学位論文要旨



No 115977
著者(漢字) 北沢,千里
著者(英字)
著者(カナ) キタザワ,チサト
標題(和) ウニ幼生の左右非対称性確率機構に関する研究
標題(洋) Studies on the Mechanisms that Establish the Left-Right Asymmetry in Sea Urchin Larvae
報告番号 115977
報告番号 甲15977
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4021号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 雨宮,昭南
 東京大学 教授 野中,勝
 埼玉大学 助教授 弥益,恭
 お茶の水女子大 講師 清本,正人
 東京大学 講師 上島,励
内容要旨 要旨を表示する

*序論*

 間接発生型ウニの幼生は、4腕プルテウス幼生期まで外見上左右対称である。この外見上の左右対称性は、6-8腕プルテウス期に成体原基が幼生の左側面に形成されることにより崩される。

 ウニにおける左右非対称性のマーカーとして、成体原基とその構成要素の他に、小小割球子孫細胞の左右体腔嚢への不等配分がある。ウニ胚は第三卵割まで等割するが、第四卵割で植物極側の4個の割球は不等卵割し、4個の小割球と4個の大割球を生じる。小割球は、次の卵割で再度不等卵割し、植物極端に4個の小小割球を、その動物極寄りに4個の大小割球を生じる。この小小割球の子孫細胞は、初期プルテウス幼生期に左右の体腔嚢に不等配分される。

 この様に、ウニの幼生は、左右非対称性のマーカーとして少なくとも2つの形質、初期プルテウス期の小小割球子孫細胞の不等配分及び後期プルテウス期の成体原基形成方向、を有する。

 本研究では、ウニ幼生の左右非対称性の確立機構を明らかにするために、ウニを含む様々な動物群で体軸形成に影響することの報告されているリチウムをツールとして、小小割球と成体原基における左右性に注目して研究を行った。

*結果及び考察*

【Part 1:直接発生型ウニのヨツアナカシパンの羊膜口左シフトによる左右非対称性の確立-祖先型発生様式の復活の可能性】

 日本特産の直接発生ウニであるヨツアナカシパンでは、餌を取ることなく、受精後3日で変態して稚ウニになる。この様に、変態に至る期間の短いヨツアナカシパンを用いることが成体原基形成における左右非対称性確立機構の研究に有利と考え、この材料を用いて研究を始めた。しかしながら、ヨツアナカシパンにおいては、従来、左右非対称性のマーカーが報告されていなかった。成体原基の主要な構成要素である羊膜陥は、間接発生ウニにおいては、6腕プルテウス期に体の左側に形成されるが、ヨツアナカシパンでは、原腸胚期に、正中線上に形成され、左右非対称性のマーカーにならないと考えられていた。私は、SEM観察により、初め正中線上に形成された羊膜陥の開口部(羊膜口)が、発生の進行と共に、左側に移動することを見出し、これが、ヨツアナカシパンにおける左右非対称性のマーカーになることを発見した。修士課程において、私はヨツアナカシパンに対する、リチウム及び他の外原腸誘起物質の影響を研究し、これらの物質により羊膜陥が外方に突出することを既に示している。その後、リチウム処理により、胚の前後軸形成が阻害され放射相称胚の作られることを報告した。これらの観察に基づき、リチウム処理が、羊膜口の左方移動を抑制する可能性があると考え、リチウム処理されたヨツアナカシパン幼生の羊膜口の移動を、SEMを用いて調べた。正常発生において羊膜口の左方移動は、受精後約2日にはほとんどの幼生で起こる。ところが、リチウム処理された同時期の幼生では、羊膜口の移動は阻害された。更に発生が進んだ幼生においても同様であった。本研究により、ヨツアナカシパンの羊膜口は間接発生型ウニの幼生の口を流用した可能性が考えられ、ヨツアナカシパンは棘皮動物門の特徴であるtorsion(成体の口を形成するために幼生の口が体の左側に移動すること)の祖先的な特徴を保存している可能性が考えられる。また、リチウムはヨツアナカシパンの発生における左右非対称性の確立を撹乱することが示された。

【Part 2:リチウムはウニ幼生の正常な左右性の確立を攪乱する】

 間接発生型ウニにおける左右非対称性のマーカーとして、小小割球の左右体腔嚢への不等配分と成体原基形成方向とが知られている。間接発生型ウニは、小小割球の左右体腔嚢への不等配分の様式により、2つのグループに分けられる。第1のグループは、小小割球の左右体腔嚢への配分比率がおよそ左5:右3になる“variant type”(バフンウニなど)であり、第2のグループは、左8:右0になる“all-or-none type”(ハスノハカシパンとスカシカシパン)である。

