学位論文要旨



No 115984
著者(漢字) 野村,守
著者(英字)
著者(カナ) ノムラ,マモル
標題(和) ユウレイボヤ精子運動活性化に関与する細胞内情報伝達機構に関する研究
標題(洋) Studies on the Cell Signaling for the Activation of Sperm Motility in Ascidian.
報告番号 115984
報告番号 甲15984
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4028号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森沢,正昭
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 助教授 奥野,誠
 東京大学 助教授 上村,慎治
 東京大学 助教授 岡,良隆
内容要旨 要旨を表示する

 脊索動物門尾索亜門カタユウレイボヤ(Ciona intestinalis)及びユウレイボヤ(C.savignyi)の精子は通常海水に懸濁された状態では運動を停止している。この運動停止精子は両種の未受精卵より放出される精子活性化誘因物質(Sperm-activating and -attracting factor、SAAF)によって種非特異的に運動を開始・活性化し、更にSAAFの濃度勾配に従って走化性を示し、卵へと達する(Yoshida et al,1993,Dev.Biol)。この運動活性化に関しては精子細胞外のCa2+の流入とcAMP濃度の上昇(Yoshida et al,1994,Dev Growth Differ.)及び細胞膜の過分極によるcAMP合成(Izumi et al,1993,Dev.Biol)が関与している。しかし、Ca2+が関与する細胞内情報伝達機構及びcAMPに依存するタンパク質のリン酸化が関与する細胞内情報伝達は道である。本博士論文の第1部では、SAAFにより合成されたcAMPによりタンパク質リン酸化酵素の活性化がおこること、この酵素による分子量21kDaおよび分子量26kDaタンパク質のリン酸化が最終的に引き金となり精子運動活性化が起こることを明らかにし、またこれらのリン酸化タンパク質の精子活性化への関与の相互関係についても明らかにした。第2部では、SAAFの作用によって細胞内へ流入したCa2+がカルモジュリンに作用し、カルモジュリン依存性リン酸化酵素を活性化し、K+チャネルなどのタンパク質のリン酸化を介して細胞膜の過分極を引き起こし、それが第1部で明らかとなったcAMP依存の精子活性化の細胞情報伝達の引き金を引き、精子を活性化することを明らかにした。

第1部精子運動活性化を制御するリン酸化タンバク質の同定とその性質

 界面活性剤TriotonX-100により細胞膜を除去したカタユウレイボヤの除膜精子は、ATPのみでは運動せず、cAMPにより運動した。一方SAAFにより活性化した後除膜した精子は、cAMPなしで運動すること、Ca2+欠如海水中でSAAFによって処理した精子は運動しないが、その除膜精子もその運動にcAMPを必要とした。(表1)。この結果はcAMPが精子活性化に必須であることを示している。次に、精子そのものを32Pリン酸を含む海水中に懸濁し静置しておき、32Pを取り込ませた後SAAFにより精子を活性化し、この精子のタンパク質のリン酸化をオートラジオグラフィーにより調べ、リン酸化が顕著であるタンパク質バンドの32Pの取込みをシンチレーションカウンターで測定した。その結果、34kDa、26kDaおよび21kDaタンパク質のリン酸化が顕著であった。更に、図1に見られるように静止精子をTritonX-100で除膜した場合、34kDa、26kDa、21kDaのタンパク質分子はリン酸化されるが、この3つのタンパク質のうち26kDaタンパク質と21kDaタンパク質ではSAAFにより運動活性化した後に作成した除膜精子では32Pの取込みが見られなかった。これらの結果から、21kDa及び26kDaタンパク質のリン酸化が精子運動活性化を直接制御していると結論した。またcAMPを作用させ5秒後に26kDaタンパク質が、10秒後に21kDaタンパク質がリン酸化されることも明らかとた。

 更にこれらのリン酸化タンパク質の同定を試みた。21kDaタンパク質は0.6MKClによって鞭毛軸糸から可溶化することができた。この0.6MKC1可溶性画分をショ糖密勾配遠心によって分離し、ダイニンATPase活性を測定したところ、21kDaタンパク質は鞭毛外腕ダイニンと挙動を共にした(図2)。この結果から21kDaタンパク質は鞭毛外腕ダイニンの軽鎖であり、そのリン酸化反応が鞭毛運動開始に深く関与していると考えられる。

