学位論文要旨



No 115983
著者(漢字) 西村,芳樹
著者(英字)
著者(カナ) ニシムラ,ヨシキ
標題(和) 細胞質遺伝の機構 : 1細胞から解析された母性遺伝
標題(洋) Mechanism of cytoplasmic inheritance : Single Cell Analysis of Maternal Inheritance
報告番号 115983
報告番号 甲15983
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4027号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 助教授 高橋,陽介
内容要旨 要旨を表示する

 葉緑体やミトコンドリア遺伝子の非メンデル遺伝は、ヒトを含む多くの真核生物に共通する現象である(Kuroiwa,1991;Gillham,1994)。従来この現象は、雄配偶子の細胞質が卵に比べて非常に少ないことに基づく物理的排除説によって説明されてきた。しかし雌雄同形の配偶子が接合を行うクラミドモナス(Chlamydomonas reinhardtii:図1)に於いて、母性遺伝現象が起こることが遺伝学的に示され(Sager 1954)、さらにその機構として、接合後24時間後に雄葉緑体DNAが雌に比べて減少することが生化学的実験によって示唆されたことから(Sager and Lane 1972)、雌雄の配偶子の大きさによらない積極的な細胞質遺伝機構の存在が提唱されてきた。

 クラミドモナスの葉緑体DNAは、DNA特異的蛍光色素DAPI(4',6-diamidino-2-phenylindole)で染色することにより、葉緑体核様体(DNA-蛋白質複合体)として視覚化することが出来る。1982年、黒岩らはこの方法を用いて、雌雄の葉緑体核様体のうち雄側が接合後わずか40分ほどで見えなくなるという現象を発見した。しかし、雄の葉緑体DNAが減少もしくは消失するタイミングについて、細胞学的観察結果(接合40分後)と生化学的分析結果(接合24時間後)の間には大幅な時間的ずれがあった。

 生化学的な実験には、対象を集団として扱うという問題点がある。そのため得られる結果は集団の平均値に過ぎず、個々の細胞について解析することは出来なかった。また、細胞学的観察では、個々の細胞の挙動を明らかに出来ても詳細な分子解析は行えず、そのため雄葉緑体の消失が能動的な分解(Kuroiwa et al., 1982)とDNAの拡散(Harris, 1984)の何れによるものなのかをはっきりさせることが出来なかった。

 こうした両者の問題点を乗り越え、細胞質遺伝現象を個々の細胞から分子レベルで解き明かすためには、狙った1個の細胞を回収して分子解析する、いわば「観察」→「回収」→「解析」という図式に示されるような全く新しい研究手法の確立が必須である。

 本研究では、まず現象を連続的に観察し、さらに固定などの処理をせずに分子解析をおこなっていくため、生体染色法の開発に取り組み、生きた細胞での葉緑体及びミトコンドリアDNAの挙動を明らかにした(Nishimura et al.,1998)。次に、観察した1個の接合子を試験管に回収して分子解析する手法を開発し、雄葉緑体核様体の消失が雄葉緑体DNAの急激な分解によることの証明に成功した(Nishimura et al.,1999)。さらに、雄葉緑体DNA分解の機構を解析するため、非変性条件でのヌクレアーゼ検出法を用いて母性遺伝に関わり得るヌクレアーゼを探索し、葉緑体母性遺伝に寄与する可能性の高い雌特異的なヌクレアーゼを同定することに成功した。

結果と考察

I. 観察

I-1. 細胞質DNAの生体染色法

 DNA特異的蛍光色素SYBR Green Iを用いることで、生きた細胞において形や輝度の異なる大小2種の細胞質DNA核様体を観察に成功した(図2)。そしてミトコンドリア膜特異的蛍光色素DiOC6との2重染色、及び顕微測光装置による細胞質輝点の輝度定量を行うことにより、ミトコンドリア膜内に局在する1細胞当たり50-100個の小球状輝点が、これまで観察されてこなかったミトコンドリア核様体であることが確かめられた(図3)。

