学位論文要旨



No 116016
著者(漢字) 橋本,雅好
著者(英字)
著者(カナ) ハシモト,マサヨシ
標題(和) 臥位での空間認知特性に関する実験的研究
標題(洋)
報告番号 116016
報告番号 甲16016
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第4853号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 西出,和彦
 東京大学 助教授 岸田,省吾
 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 助教授 曲渕,英邦
内容要旨 要旨を表示する

 建築計画学や環境心理学の分野では、人間が日常おこなっている行為や、その行為が展開されている室空間に対する関心が高く、そのため、人間の行為や人間が持つ領域感覚、または、天井高や床面積、容積といった室空間の寸法や規模の知覚特性、あるいは、室空間に対する印象や雰囲気の評価といった人間の空間認知特性に関する様々な研究が数多くおこなわれてきている。しかし、これらの研究の多くは、姿勢が立位や椅座位の場合を対象としており、姿勢が臥位の場合については、あまり対象とされることはなかった。この理由は、「臥位=睡眠」という考え方が強く、眠ってしまったら、臥位がどのような空間認知特性を持っているかについて研究することは、さほど意義を持たないと考えられていたためであろう。

 しかしながら、我々の生活の中で、眠る以外にも臥位で休息をとったり、読書をしたりすることは、少なからずともおこなっているはずである。このようなことから、姿勢が臥位の場合に、人間はどのような空間認知特性を持っているかについて、検証する必要があるのではないかと考えた。

 そこで本研究では、臥位の空間認知特性について、実物大の実験空間を用いて実験的に検証し、立位での結果と比較しながら、臥位が持つ空間認知特性を明らかにすることを目的とした。

 本研究は、序論、第1部、第2部、付章、結論の5部構成である。

 序論では、本研究の背景と目的を明らかにし、臥位の定義づけ、および、姿勢的特徴、臥位に関連した研究を整理した。

 第1部では、臥位での指示代名詞領域の形状を検証するために、被験者が指示する指示物の高さ、方向、および、ベッド配置を変数とし、その指示物が「コレ・ソレ・アレ」のどの指示代名詞にあたるかを検証した。また、壁や天井のない広い空間(非限定空間)における臥位での指示代名詞領域の結果と比較し、壁や天井が指示代名詞領域に与える影響についても併せて検証した。

 その結果、臥位の指示代名詞領域の形状は、身体を囲むような球状で、下方向に狭まった形状であることがわかった。コレ領域は、領域の頂点の高さが900〜1200(単位:mm、以後省略)の間で、領域の水平方向の広がりは、900付近であったが、下方向だけがやや狭い(600付近)形状であることがわかった。ソレ領域は、領域の頂点の高さが1800付近で、領域の水平方向の広がりは、1350付近であったが、下方向だけがやや狭い(1200付近)形状であることがわかった。

 また、室空間と非限定空間との比較の結果は、コレ領域では、室空間、非限定空間に関わりなく、同様の広がりであった。一方、ソレ領域でも水平方向の領域の広がりは、ほぼ同様であったが、領域の頂点の高さは、室空間の方が非限定空間より900以上低くなっており、室空間での領域の形状は、非限定空間での領域の形状を天井面が押しつぶしたような形状になることがわかった。

 既往の立位に関する指示代名詞領域の研究の結果と比較すると、臥位のコレ領域は、ただ単に立位のコレ領域を90度横にしただけのものではなく、立位のコレ領域よりも小さく、形状も異なるものであることがわかった。特に、立位のコレ領域は、身体を完全に覆い隠す形状であったが、臥位のコレ領域では、足下方向は膝あたりまでしかなく、身体の上半身を覆う程度の大きさであったことがわかった。

 第2部では、段差天井の段差の幅や位置、あるいは、間仕切の大きさや位置を変数とし、段差天井の段差の幅や位置、または、間仕切の大きさや位置が、室空間の印象評価(分節感、圧迫感、居心地など)に与える影響を検証した。

 その結果、段差天井に関する実検では、ほとんどの評価項目で、姿勢の違いによる影響はあまり見られず、臥位と立位ともに、同様の評価傾向であることがわかった。しかし、その中でも、一部の実験空間設定(例えば、天井高が低い方の天井の幅と天井高が高い方の天井の幅の割合が2250:3150で、段差の幅が450の場合)で、「圧迫感」と「居心地」の評価の関係に関して、臥位の方が立位に比べ、天井高が低い空間について、圧迫感があるが居心地がよいと感じる傾向があることがわかった。すなわち、臥位は、天井高が高いことが居心地がよいと感じさせる要因とは限らず、圧迫感があっても天井高が低い空間の方が居心地がよいと感じる場合があるといえる。