 上記2つのマーカーについて、“variant type”のバフンウニの幼生におけるリチウムの影響を調べた。まず、小小割球子孫細胞の左右体腔嚢への不等配分比に対するリチウムの影響を調べた。バフンウニ胚にリチウム処理を行うと、小小割球子孫細胞の配分比は、5:3から4:4に変化した。次に、wholeの胚におけるリチウムによる成体原基形成方向に対する影響を調べたところ、多くの個体はリチウムによる植物極化の作用により外原腸胚を形成したが、正常胚と同様な形態を示した個体を選んで、成体原基形成期まで飼育すると、右原基を形成した個体が増加した。様々な発生時期に、胚をリチウムでパルス処理したところ、64-256細胞期にリチウム処理したときに、成体原基形成の左右性が最もよく攪乱され、約20%の幼生が右側に成体原基を形成した。つまり、リチウムにより攪乱可能な、ウニの成体原基形成方向の左右非対称性決定メカニズムが、この時期に働いていることが考えられる。この時期は、リチウムによる植物極化の効果に感受性のある時期(16-64細胞期)よりも遅い。

 16細胞期のアニマルキャップ(8個の中割球群)は、予定外胚葉領域であり、正常発生においても、アニマルキャップを単離飼育した場合でも、外胚葉のみに分化する。単離したアニマルキャップをリチウム存在下で飼育すると、リチウムの植物極化の作用により、内・中胚葉の分化が起こり、初期プルテウス幼生に発生することが知られていた。私は、この系を用いて、成体原基形成の左右性に対するリチウムの効果を調べた。リチウム処理アニマルキャップにおいて、植物極化の効果に感受性のある時期に加えて更にリチウム処理を行ったところ、約50%の個体が右原基あるいは両原基を形成した。これらのリチウム処理アニマルキャップに由来したプルテウス幼生は、左原基を作ったものも、右原基を作ったものも変態能を有し、5放射相称型の稚ウニになる能力を持っていた。

 しかし、”all-or-none type”のハスノハカシパンやスカシカシパンは、リチウムにより、小小割球子孫細胞の不等配分比も、成体原基形成方向の左右非対称性も、攪乱されなかった。小小割球子孫細胞の不等配分様式が”variant type”か”all-or-none type”か、により、左右非対称性の確立に対するリチウム感受性の異なることが示唆された。

 本研究により、リチウムのウニ胚に対する新しい効果、左右非対称性形成の撹乱が示された。この効果は、リチウムの植物極化の効果とは独立に、小小割球の不等配分及び成体原基形成方向を共に中性化の方向に撹乱する。これらの結果は、”variant type”のウニの正常発生では、64-256細胞期に働いている、リチウム感受性のある左右非対称性確立機構が存在することを示唆している。

【Part 3:ウニ幼生の成体原基形成方向の左右非対称性確立に対する小割球の影響】

 小割球は、ウニの初期発生における形態形成の中心として働き、動-植物軸に沿った分化(内-中胚葉誘導)と、前後軸に沿った分化に関与することが報告されている。そのため、正常発生における左右軸に沿った分化にも小割球の関与することが推測されたが、これまで報告は無かった。

 本研究のPart 3では、左右軸に沿った分化に対する小割球の関与と、小割球に対するリチウムの影響が調べられた。まず、1-4個の小割球を、バフンウニ16細胞期胚から除去した。4個の小割球を完全に除去すると、48%の幼生で、成体原基は右側に形成された。32、64細胞期に4個の小割球を除去しても、同様の結果が得られ、成体原基形成方向の決定には、64細胞期以降の小割球子孫細胞の存在が重要であることが示唆された。しかし、ハスノハカシパンで同様の実験を行ったところ、成体原基形成方向が逆転した個体の出現率は低かった。

 バフンウニにおいて、16細胞期に単離した4個の小割球群を、一定時間リチウム処理を行った後に、別群の16細胞期胚から単離した正常アニマルキャップと結合させ、その後発生させて成体原基形成方向を調べた。その結果、未処理の小割球子孫細胞とアニマルキャップを結合させた胚由来の幼生は、基本的に左側に成体原基を形成したが(80%, control)、リチウム処理した実験胚の多くは、成体原基を右側(20%)あるいは両側(25%)に形成した。つまり、小割球の成体原基形成方向の左右非対称性確立に対する効果は、リチウムにより攪乱されることが示された。