I-2.生きた接合子における葉緑体核様 とミトコンドリア核様体の挙動

このSYBR Green I染色法を用い、まず雄葉緑体核様体の消失過程を生きた接合子で観察した。接合直後、雌雄の葉緑体にはほぼ同数の葉緑体核様体があった。しかし接合後40分すると、雄側だけが萎縮し始め、その10分後には完全に消失した。一方ミトコンドリア核様体は、雄葉緑体核様体消失の後も常に両性的に保存されていた。以上の観察より、C.reinhardtiiにおいて葉緑体とミトコンドリアの遺伝は互いに全く独立した機構によって制御されており、葉緑体DNAが母性遺伝するのに対して、これまで異種間交雑の実験から父性遺伝すると推定されてきたミトコンドリアDNAは、両性遺伝することが強く示唆された(図4)。

II. 回収と解析

II-1. 雄葉緑体DNAのトランスフォーメーションによる分子標識

 雄葉緑体核様体が消失していく間の葉緑体DNAの変化を明らかにするには、まず接合子の雌雄の葉緑体DNAを分子レベルで識別する必要があった。そこで用いたのが葉緑体形質転換株L03cである。この株は葉緑体DNA中に大腸菌由来のaadA遺伝子を保持しており、これを野生株と掛け合わせれば、接合子の雌雄葉緑体DNAのうち片方のみをaadAで標識することが出来る。形質転換株と野生株の交配に於いて、雄葉緑体核様体の消失は野生株と同様に観察された(図6)。

II-1. 「光ピンセット・遺伝子解析法」

 次に問題となったのは、顕微鏡で観察した接合子を、いかにして試験管に回収するかであった。そこで導入したのが、光ピンセットレーザー顕微鏡(図7)である。この装置は、顕微鏡で観察した生の細胞や細胞内小器官を、マイクロ赤外線レーザーによって非接触的に捕捉し、動かすことが出来る。試行錯誤の末、この装置とガラスチャンバーとを組み合わせることで、顕微鏡で狙った1細胞をそのまま試験管に回収することに成功した。こうして回収した配偶子に対し、nested-PCR法によって葉緑体のrdcL遺伝子、ミトコンドリアcoxI遺伝子、さらに標識に用いたaadA遺伝子の検出を試みた。その結果、僅か1個の細胞からでも全ての遺伝子が明瞭に検出できることが解った(図8)。

II-3. 1個の接合子から明らかにされた雄葉緑体DNAの分解

 「光ピンセット・遺伝子解析法」を用い、細胞集団の中から雄の葉緑体核様体が観察される接合子、されない接合子を狙い、それぞれ1個ずつ試験管に回収して、nested-PCR法による分子解析を行った。

 雌葉緑体DNAを雌で標識した接合子では、雄葉緑体核様体の有無に関わらず棚が明瞭に検出された。これに対し、雄側を標識した接合子では、雄葉緑体核様体の消失と共にaadAが全く検出されなくなることが解った(図9)。このことから、雄葉緑体核様体の消失と共に、雄の葉緑体DNAは急激に分解され、葉緑体の母性遺伝を決定付けていることが明らかになった。

III. 葉緑体の分解を担うヌクレアーゼの探索

 次に雄の葉緑体DNA分解の機構を解明するため、接合前後に於けるヌクレアーゼ活性の変化をゲル内アッセイ法により解析した(図10)。しかし従来のゲル内アッセイ法は、ヌクレアーゼのSDSによる変性と再生を行う必要があり、生体内における活性を正確に解析出来ない可能性があった。そこで非変性条件でのゲル内アッセイ法による再検討を図った結果、2本のバンド(140kD,190kD)からなる雌特異的なCa2+依存性ヌクレアーゼが初めて同定された(図11)。このヌクレアーゼは配偶子誘導と共に活性化され、接合子が成熟するにつれて不活性化された。ヌクレアーゼが通常担うとされている機能(修復、組替え等)からは、こうした挙動を説明することは出来ず、このヌクレアーゼと母性遺伝との関わりが濃厚に示唆された。ヌクレアーゼの不活性化の機構は現在のところ不明であるが、ピレノイドの観察から示唆されたような接合時期に於ける雄の葉緑体特異的な蛋白質の分解系が、この不活性化に関わっている可能性があると現在考えられている。

図1.単細胞緑藻クラミドモナス

(Chlamydomonas reinhardtii)の接合

 雌(左)と雄(右)の配偶子は鞭毛で互いを認識しあって一対のペアを形成し、雌の形成する接合管を介して2核の接合子となる。雌雄の配偶子は等量の細胞質DNAを持っているにも拘わらず、細胞質DNAは非メンデル遺伝する。