 また、間仕切に関する実験では、「分節感」の評価は、姿勢の違いによる影響はあまり見られず、臥位と立位ともに、同様の評価傾向であることがわかった。それ以外の評価項目では、評価が変わる間仕切の寸法(転換点)が、姿勢によって異なる傾向が見られた。これは、姿勢による視線の高さの違い(臥位の視点高は845、立位の視点高(平均)は1528)が影響を与えたと考えられる。例えば、居心地がよいと感じ始める間仕切の高さは、臥位では900付近、立位では1350〜1800であった。また、「目障り」の評価では、間仕切の高さが、視線の高さ付近(臥位:900、立位:1350)の場合に、目障りであると感じていた。

 以上のことから、臥位での室空間の印象評価は、特定の設定では、臥位特有の評価傾向があることがわかったが、全体的な評価傾向については、立位の場合とほぼ同様の評価傾向であるといえる。また、臥位、立位ともに、視線の高さ付近で評価が変わっていることから、姿勢による視線の高さの違いと間仕切の高さとの関係が、評価の重要な要因であるといえる。

 付章では、筆者を含めた共同研究としておこなわれた実験について考察しており、臥位の天井高・奥行き・容積の知覚特性を検証するために、室空間の形状や被験者の姿勢を変数とし、天井高、奥行き、容積の知覚特性を検証した。

 その結果、天井高と奥行きの知覚については、臥位の方が天井高を、立位の方が奥行きを、それぞれより正確に知覚できる傾向があることがわかった。これらは、臥位と立位での視線の方向と身体の自由度の違いによるものと考えられる。天井高の知覚に対しては、天井面に身体を近づけることができないため、視覚的情報を頼りに捉えなければならない。したがって、天井高の違いに対しては、視線の方向が天井面に向けられている臥位の方が、側壁面に向けられている立位より、敏感に反応できる。一方、奥行きの知覚に対しては、側壁面には、障害物がない限り、側壁面に触れるまで接近できるため、視覚的情報以外にも歩幅などを頼りに捉えることができる。そのため、室空間内での動きに制限がない立位の方が、定点で観察しなければならない臥位より、正確に把握することができる。以上のことから、臥位では立位よりも、天井高を正確に知覚できるが、奥行きの知覚は不正確であることがわかった。

 また、容積の知覚については、臥位の方が立位よりも、容積を正確に知覚できる傾向があることがわかった。これは、容積の知覚と天井高・奥行きの知覚との関連性を検証した結果、容積の知覚と天井高の知覚の関連性が高いことがいえ、また、天井高の知覚については、上記のように、臥位の方が立位よりも正確に知覚できることから、臥位の方が、天井高の知覚と関連性が高い容積について、立位よりも正確に知覚できたと考えられる。以上のように、臥位では、天井高、奥行き、容積の知覚特性が、立位とは様々な点で異なり、臥位特有の性質があることがわかった。

 結論では、臥位の領域感覚(第1部)、印象評価としての感覚量(第2部)、空間知覚特性(付章)の3種類の実験を通じて、臥位の空間認知特性を、立位の場合と比較して、総括的に考察した。

 その結果、領域感覚と空間知覚特性については、臥位の姿勢的特徴による明確な特性を明らかにすることができたが、印象評価としての感覚量については、ある特定の設定以外では、臥位と立位の評価傾向は同様であることがわかった。このことから推測できることは、指示物や天井高、奥行き、あるいは、間仕切自体といった視覚的に見ることができる対象に対する知覚や評価は、そのときの姿勢での知覚・評価となり、姿勢の違いによって、その知覚や評価の傾向が異なると考えられる。一方、分節感や圧迫感といった視覚的に見ることのできない評価項目に対する評価は、そのときの姿勢での評価ではなく、過去に経験した状況などを思い浮かべて評価しているため、姿勢が異なっても評価の傾向は同様となると考えられる。

 以上のことから、臥位で視覚的に見ることができる事象については、臥位特有の評価があり、その評価の傾向は、他の姿勢とは異なるという結論を得た。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、臥位における空間認知特性について実物大の実測空間を用いて実験的に検証し、立位における結果と比較しながら、臥位が持つ空間認知特性を明らかにすることを目的としている。

 本論文は序論、第1部、第2部、付章、結論の5部で構成されている。

 序論では、本研究の背景・目的を述べ、臥位の定義、姿勢的特徴、関連既往研究を整理している。

 第1部では、臥位での指示代名詞「コレ・ソレ・アレ」が示す領域の形状を策定するために、被験者が指示する指示物の高さ、方向、ベッド配置を変数とし、その指示物がどの指示代名詞にあたるかを検証している。また壁や天井のない非限定空間における臥位での指示代名詞領域の結果と比較し、壁や天井の存在が指示代名詞領域に与える影響を併せて検証している。臥位の指示代名詞領域の形状は、身体を囲むような球状で下方向に狭まった形状であること示し、コレ領域は、頂点高さが900〜1200(単位:mm、以後省略)水平方向の広がりは900付近であるが下方向だけがやや狭い(600付近)形状、ソレ領域は、頂点高さが1800付近で水平方向の広がりは1350付近であるが下方向だけがやや狭い(1200付近)形状であるとの結果を得ている。また、室空間と非限定空間との比較の結果、コレ・ソレ領域では、室空間・非限定空間に関わりなく、同様の広がりを持つが、頂点高さは室空間の方が非限定空間より900以上低く、室空間内領域の形状は、非限定空間内領域の形状を天井面によって押しつぶされたような形状になることを指摘している。既往の立位に関する研究結果と比較すると、臥位のコレ領域は、単に立位のものを90度横にしたのではなく立位の場合よりも小さく形状も異なる。つまり立位の場合は身体を完全に覆い隠す形状であったが、臥位の場合は、足下方向は膝あたりまで達するのみであることを示している。

