大矢,禎一
 東京大学 助教授 渡辺,嘉典
 東京大学 助教授 朴,民根
内容要旨 要旨を表示する

 アポトーシスは遺伝子レベルで制御された細胞死であり,真核生物の発生・分化や組織の恒常性の維持において必須な役割を果たしている.近年,アフリカツメガエル(Xenopus laevis)の初期発生において,卵割期にγ線の照射, hydroxyurea, cycloheximide, α-amanitinなどの薬剤による処理を行うと,中期胞胚変移(MBT)直後である初期嚢胚期に特異的に,胚がアポトーシスによる細胞解離を起こし発生を停止するという現象が相次いで報告された(Stack and Newport 1997;Anderson et al, 1997 ;Hensey and Gautier, 1997).同様のMBT直後に起こるアポトーシスについての報告はhydroxyurea, aphidicolinあるいはcamptothecinによって処理したゼブラフィッシュ(Zebra danio)胚においてもなされている(Ikegami et al. 1999).しかし,このような発生の早期に誘導されるアポトーシスの持つ意義についてはこれまであまり議論されてこなかった.それらの研究とは独立して,我々はS-アデノシルメチオニン脱炭酸酵素(SAMDC)のmRNAをツメガエル初期胚に注入し,SAMDCを過剰発現させると,やはり初期嚢胚特異的に細胞解離が起こり,発生停止が起こることを見出した.特徴的なことに,注入するSAMDC mRNAの量を変動させても,発生停止の時期は嚢胚初期に限られていた.また,SAMDC過剰発現胚中では,SAMDCの基質であるs-アデノシルメチオニン(SAM)が著しく減少し,さらにタンパク質合成が阻害されていることが分かった.

 今回,私はまず,このSAMDC過剰発現による発生停止がやはりアポトーシスによるのではないかと考え,この点を検討した.SAMDC過剰発現胚の電子顕微鏡観察を行った結果,アポトーシスに特徴的なクロマチンの凝集や核の分断と考えられる像が認められた.SAMDC過剰発現胚をTUNEL染色により調べると陽性であり,DNAを抽出してゲル電気泳動を行うと「ラダー」状の泳動像が得られたことから,DNAがアポトーシス時にみられるような規則的な分解を受けていることが明らかになった.さらに,アポトーシス阻害分子であるBcl-2のmRNAをSAMDC mRNAと共注入すると,嚢胚初期における細胞解離は回避された.その時,注入するBcl-2のmRNAの量の増加に依存して,オタマジャクシまで発生する胚の割合が増加した.以上より,SAMDCの過剰発現によって引き起こされる細胞解離は,アポトーシスによるものであると結論した.

 次に,初期卵割期(1〜32細胞期)のさまざまな時期の動物極側の一つの割球にSAMDC mRNAを注入する実験を行った(図1).1細胞期あるいは2細胞期に注入を行った場合は,注入時期の差にかかわらず,すべての胚が同じ嚢胚初期で発生を停止した.一方,注入時期が8細胞期以降であると,多くの胚が細胞解離を起こすことなく正常に発生した.これらの胚でSAMDC活性を測定したところ,注入した割球の体積当たりに概算した活性は,mRNAの注入時期にかかわらずアポトーシスを引き起こすのに十分な値に上昇していた.そこで,8細胞期の動物極側の一つの割球にSAMDC mRNAとGFP mRNAを共注入し,mRNA注入を受けた細胞をGFPの蛍光により追跡した.その結果,SAMDC mRNA注入胚では胞胚期までは対照胚と同様に蛍光を発する細胞が細胞表面に広く分布していたが、初期嚢胚期に至ると外見上蛍光が観察できなくなることが分かった.それらの胚のアニマルキャップを除去すると,蛍光を発する細胞は解離した状態で胞胚腔に集まっていることが判明した.さらに観察を継続すると,これらの蛍光を示す細胞はオタマジャクシ期までに消失することが明らかになった.解離した細胞が胞胚腔に蓄積し消失していく様子は、胚切片の光学顕微鏡による観察によっても確認された.次に,SAMDC mRNAを8細胞期の予定腹側割球あるいは予定背側割球の一つにそれぞれ注入したところ,予定腹側割球に注入した胚からは尾部一腹側構造に異常を持つ胚力が、予定背側割球に注入した胚からは頭部一背側構造に異常を持つ胚力が、それぞれ高率で得られた.以上から,初期卵割期にSAMDC mRNAを受け取った細胞は,mRNAの注入時期にかかわらず常に胞胚後期で解離を起こし胞胚腔で消失すること,またSAMDC mRNAを受け取った細胞が少ない場合,胚全体は発生を継続することが明らかになった.

 これらの結果に基づき,初期発生に関する以下のモデルを提案したいと考える(図2).受精卵は胞胚期まで速やかな卵割を繰り返したのち,細胞周期に初めてG1期が出現する中期胞胚期でそれぞれの細胞が何らかの機構を使って自己の状態をチェックする.その結果,発生の継続に不適格と判断された細胞では,アポトーシスが誘導され,その細胞は利他的な細胞死により胚から除かれる.除かれる細胞が多い場合,胚全体が発生停止を起こし,死に至る.除かれる細胞が少ない場合,場合によっては除かれた細胞の性質を反映し奇形となるものの,残った細胞群は除かれた細胞を埋め合わせて発生を継続する.すなわち,初期嚢胚に働くアポトーシス・プログラムは,正常な初期発生を監視し,不適切な細胞を取り除くfail-safe機構として機能していると考えられる.