図2.細胞質DNAの生体染色法の開発

DAPI(a,b)及びSYBR Green I(c,d)染色した配偶子の位相差像(PC)と蛍光像(FI)。

DAPI染色(b)では葉緑体角様体のみが観察されるのに対し、SYBR Green I(d)では、形状の異なる2種の細胞質核様体(大・小矢印)が生きた細胞で可視化される。

図3.初めて可視化されたミトコンドリア核様体

生きた配偶子のDiOC6染色(a)及びDiOC6、SYBRG二重染色像(b)。ミトコンドリア核様体は、DiOC6によって染色されたミトコンドリア内の輝点として(小矢印)、葉緑体核様体はミトコンドリア外の輝点として(大矢印)として可視化される。それぞれの輝度をヒストグラムにすると(C)、ミトコンドリア核様体(黒)と葉緑体核様体(青)は大小明瞭に異なる分布を示す。

図4生きた接合子における葉緑体及びミトコンドリア核様体の継時的観察

A.接合直後、雌雄の葉緑体にほぼ同数の葉緑体核様体(大矢印)が観察されるが(Aa)、接合40分すると、雄側が同時に萎縮し始め(Ab),1O分で完全に消失する(Ac)。Ab、Acは同一の接合子。

B.生きた接合子を継時的に観察した位相差象(PC)及びSYBR Green染色像(SYBR G)。雄葉緑体核様体消失後(Be,f)、雌雄の葉緑体は融合し(Bg,h)、さらに細胞核が融合して(Bi,j)、接合胞子へと成熟していくが(Bk,1)その全過程においてミトコンドリア核様体(小矢印)は両性的に保存された。

図5.生きた接合子におけるピレノイドの継時的観察

A.接合直後は雌雄同系のピレノイドが観察されるが(Aa)、接合後90分すると、しだいに雄側が萎縮し始め(Ab)、3時間後には完全に観察できなくなる(Ad)。枠内は雄ピレノイドの拡大像。

B.接合子の位相差像(PC)、SYBR Green I染色像(SYBRG)、及び抗RuBisCO (LS)抗体による間接蛍光抗体像(RuBisCO)。位相差像とSYBR Green I像は同視野。雄葉緑体核様体の消失後(Be)、位相差で観察された雄ピレノイドの萎縮(Bd、g、j)と共にRuBisCOのシグナルも微弱になり,観察されなくなっていく(Bf、i,l)。

図6.葉緑体形質転換体(L03c)による雌雄葉緑体DNA表し気泡の開発

A.葉緑体形質転換株(L03c)と野生株(137c)を掛け合わせた接合子の位相差像(a,c,e,g,i,k,m,o,q,s,u,w,)SYBR Green I染色像(b,d,f,h,j,l,n,p,r,t,v,x,)。それぞれ葉緑体核様体を大矢印、ミトコンドリア核様体を小矢印で示す。L03c株を雌雄いずれに用いて掛け合わせを行っても、雄葉緑体核様体の消失は野生株と同様に起き(r,t)、ミトコンドリア核様体は両性的に保存された(v,x)。

B.実験の概念図。葉緑体DNAに外来配列aadA遺伝子を挿入された形質転換株(L03c)と野生株(137c)を掛け合わせることにより、接合子の持つ2種の葉緑体DNAのうち、片方のみをaadA配列により標識することができる。

図7.光ピンセット装置

赤外線マイクロレーザーを搭載した光ピンセット装置の概観(a)。この装置により・顕微鏡で狙った1細胞(オルガネラ)を生のまま無傷で操作することが出来る(b-d:矢印)。宰際に光ピンセットで操作したBY-2タバコプロトプフスト(e)・クラミドモナス(f)・粘菌ミトコンドリア(g)。

図8.細胞1個からの遺伝子解析法

A.光ピンセットによる1細胞顕微回収法の模式図。ガラスマイクロチャンバーに折り線をつけたIsolation Chamber(内部サイズ9(L))X1(W)X0.1(D)mm)を用いて回収を行う。この方法は、1葉緑体・ミトコンドリアに対しても応用可能であり、個々の細胞だけでなく、ミトコンドリアや葉緑体の持つ個性を分子レベルで明らかにしうる手法である。

B.光ピンセットにより回収した1配偶子細胞からnested-PCR法によりrbcL(葉緑体DNA)、coxI(ミトコンドリアDNA)、aadA(標識DNA)遺伝子の増幅を行った結果。2回目のPCRを行うと,わずか1細胞から全ての遺伝子が明瞭に検出された。