 第2部では、段差天井の段差幅や位置、間仕切の大きさや位置を変数とし、それらが室空間の分節感、圧迫感、居心地といった印象評価に与える影響を検証している。その結果、段差天井に関する実験では、ほとんどの評価項目で姿勢の違いによる影響はあまり見られず、臥位・立位ともに同様の評価傾向であるが、例えば低い方の天井の幅と高い方の天井の幅の割合が2250:3150で、段差の幅が450の場合といった特定の実験空間設定では「圧迫感」と「居心地」の評価に関して、臥位の方が立位に比べ低い天井空間について圧迫感があるが居心地はよいと感じる傾向がある、すなわち、臥位では天井高の高いことが居心地がよいと感じさせる要因とは限らず、圧迫感があっても低い天井空間の方が居心地がよいと感じる場合があることを発見している。また、間仕切に関する実験では「分節感」の評価は、姿勢の違いによる影響はあまり見られず、臥位・立位ともに同様の評価傾向であること、それ以外の評価項目では評価が変わる間仕切の寸法(転換点)が、姿勢によって異なる傾向が見られことを示している。例えば居心地のよさを感じ始める間仕切高は、臥位では900付近、立位では1350〜1800であり、「目障り」の評価では間仕切高が視線高付近(臥位:900、立位:1350)の場合に、目障りと感じるといったように、姿勢による視線高の違い(視点高は臥位が845、立位が平均1528)が影響を与えることを指摘している。臥位での室空間印象評価傾向は、特定の設定では臥位特有のものがあり、全体的評価では、立位の場合とほぼ同様であるとしている。また、臥位・立位ともに、視線高付近で評価が変わることから姿勢による視線高の違いと間仕切高との関係が評価の影響要因であるとしている。

 付章では、筆者を含めた共同実験研究に基づいて、室空間の形状や被験者の姿勢を変数とし、天井高、奥行き、容積の知覚特性を検証している。天井高と奥行きの知覚については、臥位の方が天井高を、立位の方が奥行きを、それぞれより正確に知覚できる傾向があり、これは臥位と立位とでの視線方向と身体自由度の違いによるものとしている。天井高知覚に対しては主に視覚的情報を頼りに捉えているとみられることから天井高の違いに対しては視線方向が天井面に向く臥位の方が、側壁面に向く立位より敏感に反応し、一方、奥行き知覚に対しては側壁面に障害物がない限り近くまで接近できる状況で歩幅などを頼りに捉えていることから動きに制限がない立位の方が定点観察を余儀なくされる臥位よりも正確に把握可能という分析から、臥位では立位よりも天井高を正確に知覚できるが、奥行きの知覚は不正確であることを示している。容積の知覚については、臥位の方が立位よりも、正確に知覚できる傾向があり、容積知覚と天井高・奥行き知覚との関連性を検証した結果、容積知覚と天井高知覚との関連性が高いことがわかり、天井高知覚については臥位の方が立位よりも正確に知覚できることから、臥位の方が天井高知覚との関連性が高い容積についも立位よりも正確に知覚できたとしている。要約すれば、臥位では天井高・奥行き・容積の知覚特性が、立位とは様々な点で異なることを発見している。

 結論では、3種類の実験を通じて得た臥位の空間認知特性を立位と比較して総括的に考察している。領域感覚と空間知覚特性は、臥位の姿勢的特徴による顕著な特性を明らかにできたが、印象評価感覚量では、特定の設定以外では臥位と立位の差は少なく、指示物や天井高、奥行き、間仕切自体といった視覚的対象の知覚・評価は、そのときの姿勢に左右される。一方分節感や圧迫感といった視覚的でない評価項目の場合は、過去に経験した状況などを思い浮かべて評価しているため、姿勢による評価傾向の差は少ないとしている。換言すれば、臥位から視覚的である事象については特有の評価が存在すると結論づけている。

 以上のように、本論文は、空間認知研究の分野において、例えば寝たきり高齢者・病床上の患者など眠る以外での臥位による空間認知特性の把握が今後更に重要性を増すと思われる状況にあるが、従来「臥位=睡眠」という観念から、あまり注目されなかった臥位における空間認知特性をさまざまな空間条件の下で実験的に解明し基本的かつ新たな知見を得ており、建築計画学の発展に寄与したものである。

 よって本論文は博士(工学)の学位論文として合格と認められる。

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