学位論文要旨



No 115988
著者(漢字) 三角,修己
著者(英字)
著者(カナ) ミスミ,オサミ
標題(和) 葉緑体核の分散と分配に関わるChlamydomonas reinhardtii変異株mocの分子細胞学的解析
標題(洋) Molecular cytological studies on Chlamydomonas reinhardtii mutant moc,which is defective in the dispersion and segregation of chloroplast nucleoids.
報告番号 115988
報告番号 甲15988
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4032号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 箸本,春樹
 東京大学 助教授 野崎,久義
内容要旨 要旨を表示する

 葉緑体は植物に必須な独自のゲノムを含んだオルガネラであることから、その形態形成や光エネルギー変換機構と葉緑体の遺伝子発現制御との関連について多くの研究が行われてきた。しかしながら、葉緑体が分裂増殖し、機能を果たすために最も基本的かつ重要である葉緑体DNAの分配機構や、分化に伴うDNAの分散機構、葉緑体DNAの高次組織化などに関する研究はきわめて少ない。

葉緑体DNAは生体内ではタンパク質との高次複合体(葉緑体核)を形成し、その数・大きさ・形態・分布の様式は、生物の系統発生と密接に関係、葉緑体の発達と増殖と共に起きる葉緑体核の均等分配と分散は、藻類から高等植物まで植物細胞で普遍的に見られる現象である(Kuroiwa et al.,1981,Kuroiwa,1991 Coleman,1985)。しかし、その分子機構に関してはほとんどわかっていない。

 このような葉緑体DNAの分配や分散の機構を解明するためには、細胞核の形質転換法が確立し(Kindle,1990)、遺伝学的、分子生物学的、生化学的な解析が可能な単細胞緑藻.Chlamydomonas reinhardtiiが優れた材料になると考えられた。本研究では、C.reinhardtiiを用い、遺伝子タギング法により突然変異体を多数作製して、その中から葉緑体核の分散及び分配に関する突然変異株moc(monokaryotic chloroplast)を単離し、分子細胞学的なキャラクタライゼーションと生理学的性質を調べ、タギングにより機能しなくなったと考えられる遺伝子の単離を試みた。

結果と考察

1.遺伝子タギング法による葉緑体核に関する突然変異体の単離

 C.reinhardtiiの硝酸還元酵素遺伝子(NIT1)を硝酸還元酵素欠失株nit1/cw15株に導入し、硝酸還元活性の回復した6,000の独立した形質転換体について、DAPI染色による蛍光顕微鏡観察を行い、葉緑体核の変異株の選抜を行った。8-10個程度の小塊として葉緑体に分散している野生株の葉緑体核に対して、その形態や局在が顕著に異なる変異株を3種単離することが出来た(図1)。この3種類の突然変異体のなかでも特に、葉緑体核が分散せずに大きく1つにまとまる株は5系統(A84,G33,G60,I29,H72)単離され、表現型が葉緑体核の形態変化(分散)の機構を解析する上で適していることから、以後この株にmocと名前を付け、解析を進めた。

 先ず、野生株とmoc株について葉緑体の分裂過程における葉緑体核を経時的に追跡した。その結果、分散した葉緑体核が均等に嬢葉緑体に分配される野生株に対して、葉緑体核の分散が起こらないmoc株では、葉緑体分裂の際にきわめて不均等な葉緑体核の分配が生ずる事が明らかとなった(図2)。分裂後の葉緑体DNAをDAPI染色し、その蛍光強度を顕微測光装置VIMPCSによって定量した結果、野生株では娘葉緑体に約40コピーでほぼ均等に分配されたのに対して、moc株では最初の分裂後はおよそ60:2.5、更に2回目の分裂後は67.5:3.7:3.0:1.8コピーという不均等な量で嬢葉緑体にDNAが分配されることがわかった(図3)。ところが、不均等分配の起きた12時間後の明期の6時間目にはほとんどのmoc細胞が40コピー以上の葉緑体DNAを含んでいたことから、増殖期における葉緑体DNAの分配量が少なかったmoc細胞では葉緑体DNAの複製が活性化され、葉緑体当たりのコピー数を増大させることが示唆された。また、moc株の分裂過程におけるミトコンドリアDNAの動態についてもSYBR Green I染色によって調べた結果、DNAは嬢細胞に均等分配されていた(図4)。C.reinhardtiiにおいて葉緑体DNAとミトコンドリアDNAの分配はそれぞれ独立した機構で制御されていることが示唆された。