図9.接合子から検出された雄葉緑体DNAの分解

1つの配偶子(A)と接合子(B)からrbcL,coxI,aadA遺伝子を検出した結果。再現性を確かめるために各実験は5回ずつ行った。(I-V)。雌葉緑体DNAをaadAで標識した場合、aadA遺伝子は接合後常に明瞭に検出されるのに対し,雄葉緑体DNAを標識しておくと,接合直後は検出されたaadA遺伝子が,雄葉緑体核様体消失と共に(90,120min),全く増幅されなくなった。この結果は,核様体の消失と共に葉緑体DNAが完全に分解される事を示している。

図10.SDS-PAGE1ゲル内アッセイ法によるヌクレアーゼ活性の解析結果

A.SDS-PAGE/ゲル内アッセイ法の模式図。

B.SDS-PAGE/ゲル内アッセイ法により解析したクラミドモナス配偶子(B)と接合子(C)のヌクレアーゼ活性の変化。Ca2+(33、29,18kDa)、Mn2+(33kDa)依存性のヌクレアーゼ活性が特に強く検出された。しかし、雌雄の配偶子、あるいは接合子の成熟段階におけるヌクレアーゼ活性の変化は検出されなかった。

図11.Native-PAGE/ゲル内アッセイ法の開発と雌雄特異的ヌクレアーゼ活性の発見

Ca2+(500,190,140,kDa)、Zn2+(48-kDa)Mn2+(460kDa)依存性のヌクレアーゼ活性が其々検出されたが、中でもCa2+依存性の190,140kDaヌクレアーゼの活性はメスからしか検出されなかった。

図12.クラミドモナスにおける細胞質遺伝機構のモデル

栄養細胞から配偶子へと分化していく過程で、雌配偶子はヌクレアーゼと自身の葉緑体DNA保護機構(Ogawa et al.,1985)とを備える。雌雄の配偶子が接合すると,細胞質を介して雌特異的ヌクレアーゼが保護の雄葉緑体に進入し、雄の葉緑体DNA分子を,開始からわずか10分ほどで完全に分解する。

(Kuroiwa et al.,1982,Nishimura et al.,1999)。これまでに報告された接合子特異的にに発現する遺伝子群(zys1a,b,2-4(Uchida et al.,1993)etc..)が、ヌクレアーゼの活性化もしくは雄葉緑体への侵入促進の役割を担っている可能性がある。また、雌特異的ヌクレアーゼはCa2+依存性であることから、これらの遺伝子発現により、葉緑体へのCa2+の流入の促進に関わっている可能性も考えられる。一方、ミトコンドリアに対してはこのヌクレアーゼは浸入することが出来ないため、ミトコンドリアDNAは両性的に保護される(Nishimura et al.,1998)。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章から構成され、第1章では1つの細胞から明らかにされた葉緑体DNAの母性遺伝機構について、第2章では葉緑体母性遺伝の直接の担い手となるヌクレアーゼの生化学的解析について述べられている。

 葉緑体やミトコンドリア遺伝子の母性遺伝現象は、ヒトを含む多くの動植物に共通する現象である。しかし現象の基盤となる分子機構に関しては、未だ殆ど明らかにされていない。本研究は、生活環が短く、遺伝学、分子生物学的解析に解析が容易な単細胞緑藻クラミドモナス(Chalamydonas reinihardtii)をモデルとし、母性遺伝機構の解明を目標として進められた。

 クラミドモナスでは、接合50分後における雄葉緑体核様体(雄葉緑体DNA一蛋白質複合体)の消失が細胞学的に観察されてきた。しかし生化学的解析では、この時点において雄葉緑体DNAの減少が検出されないことから、核様体消失の分子レベルでの意義は不明確であった。

 第1章ではまず、サイバーグリーン1生体染色法を用いることで、生きた細胞における雄葉緑体核様体の消失過程を観察することに初めて成功した。その結果、個々の接合子における雄葉緑体核様体の消失が、開始から僅か10分ほどで完了する非常に急激な現象であることを明らかにした。

 次に論文提出者は、細胞学的に観察される雄葉緑体核様体消失現象の分子解析に向けて、接合子の雌雄の葉緑体DNAをパーティクルガンによる葉緑体形質転換法によって標識し、接合子の成熟に伴う雌雄の葉緑体DNAの変化を分子レベルで追跡することを可能とした。更に、最新の光技術の一つである光ピンセット法を導入し、独自のマイクロチャンバーを用いて、狙った1個の細胞やオルガネラを選択的に試験管に回収する技術の開発に成功した。回収した僅か1個の細胞を分子解析するためには、超高感度の遺伝子検出法の開発が必要となった。この問題は、nested-PCRを応用することにより解決された。以上の一連の工夫の結果、論文提出者は細胞学的に観察した僅か一つの細胞を直接回収して分子解析に持ち込む「光ピンセットー遺伝子解析法」の確立に成功した。そしてこの技術を用いて、接合子における雌雄葉緑体DNAの変化を、1細胞から詳細に解析し、雄の葉緑体DNAは葉緑体核様体の急激な消失に伴って完全に分解され、この時点において葉緑体の母性遺伝が決定付けられることを解明した。

 第2章では、雄葉緑体DNAの分解を引き起こし、母性遺伝の直接の担い手となるヌクレアーゼの解析が行われた。ヌクレアーゼの解析法としてまず用いられたのは、プラスミド分解法であった。この方法により、雌雄配偶子間でのヌクレアーゼ活性を比較したところ、カルシウムイオン存在下で雌配偶子により強いヌクレアーゼ活性が検出された。更に詳細な解析のために、SDS-PAGEによるヌクレアーゼ活性のゲル内アッセイ法が導入され、雌雄配偶子、接合子におけるヌクレアーゼ活性の比較が行われた。しかしこの実験では、雌雄配偶子間、あるいは接合子成熟過程における、いかなるヌクレアーゼ活性の変化も検出されなかった。

 SDS-PAGEによるゲル内アッセイ法は、蛋白質の変性、再生という過程を経るために、生体内におけるヌクレアーゼの活性化状態を正確に反映できていない可能性があった。そこで論文提出者は、新たに非変性条件でのヌクレアーゼ活性ゲル内アッセイ法を考案し、この手法により配偶子誘導、接合子成熟過程におけるヌクレアーゼ活性の変化を解析した。その結果、配偶子誘導と共に雌の細胞でのみ活性化され、接合子の成熟と共に不活性化されるという、非常に興味深い挙動を示すヌクレアーゼ活性(雌特異的ヌクレアーゼ)の検出に成功した。このヌクレアーゼは、その活性化、維持のために細胞核遺伝子の発現を必要とするものであり、従来の様々な阻害剤実験の結果を矛盾無く説明できるものであった。

 さらに、接合子の葉緑体内における雌特異的ヌクレアーゼ活性の変化を検討するため、接合子からの葉緑体単離法が工夫された。新たに開発された葉緑体単離法は、エアーブラシによって細胞を噴霧することで、非常に穏やかな細胞破砕を可能とするものであった。この手法によって、接合後の様々な時点で単離した葉緑体についてヌクレアーゼ活性の解析を行ったところ、接合60-90分後におけるヌクレアーゼ活性の上昇が認められた。この活性化の時期は、雄葉緑体核様体消失の時期と重なり、この雌特異的ヌクレアーゼ活性の母性遺伝への関与を濃厚に示唆するものであった。今後、変異株の解析、雌特異的ヌクレアーゼの精製などを通し、母性遺伝の分子機構を更に詳細に明らかにしていけるものと考えられる。

 本研究を特徴付けるのは、研究の過程において生じた問題を解決するにあたっての、新技術導入への柔軟さと、新規開発能力の高さである。本研究の中で次々と生み出された技術の中には、「光ピンセットー遺伝子解析法」、「非変性条件でのゲル内アッセイ法」、「エアーブラシ葉緑体単離法」など、医学・農学研究でも極めて応用性が高いと考えられるものがあり、今後の大きな発展が期待できる。

 また、本研究の対象とされた受精前後におけるオルガネラ核様体の消失現象は、クラミドモナスに限らず、コケ、シダ、高等植物における雄性配偶子形成、更には哺乳類の精子形成においても観察される。本研究において得られた母性遺伝機構に関する知見は、真核生物全般の母性遺伝機構を理解していく上でも、非常に重要であると考えられる。

 なお、本研究の第1章は、三角修己、東山哲也、松永幸大、横田明穂、黒岩常祥との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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