図1 卵割期の異なる時期にSAMDC mRNAを注入した実馬金のデザインと結果.

mRNA注入は各ステージの動物極側の1割球に割球辺り2ng/μlとなるように行った.1細胞期および2細胞期に注入を行った場合すべての胚が嚢胚初期で発生を停止した.4細胞期,8細胞期で注入を行ったものは,それぞれ30%,86%の胚が嚢胚を超えて発生を継続した.16細胞期,32細胞期に注入を行うと,すべての胚がオタマジャクシまで発生した.

 図2 初期発生の進行に関するモデル.

速やかな卵割を行う初期胚は、細胞周期に初めてG1期が出現する中期胞胚変移(MBT)期においてなんらかの機構で細胞の状態をチェックし,障害のある細胞をアポトーシスによって胚から除く.除かれる細胞の数が少ない場合,胚全体は残った細胞を使って発生を継続する.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり,第1章はS-アデノシルメチオニン脱炭酸酵素(SAMDC)の過剰発現がアフリカツメガエル初期胚にセットされたアポトーシス・プログラムを活性化すること,第2章はそのアポトーシス・プログラムは発生における“fail-safe”機構と位置づけられるという仮説が述べられている.アポトーシスは遺伝子レベルで制御された細胞死であり,真核生物の発生・分化や組織の恒常性の維持において必須な役割を果たしている. まず第1章では,SAMDC mRNAをツメガエル初期胚に注入し,SAMDCを過剰発現させると,初期嚢胚特異的に細胞解離が起こり,発生停止が起こることに注目した.SAMDC過剰発現胚の電子顕微鏡観察を行った結果,アポトーシスに特徴的なクロマチンの凝集や核の分断と考えられる像が認められた.SAMDC過剰発現胚をTUNEL染色により調べると陽性であり,DNAを抽出してゲル電気泳動を行うと「ラダー」状の泳動像が得られた。さらに,アポトーシス阻害分子であるBcl-2のmRNAをSAMDC mRNAと共注入すると、嚢胚初期における細胞解離は回避された.その時,注入するBcl-2のmRNAの量の増加に依存して,オタマジャクシまで発生する胚の割合が増加した.以上より,SAMDCの過剰発現によって引き起こされる細胞解離は,アポトーシスによるものであると結論した.

 第2章では,初期卵割期(1〜32細胞期)のさまざまな時期の動物極側の一つの割球にSAMDC mRNAを注入する実験を行った.1細胞期あるいは2細胞期に注入を行った場合は,注入時期の差にかかわらず,すべての胚が同じ嚢胚初期で発生を停止した.一方,注入時期が8細胞期以降であると,多くの胚が細胞解離を起こすことなく正常に発生した.これらの胚でSAMDC活性を測定したところ,注入した割球の体積当たりに概算した活性は,mRNAの注入時期にかかわらずアポトーシスを引き起こすのに十分な値に上昇していた.そこで,8細胞期の動物極側の一つの割球にSAMDC mRNAとGFP mRNAを共注入し,mRNA注入を受けた細胞をGFPの蛍光により追跡した.その結果,SAMDC mRNA注入胚では蛍光を発するSAMDC過剰発現細胞は解離した状態で胞胚腔に集まり,そこでアポトーシスを起こすことが判明した.次に,SAMDC mRNAを8細胞期の予定腹側割球あるいは予定背側割球の一つにそれぞれ注入したところ,予定腹側割球に注入した胚からは尾部一腹側構造に異常を持つ胚が,予定背側割球に注入した胚からは頭部一背側構造に異常を持つ胚が,それぞれ高率で得られた.以上から,初期卵割期にSAMDC mRNAを受け取った細胞は,mRNAの注入時期にかかわらず常に胞胚後期で解離を起こし胞胚腔で消失すること,またSAMDC mRNAを受け取った細胞が少ない場合,胚全体は発生を継続することが明らかになった.

 これらの結果に基づき,受精卵は胞胚期まで速やかな卵割を繰り返したのち,細胞周期に初めてG1期が出現する中期胞胚期でそれぞれの細胞力洞らかの機構を使って自己の状態をチェックし,その結果,発生の継続に不適格と判断された細胞では,アポトーシスが誘導され,その細胞は利他的な細胞死により胚から除かれるという考え方を提示した.すなわち,初期嚢胚に働くアポトーシス・プログラムは,正常な初期発生を監視し,不適切な細胞を取り除くfail-safe機構として機能していると考えられる.

 なお,本論文第1章は肥後剛康,横須賀純一,垣内力,梶田恵理,深町博史,高山英次,五十嵐一衛,塩川光一郎との共同研究,第2章は垣内力,深町博史,高山英次,五十嵐一衛,塩川光一郎との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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