2.電子顕微鏡による微細構造の観察とDNAの局在解析

 葉緑体核の局在や形態の変化、分配には膜系とDNA(核)との相互作用が重要な役割を果たしていると考えられている。そこで電子顕微鏡を用いて膜系などの微細構造の観察と、葉緑体DNAの局在を野生株とmoc株で詳細に調べた(図5)。その結果、野生株、moc株共にピレノイドや膜系などの微細構造は違わなかったが、mcc株においてのみピレノイドの近傍にリボソームが含まれない比較的大きな領域が存在していた。抗DNA抗体を用いた免疫電子顕微鏡法でDNAの局在を追跡すると、野生株では葉緑体内部の所々に小さくまとまった金粒子の反応が認められたのに対して、moc株ではピレノイドの近傍の1カ所に集中して多くの金粒子が反応していた。この結果からmoc株のピレノイド近傍のリボソームのない領域は葉緑体核が存在する領域であることが示唆された。また、膜系に顕著な違いが見られなかったことから、moc株の表現型は葉緑体DNAに直接作用するようなタンパク質の変異によるものであることが推定された。以上の細胞学的な解析により特徴づけられたmoc株の性質を表1にまとめた。3.moc株の増殖の特性と老化に関する性質の解析

 細胞の分列増殖に関して葉緑体核の形態・局在がどのように影響するか、植え継ぎ後、経時的に細胞数の計測を行った(図6)。その結果、植え継ぎ後5日目までは野生株、moc株共に対数的に増殖し、6日目で定常期に入った。しかし定常期におけるmoc株の細胞数は野生株のおよそ3分の1程度であった。この違いを調べるために細胞の分裂を明暗で同調化し、分裂細胞の出現頻度を調べたところ、二分裂後の母細胞壁内で4細胞になっている細胞の割合と、分裂後に母細胞壁から出て遊泳する細胞の割合がmoc株では野生株より若干減少していた(図7)。

 更に、葉緑体DNAの分配量の差がその後の細胞活性にどのような影響を与えるかどうかを調べるため、分裂後の細胞について固形培地上で経時観察を行った。その結果、植え継ぎ後60日を経過する頃から、moc株においてのみ葉緑体の自家蛍光が減少している細胞の割合が増加し始めた(図8)。特徴的なのは、分裂後の4つの娘細胞のうち3細胞について選択的に葉緑体の自家蛍光が減少している点である。このことは葉緑体DNAの分配量が定常期の老化に反映されたことを示唆している。定常期に入りDNAの複製活性が低下し、葉緑体DNAを一定量維持できない細胞の老化が進行するものと考えられた。葉緑体DNAの複製活性並びに葉緑体当たりのDNA量と老化との関係を調べるために、植え継ぎ後3日目と7日目の増殖期の細胞培養液に250μ1/mlの最終濃度で葉緑体DNAの複製阻害剤であるノボビオシンを添加し、その後の細胞増殖と細胞の様子について経時的に調べた。その結果、葉緑体DNAの複製が阻害された状態で細胞分裂が少なくとも1度は進行したことが細胞数の増加から推定された。葉緑体の自家蛍光を指標に退化した細胞の割合を調べた結果、野生株では最初の添加から5日目では、およそ5%だったのに対して、moc株では約50%であった(図9)。対数増殖期においても、葉緑体DNAの複製が阻害され、moc株の葉緑体DNA量の少ない細胞がコピー数を一定量以上に増加させることが出来なくなると、その細胞が選択的に退化することがが示唆された。