 一方、軸糸に強固に結合しているため可溶化できないなどの理由で、26kDaタンパク質の分子の同定は未だ成功していない。そこで、cDNA塩基配列を基としたデータベース検索を目的として26kDaタンパク質のアミノ酸配列の決定を試みた。そのために26kDaタンパク質の精製条件について検討したところ、このタンパク質は低イオン強度溶液では可溶化されないが、8M尿素で水素結合を切断するすることにより可溶化することが明らかとなった。さらにDEAE-Sepharose CL-6Bクロマトグラフィーによって、尿素処理以前に26kDaタンパク質に強固に結合していたチューブリンを除去することができた。さらにCM-Cellulofineクロマトグラフィーによって26kDaタンパク質の濃縮を行い、Sepharose CL-6Bによるゲル濾過によって市販のPKAによってリン酸化される26kDaタンパク質を部分精製することに成功した。この部分精製標品および精子鞭毛軸糸内でin situリン酸化を受けた26kDaタンパク質を共泳動した結果、これら両者が同一のタンパク質であることも確認された。

 以上の結果から、SAAFにより、鞭毛軸糸に強固に結合したタンパク質でPKAの直接の基質となりうる分子、26kDaタンパク質、が最初にリン酸化を受け、続いてダイニン軽鎖である21kDaタンパク質がリン酸化され、この細胞内情報伝達経路がユウレイボヤ精子運動活性化の最終段階を担うことが明らかとなった。

第2部 精子活性化機構におけるカルシウム、カルモジュリンおよびカルモジュリン依存性キナーゼの役割

 ユウレイボヤ精子は細胞外のCa2+流入を介したcAMP濃度の増加に伴って運動を開始する(Yoshida, et al., 1994)。しかし、Ca2+の細胞内作用起点カルモジュリンの役割は不明であった。本研究ではまずユウレイボヤ精子にカルモジュリンが存在することをW-7固定化ビーズを用いたアフィニティ沈殿によって明らかにした。更に、カルモジュリン阻害剤W-7及びカルモジュリン依存性キナーゼIIの阻害剤KN93はそれぞれ25μM、5μM以上で顕著にSAAFによる精子運動活性化を阻害すること(表2)、それぞれの不活性アナログであるW-5、KN-92は精子運動性を阻害しないことを明らかにした。またW-7、KN-93はSAAFによる精子細胞膜の過分極を阻害した(図3)。カルモジュリン依存性脱リン酸化酵素カルシニューリンの阻害剤Fenvalerate、CypermethrinはSAAFによる精子活性化を阻害しなかった(表2)。以上の結果はSAAFの作用によって細胞内に流入したCa2+がカルモジュリンを介してCaMKIIを活性化し、活性化されたCaMKIIが細胞膜のK+透過性を調節することで膜電位の過分極を調節していることを示唆している。

 一方 W-7、KN-93存在下で運動が阻害されている精子をK+イオノフォアValinomycinで処理すると、精子運動性が回復し、また、この精子では細胞膜のK+透過性が上昇し膜電位の過分極を起こし、cAMP濃度が上昇した(図4)。これらの結果からユウレイボヤ精子の運動活性化の細胞内情報伝達は細胞内に流入したCa2+がCaM/CaMKIIを活性化し、細胞膜の過分極を引き起こし、この膜電位変化がcAMP合成を促す順序で起こることが明らかとなった。

考察

 以上第一部と第二部をまとめると、ユウレイボヤ精子活性化は以下のような機構のもとで起こると考えられる(図5)。ユウレイボヤ未受精卵より放出される精子活性化誘因物質SAAFは精子にCa2+の流入を起こす。このCa2+はCa2+/CaM/CaMKIIの一連の反応により細胞膜電位の変化とそれに続くアデニル酸シクラーゼの活性化、cAMP合成を引き起こす。このcAMPはPKAを活性化し、まず鞭毛軸糸の分子量26kDaタンパク質のリン酸化を引き起こす。続いて外腕ダイニンのサブユニットである軽鎖のリン酸化が起こり、精子鞭毛運動が活性化する。今後はCaMKIIがどのように膜電位変化引き起こすのかを検討する必要がある。また26kDaリン酸化タンパク質に関してはcDNAのクローニングからその同定、特徴付け及び機能の解明を行う必要がある。

