学位論文要旨



No 115986
著者(漢字) 升井,伸治
著者(英字)
著者(カナ) マスイ,シンジ
標題(和) 細胞内共生細菌Wolbachiaに関する分子ならびに進化生物学的研究
標題(洋) Molecular and Evolution Studies on the Endosymbiotic Bacteria Wolbachia
報告番号 115986
報告番号 甲15986
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4030号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 宇,隆夫
 東京大学 助教授 平良,眞規
 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 助教授 藤原,晴彦
内容要旨 要旨を表示する

Wolbachia属のリケッチア様の細菌は主に節足動物の細胞内で密接に共生しており、宿主雌の卵を通じて次世代へと垂直感染する。現在Wolbachiaの感染は広く見られ、昆虫においてはその全種のうち76%が感染しているといわれる。また昆虫以外の宿主生物種もダニ類や甲殻類さらには線虫に至るまで幅広く報告されている。一方で、Wolbachiaはその宿主に様々な生殖異常を引き起こすことで知られている。細胞質不和合、産雌性単為生殖、雌化、雄殺しなどの例があるが、これらの生殖異常は全て、次世代のWolbachia感染雌の割合を増加させる。Wolbachiaは感染雌が産む卵を通じて垂直伝播するため、これが結果としてWolbachiaにとって有利に働くと考えられている。Wolbachia単独での培養は現在のところ不可能であることなどから、分子生物学的な研究はほとんど進展しておらず、これらの現象の分子機構は全く不明である。

第一章 Wolbachiaにおける可動遺伝因子とその進化

 トランスポゾンやプラスミド、バクテリオファージなどの可動遺伝因子は細菌の性質に関与する様々な遺伝子を乗せて種間を水平移動することにより、細菌に遺伝子の多様性を与え、病原性などの進化を促していると考えられている。Wolbachiaやその近縁種であるリケッチアではこれまで可動遺伝因子の存在は報告されていなかった。第一章では、WolbachiaにおいてトランスポゾンISW1とバクテリオファージWOを初めて同定し、これらの可動遺伝因子からWolbachiaの進化を考察した。

 WolbachiaのgroEL下流に見い出されたISW1はサルモネラ属のIS200に近縁で、ゲノム上に20コピー以上挿入されていた。それぞれのコピーの塩基配列は完全に同一であったことから、ISW1はアクティブであり、ごく最近に転移したと考えられた。一方、ISW1挿入サイト近傍の塩基配列解析から、ファージ様遺伝子群を発見し、これをファージWOと名付けた。様々な Wolbachia系統を用いてゲノミックサザン解析を行ったところ、調べた全てのWolbachiaの系統がファージWOに感染していることが明らかになった。また、これらのWolbachiaの系統におけるファージWO遺伝子の分子系統解析を行ったところ、その分子系統樹はWolbachiaの染色体遺伝子のものと全く一致しなかった。さらに、同一宿主に感染している2系統のWolbachia由来のファージWO遺伝子が非常に近縁であることもわかった。以上の結果は、ファージWOがアクティブであり、活発にWolbachia系統間を転移していることを強く示唆する。ファージWOゲノム上には様々なファージやプラスミド、さらに真核生物由来と見られる遺伝子が混在していた。これらの結果からは、細胞内共生をしているために遺伝子水平転移の機会が少ないWolbachiaにファージWOが遺伝子多様性を与え、進化を促してきたことが想像できる。

第二章 Wolbachiaにおける4型分泌機構遺伝子の同定

 Wolbachiaが引き起こす生殖異常のうち、最も多くの宿主昆虫種で見受けられるのが細胞質不和合という現象である。細胞質不和合はWolbachia感染雄と非感染雌との間での受精卵が発生しない不妊現象で、感染雄と感染雌の間には正常な発生がみられる。細胞質不和合の分子機構はほとんど分かっていないが、Wolbachiaは精巣内で何らかの物質を分泌しており、正常な精子の活動がその物質に阻害され、細胞質不和合を引き起こされると考えられている(図1)。

細菌の巨大分子分泌機構には、大きく分けて1型から4型までが知られている。4型分泌機構は、アグロバクテリウム、ヘリコバクター、レジオネラ、リケッチアなど、真核細胞と相互作用する病原性細菌にしばしば見られるが、分泌される巨大分子およびその機能はそれぞれ全く異なる。そこで第二章では、Wolbachiaが宿主に与える影響の分子的理解へのアプローチとして、Wolbachiaの4型分泌機構遺伝子を同定した。

 リケッチアの4型分泌機構をコードする遺伝子をプローブとしてWolbachia感染昆虫のDNAライブラリーをスクリーニングし、陽性クローンの塩基配列を決定したところ、種々の細菌の4型分泌機構と相同な遺伝子群を発見した(図2)。アグロバクテリウムとの比較から、これらの遺伝子は5'側からvirB8、virB9、virB10、virB11、virD4と名付けられた。これらの遺伝子は4型分泌機構としての最小の要素をほぼカバーしている。

 次に、RT-PCR解析により、vir遺伝子群は単一のメッセンジャーRNA(全長約6kb)に転写されることを証明した。また5'RACE解析の結果から、virB8の5'上流50bpのサイトが転写開始点であると推測された(図2)。したがってWolbachiaにおける4型分泌機構の遺伝子群はオペロンとして発現制御されていると考えられた。コンピューターによるタンパク質局在解析により、これらのvir遺伝子産物群はアグロバクテリウムのホモログと同じ位置に局在すると予測された。また、vir遺伝子産物群が巨大分子分泌装置としての複合体を形成しうるかどうかを酵母ツーハイブリッド法を用いて検証した。その結果、VirB8-B8、B8-B9、B8-D4、B9-B9、B11-B11の組み合わせで相互作用する可能性が示唆され、アグロバクテリウムにおけるモデルと一致した。以上の結果から、Wolbachiaの4型分泌機構は生体内で実際に機能しており、宿主細胞へ何らかの影響を与えていることが示唆された。

図1 細胞質不和合(Cl)とそのrescue。

spermatocyteで修飾を受けた精子はWolbachia非感染卵と受精すると細胞質不和合を起こすが、感染卵と受精すると修飾が解除され、正常に発生する(rescueされる)。

図2 Wolbachia型分泌機構遺伝子群の発現と相互作用の解析。

同定した遺伝子群をvirオペロンと名付け、Wolbachiaの2系統wKueYO, wTaiについて発現解析を行った。b、cはそれぞれ図のB、Cで用いた領域を表す。D:酵母ツーハイブリッドアッセイ。相互作用する組み合わせではコロニーが生育し、青く染まっている。pGBK、pGADはそれぞれGAL4 DNA-binding domainとactivation domainを融合して発現する。Vec;ベクターのみ。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は2章からなり、第一章はWolbachiaにおける可動遺伝因子とその進化について、第二章はWolbachiaにおける4型分泌機構遺伝子の同定について述べられている。

 Wolbachia属のリケッチア様の細菌は主に節足動物の細胞内で密接に共生しており、宿主雌の卵を通じて次世代へと垂直感染する。現在 Wolbachiaの感染は広く見られ、その宿主生物種はダニ類や甲殻類、さらには線虫に至るまで幅広く報告されている。一方で、Wolbachiaはその宿主に様々な生殖異常を引き起こすことで知られる。細胞質不和合、産雌性単為生殖、雌化、雄殺しなどの例があるが、これらの生殖異常は全て、次世代のWolbachia感染雌の割合を増加させる効果をもっている。Wolbachiaは感染雌が産む卵を通じてのみ垂直伝播するため、結果としてWolbachiaにとって有利に働くと考えられている。Wolbachia単独での培養は現在のところ不可能であることなどから、分子生物学的な研究はほとんど進展しておらず、これらの現象の分子機構は全く不明である。

 可動遺伝因子は細菌の性質に関与する様々な遺伝子を乗せて種間を水平移動することにより、細菌に遺伝子の多様性を与え、病原性などの進化を促していると考えられている。Wolbachiaではこれまで可動遺伝因子の存在は報告されていなかった。第一章では、Wolbachiaにおいてトランスポゾンとバクテリオファージ様遺伝子群を初めて同定し、これらの可動遺伝因子とみられる配列からWolbachiaの進化を考察している。WolbachiaのgroEL下流に見い出されたISW1はゲノム上に20コピー以上挿入されていた。ISW1挿入サイト近傍の塩基配列解析から、ファージ様遺伝子群を発見し、これを暫定的にファージWOと名付けた。様々なWolbachia系統を用いてのゲノミックサザン解析から、調べた全てのWolbachiaの系統がファージWOに感染していることが示唆され、その分子系統解析から、ファージWOは活発にWolbachia系統間を転移していることが示唆された。また、ファージWOゲノム上には様々なファージや真核生物由来と見られる遺伝子が混在していたことから、細胞内共生をしているために遺伝子水平転移の機会が少ないWolbachiaにファージWOが遺伝子多様性を与え、進化を促してきたという可能性が示唆された。

 Wolbachiaが引き起こす生殖異常のうち、最も多くの宿主昆虫種に見られるのが細胞質不和合という現象である。細胞質不和合はWolbachia感染雄と非感染雌との間での受精卵が発生しない不妊現象で、感染雄と感染雌の間には正常な発生がみられる。細胞質不和合の分子機構はほとんど分かっていないが、Wolbachia精巣内で何らかの物質を分泌しており、正常な精子の活動がその物質に阻害され、細胞質不和合を引き起こすと考えられている。細菌の巨大分子分泌機構には、大きく分けて1型から4型までが知られている。4型分泌機構は、アグロバクテリウムやリケッチアなど、真核細胞と相互作用する病原性細菌にしばしば見られるが、分泌される巨大分子およびその機能はそれぞれ全く異なる。第二章では、Wolbachiaが宿主に与える影響の分子的理解へのアプローチとして、Wolbachiaの4型分泌機構遺伝子を同定している。リケッチアの4型分泌機構をコードする遺伝子をプローブとしてWolbachia感染昆虫のDNAライブラリーをスクリーニングすることで、種々の細菌の4型分泌機構と相同な遺伝子群を発見した。これらの遺伝子には他の細菌のvirB8、virB9、virB10、virB11、virD4との相同性が認められ、また4型分泌機構としての最小の要素をほぼカバーしていた。次にRT-PCR解析により、vir遺伝子群はオペロンとして発現制御されていることを証明した。さらに、vir遺伝子産物群が巨大分子分泌装置としての複合体を形成しうるかどうかを酵母ツーハイブリッド法を用いて検証した。その結果、VirB8-B8、B8-B9、B8-D4、B9-B9、B11-B11の組み合わせで相互作用する可能性が示唆され、アグロバクテリウムにおけるモデルと一致した。以上の結果からWolbachiaの4型分泌機構は生体内で実際に機能しており、宿主細胞へ何らかの影響を与えていることが示唆された。

 なお、本論文第一章は鴨田聡、佐々木哲彦、石川統との、第二章は佐々木哲彦、石川統との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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