4.遺伝子単離に向けたタギング領域の解析

 遺伝子タギング法により5系統単離出来たmoc株より当該遺伝子を単離するために、まず戻し交配を行って表現型とタギングに用いた外来DNAの挿入部位との連鎖を調べた。その結果、5系統中2系統(A84,H72)についてのみ表現型と外来DNAの挿入部位が連鎖してた。しかしそのうちの1系統(A84)では外来DNAの検出の手がかりとなるプラスミドのベクター配列が欠落していた。残る1系統(H72)は外来DNAがタンデムに3コピー核ゲノム中に挿入されていた。A84,H72の2系統についてλファージによるゲノミックライブラリーを構築し、形質転換に用いた外来DNAの配列をプローブにタギング領域を含むゲノムDNA断片のスクリーニングを行った。その結果、H72株でタギング領域を含むと思われるクローンA2-3を単離することが出来た。A2-3クローンをプローブに野生株とmoc株のゲノミックサザンを行ったところ、確かに両者間で多型を示したことから(図10)、今度はこのA2-3クローンをプローブに野生株のBAC(Bacterial Artificial Chromosome)ライブラリーのスクリーニングを行った。その結果、26-76kbpのインサートを含む独立した7つのクローンを単離することが出来た(図11)。現在H72株に対してフレオマイシンに耐性を与えるble遺伝子と野生型BACクローンとのco-transformationを行って、表現型の相補性について調べている。

まとめ

(1)葉緑体核の分配・分散の機構とその生理学的な意義を調べるために、遺伝子タギング法でクラミドモナスの葉緑体核がまとまる株、非常に細かくなる株、不定形になる変異株を3種7系統単離した。

(2)葉緑体核が分散しないmoc株について蛍光顕微鏡・電子顕微鏡により観察を行い、葉緑体核の動態と葉緑体の構造について詳細に解析した。moc株では葉緑体核が分散しないことによって葉緑体DNAの分配が不均等になったが、対数増殖期には分配量の少なかった細胞でも活発な複製を行い、葉緑体のDNA量は回復した。葉緑体の微細構造は野生株とmoc株とで変わらなかったことから、moc株では葉緑体核と膜系との結合に関係し、葉緑体核の動態変化を規定するタンパク質に変異があるものと予想された。

(3)対数増殖期。定常期共に葉緑体DNAの複製活性が低下して、葉緑体DNAを一定量以上維持できないmoc細胞は選択的に老化が進行した。

(4)mocの表現型を示す5系統のうち表現型と外来DNAが連鎖していた2系統について解析を進め、その1系統であるH72株について原因遺伝子が含まれると予想されるBACクローンを7つ単離し、塩基配列の決定と相補性の解析を行っている。この遺伝子が決定されることによって葉緑体核の分配・分散の機構が解明され、植物細胞における葉緑体核の重要な役割が分子レベルで明らかになるものと考えられる。

図1 野生株及び遺伝子タギング法で単離した葉緑体核の突然変異体の蛍光顕微鏡像

(A)野生株:10-8個程度の葉緑体核が分散している

(B)葉緑体核が大きく1つに凝集している株moc(monokaryotic chloroplast)

(C)葉緑体核が細い紐状になってストロマ中に広がっている株

(D)葉緑体核が野生株より大きく数も多い株n:細胞核矢印:葉緑体核

図2 野生株とmoc変異株の分裂周期における葉緑体核の経時的観察結果

野生株(A-C)、moc株(D-F)。1細胞期(A,D)、第一分裂後(B,E)、第二分裂後(C,F)。葉緑体核(矢印)が分散している野生株では娘葉緑体にそれぞれ数個の葉緑体核が分配されたが、moc株では分裂時に極めて不均等な葉緑体核の分裂が起こり、娘細胞に分配される葉緑体DNAの重に顕著な差が出た。n:細胞核

図3 野生株及びmoc株の分裂周期における葉緑体DNA量の定量化

明期12時間目の細胞(a,b)、暗期2時間目の第一分裂後の細胞(c,d)、暗期6時間目の第二分裂後の細胞(e,f)、第二分裂後の次の明期6時間目の細胞(g,h)。それぞれ20細胞をランダムに選び、顕微測光装置(VIMPCS)でDNA量を測定し、多いものから順に左から並べ、その平均を示した。

図4 moc株の分裂過程におけるミトコンドリアのDNAの動態

SYBR Green I染色によりミトコンドリアDNA(矢印)を可視化した。葉緑体核(矢頭)は不均等に分配されたのに対して、ミトコンドリア核は均等に分配された。n:細胞核 バーは5μm。

図5 電子顕微鏡による微細構造とDNAの局在解析

野生株(A,C)とmoc株(B,D)について構造(A,B)と抗DNA抗体を用いたDNAの局在解析(C,D)を行った。moc株ではピレノイドの近傍にリボソームを含まない領域が認められた(B矢頭)。野生株では金粒子が小さくまとまって葉緑体内に散在していたが(C矢印)、moc株ではピレノイドの近傍1カ所に大量の金粒子がまとまって存在していた(D矢印)。C:葉緑体 n:細胞核 p;ピレノイド バーは0.5μm。

表1 細胞学的解析により固定された野生株及びmoc株の特性

図6 野生株及びmoc株の増殖の特性

野生株、moc株共に植え継ぎ後5日まで対数的に増殖し、その後定常期に入った。moc株の定常期に細胞数は野生株のそれのおよそ3分の1だった。

●:野生株▲:moc株

図7 野生株及びmoc株の分裂期における細胞のタイプとその頻度

明暗の光条件によって同調化した細胞の分裂のタイミングと出現頻度を調べた。野生株、moc株共に暗期の二時間目で第一分裂、六時間目で第二分裂が完了した。暗期の終盤に内性胞子の遊泳が起こり1細胞の割合が多くなった。○:未分裂細胞:第一分裂終了細胞:第二分裂終了細胞

図8 植え継ぎ後60日が経過した野生株及びmoc株の蛍光顕微鏡像

野生株ではほとんどの細胞が葉緑体の赤い自家蛍光を発していたのに対して、moc株では自家蛍光を発せず、白く退化した細胞の割合が多くなっていた。とりわけ注目すべき点は、moc株で4細胞の内性胞子のうち3細胞が選択的に退化している点である。

図9 対数増殖期における葉緑体DNA阻害剤の増殖への効果

野生株、moc株共に植え継ぎ後3日の細胞に葉緑体DNAの複製阻害剤であるノボビオシンを添加して、その後の増殖や細胞に対する影響を調べた。両株共に薬剤添加後は:コントロールに比べて増殖が抑制された(A.B)。また、葉緑体の自家蛍光巻指標に退化した細胞の細胞の割合を調べたところ、moc株は野生株よりも10倍程度多かった(C,D)。矢印はノボビオシンの添加時期を示す。

図10 タギング領域の単離

タギングの領域の模式図(A)。A2-3クローンをプローブにした形質転換前の細胞の細胞(A54-e18株)及びH72(moc株)DNAに対するゲノミックサザンハイブリダイゼーション(B)。外来DNAの導入によりH72株ではバンドの位置のシフト及びバンドの複数化(矢印)が起きている。

図11 A2-3をプロープに単離されたBACゲノミックローン

BACライブラリーより外来DNAの導入により分断された遺伝子の全長を含むと考えられるクローンを、A2-3クローンをプローブに7つ単離した。各クローンをEcoRIにより切断してインサートサイズを調べたところ、およそ26-76のゲノムDNAを含んでいることが明らかになった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章から構成され、第1章はクラミドモナス(Chlamydomonas rainhardtii)の形質転換体の作製と葉緑体核(核様体)に関する突然変異体の単離、第2章は葉緑体核に関する変異株mocの表現型の細胞学的解析、第3章ではその遺伝子の単離に向けた分子生物学的な解析について述べられている。

 葉緑体は光合成を行う分化した色素体であり、独自のDNAを保持しながら半自立的に細胞内で分裂増殖している。しかしながら、そのDNAの分配を伴う分列増殖の分子メカニズムや制御機構については未だ不明な点が多い。単細胞緑藻クラミドモナスは、二本の鞭毛を持ち、一つの細胞核、8-10個程度の分散した葉緑体核と一つのピレノイドを含んだ葉緑体からなる単純な体裁で、その生活環において葉緑体核のダイナミックな動態が明瞭に観察できることから、植物細胞一般における葉緑体核の分散や分配の機構を解析するのに適したモデル生物であるといえる。更に近年、葉緑体やミトコンドリアに加え、細胞核の形質転換法(タギング法)も確立し、遺伝学的、分子生物学的、生化学的手法をオルガネラの研究に応用できるのも大きな特徴である。葉緑体の遺伝情報の維持や機能発現の分子機構をその核に注目し、様々な手法が利用できるクラミドモナスを材料に用いて形質転換体を単離し、解析するという発想は、葉緑体のバイオジェネシスの研究においてこれまでにない独創性の高いものである。