表1 SAAFにより運動を活性化した後に作成した除膜精子運動性に対するcAMPの効果

図1 運動前と運動後の精子より作成した除膜精子におけるタンパク質のリン酸化。海水(ASW)中で運動を停止している精子(A,B)、SAAFを含む海水に懸濁し活性化した精子(C)、及びCa2+欠如海水(CFSW)に懸濁し、SAAFによっても運動を示さない精子(D)より作成した除膜精子を[γ-32P]ATPを含む溶液中で再活性化し、精子タンパク質をSDS-PAGEにより分離しオートラジオグラフィーによりリン酸化タンパク質を検出した。21kDa、26kDaタンパク質はcAMP依存的にリン酸化される(A,B)。しかし、SAAFで活性化した後の精子より作成した除膜精子ではcAMPによる21kDa、26kDaタンパク質のリン酸化は見られない(C)。このことは、SAAFによる精子活性化によって、これらタンパク質のリン酸化が制し活性化に必須であることが示唆された。また(D)の結果はこれらタンパク質のリン酸化は細胞外Ca2+により調節されている事を示している。

図2 0.6M KClで抽出し、32Pで標識した軸糸タンパク質の5-20%ショ糖密度後輩遠心による分画。A;各分画のタンパク質濃度(●)とダイニンATPase活性(○)。ATPase活性は沈降係数20S画分にみられた。矢印は沈降定数矢印は沈降定数19Sと11.3Sを示す。B;フラクション番号2から15までに含まれるタンパク質のSDS-PAGEによるオートラジオグラフィー像。21kDaタンパク質のはATPase活性(A)と挙動を共にした。

表2 カルモジュリン、カルモジュリン依存性キナーゼII、カルシニューリン阻害剤存在下での精子運動

図3 SAAFによる細胞膜電位変化に対するカルモジュリン、カルモジュリン依存性リン酸化酵素II阻害剤の効果。A;コントロールとしてのDMSO(上)、カルモジュリン阻害剤50μM W-7(中)、そのアナログ50μM W-5(下)、B;コントロール(上)、CaMKII阻害剤5μM KN-93(中)、そのアナログ5μKN-92(下)を含む海水中に懸濁した精子に、黒矢尻においてSAAFを加えた。その後中抜き矢尻においてValinomycinを加え、続いて矢印において2M KCIを10mM、20mM、40mMとなるように加えた。W-7,KN-93はそれぞれSAAFによる膜電位過分極を抑制するが、W-5, KN-92では阻害効果が見られなかった。

図4 SAAFによるcAMP合成に対するカルモジュリン阻害剤の効果。SAAFおよびValinomycin(Val)はcAMP量を増加させる(control)。しかし、W-7でカルモジュリンを阻害するとSAAFによるcAMP合成が阻害される。Valはこれらの阻害を回復させる。W-7のアナログW-5はSAAFによるcAMP合成を阻害しない。以上の結果を図3での結果と合わせると、カルモジュリンは膜の過分極およびcAMP合成の上流で作用していることを示唆している。

図5 SAAFによる精子活性化の細胞内情報伝達機構。SAAFによりCa2+チャネルを通して精子内にCa2+が流入する。この細胞内Ca2+増加が起点となりCa2+/CaM/CaMKIIの一連の反応が起こり、それがK+チャネルに作用して細胞膜の電位の変化とそれによるアデニル酸シクラーゼ(AC)の活性化を引き起こし、その結果cAMPが合成される。細胞内で上昇したcAMPはPKAを活性化し、鞭毛軸糸の分子量26kDaタンパク質のリン酸化を引き起こし、遅れて外腕ダイニンのサブユニットである軽鎖(LC2)のリン酸化が起こる。この一連の軸糸タンパク質のリン酸化によって精子鞭毛運動活性化の引き金が引かれる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は2章からなり、第1章はユウレイボヤ精子運動活性化を制御するリン酸化タンパク質の同定とその性質、第2章は精子活性化機構におけるカルシウム(Ca2+)、カルモジュリンおよびカルモジュリン依存性キナーゼの役割について述べられている。