 これらの結果は、小割球が成体原基形成方向の左右非対称性の確立に関与し、この小割球シグナルはリチウムにより攪乱されることを示す。

*結論*

 本研究の結果から、以下の知見が得られた。(1)リチウムは、“variant type”の間接発生型ウニについて、成体原基形成方向と小小割球子孫細胞の左右体腔嚢への不等配分を撹乱し、また、直接発生型ウニの一種であるヨツアナカシパンについて成体原基の一部である羊膜口の左方向への移動を阻害する。しかし、“all-or-none type”のウニに対し、リチウムは左右非対称性に影響しない。(2)リチウム処理によって、“variant type”及びヨツアナカシパンに現われる左右性異常には様々な様式があるが、それらは、以下の3種に大別される。第1は、集団の半数の左右非対称性が、逆転する。この場合、幼生を集団で見ると、左右非対称性は中性化されている。第2は、左右非対称な形質が、一個体において左右対称に現われる(isomerism)。この場合、個体の左右非対称性は中性になる。第3は、左右非対称な形質が、正中線上に現われる。この現象の起きる原因は、リチウムの効果により、左右非対称的形質が積極的に正中線上に形成されたのか、あるいはリチウムの副作用により、細胞移動が妨げられた結果か、明らかでない。しかし、いずれにしても、この場合、個体の左右性は中性になる。(3)リチウムが胚の植物極化を引き起こすのに有効な時期は、16-64細胞期であるが、成体原基形成方向の左右性の撹乱に有効な時期は、これよりも遅く、64-256細胞期である。(4)16-64細胞期に、全ての小割球を除くと、“variant type”のウニの約半数の個体に左右性異常が生じた。“all-or-none type”のウニでは、左右性異常の起きる比率は“variant type”のウニより低かった。(5)“variant type”のウニで16細胞期に単離した小割球を一定期間リチウム処理を行った後、正常な16細胞期のアニマルキャップに再結合すると、約半数の個体に左右性異常が生じた。

 以上の実験結果から、以下の結論が得られた。

 1)間接発生型ウニの16細胞期の植物極端に形成される小割球は、動植物軸及び口_反口軸に沿った細胞分化に指導的役割を演じ、ウニ初期発生における形成中心として機能することが知られていたが、本研究から、小割球ではウニ正常発生における左右非対称性の形成中心としても働くことが明らかになった。“all-or-none type”のウニでは、左右非対称性決定メカニズムに関して、中割球及び大割球の役割が発達し、小割球の役割が低下している可能性がある。この結論は、上記の(4)(5)から支持される。

 2)“variant type”のウニの左右非対称性確立に影響する小割球シグナルは、リチウムにより攪乱される。“all-or-none type”のウニでは、左右非対称性の確立に関する小割球の役割の低下に伴い、小割球の関与する左右非対称性確立機構のリチウム感受性も低下し、結果として“all-or-none type”はリチウムによる左右非対称性の撹乱を受けないと考えられる。このことは、上記の(1)(4)(5)から示唆される。

 3)リチウムによる、ウニ幼生の左右非対称性への効果は、古くから知られているリチウムのウニ胚の植物極化の効果とは、直接的な因果関係を持たず、リチウムのこれら二つの効果は、解離可能である。このことは、上記の(1)(3)から支持される。

 4)間接発生から直接発生への進化過程においては、一般に幼生形質の削除が起きるが、ウニ幼生の左右非対称な形質、特に成体原基形成方向は、間接発生と直接発生の発生様式の違いに関わらず、保存されている可能性がある。ウニの系統進化上、ウニ綱に新規に導入された形質が、直接発生型の進化過程で削除されたことにより、ヨツアナカシパンの発生過程において祖先形質が復活した可能性が考えられる。これらの結論は、上記の(1)(2)から支持される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり、第1章は、直接発生型ウニのヨツアナカシパンの羊膜口左シフトによる左右非対称性の確立---祖先型発生様式の復活の可能性、第2章は、リチウムによるウニ幼生の左右性確立の攪乱、第3章はウニ幼生の成体原基形成方向の左右非対称性確立に対する小割球の影響について述べられている。