 第1章では蛍光色素DAPIを用いてDNAを染色し、細胞を1つ1つ観察することによって多数の形質転換体を選抜し、そこで得られた様々な興味深い変異体に関する表現型の報告を行っている。およそ8,000の独立した形質転換体コロニーについて葉緑体核(DNA)の形態や局在を検討した結果、新規に葉緑体核の形態に変異を持つ株を3種類7系統単離することに成功した。藻類・高等植物を含め、これまでに葉緑体遺伝子の複製・転写・分配が行われる葉緑体核に関する変異株については全く報告がないことから、これらの株を解析する;とによって葉緑体核の形態形成や複製・分配機構に関して新たな知見が得られるものと考えられる。

 第2章では葉緑体核の分散や分配の機構を解析する為に、3種得られた葉緑体核の変異体の中でも葉緑体核が分散せずに1つにまとまった変異株5系統に注目し、monokaryotic chloroplast(moc)と名付け、細胞学的な解析を詳細に行っている。まず対数増殖期に経時的観察を行い、moc株では細胞の分裂周期を通して葉緑体核の分散が認められず、葉緑体が分裂する際、1つの大きな葉緑体核が娘細胞にきわめて不均等に分配されるという現象を見い出した。更に、同時に顕微測光装置を用いて葉緑体のDNA量について定量を行い、野生株では娘葉緑体に葉緑体DNAが約40コピーでほぼ均等に分配されるのに対して、moc株ではおよそ60:2.5、というきわめて不均等な量でDNAが分配されることを明らかにした。この結果は、多くの植物の葉緑体に見られる葉緑体核の分散が、葉緑体DNAの均等な分配に役割を果たしていることを示唆するものである。また興味深いことにmoc株では、増殖期において葉緑体DNAの分配が少なかった細胞も次の分裂前までに活発にDNAの複製を行い、DNA量を野生株と同等までに回復させることを見いだし、光合成を行う葉緑体の機能維持には一定量(40コピー程度)の葉緑体DNAが必要なことにも言及している。更に、これらの現象について電子顕微鏡観察を行い、その原因が葉緑体核と膜系との結合の異常であることを示唆している。次にDNAの複製活性が低下した定常期の細胞について観察を行い、moc株では葉緑体DNAの分配量が少ない細胞の老化が選択的に進行する現象を発見した。このことから、葉緑体DNAの複製とその後の均等分配が植物の生存にとって非常に重要な意味を持つことが示された。

 第3章では、遺伝子タギング法で得られたmoc株より、その原因となった遺伝子の単離を試みている。まず5系統のmoc株について親株との戻し交配を行い、表現型とタギングに用いた外来DNAとの連鎖を四分子解析で確認した。その結果、3系統では表現型と外来DNAが連鎖していないことが判明したが、残りの連鎖が認められた2系統を用いて解析を進め、そのうちの1系統よりタギング領域を同定した。更に、野生株のBACライブラリーより原因遺伝子が含まれていると考えられるクローンを7つ単離し、制限酵素処理で共通する領域の塩基配列の解析並びに、各BACクローンによる変異体の相補実験を行った。その結果、共通領域上にはクラミドモナスのESTクローンと合致する2つの遺伝子が存在していることが明らかとなり、また、相補実験では少なくとも1つのクローンで表現型が相補されることが確認された。

 本論文で葉緑体核の変異株として初めて単離されたmoc株は、DNAの複製と分配を行い、分裂リングによって植物細胞内で絶えず増殖している葉緑体の核の分散と分配の分子機構を解明するのに適したモデルである。葉緑体は光合成により二酸化炭素を取り込み酸素を放出し、デンプンを合成するなど生物界にとっても重要な機能を果たしていることから、DNAの複製と分配を含めた葉緑体増殖機構の解明はきわめて重要な意味を持つ。更に、このmoc株を解析して得られた知見は、将来的にはオルガネラ工学などによる有用な植物細胞の産出に応用される可能性も考えられる。以上のことから、本論文は葉緑体の遺伝情報の伝達機構の視点から葉緑体の増殖の仕組みを考察した先導的な論文であると結論できる。

 尚、本論文第2章は、鈴木玲奈、西村芳樹、酒井敦、河野重行、黒岩晴子、黒岩常祥との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 従って、博士(理学)の学位を授与出来ると認める。

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