 2種のユウレイボヤ、Ciona intestinalis、C. savignyiの精子は海水中では運動を停止しており、未受精卵より放出される精子活性化誘因物質(SAAF)によって運動を開始・活性化する。第1章では界面活性剤TriotonX-100により細胞膜を除去した除膜精子は、ATPのみでは運動せず、cAMPにより運動する事、SAAFにより活性化した後除膜した精子は、cAMPなしで運動すること、Ca2+欠如海水中でSAAFによって処理した精子は運動せず、その除膜精子は運動にcAMPを必要とする事を明らかにし、Ca2+及びcAMPが精子活性化に必須であることを示した。次に、精子に32Pを取り込ませた後SAAFにより運動を活性化し、この精子のタンパク質のリン酸化をオートラジオグラフィーにより調べ、34kDa、26kDaおよび21kタンパク質のリン酸化が顕著である事、更に、除膜精子の場合、この3つのタンパク質のうち26kDaタンパク質と21kDaタンパク質ではSAAFにより運動活性化した後に作成した除膜精子では32Pの取込みが見られない事から、21kDa及び26kDaタンパク質のリン酸化が精子運動活性化を直接制御していると結論した。また、26kDaタンパク質が21kDaタンパク質より早くリン酸化されることも明らかとした。さらに、21kDaタンパク質を0.6MKC1によって鞭毛軸糸から可溶化し、可溶性画分をショ糖密勾配遠心によって分離し、ダイニンATPase活性を測定し21kDaタンパク質が鞭毛外腕ダイニンの軽鎖であることを明らかにした。一方、軸糸に強固に結合し、可溶化できず分子の同定は困難である26kDaタンパク質を8M尿素で可溶化することに成功し、クロマトグラフィー法によって26kDaタンパク質に強固に結合していたチューブリンを除去し26kDaタンパク質の濃縮を行い、26kDaタンパク質を部分精製することに成功した。以上の結果から、PKAにより鞭毛軸糸に強固に結合した26kDaタンパク質が最初にリン酸化され、続いて21kDaダイニン軽鎖がリン酸化され、ユウレイボヤ精子運動活性化の細胞内情報伝達経路の最終段階を担うことが明らかとなった。

 第2章では、まずユウレイボヤ精子にカルモジュリンが存在することをW-7固定化ビーズを用いたアフィニティ沈殿によって明らかにした。更に、カルモジュリン阻害剤W-7及びカルモジュリン依存性キナーゼIIの阻害剤KN-93が顕著にSAAFによる精子運動活性化を阻害することを明らかにした。またW-7、KN-93はSAAFによる精子細胞膜の過分極を阻害する事を明らかにした。以上の結果はSAAFの作用によって細胞内に流入したCa2+がカルモジュリンを介してCaMKIIを活性化し、活性化されたCaMKIIが細胞膜のK+透過性を調節することで膜電位の過分極を調節していることを示唆している。一方、W-7、KN-93存在下で運動が阻害されている精子をK+イオノフォアValinomycinで処理すると、精子運動性が回復し、また、この精子では細胞膜のK+透過性が上昇し膜電位の過分極を起こし、cAMP濃度が上昇する事を示した。これらの結果からユウレイボヤ精子の運動活性化の細胞内情報伝達は細胞内に流入したCa2+がCaM/CaMKIIを活性化し、細胞膜の過分極を引き起こし、この膜電位変化がcAMP合成を促す順序で起こることが明らかとなった。以上第一部と第二部から、ユウレイボヤでは未受精卵より放出される精子活性化誘因物質SAAFが精子にCa2+の流入を起こし、このCa2+はCa2+/CaM/CaMKIIの一連の反応により細胞膜電位の変化とそれに続くアデニル酸シクラーゼの活性化、cAMP合成を引き起こす。このcAMPはPKAを活性化し、まず鞭毛軸糸の分子量26kDaタンパク質のリン酸化と続く外腕ダイニン軽鎖のリン酸化が起こり、精子鞭毛運動が活性化する、というホヤ精子の運動活性化の分子機構が明らかとなった。

 なお、本論文の1章は稲葉一男、森沢正昭 第2章は吉田 学、森沢正昭との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。また、本研究は精子活性化を司る細胞内情報伝達機構を見事に解明した研究として評価できる。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク