学位論文要旨



No 115989
著者(漢字) 宮沢,豊
著者(英字)
著者(カナ) ミヤザワ,ユタカ
標題(和) In vitro アミロプラスト分化誘導モデル系を用いたデンプン貯蔵細胞分化の分子細胞性理学的解析
標題(洋) Molecular cytological,and physiological analyses on the differentiation of starch strong cells using in vitro anyloplast inclucing system.
報告番号 115989
報告番号 甲15989
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4033号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 河野,重行
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 助教授 西田,生郎
 東京大学 教授 長田,敏行
 東京大学 助教授 園池,公毅
内容要旨 要旨を表示する

序論

 植物固有のオルガネラである色素体は,分裂組織中の未分化な原色素体から器官組織特異的に様々に分化する.アミロプラストは,植物体が光合成により獲得した炭水化物をデンプンとして合成・貯蔵するように分化した色素体の一つであり,貯蔵されるデンプンは植物のみならず,動物にとっても炭素源として特に重要である.また,石油に代わる工業原料としてのデンプンに対する期待もあり,その質と量を制御する酵素とその遺伝子の研究が進められてきた(Slattery et al 2000).しかし,アミロプラスト分化という現象に対する研究は進められておらず,未だ分化機構の解明には至っていない.その理由として,高度に組織化された植物体を用いた解析では,分化に関わる因子が数多く存在し,また複雑に相互に関係しているため,解析が極めて困難であることがあげられる.本研究では,組織の分化という情報を排除した,タバコ培養細胞BY-2のアミロプラスト分化誘導系を用いた.この系は,培地からオーキシンを除き,サイトカイニンを添加することで,未分化な色素体からのアミロプラスト分化が48時間で同調的に誘導できる(Sakai et al 1992).私は修士課程において,分化誘導におけるオーキシンとサイトカイニンの役割を生理・生化学的に解析し,オーキシンは,デンプン蓄積に阻害的に,またサイトカイニンは促進的に働くことを明らかにした.さらに,分化誘導にはオーキシンの除去のみが必要であることを利用し,誘導系の単純化に成功した.

 博士課程では,この単純化した分化誘導系を用いて,オーキシンとサイトカイニンのデンプン蓄積に対する効果が,デンプン合成に直接関与する遺伝子の発現の抑制・促進を介して起こっていることを明らかにした.また,培地中のショ糖からデンプンに至る各ステップを触媒する酵素遺伝子の発現の解析により,アミロプラスト分化にともない,遺伝子発現が活性化される糖代謝の経路があることを明らかにした.さらに,タンパク質合成阻害剤を用いた解析により,デンプン合成に関与する遺伝子の発現は,アミロプラスト分化過程でde novoに合成されるタンパク質を必要とする場合としない場合があることを見いだした.

結果と考察

I.アミロプラスト分化過程におけるオーキシン,サイトカイニンの効果と遺伝子発現の関係

 オーキシン除去によるアミロプラスト分化過程においては,デンプン蓄積と同時に細胞増殖の抑制が起こる(図1).オーキシン除去によって,分裂組織様の細胞が細胞周期のどの段階で停止し,デンプン貯蔵細胞へ分化しているのかを解析するために,オーキシン含有(D-培地),オーキシン非含有(F-培地),オーキシン非含有,サイトカイニン含有(B-培地)の3種類の培地において48時間培養した細胞について,顕微測光装置を用いて核相を解析した(図2).その結果,アミロプラスト分化を誘導するF,B両培地においてG1期の細胞が蓄積していることが明らかとなった.このことはBY-2細胞がGI期で細胞周期を停止し,分化していることを示唆している.その時点の色素体の形態を電子顕微鏡を用いて観察したところ,F,B培地でのみアミロプラストの形成が認められた(図3).

 次に,オーキシンとサイトカイニンの効果を遺伝子発現のレベルでモニターするために,デンプン合成に直接関与すると考えられるADP-glucose pyrophosphorylase(AGPase),Granule-bound starch synthase(GBSS),Starch branchinge enzyme(SBE)のcDNAをdgenerated primerを用いたRT-PCRにより単離し,RNA-gel blotによる解析を行った(図4,5).デンプン蓄積量と各遺伝子のmRNAの蓄積量は相関(B〉F〉D)していた.さらに,デンプン合成の律速酵素であると考えられているAGPaseのオーキシンとサイトカイニンに対する応答性を調べた(図6).その結果,転写産物の蓄積量がオーキシンによって減少し,サイトカイニンの添加によって増加することが明らかとなった.このことは,デンプン合成に関与する遺伝子群の発現が,オーキシンとサイトカイニンにより制御され,デンプン蓄積量に反映されていることを示唆している(図7).

II.糖退社を触媒する酵素遺伝子群のアミロプラスト分化過程における発現制御

 Iではデンプン合成にのみ関与する遺伝子群を解析したが,デンプン合成に至る糖代謝の経路の一部は,アミロプラスト分化しない分裂組織様の細胞においてもエネルギー変換や細胞壁合成の基質の供給といった必須の役割を持っている(図4).そこで,分裂組織様の細胞がデンプン貯蔵細胞に分化していく過程で,代謝経路のどのステップに関わる遺伝子の発現が重要な役割を担っているのかを調べた.培地中のショ糖の取り込みからデンプン合成に至る各ステップに関わる遺伝子をdegenerated primerを用いたRT-PCR法により単離し,アミロプラスト誘導過程と非誘導過程における発現パターンを定量的RT-PCR法で比較した(図8).ショ糖の取り込みと分解経路において,Invertaseは細胞の増殖と分化の両過程で一定の発現量があるのに対して,Sucrose transporterとSucrose synthaseはアミロプラスト分化過程に特異的に発現量の増大が認められた.細胞質における単糖の代謝経路については,UDP-glucose pyrophosphorylase(UGPase),cytosolic phoshoglucomutase(CPGM),Hexokinaseの3遺伝子とも,両過程で発現量に差は認められなかった.生成した糖リン酸を色素体に取り込み,デンプン合成の基質に変換する経路においては,Plastidic phosphoglucomutase(PPGM)は両過程で発現量に大きな差は認められなかったが,Glucose-6-phosphate translocator(GPT)とAGPaseはアミロプラスト分化誘導特異的に発現量を増大させた.以上の結果から,BY-2細胞は細胞増殖過程においては,Invertase→Hexokinase→CPGM→UGPaseの経路を用いてショ糖の代謝を行っており,アミロプラスト分化誘導過程においては,Sucrose transporter→Sucrosesynthase→UGPase→CPGM→GPT→PPGM→AGPaseの経路が誘導されてデンプンの蓄積に寄与していることが示唆された(図9).

III.アミロプラスト誘導過程における細胞質とオルガネラの遺伝子発現の寄与

 デンプン蓄積の場である色素体と,同化した糖からエネルギーを生み出す場のミトコンドリアは,独自のゲノム,遺伝子発現系を有している.細胞質および,オルガネラ双方におけるタンパク質合成阻害はアミロプラスト分化過程におけるデンプン蓄積を阻害することから,それぞれがデンプン蓄積に重要な役割を果たしていると考えられる(Sakai et al.1997).一方,これまでに知られているデンプン合成に関与する遺伝子群はすべて細胞核にコードされている.そこで,細胞質と,オルガネラのタンパク質合成の寄与を,タンパク質合成阻害剤処理を用い,細胞増殖・デンプン蓄積量・色素体の形態・デンプン蓄積に関与する遺伝子群の発現パターンの変化により解析した.

 アミロプラスト分化誘導過程における色素体の形態の顕著な変化は培養開始後18時間目に始まり,デンプン粒の成長と色素体の肥大をともないアミロプラストが形成される(図10).この変化はデンプンの生化学的な定量による変化と一致していた.オルガネラにおけるタンパク質合成阻害剤としてクロラムフェニコールを培養開始後から経時的に添加し,細胞数と細胞内デンプン含量の変化を測定し,培養48時間目の色素体を観察した(図11).その結果,オルガネラにおけるタンパク質の合成阻害は,細胞内デンプン蓄積を,阻害剤の添加時期によらず阻害した.また,細胞増殖には影響を与えず,阻害効果は添加時期が遅くなるほど小さくなった.さらに,オルガネラにおけるタンパク質合成阻害はAGPaseの転写産物の蓄積には影響を与えなかった(図12).

 同様の解析を細胞質におけるタンパク質合成阻害剤としてシクロヘキシミド(Chx)を用いて行った(図13).Chxは添加時期によらず,細胞増殖と細胞内デンプン蓄積を速やかに阻害した.また,色素体の形態は,阻害剤添加の時点からほとんどその形態を変化させなかった.デンプン合成に関与するAGPase,GBSS,SBE遺伝子をプローブとしたRNA-gel blot解析の結果,AGPaseとGBSSの転写産物の蓄積はChx添加により滅少するが,SBEの転写産物は影響を受けないことが明らかとなった(図14).

 このことは,(1)デンプン蓄積には,オルガネラと細胞質における継続的なタンパク質合成を必要とし,オルガネラにおけるタンパク質合成は細胞核にコードされる遺伝子発現と独立してデンプン蓄積をコントロールしていること,(2)アミロプラスト分化誘導系においてAGPase,GBSSの転写産物の蓄積はde novoに合成されるタンパク質を継続的に必要とすること,(3)Chx処理によるデンプン蓄積阻害は,単にデンプン合成に関与するタンパク質合成の阻害の結果ではないことを示している(図15).

まとめ

I.タバコ培養細胞BY-2においてアミロプラスト分化誘導を阻害するオーキシン,促進するサイトカイニンの役割を分子細胞生理学的に解析し,(1)アミロプラスト分化誘導系では,分裂組織様の細胞がG1期で停止し,デンプン貯蔵型の細胞に分化すること,(2)デンプン合成に直接関わるAGPase,GBSS,SBEの転写産物の蓄積量を,オーキシン,サイトカイニンがそれぞれ滅少,増加させることを明らかにした.このことは,上記の遺伝子群の発現が,オーキシンとサイトカイニンにより制御され,デンプン蓄積量に反映されていることを強く示唆している.

II.培地中のショ糖の取り込みからデンプン合成にいたる各ステップに関わる遺伝子をdegenerated primerを用いたRTr-PCR法により単離し,アミロプラスト誘導過程と非誘導過程における発現パターンの比較を行った.その結果,Invertase ,Hexokinase,CPGM,UGPase,PPGMはアミロプラスト分化過程と非分化過程で同程度の発現を示した.一方,Scrose transporter ,Sucrose synthase,GPT,AGPaseは分化過程で特異的に発現量が増していた.このことはBY-2細胞が細胞増殖過程においては,Invertase→Hexokinase→CPGM→UGPaseの経路で糖代謝をし,アミロプラスト分化誘導過程においてはSucrose transporter→Sucrose synthase→UGPase→CPGM→GPT→PPGM→AGPaseの経路を誘導してデンプンの蓄積に寄与していることを示唆している.

III.細胞質と,糖代謝の代表的な最終地点であるオルガネラ(色素体,ミトコンドリア)におけるタンパク質合成のアミロプラスト分化への

寄与を阻害剤処理により明らかにした.その結果,(1)アミロプラスト分化は継続的なオルガネラ,細胞質のタンパク質合成を必要とすること,(2)オルガネラゲノムは細胞核とは独立してデンプン蓄積を制御すること,(3)デンプン合成に関与するAGPase,GBSS,SBEの発現はアミロプラスト分化過程において異なる制御を受けていることを明らかにした.

参考文献

Miyazawa Y,Sakai,Miyagishima S,Takano H,Kawano S,Kuroiwa T(1999)Auxin and cytokinin have opposite effects on amyloplast development and the expression of starch synthesis genes in cultured bright yellow-2 tobacco cells.Plant Physiol 121:461-469

Miyazawa Y,Sakai,A,Kawano S, S,Kuroiwa T(2000)0rganellar protein synthesis controls amyloplast formationindependent of starch synthesis gene expression Cytologia in press

図 1BY-2細胞におけるオーキシン、サイトカイニンの細胞増殖、細胞内デンプン含量に及ぼす影響

オーキシン非含有培地(F-培地:○)においては,オーキシン含有培地(D-培地:■)と比べ,細胞増殖が抑制される一方で,デンプンの蓄積が起こる.さらにサイトカイニンを添加したB-培地(▲)においては細胞増殖の抑制とデンプン蓄積が強く起こる。

図2 D,F,B-培地において48時間培養した細胞の核相の分布

培養48時間目の細胞をDNA特異的色素DAPIで染色し、細胞核のDNA含量を顕微測光装置を用いて定量し,核相(C)に換算した.D-培地中の細胞(上段)に比べてF,B-培地(中,下段)において2Cの細胞が蓄積している.これは,アミロプラスト分化過程で,細胞周期がG1期で停止していることを示す.

図3 BY-2細胞の色素体の透過型電子顕微鏡像

a:定常期の細胞・b:D一培地48時間培養後・c:F一培地48時間培養後,d:B-培地48時間培養後の色素体を観察した。F,B-培地で培養した場合のみでデンプン粒(S)が観察される.P:色素体,M:ミトコンドリア.バーは5μm

図4 非光合成細胞におけるショ糖の取り込みからデンプンに至る代謝物の流れ

図中の数字の反応に関与する遺伝子名を図の下方に示す。

図5 培地中のホルモンによる,デンプン合成に直接関わる遺伝子群の発現に対する影響

D,F,B一培地に植え継ぎ後から48時間目までのAGPase,GBSS,SBEの転写産物蓄積量の変化をRNA-gel blotにより解析した.3遺伝子とも,転写産物の蓄積が図1に示されているデンプン蓄積量に相関(B〉F〉D)して,起こっている.

図6 デンプン合成に関与する遺伝子のオーキシン,サイトカイニン添加に対する応答性

定常期のBY-2をF一培地に植え継ぎ,図中の矢頭で示される時間(0,12,24,36時間目)オーキシン,サイトカイニンを添加しAGPaseのmRNA量の変化をRNA-gel blotにより解析した,オーキシン添加により,mRNA量は減少し、サイトカイニン添加によってmRNA量は増加する。

図7 オーキシンとサイトカイニンによるアミロプラスト分化の制御

タバコBY-2細胞はオーキシン含有下においては,デンプン合成に関与する遺伝子群(図4中の(9),(10),(11))の発現が抑制される結果、デンプンの蓄積が抑制される(D-medium).オーキシンを除去すると,抑制されていた遺伝子群の発現が促進され,アミノプラスと分化にとこなうデンプンの蓄積に寄与する(F-medium).この状態の細胞にオーキシンの添加を行うと,直ちにデンプン合成に関与する遺伝子群の発現が抑制され,D-mediumの状態になる,一方,サイトカイニンの添加により,これらの遺伝子発現のさらなる促進が起こり,デンプン蓄積量の増加が起こる(B-medium).

図8 ショ糖からデンプン合成の基質に至る仮定に関わる遺伝子群のアミロプラスト分化誘導,及び非分化誘導過程におる発現パターン

図4 で示した糖代謝の経路に関わる遺伝子(図4(1)〜(9))について,アミロプラスト分化誘導,および非分化誘導過程における発現パターンを定量的RT-PCR法により解析した。分化過程で特異的に発現量の増すパターンをAに,分化,非分化過程で差の見られないパターンをBに遺伝子名と共に示した.遺伝子名の後の数字は図4と対応する.

図 9分裂細胞から貯蔵細胞への転換時における糖代謝経路の変化

オーキシン含有下では,A図の灰色矢印の経路を司る遺伝子の発現が抑制されており,細胞内での糖代謝は水色で示される経路により行われている.一方,オーキシン除去によりB図の赤矢印の反応を司る遺伝子の発現が促進され,新たにデンプン合成の基質であるADP-glucoseの供給が盛んに起こるようになる.

図 10アミロプラスト分化過程における色素体の携帯の経時変化

D-,F-培地に植え継いだBY-2の色素体を経時的に位相差顕微鏡下で観察した.矢頭で色素体を示す.18時間目から,F-培地でデンプンの蓄積が見られるようになる.バーは10μm.

図 11オルガネラにおけるタンパク質合成阻害が細胞増殖,デンプン蓄積に及ぼす影響

A:F-培地に植え継ぎ後0,12,24時間後にクロラムフェニコール(Cam)を終濃度10μg/mlになるよう添加し(●),非添加の培養(○)と細胞増殖,デンプン蓄積量について比較を行った.非添加の培養にはCamの溶媒として用いたDMSOを等量加え対照とした.矢頭は,Cam添加時を示す.B:植え継ぎ後0,12,24時間後にCamを培地に添加し,培養48時間目における細胞,色素体の形態を観察した.矢頭はデンプン粒を示す.バーは左:50μm,右:10μm.

図 12 Cam処理のデンプン合成遺伝子の発現に及ぼす影響

植え継ぎ後矢頭で示す0,6,12,18,24時間目にCam処理を行い,RNA-gel blotにより,AGPaseのmRNA蓄積に対する影響を解析した。

図 13 細胞質におけるタンパク質合成阻害が細胞増殖,デンプン蓄積に及ぼす影響

A:F-培地に植え継ぎ後0,12,24時間後にシクロヘキシミド(Chx)を終濃度2.5μg/mlになるよう添加し(●),非添加の培養(○)と細胞増殖,デンプン蓄積量について比較を行った.非添加の培養にはChxの溶媒として用いた蒸留水を等量加え対照とした。矢頭は,Chx添加時を示す.B:植え継ぎ後0,12,24時間後にChxを培地に添加し,培養48時間目における細胞,色素体の形態を観察した.矢頭はデンプン粒を示す.バーは左:50μm,右:10μm.

図 14 Chx処理のデンプン合成遺伝子の発現に及ぼす影響

植え継ぎ後,矢頭で示す0,6,12,18,24時間目にChx処理を行い,AGPase,GBSS,SBEのmRNA蓄積に対する影響をRNA-gel blotにより解析した。

図 15 分裂細胞からデンプン貯蔵細胞への分化モデル

オーキシンの除去により誘導されるアミロプラスト分化は,ショ糖代謝の新たな経路に関与する遺伝子発現を誘導する.この誘導には誘導時にde novoに細胞質で合成される未知のタンパク質(図中X)を要求するものとしないものがある。サイトカイニンの添加は,デンプン合成に必要な遺伝子の発現を促進する.オーキシンの添加により,アミロプラスト分化は図中赤矢印で示される経路に関わる遺伝子の発現を抑制し,分化を停止させる.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は3章からなり,第1章ではタバコ培養細胞BY-2のアミロプラスト分化過程におけるオーキシン,サイトカイニンの効果と遺伝子発現の関係,第2章では糖代謝を触媒する酵素遺伝子群のアミロプラスト分化過程における発現制御の解析,第3章ではアミロプラスト分化過程における細胞質とオルガネラの遺伝子発現の寄与について述べられている.

本論文では組織の分化という情報を排除したタバコ培養細胞BY-2のアミロプラスト誘導系を用いて,いまだ明らかにされていない,分裂組織様の細胞がデンプン貯蔵細胞に分化する過程を,細胞の増殖,細胞内デンプン蓄積量,ショ糖取り込みからデンプン合成に至る糖代謝に関わる遺伝子群の発現を指標に,分子細胞生理学的に解析している.

第1章

 オーキシン除去によるデンプン貯蔵細胞分化過程は,デンプン蓄積と同時に細胞増殖の抑制が起こる.オーキシン除去によって,分裂組織様の細胞が細胞周期をどの段階で停止してデンプン貯蔵細胞に分化しているのかを解析するために,オーキシン含有培地(D)オーキシン除去培地(F),オーキシン除去,サイトカイニン含有培地(B)の3種類の培地において培養した細胞の核相を顕微測光装置で解析した.その結果,デンプン蓄積の起こるF,B両培地においてGl期の細胞が蓄積していることが明らかになった.このことは,BY-2細胞が細胞周期をGI期で停止してデンプン貯蔵細胞に分化していることを示している.また,電子顕微鏡観察を行った結果,F,B培地に植え継ぎ後48時間のうちにアミロプラストが形成されることが見出された.

 次にオーキシンとサイトカイニンの効果を遺伝子発現のレベルでモニターするためにデンプン合成に直接関与すると考えられる3つの遺伝子,ADP-glucose pyrophosphorylase(AGPase),Granule-bound starch synthase(GBSS),Starch branching enzyme(SBE),についてそれぞれのcDNAを単離し,RNA-gel blotにより解析した.その結果,デンプン蓄積量と各遺伝子の転写産物蓄積量が相関していることが見出された.さらに,デンプン合成における律速酵素をコードするAGPaseの発現のオーキシン,サイトカイニンに対する応答性をRNA-gel blotにより解析した結果,転写産物蓄積量がオーキシンにより減少し,サイトカイニンにより増加することが明らかになった.このことは,デンプン合成に直接関わる遺伝子群の発現がオーキシン,サイトカイニンにより制御され,デンプン蓄積量に反映されていると考えられた.

第2章

第1章では、デンプン合成に直接関わる遺伝子群を解析したが,デンプン合成に至る糖代謝の経路の一部は,アミロプラスト分化を行わない分裂組織様細胞においても必須の役割を持つ.そこで,分裂組織様の細胞がデンプン貯蔵細胞に分化していく過程で代謝経路のどのステップに関わる遺伝子の発現が重要な役割をもっているのかを調べ.Sucrose transporter(SUT),sucrose synthase(SUSY),invertase,UDP-glucose pyrophosphorylase(UGPase),cytosolic phosphoglucomutase(CPGM),hexokinase,glucose-6-phosphate translocator(GPT),plastidic phosphoglucomutase(PPGM)をコードするcDNAを単離し,半定量的RT-PCR法により解析した.その結果,SUT,SUSY,GPT,PPGMはデンプン貯蔵細胞分化過程で特異的に発現量を増大させていた一方で、invertase,UGPase,CPGM,hexokinase,の発現量は,分裂組織様細胞とデンプン貯蔵細胞において差は認められなかった.このことから,BY-2細胞は細胞増殖過程では,invertase→hexokinase→CPGM→UGPaseの経路を用いてショ糖の代謝を行っており,デンプン貯蔵細胞分化過程においては,SUT→SUSY→UGPase→CPGM→GPT→PPGMの経路が誘導されてデンプンの蓄積に寄与していることが示唆された.

第3章

 デンプン蓄積の場である色素体と,同化した糖からエネルギーを生み出す場のミトコンドリアは,独自のゲノム,独自の遺伝子発現系を有している.一方,これまでに知られているデンプン合成に関与する遺伝子群は,全て細胞核にコードされている.そこで,細胞質とオルガネラのタンパク質合成のデンプン蓄積に対する寄与を,オルガネラにおけるタンパク質合成阻害剤(クロラムフェニコール)と,細胞質におけるタンパク質合成阻害剤(シクロヘキシミド)を用いて解析した.その結果,両阻害剤とも,デンプン蓄積を阻害したが,クロラムフェニコールは,デンプン合成に必須のAGPaseの発現を阻害しなかった.その一方で,シクロヘキシミドは,AGPase,GBSSの発現を阻害した一方で,SBEの発現は阻害しなかった.このことは,(1)オルガネラにおけるタンパク質合成は,細胞核コードのデンプン合成に関わる遺伝子発現と独立してデンプン蓄積をコントロールすること,(2)アミロプラスト分化誘導系において,SBEはAGPase,GBSSとは異なる機構でその転写産物の蓄積量が制御されていること,(3)AGPase,GBSSの発現にはde novo合成されるタンパク質を必要とすることを示唆している.

 本論文提出者は,タバコ培養細胞BY-2を用いて分裂組織様細胞がデンプン貯蔵細胞分化する過程を分子細胞生理学的に解析し,デンプン合成に直接関わる遺伝子の発現がオーキシンによって抑制され,サイトカイニンによって促進されることを明らかにした.これは,デンプン合成に関わる遺伝子がオーキシン,サイトカイニンによって制御を受けることを示した最初の報告である.また,培地中のショ糖からデンプンに至る各ステップを触媒する酵素遺伝子の発現の解析により,デンプン貯蔵細胞にともない,遺伝子発現が活性化される経路があることを明らかにした.さらに,デンプン合成に関与する遺伝子の発現は,アミロプラスト分化過程でde novoに合成されるタンパク質を必要とする場合としない場合があることを見出した.

 これらの成果は,複雑でいまだ解明の進んでいないデンプン貯蔵細胞分化を,単純化した系を用いて再現し,解析,検証を行ったものとして高く評価されている.したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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