 第1章では、直接発生型のヨツアナカシパンを用いて、初め左右非対称性の形態的マーカーの探索が行なわれた。成体原基の構成要素である羊膜陥は、間接発生型ウニでは、6腕幼生期に体の左側に形成されるが、ヨツアナカシパンでは、原腸胚期に、正中線上に形成され、左右非対称性のマーカーにならないと考えられていた。本研究の結果、SEM観察により、初め正中線上に形成された羊膜陥の開口部(羊膜口)が、その後左側に移動することが発見された。次に、多くの動物種の体軸形成に影響をもたらすリチウムを用いて、リチウム処理されたヨツアナカシパン幼生の羊膜口の移動を、SEMにより調べ、羊膜口の移動がリチウム処理により阻害されることを見出した。

 第2章では、間接発生型ウニにおける左右非対称性のマーカーに対するリチウムの影響が調べられた。左右非対称性のマーカーとして、小小割球の左右体腔嚢への不等配分と成体原基形成方向とが知られている。間接発生型ウニは、小小割球の不等配分の様式により、2つのグループに分けられる。小小割球の配分比が左5:右3になる“variant type”(バフンウニなど)と、8:0になる“all-or-none type”(ハスノハカシパンとスカシカシパン)である。この研究では、初めに、“variant type”のバフンウニに対するリチウムの影響が調べられた。バフンウニのwholeの胚に対するリチウムの影響を調べ、小小割球子孫細胞の配分比が、5:3から4:4に変化し、成体原基を右側に形成する個体の増加することを発見した。64-256細胞期にリチウム処理を行うと、成体原基の左右性が最も攪乱されることから、リチウムにより撹乱可能な、成体原基形成方向の左右非対称性決定機構が、この時期に働いていることを推察した。この時期が、リチウムによる植物極化に感受性のある時期よりも遅いことから、リチウムが左右性に及ぼす効果と植物極化に及ぼす効果とが独立していると結論された。更に、予定外胚葉領域であるアニマルキャップを単離しリチウム存在下で飼育すると、成体原基を形成し、変態して正常なものと変わらない稚ウニを作りうることを初めて証明した。この様にして得られる幼生においては、約半数の個体が右原基あるいは両原基を形成し、リチウムが幼生の左右性をランダム化させる〓た。“all-or-none type”のウニで行った同様な実験では、リチウムにより、左右非対称性が攪乱されなかったことから、“variant type”と“all-or-none type”のウニの間には、左右非対称性形成機構に違いのあることを結論した。

 第3章では、左右軸に対する小割球の関与と、小割球に対するリチウムの影響が調べられた。バフンウニの16細胞期胚から小割球を完全に除去した約半数の幼生で、成体原基は右側に形成された。32、64細胞期に全小割球子孫細胞を除去しても、同様の結果が得られ、成体原基形成方向の決定には、64細胞期以後の小割球子孫細胞の存在が重要であることが示唆された。しかし、ハスノハカシパンでは、成体原基形成方向が逆転した個体の出現率は低く、“all-or-none type”と“variant type”のウニでは、小割球の左右性確立への機能に量的または質的な違いのあることが示唆された。

 16細胞期に単離したバフンウニの4個の小割球を、一定時間リチウム処理を行った後に、別群の16細胞期胚から単離した正常アニマルキャップと結合させ、その後発生させて成体原基形成方向を調べたところ、未処理の小割球子孫細胞とアニマルキャップを結合させた胚由来の幼生は、基本的に左側に成体原基を形成したが、リチウム処理した実験胚の半数で、左右性異常が起こることを見出した。

 これらの実験に基づき、以下の結論を得た。ウニ幼生の左右非対称な形質、特に成体原基形成方向は、間接発生と直接発生の発生様式の違いに関わらず、保存されている可能性がある。間接発生型の小割球子孫細胞は、正常発生における左右非対称性の形成中心として働く。“all-or-none type”では、小割球の役割が低下して中割球及び大割球の役割が発達している可能性がある。“variant type”の左右非対称性確立に影響する小割球シグナルは、リチウムにより撹乱され、このリチウムの効果は、植物極化の効果とは、直接的な因果関係を持たない。“all-or-none type”では、左右非対称性の確立に関する小割球の役割の低下に伴い、小割球の関与する左右非対称性確立機構のリチウム感受性も低下した結果、リチウムの左右非対称性の攪乱を受けないと考えられる。

 なお、本論文第1章は、高井(梶原)薫氏・中島陽子博士・藤沢弘介博士及び雨宮昭南、また第2章、第3章は、雨宮昭南との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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